夕日が細長くていびつなわたしたちの影を道路の上に落とした。
わたしたちは黙ったままそれぞれに何か考えていた。今日の夕飯とかそんなの。
手のひらの皮膚がまだひりひりした。
わたしたちは4人はどんな神様(あず神様じゃないことを祈ろう)のお導きがあったのか知らないけど、みんな人と触れるだけで炎症をおこさずにはいられないらしい。

わたしは小さい頃からそうだった。
両親はわたしをならべく直接的に刺激しないようにすごしてきたのだ。
それは普通にこどもを育てる――つまり、抱いたり、手をつないだり、時にはたたくかもしれない――よりずっと大変なことだった。
だから、ときどきお母さんが我慢できずにわたしに触れたことを非難はできないだろう。
なにかわたしにとって(それは他の誰にとってでもなく必ずわたしにとってだった)良いことがあると、ときどきわたしの頭をそっとなでた。
そのせいで、わたしは嬉しい記憶を、ぴりっとした痛みとともに思い出す。

そんなふうに育ったわたしは、抱きしめることが親しさを伝える最良の方法ではないと、言い切ることができる。
しかしまた、こう感じずにもいられない。
誰かに触れることは途方もなく幸福な行為なんだって。

唯「最近ね、よく人生についてかんがえるんだ。それで眠れない夜もあるんだけど……」

律「唯はばかだなあ」

唯「なんで?」

律「そんなの小学5年生には考え始めて、中学生になったらもうあきらめちゃうんだ」

唯「なんで?」

律「なんでなんでってお前はなんで星人かっ!」

唯「宇宙人だよー澪ちゃん!」

澪「はいはい。まあわかるよ。わたしも宇宙人とか怖くて眠れない夜あったもん。小学生まではな」

紬「今もじゃないの?」

澪「ぶっ。そ、そんなことあるわけないだろー。あははー」

律「よく言った」

紬「えへへ」

澪「おぼえとけ」

唯「あ、ゆーふぉー」

澪「ひっ」

唯「えへへ、澪ちゃんはまだ小学生なんだね。ぬいぐるみ?」

澪「だーかーら、違うっ」



 『未知の宇宙に君も触れよう!』

映画館の入り口に積んであったパンフレットをわたしは眺めた。
それによるとこの街の端っこには天文台があるらしい。
ここからそう遠くはないみたいだ。
人工の星や惑星を見てどうするんだよって思うかもしれないけど、とにかくわたしはそこに行くことにした。
暇なんだ。

梓「へええ。そんなものがあったんんですか、はじめて知りました」

唯「あずにゃんは星見るの好き?」

梓「昨日まではそうでした」

唯「なんでさ?」

梓「ずっと夜じゃ飽きますよ」

唯「そう? 夜には飽きるけど星には飽きないよー」

梓「はやく飽きないと食べられちゃいますよ」

唯「それは映画だけだよー」

梓「ずるいです」

天文台は小さな丘の上にあった。
そこまでは階段を500段ほど登ればいいだけだ。
上についた時にはくたくただった。

梓「下りもあるんですよね」

唯「それは、禁句、だよ」

その建物は真四角で、てっぺんに半球型のドームが備え付けられていた。
思ったよりも小さいんだ、とわたしは思った。
中に入ると係員のおねえさんが現れて言った。

係員「ここに人が来ることはめったにないのよ。暇すぎて死んじゃいそうだったわ」

それから、天文台(さっきの半球ドームだ)に案内された。
いろんな機械がピコピコ動いていて目が回ってしまいそうだった。
係員のおねえさんは望遠鏡の前に立って、おほんと咳をした。
そして、わたしには到底理解できないようないくつのも事柄を喋りはじめた。

唯「あずにゃん理解できる?」

梓「だめです」

それでも、熱心に話すおねえさんの好意をむだにしたくはなかったので、わたしたちは話を聴き続けた。
ときどきうなずいたりもした。
しかしわたしにわかったのは結局、宇宙はとてつもなく広いのだというよくある事実だけだった。

