……唯ちゃんは、それを『過去』のままにしたくないと言った。
 私もだ。
 私も、笑いあってた過去をそのままにしておきたくなんかないよ。
 これからも笑いあってたいよ。
 皆で一緒に演奏したりしたい。


 でも、それはできないの。
 私は皆の気持ちを裏切ったも同然なんだから。

 りっちゃんの気持ちをまったくわかっていなくて。
 澪ちゃんのりっちゃんへの想いも否定して。
 後悔なんてしてないなんて思ってたのに。
 結局、二人を別れさせたことに後悔してるなんて。
 そんな私は、私は……。




 『私は、皆といる資格なんかない』――。




 唯ちゃんの声は、頭に響いた。


 また見透かされてる。
 いつだってそうだ。
 唯ちゃんは、私の――皆の気持ちを、これでもかってくらいに見抜いてしまう。
 どうして。
 それだけに、耳に残るんだ。



 うるさいくらいに。
 もういいんだって何度言えばわかるんだろう。
 待ってるなんて、聞きたくない。

 唯ちゃんが待ってても、私はそんなの嬉しくないのに。
 皆が私を待ってても、私は『私』を待ってないの。
 自分が大嫌いなんだ。



 楽しかったよ。
 すごく楽しかった。
 楽しかっ『た』んだ。
 もうそんな時間は戻ってこない。
 だって、私は皆と会いたくないんだ。



 『大好きな誰か――相手が大好きだから、会っては駄目だと言い聞かせたんだよ』――。



 また唯ちゃんの言葉が脳裏を過ぎる。


 私は、皆に会いたくない。
 それは皆が嫌いになったからじゃない。
 皆の事は大好きだ。今もすっごく大好きだ。


 でも私が嫌いなんだ。
 私自身が嫌いになってしまった。


 だから唯ちゃんの言うことと同じ。
 このまま皆に会うことは。
 『楽しみでない』まま会うことになるんだ。
 そしてこの気持ちは、多分ずっと残ってる。


 だって。
 私は取り返しのつかないことをしたんだ。
 りっちゃんと澪ちゃんを、別れさせてしまったんだもの。
 あんなに愛し合ってる二人を、私が。
 そんな私が、どんなに馬鹿で浅はかで、考えのない子か嫌でもわかる。



 でも。


 でも唯ちゃんの言葉が、嬉しくないわけじゃない。
 嬉しいけど、切ない。

 複雑な気持ち。
 拒絶したいほど、優しい言葉。
 でも拒めないまま、心と頭にすごく染み渡ってた。



 唯ちゃんの言ってる事はわかるんだ。
 そうするのが、私たちにとって一番なことなんだって。
 楽しむために集まって、演奏すること。
 それが私たちの『未来』なんだって、信じたい。
 信じたいよ……。


 でも私はそんなに綺麗じゃない。
 たまらなく汚いの。
 それが大嫌いなの。
 そんな私が、皆といちゃ駄目なの。


 そう言って、逃げて逃げて。
 りっちゃんと澪ちゃんの仲を裂いたくせに。
 自分が苦しいから、皆から逃げてるんだ。



 ――待ってる。



 そう言った唯ちゃんから、逃げて。
 閉じこもってる。
 こんなの嫌なくせに、その選択をしてるなんて。
 私は……。








 その時だった。
 片手に掴んでいた携帯がバイブした。
 メールだった。



「澪、ちゃん……」



 メールボックスに表示された名前。
 澪ちゃん。
 澪ちゃんだった。


 どうして。
 どうして皆私なんかに。
 澪ちゃんに酷いこと言ったのに。
 私は澪ちゃんの――りっちゃんへの気持ちを否定したのに。
 抜け駆けしてりっちゃんを奪おうとまでしたのに。



 澪ちゃんは、私のことを大嫌いになってるはずなのに。
 りっちゃんへの想いを否定されたことが、澪ちゃんにとってすごく辛いことだってわかるのに。
 なんで……。



 震える指先。
 もしかして文句や怒りが切々と書き連なってるかも知れない。
 澪ちゃんはそんなことしない。
 でも、りっちゃんの事が絡んでる。
 澪ちゃんは……。


 私はゆっくりとメールを見た。
 短い、簡潔な文章だった。






『ムギ、話したいことがあるんだ。二人だけで。


 明日、何処かで会えないかな』












 駅のホームのベンチに座って、私は息を吐いた。
 数秒前まで、ムギちゃんの携帯電話に伝言を録音していた。
 しばらく電車の来ないホームは、人一人いない寂しさを抱いている。
 私は携帯電話を閉じた。



