下の階では憂が朝ごはんを作っていた。
香ばしい香りが漂ってきたのでキッチンをのぞくと、フライパンの上で目玉焼きが音を立たていた。

憂「おねえちゃん、日曜日にしては起きるの早いねー」

唯「電話は世界一のすごい発明だよ」

憂「何だったの?」

唯「補習だってー」

憂「の、のんびりしすぎじゃない?」

唯「今日はサボる」

憂「いいの?」

唯「安息日だからね」

憂「変な宗教のせいでおねえちゃんが堕落しちゃうよー」

唯「き、今日だけだよっ」

憂「じょーだんだよー。ほら、朝ごはんできたよ」

唯「いただきまーす」


昼ごろまで家の中でゴロゴロしていたら、不意に思いつくものがあって散歩に行くことにした。
その日の天気は曇だった。
残念ながら、曇天の日はお散歩にはむかない。
しかしそれでも、わたしは2倍増しで全身の歯車を回して、口笛なんかを吹いたりした。
そのうちだんだんほんとに気分が良くなって、最終的には鼻歌に声がまじり、歩みは軽やかになっていった。
わたしは途中、花屋で何本か気に入った香りの花(花の名前を聞いたんだけど忘れてしまった)を買った。白い花だった。
花屋の店員はわたしに向かってこう忠告した。
あんまりきれいだからって花びらを触りすぎちゃダメよ。すぐダメになっちゃうの。

それから、近所のデパートで憂に頼まれた買い物をすませて、帰路についた。
わたしはわざと回り道してある場所に行った。実は最初からこのつもりで今日は出かけたのだった。
楽園からあずにゃんが話しかけてきた。
憂の言うとおりですよ。
堕落してるんです。
きっと大変ですよ。無理しようとすればもっといろんなところが壊れますから。
その他いろいろ。

和「あら、唯じゃない」

唯「わあっ、和ちゃん」

和「……ここで誰かが亡くなったのかしら」

和ちゃんが聞いた。和ちゃんの質問は全くおかしくない。
何といったって、さっきわたしがしたことといえば、ビンにさした花を道路に添えることだった。

唯「違うよ。あずにゃんのためなんだ」

和「どういうこと?」

唯「あのね、ここはあずにゃんの家への帰り道なんだよ。でもここにはいつも不良みたいのがたまってて通るたびにすごい怖い思いをするんだって。話しかけられたときは泣きそうだったって。他に帰り道がないわけじゃないけど倍近くかかるから。それに部活で帰りだって遅いし。それで前にどこかで花がそなえられてるとこには不良も近づかないって聞いたから……」

わたしたちはそこを後にして歩き出した。
長い間の友達と歩くのはとても楽だ。それは話に事欠かないからじゃなくて、最良の歩幅をお互いが無意識にわかっているというわけで。
こういうのがわたしはすごく嬉しい。
それは退屈な毎日の繰り返しが、出会った一目で好きになるなんてロマンチックな運命を超える瞬間だからだ。