係員「……というわけでここの望遠鏡は自動で星を捉えるようになってるのだからあなたたちは見たい星のボタン押せばいいわけ。わかった?」

唯梓「はーい」

係員「ではごゆっくりどうぞ」

そう言うと係員さんはどこかへいなくなってしまった。
わたしは望遠鏡を覗いてみた。
ごつごつした赤い半透明の星が見えた。

梓「何か見えました?」

唯「星が見えたよ」

梓「それはそうですけど」

唯「なんかおいしそうー」

梓「ちょっとみせてください……ああ、これは飴ですよ」

唯「あめ?」

梓「星って言うのはあめとかチョコとかそういうものでできているんですよ」

あずにゃんが誇った顔で言った。

唯「へえーあずにゃんものしりだねー」

梓「まあ、さっきの人がいってたんですけどね」

唯「あーずるいー」

梓「でも、お菓子の星なんて唯先輩向きじゃないですか」

唯「そうだねー。宇宙旅行に行きたいな」

梓「100年すれば行けますよ」

唯「その頃生きてないよー。あ、もしかしてさ?」

梓「なんですか?」

唯「惑星がお菓子だったらさ雲は綿菓子だよね」

梓「でも、ずっと晴れですから」

唯「そっかあ。ざんねん」

その後、2人でいろんな星を見た。
これはいちごの味だとか、このチョコはミルクだとか、これが一番おいしそうとか。
そんなふうにして長い時間が過ぎた。

唯「そろそろ帰ろっか」

梓「そうですね」

帰り際、おねえさんに挨拶をしていこうと思ったけど見当たらず、結局そのまま天文台をあとにした。
階段をおりたところで幼いはしゃぎ声が聞こえた。
風船を持った3人のこどもたちが目の前を横切っていった。

唯「いいなあ」

梓「風船?」

唯「うん」

梓「こどもですね」

唯「あずにゃんものくせにー」

梓「わたしは風船なんていらないですよ」

唯「こどもってことがだよっ」

梓「むう」

唯「すぐすねるのは子どもの証拠だよ」

梓「すねてないですっ」

唯「そうかなあ……あっ」

わたしは風船の出どころを発見した。
風船を配っている男の人は真っ白い服で身を包んでいた。
そこに近づいていく。

唯「あのー風船2つください」

男「どうぞ」

唯「ありがとございます。あ、風船のこのマークはなんですか?」

風船には羽の絵がプリントしてあった。

男「ああ。天使のマークだよ。街の外の公園でこの風船をもっているとこれを目印に天使が降りてくるんだ」

コールする。
と、男の人は言った。

唯「何を?」

男「天使をじゃないかな」

言った後でそれがまるっきりの冗談だとでもいうように男の人は笑った。

梓「それ、ほんとなんですか?」

男「どうだろう。伝説みたいなものじゃないかな。僕らの間ではそう信じられてるんだ」

でも、あんまり本気にしないほうがいいと男の人は言った。
僕らの間だけの伝説なんだ。
神話とか言い伝えは、こども同士のひみつみたいにその中でとどめておくべきだ。

わたしたちは2つの風船をぶら下げて街の入口にむかって歩いていた。

唯「試してみる?」

梓「いいですよ」

やっぱりあずにゃんは肯定した。
不完全なこの場所からわたしは抜けだそうとする。



【5】

わたしはテレビに映ったことがある。
それも一瞬だけとかじゃなくて、ちゃんと、ひとりきりの舞台が用意されてたのだ。
わたしが5歳の時、両親はいかに自分のこどもの幽霊をこの世に長くとどまらせるかということにやっきになっていた。
それでわたしの愛すべき両親が考えたのは、今や日本中を支配するあの電波に自分の娘をのせるという恐ろしいものだった。
わたしはあるテレビCMのオーディションを受けに行って見事それに合格してしまった。
それはこういうCMだった。

子供が台所を歩いている。
自分の高さにある引き戸を開けると容器に入った油がある。
そのキャップを開けて飲もうとすると……隣に緑色の容器があるのを見つける。
飲んでも安心『万能オイル』ってわけだ。


もう1パターン。これは深夜用。


こどもがろうかを歩いている。
扉の向こう側から喘ぎ声が聞こえる。
こどもはその扉をあけて……そこに同じ緑色があるのを見つける。
 えっちにも使える『万能オイル』


結論を言えば両親のこの試みは失敗に終わった。当然だ。
何年も前のぱっとしないCMに出ていた子どもを誰が覚えてる?

今や、『万能オイル』は大ヒット商品でどの家庭にも2つはあり、そのCMには有名な女優が出演していて、他のCMと同じようにみんなはそこでチャンネルを切り替える。
そして人々は『万能オイル』を使ってえっちを盛り上げ、生まれたこどもの5歳の誕生日にはやはり『万能オイル』で作ったステーキを食べる。
あーあ。


