■
涙が溢れてた。
律の言葉が、聞きたくて。まだもうちょっとだけ我慢したかったのに。
でも、堪え切れなかった。
「……っ……りつぅ……」
私は服の袖で目元を拭った。
律が駆け寄ってきて私の肩に手を置いた。
「ど、どうしたんだよ澪? 感動して泣いちまったのか?」
滲んだ瞳でうっすら見える律の顔。
笑ってて、茶化すような意地悪な顔だった。
――感動して泣いちまったのか?
だってさ。
律だ。
私をからかった。
律が私を、意地悪な顔で……。
「りつ……りつぅ……」
私は律に抱きついた。
私よりも身長が少しだけ低いけど。
でも、思いっきり抱きしめた。
「なんだよー、泣くなよ」
笑いながら私の頭を撫でる律。
優しい声で、私を慰めた。
それだ。
それが泣かせるんだよ。
私の涙の原因は。
律にまた会えたこと。
一緒にいたいと言ってくれたこと。
好きだと言ってくれたこと。
全部全部律の所為だ。
こんなに泣いちゃうのも。
律の事思うと胸が痛いのも。
嬉しいのも。
全部律が悪いんだからな……。
抱かれたまま、私はゆっくり口を開いた。
開いただけで、声が出なかった。
涙は止まらない。溢れ出てくる一方で。
でも、伝えたくて。
私もだって。
だけど、嗚咽が止まらない。
声を出せるほど、喉が安定してなかった。
涙が律の肩を濡らしていくばっかりで。
喉が震えて。
声が漏れないように堪えるぐらいしかできなくて。
それもちょっとだけ悔しくて。
でも私の背中にまわしてくれた律の手が、あったかくて。
どうしようもない嬉しさで、胸がいっぱいで。
言いたいこといっぱいあるのに。
それが、涙の所為で言えない。
「っ……りつぅ……ひっく……」
「澪……ありがとな」
今日の律は――今の律は、以前の律だ。
私をからかって、皆を笑わせてばかりだった律だ。
笑ってばっかのくせに、いつも誰かの事ばかり考えてた律だ。
私が大好きな律だ。
もし前までなら、律は謝っていた。
律は受験に失敗して以来、何度も私に謝っていた。
それは自分を責めることだったから。
だけど律は、今、私にありがとうと言った。
それだけで、確信できた。
律が戻ってきたんだって。
この前までの律は、律自身が苦しんでいた。
そんなの私も嫌だった。
律が笑ってて、他の誰かも笑ってる。
私も笑ってる。
そんな律が、戻ってきたんだって。
いつも律は傍にいたけど、そこにはいつも陰りがあったんだ。
お互いがお互いを苦しめているという、そんな気持ちがついていて。
だから私も律も、相手のために距離を置く決断をした。
でも、今、律にそんな暗がりは感じない。
律自身が心から笑ってる。
そんな気がする。
いや、絶対そうだ。
そこに確信を持てるのは、私がずっと律を見てきたから。
一緒にいたから、律がどんな風に思っているかもわかる。
今の律の気持ちも、それとなくわかる。
それが私だから。
だから嬉しいんだ。
『律が戻ってきた』という事を気付ける私がまだここにいること。
それが嬉しい。
まだ私が、律の事を大好きだということだから。
それがわかることは、私にとって一番大事なことだから。
「……澪、顔上げて」
優しくて、穏やかな声が聞こえて。
私はゆっくりと、律の肩から顔を離した。
そして、律の顔を見た瞬間。
唇が重なった。
最初は驚いた。
涙もまだ止まってなかった。
キスしてるってわかった時、また体が熱くなって、顔も熱くなって。
だけど、律のキスは優しかった。
私は目を閉じて。
お互いに抱きしめ合って。
ずっと、律を感じていた。
■
買い物から帰ってきて、携帯電話が机の上に転がっているのを見つけた。
側面についてる小さな液晶に、アイコンが一つだけ浮かんでいる。
このアイコンは、不在着信のボイスレコードだ。
多分私が買い物に出掛けている間に誰かが電話してきて、私が不在だったから、その誰かは用件を残したんだろう。
どうせ私に電話してくるのなんて限られているけれど。