唯「怒ってる?」

和「うん」

唯「やっぱだめだよね。ほんとは亡くなったひとのためだもん」

和「そうじゃないわよ」

唯「え」

和「補習、サボったって律からきいたわよ。それくらいでなきゃダメじゃない。ただでさえ唯は成績よくないないのに」

唯「ごめんなさい」

和「……笑うとこなんだけど」

それでわたしたちは声を上げて笑った。

だいぶ日が暮れて、街がオレンジがかりはじめた。
家の近くまで近づいてきたら、公園が見えた。

和「あの公園、今はいろいろ厳しくなってるらしいわね。ろくに遊べないとか何とか」

唯「なんで?」

和「遊具で事故があったのよ。あとは時代の流れかしら」

唯「ふうん。昔、好きだった場所は減ってくね」

普段、あらゆるものは瞬く間に減っていき、すぐにそれに変わる新しいものが現れるから何かがなくなったことにわたしたちは気が付かない。
毎日通った駄菓子屋はつぶれてしまい、ザリガニを釣った沼地はコンクリートで舗装されて、わたしの出ていたCMはもう見れない。
それでも、デパートで駄菓子は買えるし、ザリガニは絶滅したわけじゃない。『万能オイル』は今もフライパンの上でダンスを続けている。
何がなくなって何が残るのかはわたしに決められるようなことじゃないんだろう。
ただ、それで悲しいとか嬉しいとかがあるだけ。それはちょうど、入ってきたお金の分だけ回るスロットマシーンみたい。
絵柄が揃わないたびに台を蹴ったって仕方がない。
あーあ。



曇り空をはじめて見た。
アスファルト舗装の1本道をわたしたちは歩いていた。
あんまりいい気分じゃないかも。
後ろを振り返るとドーム状になっているわたしたちのユートピアがあった。
それはあまりに大きかったため、街というよりは1つの世界のようだった。
風が吹いて、風船を揺らし、頬を撫でた。
なんだか不思議な気分だった。
あずにゃんは眩しそうに目を細めた。
今のわたしたちに太陽の光は刺激がつよすぎた。たとえその間に厚い雲があってもだ。
ずっとむこうで銃声が聞こえた。
その音は戦争映画なんかであるような緊張感とは無縁な、やけに間の抜けた稚拙なものだった。
おもちゃみたいだとわたしは思った。
ぱきゅーん。
その間にも、雲の切れ間を戦闘機が飛んでいき、地平線の上を戦車が横切った。

どこかに飛んで行かないようにと、わたしは風船のひもを強く握り直した。

出し抜けに兵隊の格好をした女の子が現れた。その姿は不安定に揺らいでいて、今にも消えてしまいそうに見えた。
女の子はわたしの隣にいたあずにゃん言った。

「あずにゃん。やっと発明できたんだ。空も飛べるよっ」

これ以上ないってほどの笑顔を咲かせて、消えた。

唯「あずにゃんの知り合い?」

そんなわけないと知っていてわたしは聞いた。

梓「違います。でもなんとなく唯先輩に似ていませんでした?

唯「そうかな?」

梓「はい。なんというか笑い方とか」

唯「わたしってあんなにふわふわして見えるのかあ」

梓「それはそうですよ。唯先輩はテキトーで脳天気過ぎます」

唯「でも、わたしだってごちゃごちゃ考えるときもあるもん。例えば、今とかさ」

梓「唯先輩は明るく振る舞っているように見えて実は深く考えてるようでぼうっとしてるだけですからね」

唯「む……」

ばあか。
あずにゃんは言った。
表、裏、表。
あーあ。

それから、ずいぶん長い間、ひたすら道を歩き続けた。
その公園が視界に映ったとき太陽はすでに沈みかかっていた。
ひと通りの遊具が揃ったこじんまりとした公園だった。
それでも、小さな子どもにとっては十分な遊び場だったはずだ。
今のわたしたちにはどうなんだろう。
わたしたちは立入禁止のフェンスの前で一度顔を見合わせてから、そこに開いた小さな穴をくぐり抜けた。
あずにゃんが木の枝を持ってきて砂場に線を引いた。
わたしは天国から降り注ぐ光の束を見ていた。
砂で汚れた手をあずにゃんに見せたら、かぶれますよって笑われた。
ここならそんな心配はないのにな。
おかしいや。あはは。

唯「この場所なら天使が見れるんだよね」

梓「あの人がほんとのことを言ってるならですけど」

唯「風船大切に握りしめて、信じてるの?」

梓「唯先輩が言ったんじゃないですか」

空にはいくつかの星がうっすらと浮かび上がりはじめていた。
わたしはそれを結んで形を見い出そうと努力したが、とうとうそこに星座を作ることはできなかった。

この世界はわたし史上最高のジョークだったんだ。
それを信じちゃったばかは誰だった?
もし、それを本当のことにできたならどんな痛みにだって耐えられただろう。

唯「わたしがんばってみたよ」

ふと、言葉が口をついて出た。
自動機銃みたいにとまらなくなってしまう。

唯「何度も、がんばってがんばったけど空回りしちゃった」

梓「そうですか?」

唯「あと何回続ければうまくいくと思う?」

梓「そんなのわかりませんよ」

唯「こどもの頃はね、自分のお話が世界を変えられるって本気で思ってたんだ」

梓「今は思ってないから、この場所をこんなふうにしたんですか?」

唯「うん。想像力が足りないんだ……天使は来ないよ。知ってるんだ」

梓「唯先輩?」

唯「もう。耐えられないよ……ごめんね」

わたしはあずにゃんの描いた線をまたいだ。
その拍子に線は砂粒の中に埋もれてしまう。
あずにゃんの頬に触れた。
柔らかった。
赤く染まる。
そこにわたしの指で黒い跡をつけた。
何度も何度も。

唯「ごめんねごめんね……いっぱい考えたんだけどね……」

わたしはあずにゃんを抱きしめてしまう。
それと同時にあずにゃんはこぼれ落ちていく。
欠片になってぽろぽろと崩れていく。
それでも、左手に握った風船は放さないままで。


わたしは必死になってあずにゃんをかき集めようとする。
そこにはさっきまであずにゃんだったものがあって、あずにゃんの声を出した。

「もうちょっとがんばってくださいよ。ほらっ」

そんなわけで、今もまだ日々は続いて行く。
あーあ。



『1回目』

あのさ、雲の上にいたんだよ。
そこにはいっぱい人がならんでて、え、そうだな50人くらいかなあ、そうわたしはその真ん中あたりにいてね……

さわ子「けいれえいいいいい」

唯「へ、え、なんて言ったの?」

律「敬礼、な。新入りだよね。名前なんて言うの?」

唯「え、ひ、平沢唯。ていうか敬礼してない」

律「いいんだよどうせみてないんだから。あ、わたしは田井中律

唯「ああうん。お話してても平気なの?」

律「へーきへーき。どーせ……」

さわ子「そこっ。私語はつつしみなさいっ」

唯「わあ、怒られたよ。りっちゃん」

律「大丈夫。わたしたちに言ったんじゃないから。てか誰に向けていったわけでもないんだよ。ああいうふうにしたほうがそれっぽいだろ」

唯「へええ。りっちゃんは詳しいね」

律「まあわたしもおととい来たばっかだけどな」

唯「す、すごい」

律「とにかくさ、こんな話は退屈だから逃げ出そうぜ」

唯「で、でもあの人話し中だし怖そうだし」

律「なんだよけっこう心配症なのかあ」

唯「だって……ほら、他の人たちなんてあんなに真っすぐ立ってるし」

律「鍛えられた兵士だからな」

唯「おお……ますますなんでわたしがここにいるのかわかんなくなったよ」

律「じょーだんじょーだん。こいつらなんてたいしたことないって……ほらっ」

どうなったと思う?
その兵士はくずれちゃったんだよ。ぼろぼろに。

唯「ひっ」

律「驚くなって。ただの雲くずだから」

唯「雲くず?」

律「そ。よくわかんないけど、どっか特別な雲からつくられるんだって。わたしたちもそこで生まれたとかなんとか」

唯「ほへええ。なんでこんな人が?」

律「カッコつかないだろ。人がたくさんいないと。これから戦争するのに」

唯「え……そんなことするのっ」

律「いいからっ。いこうぜっ」

わたしはりっちゃんにひっぱられてそこから連れてかれたんだ。
どこを行ったかなんてのはもちろんおぼえてないけど、雲の上を歩くのは気持よかったよ。
あ、そうそう言い忘れてたけど天国はね暗いところなんだ。ほら宇宙に近いから。
太陽?
ええとね、たしか、なんだっけ? 前に聞いたんだけど忘れちゃった。
そうしてわたしは最終的に周囲の雲が少し高くなっていてまるでかくれんぼにぴったりなところについたんだ。