しかし、この報われない大女優を覚えていてくれた人が1人だけいたんだ。
それはあのムギちゃんである。

紬「実はねわたしもあのオーディションうけたのよー」

そんなふうにムギちゃんは教えてくれた。

唯「え、ほんとに?」

紬「うん。お母様がね、紬はかわいいから絶対に合格するわって」

唯「ごめんね」

紬「ひどいわー唯ちゃんわたしショックでCMになるたびチャンネルかえるようになっちゃったのよー」

唯「そんなあ」

紬「ふふっ。冗談よ」

唯「おおっ」

紬「でもね、それ以来お母様テレビあんまり見せてくれなくなったの。テレビは害悪なのって」

ムギちゃんはお母さんの声を真似た。
ムギちゃんのお母さんにはあったことなかったけど、厳格そうなその声はそれっぽくてわたしは頬を緩ませた。

唯「それはひどいねー」

紬「でしょ。でも唯ちゃんが出てたCMは覚えてるわ。なかなか演技派ね」

唯「えへへ、すごいでしょー。本番だって一発でOKだったんだよー」

紬「おー。さすがっ」

唯「練習4000回くらいしたけど」

あはは。
わたしたちは声を上げて笑った。

そういえば、とムギちゃんが声を落としてわたしに尋ねた。

紬「ねえねえ、あのろうかのほうのCMなんだけどけど唯ちゃん意味わかってた?」

唯「わかんなかったよもちろん。ムギちゃんは?」

紬「中学生のときまでは知らなかったなあ。でも、唯ちゃん今なら意味わかるんだ?」

唯「『万能オイル』で快適なセックスライフを!』」

 これはつい最近の『万能オイル』のキャッチコピーだ。

後にわたしはこんなことをムギちゃんに聞いてみた。
自分の存在がずっと残っているのはそんなに素晴らしいものなのかなあ、と。
天国病がわたしにも感染し始めた頃のことだ。

紬「どうかしら。でも終わったことをとやかくいわれるのはあんまりいい気がしないんじゃないかしら」

唯「でも寂しいんじゃないかな」

紬「それはわからないのよね。ほら、ほんとは何かが終わったわけじゃないから」

唯「いなくなった人とお話できたらいいのになあ」

紬「そしたら、天国が楽しすぎることがわかってみんな死んじゃうかも」

唯「えー。でも、なあ。
ばいばいするたび悲しくてしかたないって言ってたあずにゃんの気持ちが今ならちょっとわかるなー」

紬「ふふっ心配症ねふたりとも。唯ちゃんの18年間の一番すごかったことは?」

唯「むむぅ……なんだろ? 急に言われてもわかんないなあ」」

紬「ほら、その程度よ。そんなにすごいことはおきないのよ」

唯「でも何がおきるかわからないのが人生だってみんな言うよ」

紬「それはうそよ」


これは今でもあずにゃん教の基本理念になっている。
もし、あずにゃん教の教典がつくられるなら最初のページにはこう書かれるだろう。
ヒトは誰しもが予言者である。
皆、そのことから目を背けているのだ。

ぜひとも、唯一神である、あず神様にも何か教典に残るようなことを言ってもらいたいものだ。


紬「でも、実はね、わたしも同じようなことしてるのよ」

唯「なに?」

紬「ティータイム」

唯「どういうこと?」

紬「ほら、毎日ティータイムしてるじゃない? だからきっとみんな紅茶を見るたびけいおん部のこと思い出さずにはいられないと思うの、ね?」

ムギちゃんはいたずらっぽく笑った。
この企みは非常にうまくいった。わたしはどこかで紅茶を飲むにつき、ムギちゃんのうしろ姿が浮かんでくるし、みんなの笑い声が聞こえてくる。
それはずっとあともそうだろう。
100年後、縁側で紅茶を片手にみんなのことを考える自分は容易に想像できる。
そして、きっとその頃には一層進歩した通信技術を用いて、すぐにでもみんなと会おうとするはずだ。
人間は誰しも予言者である。

同じ質問をわたしはさわちゃんにもしてみた。その答えはこうだった。
どうせ明日になれば誰もなにも覚えてやしないわよ。
ロック万歳。



【6】

りいいいいいい。りいいいいいい。
電話の音で起こされた。
わたしは電話で起こされることに対しては極めて寛容な方だった。だから、15秒の現実逃避だけで見逃した。その間わたしは電話が切れてくれないかと心から願ったものだ。
世間ではそれだけで1つ事件が起こることだってあるらしい。くわばらくわばら。
電話はりっちゃんからだった。

唯『ふあああああ。どしたの?』

律『今日何曜日かわかるかー?』

唯『みんなの日曜だよ』

律『日曜といえば?』

唯『洋画劇場?』

律『ばかっ。数学の補習だろ』

唯『あ、そうか』

律『今から来るのか?』

唯『今日はサボるよ』

律『えーずるいぞー』

唯『今日はあれだから安息日だから』

律『わたしもサボればよかったー』

これは今決めたのだった。
しかし、この考えはなかなか素晴らしいもののように思えた。聖人でいるのだって楽じゃない。
あの、神様だって7日で世界を作ったあとはずっと休憩中なんだ。わたしのたった一日なんてかわいいものだ。

その後、2、3言話して電話を切った。りっちゃんの捨てぜりふはこう。
ばーか。

なんて単純!


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最終更新:2012年05月18日 21:00