 あずにゃんもムギちゃんも、電話に出なかった。
 二人とも塞ぎこんでいて、電話に出るつもりはないんだと思う。
 それだけ、誰かを拒絶したい自己嫌悪に嵌まってる。


 ……だけど、想いは伝えた。
 私は、私の思ってること。
 DVDを見て思ったこと。
 私たちがこれからどうすれば再び笑いあえるとか。
 めちゃくちゃだけど。
 筋も通ってないけど。
 ありのままに言葉にしたつもりだ。
 なんとか伝わるといいなあ。



 時計を見ると、五時半を回っていた。
 二時頃に部室を出て、あずにゃんの家に行ったけど誰もいない。
 そして駅まで走ったけど、今度はムギちゃんの家の方へ向かう電車がない。
 直接話したくて走り回ったのに、結局会えなかった。
 実際あずにゃんに電話を掛けたのは、三時半頃だった。
 それから、ムギちゃんにも電話して。


 もうあれから二時間。二人は聞いてくれたのかな。





 もう憂たちも夏期講習が終わる頃だ。
 どうせなら迎えに行こうかな……。


 夕日に染まりつつあるホームの地面。
 私は妙に切ないけど、満たされた気持ちになって、立ちあがった。
 駅のホームから出て、道に出る。
 空を見上げて、何も考えないまま少しそのままでいた。




 息を吐いて、並木道の方向を見た。




「……あ」




 並木道の下を歩く二人の女の子。
 こちらに向かってゆっくり歩いてくる、二人。
 それは。





 それは紛れもなく、りっちゃんと澪ちゃんだった。
















 並木道を、手を繋いで歩いた。


 律の手は私のより小さいけれど、包み込むような暖かさがあった。
 横顔も、照れくさいような嬉しそうなどっちとも取れる表情。
 なんだか懐かしくて、くすぐったくて。
 嬉しかった。



「澪」
「うん?」
「……ごめん。あと、ありがとう」
「なんなんだよ」
「その、今までの事全部謝っとこうと思って」



 律の横顔は突然真面目になった。
 いっつもおちゃらけて笑ってるくせに、ふと見れば真剣な顔。
 律はそうだった。そんな奴だった。



 律のそんな顔を横で見るのは、久しぶりだった。
 でも、この感覚は何度もある。



 ――いつか目にした、君の――



「二年の時、迷惑掛けてごめん」
「それはもういいよ。私も悪かったんだ」
「受験に失敗してごめん」
「……それも」
「大学辞めさせちゃってごめん」
「それは私の判断だろ」
「苦しい思いさせちゃってごめん」
「お互い様」



 歩みを進める度に零れる律の懺悔。
 それを私は、何の気なしに受け止めた。
 律の顔は真面目だけど、前ほどの重みは感じない。
 律は自分なりに、けじめをつけようとしてるだけだと思う。
 だから。



「でも、ありがとう」





 律はこっちを向いた。
 ちょっとだけ微笑んだ顔が、夕日に照らされてとても輝いていた。






「律。今日から……私、またお前の家に帰るよ」



 半年ほど過ごした律の家。
 実際、律の家で過ごすのは八年以上だ。
 だから律の家は、もう一つの私の家だ。



「快気祝いに美味しい物作るぜ」
「おい、そこまでしなくても」
「いいっていいって」



 律は少しの沈黙の後、空を見上げて続けた。




「正直さ、この四日間本当に辛かったんだ。
 もちろん梓やムギの言うように、私たちはお互い苦しめ合ってたかもしれないよ。
 澪は私を苦しめてなんかないと言い張ったって、実際苦しんでたし。
 でも、それは澪の事が大好きな証拠なんだって思う。
 それぐらい澪の事好きなんだ。

 だから、一緒にいられないの嫌だったし。



 でも、屋根裏を整理してて。
 アルバム、見つけたんだ。
 澪と私の。


 それを見てたら、よくわかんないけど、すっごい泣けて。
 澪と一緒にいることがどんなに楽しかったかとか。
 幸せだったことや、嬉しい気持ち。
 全部溢れてきて。



 苦しいとか、辛いとか、どうでもよくなって。
 今まで悩んでたこと、全部どうでもよくなって。
 ホント、なに馬鹿な事にウジウジしてんだってなってさ。
 写真の中の澪が語りかけてくるみたいな、暖かい気持ちになったんだ」



 律はずるかった。

 一々私を感動させる言葉を投げかけてくる。
 今の私は、律の久しