『4001回目』

あずにゃんはあらゆる意味で弱い子でした。
笑い声にかぶれて死んじゃうような子でした。
窓の外から楽しそうなはしゃぎ声が聞こえました。
あずにゃんは暗い部屋の隅っこで丸くなっていました。
その部屋はあまり掃除をしていないのでいろいろなものが散らかっていました。特に赤い袋はありとあらゆるところを占領していました。
あずにゃんは制服のポケット(学校から帰ったばっかりなのです)からコーラ・グミの袋をとりだして気が狂ったみたいにそれをつまみ上げて食べました。
あまりに急いで取り出そうとしたので、何度もつかみそこねていくつかのグミは手からこぼれ落ちて床の上をコロコロ転がっていきました。
あずにゃんはグミを3つほど口の中にいれてしまうと急にほっとして、ため息をつきました。
あーあ。
なんでわたしはこうなっちゃったんだろうなあ。なにも悪いことなんてしてないのに毎日が退屈で孤独で寂しい。何かがかけてしまっているんだ。
そんなことを考えていると暗い気分になってしまうのは知っていたので、大丈夫大丈夫と呟いてから立ち上がり大きくのびをしました。
そこでコーラ・グミのストックがなくなっていることに気づき、買いに行くことにしました。

近所のスーパーまでは歩いて10分はかかりません。
しかし、あずにゃんにとってはそれがとても長く感じられました。
そういえば、隣の町の歩道はみんな自動化されたってテレビでやっていたなあと思い出しました。それならずいぶん楽なのに。
それでこの街はもう時代遅れだと思いました。
空を見上げるとひどく重そうな雲が立ち込めていました。
頭がズキズキしました。
それは、コーラ・グミがなくなったのと、この街の空気が自分にうまくあわないのと、そのどちらかなのだろうとあずにゃんは考えました。

スーパーにつきました。
入り口の近くのあたりにもコーラグミは投げ売りされているのですが、それらはたいてい賞味期限が切れそうで貯めておくのには不向きなので、目もくれず奥に向かって歩みを進めます。
店の奥のお菓子売り場までやってきました。幸いなことに今日は小さい子どもはいませんでした。
高校生にもなって嬉々としてコーラグミを買うのは恥ずかしいからね。
そんなわけで、後ろから不意に声をかけられた時はとても驚きました。
ちょうどあずにゃんは品定めをしているところだったので、後ろに立つその人に気が付かなかったのです。

律「梓、コーラグミ中毒なんだ?」

梓「へ?」

その女の人はラフな格好で黄色カチューシャをして、しかもあずにゃんと同じ学校の制服を着ていました。
だからといっていきなり名前を呼ぶのは失礼だ、とあずにゃんは憤慨しました。
もちろん、あずにゃんが知らない人に対してそんな強気になれるはずもないので、例の下手くそな愛想笑いを浮かべただけでしたが。

律「いやコーラグミばっかかごに入れてるから中毒なのかなあって」

梓「え、あ、まあ、そうですね」

律「おすすめはなんかある?」

梓「えあ、え、えーと、こ、これがいいと思いますよ」

律「ふうん。あ、まさか1袋食べただけで禁断症状おきたりしないよな?」

梓「あたりまえですよ」

律「だよなあ。あははー」

梓「はい」

なんて馴れ馴れしいんだーとあずにゃんは思いました。
でも不思議と嫌な気はしませんでした。どこかで会ったことがあるようなそんな懐かしい気さえしました。

律「あ、自主治療協会とかは行ってないの?」

梓「コーラグミ中毒の?」

律「うん」

梓「あれはいってもしかたありませんよ」

律「そうなの?」

梓「そこに入るときには最初にこう言わなきゃなんないんですよ。『中野梓というものです。わたしはコーラ・グミ中毒です』」

律「あははっ。それでわたしはこう聞くわけか。あなたは本気で自分と戦う気がありますか?」

梓「いえす」

律「なんていうかばからしいな。そうだ。じゃあこれはどう?」

そういうとりっちゃんは1枚の紙をあずにゃんに手渡しました。
あずにゃんはそれを見てみました。どうやら何かの割引券のようです。
その真ん中には太いゴシック文字で「ぬいぐるみLOVERS」
ふとあずにゃんが顔を上げると、りっちゃんの姿はどこにもありませんでした。

