わたしは退屈になって隣の椅子の背を何となしに倒していた。
がらんどうの箱のなかでは乾いた音がよく響いた。
あずにゃんが迷惑そうな顔でこっちを見た。
わたしは舌を出してやった。
べえ。
使い終わったストローであずにゃんのほっぺたをつつく。
椅子1つ分の隙間と眠ってしまったような映画館にわたしは妙な心持ちがした。
おかしくって苦笑する。
梓「さっきから何してるんですか」
唯「えー。暗いとこにいるとテンションがあがらない?」
梓「そんなんだと夜になるたびトリップしなくちゃいけませんよ」
唯「そうそう。テレビで見たんだけど人間は夜のほうが興奮するんだってね。なんだっけ?」
梓「こーかんしんけい」
唯「それそれ。あ、だからえっちは夜するんだねー」
梓「な、なに言ってるんですかっ」
唯「あー。あずにゃん顔まっか―」
梓「そんなことないですっ」
唯「だって暗くてよくわかんないよ」
梓「あ」
唯「ムキになっちゃってーもう」
梓「あーあー」
唯「そうだ。せっかくのふたりきりの映画館なんだ……」
梓「な、なんですか?」
唯「探検しようよ」
梓「……はあ」
唯「ほら、はやく」
梓「唯先輩といると普段の3倍疲れますよ」
唯「それは普段怠けすぎなだけだよっ」
梓「そうかもしれないですね」
席の間を歩いて上のほうへのぼった。
少し歩くと一番上にたどり着いてしまった。
今度は下りてスクリーンの前で影をつくってはしゃいでみたけどすぐに飽きた。
探検なんてするとこないじゃないですか。
あずにゃんの言ったことは正しい。
梓「もう終わりですか?」
唯「待って……そうだっあそこに行ってみたかったんだ」
梓「そこって……映写室ですか?」
唯「あそこっておじいさんがいるんだよね。映画だとそうだよ」
梓「まあ、おじいさんとは限りませんが、でも最近はどこもデジタルですからね」
唯「じゃあおじいさんはロボットになっちゃったの?」
梓「そういうことじゃないですってば。まあとりあえず行ってみましょうか」
【映写室】と刻まれたドアはひどく錆び付いていた。
ぎいぃぃぃ。
開くときにきしんで音をたてた。
そして、そこにいたのはおじいさんでもロボットでもなかった。
埃っぽいにおい。
薄暗い部屋。
かりかりかりかりかり。
開かれたドアの先から、震動音。
床に転がったフィルムの上に小さな影。
じっと見つめていると、その影が小刻みに動いてフィルムを食べているのがわかる。
梓「……なんですかね」
唯「ポップル?」
梓「ポップルはもっと愛くるしいですよ」
唯「そう思ってた」
瞳が暗闇に慣れていって次第にあたりがはっきり見えるようになった。
それは1匹の動物だった。
あずにゃんは獏だと言った。
わたしは獏がなんだかわからなかったけど、前にテレビで見たアリクイみたいだと思った。
映画館を出てからわたしはあずにゃんに聞いた。
唯「獏ってなに?」
梓「人の夢を食べる想像上の動物ですよ」
唯「へえー。でも、あれは映画を食べてたね。シネマアリクイかと思ったよ」
梓「アリクイじゃないじゃないですか」
唯「あはは。たしかにそうだねー」
梓「ていうかなんでフィルムなんて食べるんでしょう」
唯「きっと、つまんないものを何度も流されるのが嫌いなんだ」
梓「む……でももう頭の中に全部あるから平気です」
唯「今度はあずにゃんの頭の中を食べちゃうかも」
梓「それは怖いですね」
あずにゃんはちょっと震えた。
きっと、抱きしめて安心させたいと思ったけどそれは禁則事項。
映画館で喋ってはいけませんってさ。
【3】
じゃかじゃか。
じゃかじゃか。
じゃかじゃか。
じゃかじゃか。
疲れたあ休憩にしようぜー。
りっちゃんが言った。
次にくる言葉は予想できたから先回りして言ってみた。
澪「まだ30分しかやってないだろーっ」