律「これから唯にここでずっとやってく仲間を紹介するから」

まさかずっとがそんなずっとだなんてそのときは思いもしなかったよ。

律「おーい、みおーむぎー新入りだー」

澪「あ、それがうわさの」

唯「うわさっ?」

紬「こんにちは」

唯「こ、こんにちはっ」

律「そう緊張するなよ」

澪「どうせお前が無理やり引っ張ってきたんだろっ」

律「いたい」

澪ちゃんがりっちゃんをぶつふりをした。りっちゃんも痛がるふりをした。
ふりをしたのはほんとにぶったらいたいからかな。

紬「大丈夫?」

律「うん」

紬「あ、こっちの子に言ったんだけど……」

律「ひどいっ」

紬「大丈夫?」

律「おせーって」

その後わたしたちは簡潔に自己紹介をした。

澪「まあ、なんか聞きたいこととかあったらなんでも聞いてね」

唯「あ、じゃあさっそくいいかな」

澪「うん」

唯「戦争って何?」

律「そりゃあもうあれだよ武器持ってさ……」

澪「そうじゃないだろ」

律「いちっ」

唯「もう2回目だね」

紬「うん」

澪「ああそれでな。なんで戦争なんかしてるかってことだとおもうんだけど、だけどざっくり言うとわたしたちがにせものだからだ」

唯「へ? にせもの?」

澪「えと、つまり、わたしたちはにせもので生まれてきちゃったから、余分だから、やることとか居場所とかないわけだ。それで生きてるからには何かしなくちゃいけないし戦うわけだよ」

律「まあ戦争は人とかいっぱい必要だからな。たりないくらい」

唯「誰と戦ってるの?」

澪「天使とか。ほかいろいろ」

唯「じゃあわたしたちは悪者なの?」

澪「たぶん」

唯「なんで?」

律「ぐーぱーで決まったんだろ」

唯「あ、じゃあなんでわたしは生まれたの?」

律「なんでなんでってお前はなんで星からきたのかよ」

紬「大丈夫?」

律「え、ひどくね」

紬「えへー。じょーだん。人をからかうのを一度やってみたかったのー」

律「それはやんなくてもいいだろ」

紬「叩いてもいいのよ?」

律「やだ」

紬「むう」

唯「えーと、やっぱりわかんない?」

澪「こういうことじゃないかな。どこかに本物がいてそれでやっぱり本物を見たどこかの誰かがにせものを欲しがったとか」

唯「それで作られたの?」

澪「うん」

唯「雲で」

澪「そう」

唯「必要としたならやることくらい準備してくれればいいのに」

律「それはあれだろマシンガン」

唯「マシンガン?」

律「そうそう。マシンガンさん、ほんとはあの武器を戦争の死者を減らすために作ったんだって。失敗もあるってことじゃね?」

澪「それはちょっとちがくないか」

律「ええー」

びいいいいいいいいいい。びいいいいいいいいいい。
音がした。

紬「あ、敵襲ね」

澪「そうだな」

唯「え。え、えと武器は?」

律「空気銃」

唯「勝てるの?」

澪「戦争ごっこだからね」

苦笑い。
でもゴッコでも戦争は戦争じゃないの?

唯「あ、撃たれたら?」

紬「死んだふりするのよ」

ええとそうって感じになったんだ。
あ、案外てきとーかなって思ったんだよ。

律「あ、これ」

唯「風船?」

律「負けたら空に上げるんだ。降参ですごめんなさいって」

唯「へえおもしろいね。やったことある?」

律「ない」

唯「なんで?」

律「意地はってどっちも負けを認めないんだよ」

唯「そんなあ」

流れ弾が飛んできて目の前が真っ暗になった。
風船のことはもう忘れてたよ。
すっかり。
あーあ。


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最終更新:2012年05月18日 21:01