それから、一週間くらい過ぎた日のことでした。日曜日でした。
あずにゃんはあいも変わらずつまらないつまらないとつぶやきながら毎日を過ごしていました。
もし、あずにゃんの周りに少しでもおせっかいな人がいればこう言いたくなったことでしょう。
そんなにつまんないばっか言ってるからほんとにつまんなくなるんだよ。
それが正しいのかはまた別ですけど。
あずにゃんはいつものようにあの部屋の中で特になにもせず一日を過ごすつもりでした。
せっかくの日曜日なのにです。
でも、机の上に1枚の紙を見つけて気が変わりました。家を出て、となり街まで出かけることにしたのです。
その紙というのは先週カチューシャをつけた女の子がくれた何かの割引券でした。裏側に店の住所が書いてあってそこに行く気になったのです。
となり街までは電車を使うのが一番です。
休日の電車にはたくさんの乗客がいて、ついついあずにゃんは縮こまってしまいます。
電車が目的の駅に到着すると、あずにゃんは車両から早足で駆け下りました。
駅の外に出て新鮮な空気を吸い込むと、ほっとため息をつきました。
割引券の後ろ側の地図を頼りに道を曲って、曲って、時には戻ったりして目的地を目指します。
とはいってもこの街の歩道は動く歩道になっているので疲れたりはしませんでしたが。

知らない街というのは不思議な感じがします。
自分が少し前のよく知ってる自分とは違う人間になってしまったように思えます。
新しい街ではよそ者の自分が透明になってしまうようなそんな感じがします。
それはあずにゃんにとって嫌なことではありませんでした。
あずにゃんは今の自分が嫌いだったのでしょうか?
少なくとも、もっと素晴らしい自分がいるとは思ったことでしょう。

そうしてやっと目的の場所につきました。その建物はあまり大きくないけれど派手な外観をしていました。
入り口の自動ドアの上にうさぎをかたどった大きな看板があり、ぬいぐるみLOVERS(きっと店の名前なのでしょう)と文字が記されていました。
あずにゃんはためらいがちに自動ドアをくぐります。

「いらっしゃーい」

入り口の真横のレジのむこうから元気な女の人の声が聞こえてきたと思うと、その声の主がとたとたとやってきました。

紬「えと、梓ちゃんはまだ初めてのお客よね?」

梓「ムギ先輩、またバイトですか?」

紬「そうよー」

梓「え」

紬「なに?」

あずにゃんは混乱していました。自分がおかしなことを言っていたと。
この人のことは知らないのになんであんなことを聞いたんだろう?
なんであの人はわたしのことを知ってたんだろう?
でも、あずにゃんは臆病なので、小さい頃この人にあったのかもしれないとか何とか理由をつけてその不可解さを誤魔化してしまいました。

梓「それより、ここはどんな店なんですか?」

紬「りっちゃん言ってなかったのね……」

梓「はい?」

紬「あ、こっちの話よ。それより、ここはぬいぐるみのレンタル店なの」

梓「レンタル? 売ってるんじゃなくてですか?」

紬「そうよー。ずっと同じじゃあみんな飽きちゃうもの」

梓「人の使ったぬいぐるみなんて抱きたくないじゃないですか。わたしはそうですよ」

紬「大丈夫よー。ぬいぐるみの洗浄技術はここ20年ですっごく発達したのよ。そうね、たき火からIHくらいには」

梓「でも……やっぱ印象悪いですよ」

紬「見てみる?」

梓「いいんですか?」

紬「特別よ」

そう言うとムギちゃんは【関係者以外立入禁止】の扉の向こう側に行ってしまいました。あずにゃんもあわててそれを追いかけます。
扉の先には小さな事務室があってムギちゃんはその奥にあずにゃんを案内しました。
その部屋はとても大きな部屋でした。真ん中ではなにやらすごそうな機械が、うううううぎゃりぎゃりぎゃりと大きな音を立てています。
ムギちゃんはそれに近づいて言いました。
その手にはどろどろに汚れたうさぎのぬいぐるみを持っています。

紬「見ててね? この穴にこのぬいぐるみを入れると……」

ムギちゃんは機械の左側にぽっかり空いた穴にそのぬいぐるみを放り込みました。
ぎぃぃぃいいいい。ぎゃりぃぃいいいい。
大きな音がしたかと思うと、すぐに今度は右側のほうから真新しいさっきと同じうさぎのぬいぐるみが現れました。
ムギちゃんは得意げな笑みを浮かべました。
にっこり。