唯「まだ40分しかやってないだろーっ」
唯「あ」
澪「惜しかったよ。さああと10分頑張ろう!」
唯「ちょっと待ってよ。澪ちゃん時間偽装したよこれは許されないよっ」
梓「往生際が悪いですよ先輩?」
唯「はああ。善人がいつも損をするんだ」
紬「ふふっ」
唯「あー笑うとこじゃないよー」
じゃかじゃか。
じゃかじゃか。
疲れたあ休憩にしようぜー。
りっちゃんが言った。
次の言葉を予想して言う。
唯「じゃあ次でさいごにしようか」
澪「ティータイムにしようか」
唯「あ」
澪「唯はまじめだなあ」
満面の笑み。
唯「くそう……くそう……あっ」
澪「……なに?」
唯「……ははあ。わかったよこれは澪ちゃんじゃないよ」
律「ほんとかっ」
澪「え。いやいや」
唯「では、あそこに今日のショートケーキがあります。さあ澪ちゃんはどう食べるっ」
澪「そうだなあ……まずはちょっとクリームの味を確かめてそれで、一回紅茶を飲んで落ち着いて、ほうっと一息ついてから食べるかな」
唯「ぶっぶー。やっぱりこの澪ちゃんはにせものでーす」
澪「おいっ。じゃあ本物のわたしはどう食べるんだ?」
唯「ケーキをパーツごとに分解して食べるよ」
澪「おかしいだろっ」
紬「たしかに澪ちゃん凝り性のところあるものね」
澪「なっとくするなあっ」
律「おおーすごい変装だっ。このわたしを欺くなんて……」
澪「……まったく。梓から何とか言ってくれよ」
梓「そりゃあもちろん……」
唯「ポッケにあめちゃんが」
梓「あーっ。この先輩はにせものですよっ」
澪「お、おいっ。あずさああああああ」
紬「あっ! ちょっとまって」
みんなぴくっ、って止まった。
沈黙。
5秒たった。
紬「あ。ごめんなさい。もういいの」
律「どうしたの?」
紬「え、その、さっきの瞬間見たことあるなあって」
澪「ああ、デジャブだな」
唯「よくあるよくあるっ」
律「うん。そういやわたしも最近2回くらいあったなあ」
梓「何ですか?そのデジャビューとかいうの」
澪「梓、デジャブ知らないのか?」
梓「ええまあお恥ずかしながら」
唯「はじめてなのにああこれ前に見たことあるなあって感じがすることだよっ。あずにゃんも経験ない?」
梓「えーと……ないですね」
唯「えー」
紬「夢で見たとかいう気もするのよね」
澪「そうそう前世の記憶が関係してるなんて話もあるよね」
梓「全然わかんないんですけど」
律「デジャブなんてだれでも一度は経験してると思ったけどなあ」
紬「梓ちゃんは1回目なんじゃないかしら?」
澪「ああ」
梓「どういうことですか?」
紬「つまり前世がなくて、今回の人生がはじめてなんじゃない?」
律「そういう意味でも梓は後輩だったのかあ」
梓「そう……なんですかね」
唯「あずにゃん、クリスマスプレゼントもらったことないでしょ?」
梓「はい。うちにはそういう習慣はなかったですけど……それがなにか?」
唯「やっぱり」
紬「なになに?」
唯「あずにゃんはいい子じゃないからプレゼントもらえないし、デジャブもみれないんだっ」
律「いやいや関係ないだろ」
澪「一理ある……梓はわたしよりあめをとっちゃう薄情な女の子だから」
梓「あれはじょうだんですよっ」
唯「あずにゃん。はい、あめ」
梓「だーからっじょーだんですってば」
唯「そんなあ、てれないでよー。ははーあず神さまーあめをどうぞ」
梓「何言ってるんですか」
澪「梓はかわいいなあ。あはは」
梓「その、ケーキあげますから許して下さい」
律「澪を太らせて食べるつもりだなー」
澪「うるさいっ」
律「なんでわたしっ?」
唯「めでたしめでたしだねっ。あめどうぞ」
梓「どうも」
澪「こつん」
梓「いたい」
【4】
学校からの帰り道をみんなで歩いてた。夕暮れのことだった。
5人ていうのはすごく歩きづらいと思わない?