もし私の知り合い――軽音部の誰かだったら、無視しよう。
そう決めた。
そう決めたのに。
唯先輩だった。
私は何も言えず、なんとなく複雑な気持ちになった。
ベッドの上に転がって、仰向けになりながら携帯の画面を見つめる。
時刻は五時半。もう部活は終わっている。
でも、電話をしてきた時間は三時半頃。部活も終わっていない時間だ。
後輩たちや憂や純と部活を一緒にしているはずの時間に、なぜ私に電話をしてきたんだろう。
私なんかに電話せずに、楽しくやってればいいのに……。
何言ってんだ私は。
また文句みたいなこと言って。
それでいいのに。
私以外が楽しくやってればそれでいいのに。
でも、それがなんとなく悔しいのは。
やっぱりまだ、自分を嫌いになり切れていないのかな。
周りに――軽音部や皆への想いを、捨て切れていないのかな。
私は、ゆっくりと録音されている唯先輩の言葉を再生した。
――。
『あずにゃん。
本当は直接会って話したかったんだけど、家にいないみたいだったから電話することにしました。
でも、電話にも出なくて……だから、私の声だけ残しておくね。
あずにゃん。
私、わかったんだ。
何がわかったのって言われたら、ちょっと困るんだけど……。
でも、でもね。
部室で、去年の学園祭のDVDを見たんだ。
私たち三年生の最後のライブで、皆でおそろいのTシャツ着て。
すっごい楽しかったよね。
本当に、本当に楽しかったよね。
DVDを見てる時、その時の感情を……ちょっとずつ思い出してきて。
ギー太を一生懸命弾きながら歌を歌った時の、嬉しさとか。
ちょっと横を見れば。
りっちゃんがいて。
澪ちゃんがいて。
あずにゃんがいて。
ムギちゃんがいる。
目が合うだけで、気持ちが通じるみたいに笑顔が溢れてたんだ。
それぐらい、私たちはあの場所で『重なってた』んだよ。
私、それを忘れてたんだ。
もちろんライブの事を忘れたわけじゃないよ。
楽しかった事も、またやりたいってことも、全部覚えてた。
だけど。
何かが決定的に欠けてたと思う。
その時の事を簡単に思い出すことはできるけど、でも、私はその時の『私』を喚起させることができてなかった。
それを『過去』だと、決めつけていたんだ。
もちろん、去年の学園祭も――その前の新歓も、全部過去の事だよ。
でも、だからそれは『過去でしかありえなかったもの』じゃない。
これからも、そんな嬉しさを生み出していけるはずだった。
だけど、私たちは『この先』……
『未来』を考えてなかったんだよ。
私は……私たちが悩んでいた事は。
全部『過去』のことだ。
りっちゃんが受験に失敗してしまった事も。
それを原因に始まったりっちゃんと澪ちゃんの悩みも。
あずにゃんが、二人の仲に嫉妬して、その関係を壊したことも。
ムギちゃんも、自分の想いのために行動したことも。
全部が全部とは、言いきれないよ。
でも。
でも私たちは『過去』に……終わったことに縛られすぎてたんじゃないかなって、思ったんだ。
もちろん、りっちゃんと澪ちゃんの悩みは『過去』じゃない。
あずにゃんの悩みも、ムギちゃんの悩みも。
私の悩みも……『今』の事だよ。
だけど、その悩みも痛みも。
私はさっき、忘れることができたんだ。
ライブで一生懸命歌う『私』の姿を見て。
楽しそうに演奏する『放課後ティータイム』を見て。
自分で言うのもなんだけど……感動したんだ。
泣いちゃいそうなくらい、心を動かされたんだ。
今すぐにでも演奏したいって、身震いしたんだ。
悩みなんて、楽しい事で忘れられるんだって。
確証はないのに、確信したよ。
あずにゃん、演奏しよう?
あずにゃんが、今の軽音部と私たちを比べてること。
りっちゃんと澪ちゃんの仲を裂いちゃったこと。
いろんな事に悩んでるの、私は教えてもらったから。
だから、だからね。
一緒にギター弾こうよ。
演奏しよう。
一緒にいよう。
最終更新:2012年06月01日 01:29