紬「ね、すごいでしょ。触ってみて、ほらっ」

梓「うわあー。ていうかこれ別の新品じゃないんですか?」

紬「それくらいきれいなのよ。それにもし新品でもお客さんは困らないわよね?」

梓「たしかに……」

紬「ね? 梓ちゃんも借りてみる気になった?」

梓「ムギ先輩は販促がうまいですね」

紬「ふふっ。ありがとっ、でいいのかしら?」

梓「たぶん」

それから、あずにゃんはぬいぐるみを並べてあるたくさんの棚を見て回りました。
こどもの頃からぬいぐるみという文化にあまり触れて来なかったので、それらがとても新鮮なもののようにあずにゃんの目には映りました。
やがてその中からひとつのぬいぐるみを選んでムギちゃんの前に持って行きました。女の子のぬいぐるみでした。
それを見るとムギちゃんは満足そうにうなずきました。


紬「それにすると思ったわ」

梓「他のでもいいですけど」

紬「だめよー。これじゃなきゃ」

梓「そうですか?」

紬「そうよ」

梓「じゃあ、これにします。いくらですか?」

紬「1週間300円よ」

梓「安いですね」

紬「全国均一よ」

梓「……ぁ」

紬「どうしたの?」

梓「この年になってぬいぐるみってちょっと恥ずかしくないですか?」

紬「ちょーっとね」

あずにゃんはそのぬいぐるみを抱きかかえるようにして帰りました。
ある程度大きさがあったのでそうするしかなかったのです。
道行く人に視線をぶつけられるたびあずにゃんは顔赤く染めました。
特に電車の中は大変でした。あずにゃんは、駅につくまでじっと丸くなって涙目でいなくてはなりませんでした。
そんなことですから、自分の部屋に戻ってきたときにはそのぬいぐるみが戦友かなにかのように思えました。
試しに頬ずりをしたり抱きしめたりしてみました。なんだかすごく嬉しい気分になりました。
そういえば、今日はコーラ・グミを食べていないな、と気づいて一層嬉しくなりました。

あずにゃんはすっかりぬいぐるみの虜になってしまいました。
こう書くとあずにゃんに文句を言われる気がするので言い直します。毎週日曜にぬいぐるみをレンタルしにいくというのがあずにゃんの日課になりました。
とはいってもあずにゃんが借りるぬいぐるみはいつも同じものだったのでそのぬいぐるみをきれいにしに行くと行ったほうが正しいでしょうか。
ぬいぐるみはあずにゃんの唯一の友達でした。
そのぬいぐるみを見たり抱いたりするのがあずにゃんの毎日の楽しみになりました。
もちろん、あずにゃんだってそれがいけないこと、またはおかしいことだとはわかっていました。
ぬいぐるみじゃなくって犬だったらどんなによかっただろう、とあずにゃんは考えました。
犬と人間の友情ほど美しいものはこの世にありませんからね。
そんなことを思うたびにあずにゃんはコーラ・グミに手を出さずにはいられませんでした。そして日に日に摂取するコーラ・グミの量は多くなっていきました。
もし、あずにゃんのことをよく知っている人がいればこう言ったことでしょう。
そんな偽りの世界に閉じこもっていないで、現実の世界に出てきなさい。それは間違ったことなんだから。
これは正しい。100ぱーせんと。

ある日曜日、あずにゃんはぬいぐるみのレンタル延長のためとなり街まで出かけました。
何度も経験しても、ぬいぐるみをもって外を歩くのには慣れません。人々の視線はまるであずにゃんはを避難しているかのようです。
その頃のあずにゃんはだいぶ心が弱っていて、それこそコーラ・グミを常に口の中で転がしていないと耐えられないほどでした。
それでもなんとかレンタルショップの自動ドアをくぐることができました。

紬「いらっしゃいませー」

梓「こんにちは」

このムギちゃんだけにはあずにゃんも平常心で接することができました。
それはムギちゃんがあずにゃんのぬいぐるみ中毒をよく理解しているというのもありますが、それよりもあずにゃんがムギちゃんにはじめてあった時のあの不思議な感じがその信頼をより強いものにしていました。

紬「はい。きれいになったわよ」

梓「ありがとうございます」

紬「あ、そうそうポイントカードが一番小さな景品と交換できるくらいには溜まってるけど、どうする?」

梓「なにがもらえるんですか?」

紬「えとね……裁縫セット」

あずにゃんはそれとポイントを交換しました。なんだっていいのです。温泉旅行だってお菓子の詰め合わせだって。あずにゃんにとって大切なのはそのぬいぐるみなのですから。

梓「あ、じゃあまた今度」

紬「今度……今度はわたしも行くね」

もう外は夜になっていました。
いつもはそんな遅くなることはないのですが、今日は寝坊したのと、いつもよりコーラ・グミ中毒が酷かった
のでなんどか補充のため商店によらなければいけなかったのが原因です。
帰りの電車は最終電車1本しかありません。
そして、その電車にはたくさんの人が乗ろうとしていました。
あずにゃんは少し迷ってから、逆方向に向かう空いた電車に乗ることにしました。人ごみの中にいくのはきっと耐えられない。そう考えたのです。