つまりさ、2人づつ並んで歩けば1人余っちゃうし、縦や横に一列に並ぶのなんてもっとおかしいよ。
どうすればよかっただろう?
なんかいい案が浮かんだらわたしまで、どーぞ。
わたしたちはいつもそんな試行錯誤の中で生きいてかなくてはならなかったんだけど、今日に限ればそんな心配はなかった。
あずにゃんが学校に用があるとかなんとか。
そういえば、あずにゃんがいなかった頃もそんな心配もいらなかったのだ。だからどうってわけでもないけど。
それまでわたしたちは最近発売された話題のグミについて話していて、りっちゃんが言った。
律「あれ、そんなにおいしくなかったよ」
そう言うりっちゃんは口の中でコーラ・グミを転がしていた。
それはいつもの光景だったし、わたしたちはそれを中毒だね、なんて茶化したりもしていた。
りっちゃんに言わせればこういうこと。
タバコより安くて、お酒より健康的だろ。
今のところこれに対する反論をわたしたちは見つけられていない。
だから今日もりっちゃんはコーラ・グミを食べている。
ぽりぽり。
紬「そうなの? おいしいって評判なのに」
律「コーラ・グミの権威のりっちゃんが言うんだから正しい」
澪「新しいグミはオレンジだろっ」
澪ちゃんがりっちゃんを叩くふり。
それもいつものことだ。
わたしはこんなあたりきりのお芝居に安心できる。
あーあ。
唯「なんでいつも澪ちゃんはりっちゃんを叩かないの?」
律「なあにいってんだ。すぐたたくだろー」
澪「ほんとは、たたいてないだろっ」
律「いたい」
紬「ふふっ」
唯「さっきのは、たたいたっていえる?」
紬「たたきもどきね」
唯「もどきたたき」
律「もぐらたたき」
澪「はあ……」
唯「ていうかごまかされた!」」
律「唯も乗ってたくせにー」
澪「それでなんだっけ」
紬「なんで、澪ちゃんはりっちゃんに触れないのかってことよね」
唯「うん」
はれちゃったんだ。
少し間が開いてその後でりっちゃんが言った。
その声にはあきらめともやけくそともつかないような冗談めいた響きがあった。
わたしが考えたのはなぜか朝のやるせなさだった。
澪「わたしたちって昔から肌が異常なほど弱くてね。人に触れるだけで炎症をおこしちゃうんだよ」
律「昔、頭叩かれまくったときは頭皮が大変だったんだぜ。そうそう、ムギもなんだよな」
紬「うん。触られるとそこが痛くなっちゃうの」
律「まさか唯もなーんて?」
唯「さわってみてよ?」
わたしの左の手のひらにりっちゃんが軽く触れる。
2秒くらいそのまま握っていて、もういいかなと言って手を放した。
唯「ほら、まっかだよ」
わたしはみんなによく見えるように手を振った。
それはちょうど絵の具で着色したかのような鮮やかな赤色をしていた。
あまりにも純粋な赤色だったから見てるとなんだか現実感が遠くなってしまいそうだった。
空気にさらされてはれた部分が痛んだ。
唯「いちち」
澪「わかってるならなんでやったんだ」
唯「だってさ、あずにゃんは触っても平気だからもしかしたらなあって思ってさ」
律「あーそういや梓にはよく抱きついてるもんな」
紬「わたしも梓ちゃんにはなんともなかったのよね。どうしてかしら?」
澪「なんだろ。ぬいぐるみみたいだよな。だきついても赤くならないのは」
唯「へえー。澪ちゃんってぬいぐるみにだきついたりしてるんだあー」
澪「え、あ、そ、そういうことじゃないって」
唯「えへへー澪ちゃんかわいいねー」
紬「ねー」
澪「わらうなっ」
最終更新:2012年05月18日 20:59