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りっちゃんと澪ちゃんに伝えなきゃ。
あずにゃんに伝えなきゃ。
ムギちゃんに伝えなきゃ。
確証も、根拠も、理由もないけど。
忘れてたんだ!
この気持ちを!
弦を唸らせる気持ちよさを。
歌うことの幸福を。
一緒にいられる楽しさを。
重なる喜びを。
曲を紡ぐ嬉しさを。
こんなにも―― !
こんなにも時間が惜しいと思える、日々の尊さを。
心が揺れるって!
心が揺れるってこんな気持ちなんだってこと!
「お姉ちゃん!?」
突然走り出した私に憂が驚嘆の声を上げる。
私は部室の入り口で立ち止まって、振り返った。
どうしたんだろう、という表情で、四人が私を見ていた。
その横で、去年のライブDVDが流れている。
その音色。
私のボーカル。
澪ちゃんのベースとりっちゃんのドラム。
あずにゃんのギターとムギちゃんのキーボード。
思い出したんだ。
全部全部思い出したんだ。
なんで忘れてたんだろう。
頭の中で、その時の事はよく覚えているのに。
思い出すことは容易かったのに。
忘れてた。
薄れてたんだ。
皆で演奏することが、楽しかった事を。
楽しかったと思い出すことは簡単だった。
でも、忘れてたんだ。
気持ちが昂ぶらなかった。
それは『今』に嘆いていたから。
でも、でも!
私はそれを『過去』にしたくない!
だから言わなきゃ!
何を言えばいいかなんてわかんないけど!
何を言わなきゃなんないのか全然わかんないけど!
でも会って言わなきゃ!
皆に教えなきゃ!
私たちは放課後ティータイムだって!
「ちょっとあずにゃんとムギちゃんの所に行ってくる!」
四人に言った。
ちょっと心配そうな顔をしている四人。
多分あずにゃんの名前が出たから、また不安になったんだろう。
でも私は、笑顔で続ける。
「あずにゃんなら、なんとかするから!」
漠然とした自信だった。
どうするかなんて考えていない。
今からあずにゃんとムギちゃんの家に行って、話す。
何を?
わかんないよ。
でも、何か話さなくちゃって思うんだ。
私たちのライブを見て、私が感じたこと。
この湧き上がるような鼓動みたいな感触を。
皆に思い出してもらうんだ。
「それじゃ!」
私は部室を飛び出した。
まずはあずにゃんの家だ。ムギちゃんの家は遠いから。
言うんだ。
私の想いを。
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お母さんの買い物に付き合った。
その間もずっと、私の心は縛られていた。
本当なら部活に行ってる時間……今頃後輩は、やってきた唯先輩にいろんな事を教えてもらっているだろう。
放課後ティータイムの思い出や、唯先輩のギターテク。後輩二人と憂と純で盛り上がってるのかな……。
疎外感。
でも疎外するようにしたのは私だ。
私を疎外させてしまったのは私なんだから。
仕方ない。
「梓、醤油探してきて」
お母さんにそう言われて、とぼとぼとスーパーの店内を歩いた。
夕方手前でしかも土曜日だからか、溢れかえるとまでは行かないまでも人で賑わっている。
子連れの主婦や、若い女の人が多いという印象だ。
何度も来たことがあるスーパーなので、醤油がどこににあるかも知り得ていた。
様々な種類の醤油が並んでいる棚。いつも使っているものと同じ柄のものを選ぶ。
それを持ってお母さんの所へ向かっている時、ふと気付いた。
(……携帯、家に忘れた)
何言ってるんだろ。
携帯なんてあってもなくても、変わりなんてしないのに。
必要ないのに。
さっき唯先輩と電話した時、泣いていた事はバレたと思う。