駅の売店で夕食の弁当とコーラ・グミを4つ買って、待っていると少しして電車がやってきました。左右に2席づつ並んだ電車でした。
あずにゃんは窓側の席にぬいぐるみをおいて、ここなら空いているし人も来ないだろうと考えました。
しかし、その目論見は失敗だということはすぐにわかりました。
電車が動き出した頃、隣いいかな? と声をかけられたのです。
あずにゃんはとっさにどうぞと答えてしまい、後悔しました。
きっと、あの人はわたしが大事そうにぬいぐるみを抱えているのを見て気味悪がるぞ。
あずにゃんは思いました。

澪「そのぬいぐるみかわいいね」

梓「え、あ……はい」

あずにゃんは顔が赤くなりました。
ばかにされてるのかとも考えましたが、すぐにこう思いました。
この人は絶対に人をからかったりするタイプじゃない。なぜだろう? わたしはそう知っているんだ。

澪「でも、あれだよなあ。はしゃぎすぎるのがたまに傷っていうか」

それはまさに日頃、あずにゃんがそのぬいぐるみについて感じていたことだったので、あずにゃんはとても驚きました。

澪「そうだ。わたしは澪っていうんだ。よろしく」

梓「あの、どこかで会ったことあります?」

たまらなくなってあずにゃんは聞きました。澪ちゃんは、ほぅっとため息をつきました。

澪「梓は今満足してる?」

梓「へ?」

澪「ああ、ごめん。こんな事言われたってわかんないよな。秘密にしておくつもりだったけどさ、なんだか失敗しちゃったみたいだったから言うよ」

そう言って澪ちゃんは1つの物語を話しはじめました。
その話は途方もなくて、にわかには信じられないようなものでした。
しかし、あずにゃんは今までにもなんどか経験したあの不思議な感じをここでもまた抱いて、最後にはそれが本当のことであると考えるようになりました。
それはこんな話。

天使みたいなのが天国にいた。
彼女たちはお互いに触れることができないまま何度も日曜日を繰り返していた。
ある日、その1人が言った。
わたしは今のままに耐えられない、と。
彼女たちは幸せだった。
でも、彼女たちは結局のところ複製品にすぎなかった。
それで、その1人はある計画を考えそれを実行した。その結果、それを実行した2人のうち1人はにせものの人間になって、もう一人は本物のぬいぐるみになった。
そうして、やっと触れ合うことができるようになったのだと。

話し終わったあとで澪ちゃんは言いました。
ごめんな。

梓「なんで澪先輩が謝るんですか」

澪「だって、きっとわたしたちにもなにかできたはずだから」

梓「澪先輩たちは十分やってくれたじゃないですか。それにこれはわたしたちが勝手にはじめたことみたいですし」

澪「そうじゃないよ。ただ……なんていうか……うまく言えないな。それよりこれからどうするの?つまり、秘密を知った梓は?」

梓「実は考えたんです……」

澪「どんな?」

梓「逆ですよ。唯先輩がしたことの逆をしようかなって。唯先輩のほうがにんげんっぽいです」

澪「でも……梓は……」

梓「唯先輩がきっと優しくしてくれますよ。わたしにはできなかったんですけど」

澪「……そっか、梓が決めたなら仕方ないな」

梓「それに死ぬわけじゃないですしね。人間の人生は1回だけですけど……それは次回、ですよ」

澪「あのさ、もしかしたら、わたしたちも人間になるかもなあって」

梓「もう怖くないんですか?」

澪「律が、言って聞かないんだよ天国にあんなおいしいコーラ・グミはないってさ」

2人は声を上げて笑いました。
もしかしたら、あずにゃんが笑ったのは生まれて初めてかもしれません。
列車が音を立てて、終点に止まりました。

澪「じゃあ……さよならだな」

梓「あの、ありがとございますっ。きっといろいろ迷惑かけたと思いますから」

澪「そんなこと……」

澪ちゃんは言いかけてから、やめて、あずにゃんを叩く真似をしました。
あずにゃんは叩かれる真似をします。

梓「あ、いたいです」

澪「心配しなくてもいいよ。迷惑かけた分は次のときにでもさ。そのときならほんとに梓を叩けるしね」

もう一度、2人は笑いました。
そして、手を振って別々の方向に歩いていきました。


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最終更新:2012年05月18日 21:07