澪先輩に告白して、案の定振られて、それでもいいと思って、律先輩との寄りを戻してほしいと願った。
でも、澪先輩はそれはできないと言ったんだ。
私が澪先輩と律先輩の仲を砕いたも当然だ。
だから泣いてしまった。
そこに後輩が電話してきて、何にも知らない後輩が、陽気に。
唯先輩と会いたいって。
だから唯先輩に電話した。
でも、泣き止むまで待てばよかった。
また余計な心配をかけちゃったんだ。
このままずっと部活に出ずにいよう。
私は皆と一緒にいちゃいけない。
いたら駄目なんだ。
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りっちゃんの家から帰ってきてからは、ベッドに潜ってた。
抜け駆けした自分への嫌悪感。
澪ちゃんにあんな事を言っておいて、私はりっちゃんを手に入れようとしてた。
小さな頃から、欲しい物は簡単に手に入った。
私が欲しいと言えば、父が買ってきてくれた。
何をしたいと言えば、誰かがやれるように手配した。
だからって、強欲になったつもりでもないのに。
多分、りっちゃんを手に入れることができると、なんとなく思ってたんだ。
今まで、欲しい物は手に入ってたから。
澪ちゃんに勝てるわけないと、少し考えればわかるのに。
そして、こんな回想を何度してるんだろう。
もういろいろと終わっちゃった。
あの二人の仲を引き裂いたから、こんなに苦しいのは当たり前。
りっちゃんに届かなかった。
澪ちゃん……。
澪ちゃん、ごめんなさい。
澪ちゃんが嫌いなわけじゃない。
だけど勝てないから、いつも嫉妬して邪魔だと思ってたのかも。
だけど、りっちゃんと笑わせられるのはやっぱり……。
馬鹿!
澪ちゃんに酷い事を言って、あの二人を別れさせた。
それをチャンスだと思って、りっちゃんに告白して振られちゃった。
そしてまたショックで「やっぱりりっちゃんには澪ちゃんだ」だなんて!
虫がいいにもほどがある!
最低……最低!
「最低っ……!」
布団の中で叫んだ。
嫌な子だ。
最低な子だ。
本当に、最低……。
ころころ気持ちが変わって、いい人ぶってる。
何がやっぱりあの二人じゃなきゃだ。
澪ちゃんに酷い事言って抜け駆けしたくせに。
愛し合ってる二人を――好き合ってる二人を別れさせたくせに。
最低。
もう嫌だ。
私、もうこんな私嫌だよ……。
澪ちゃんの事友達だったのに。
向こうはそう思っていてくれたのに。
私はそれを裏切って。
りっちゃんの気持ちも裏切って。
唯ちゃんの気持ちも否定して。
梓ちゃんの大好きな澪ちゃんを傷つけて。
私は私が恥ずかしくて。
嫌になって。
もう私なんて、いなくてもいいんじゃないかって。
いや、居ない方がいいんだ。
だってこんなにも自分勝手で、迷惑をかけてるのだから。
誰かを怒らせて傷つけてばっかりなんだ。
ここにいる理由もないのに。
虫のいい、都合のいい、馬鹿な子なんだ。
ほんとに。
最低。
携帯電話が震えて、電話だと気付いた。
でも、怖くて無視した。
あとで、あとでいい。
今は、時間が流れて、胸の痛みを消してくれるのを待ちたい。
でも消えなんかしないよ。わかってるよ。
私は、あの二人を別れさせてしまった子なんだ。
消えるわけなんかないよ。
私の苦しみは、罰だ。
好きあってる二人を。本当に大好きで、大好きでいた二人を別れさせた罰。
私なんかより、澪ちゃんの方がもっと苦しいんだ。
私の言葉で深く傷ついた、澪ちゃんの方がよっぽど。
そして、りっちゃんも、私なんかよりずっと苦しいんだ。
それなのに、自分だけ楽になれるわけない。
私はもっと苦しまなきゃいけないんだ。
この後悔の痛みに。
言わなきゃよかったって、後悔に。
最終更新:2012年06月01日 01:27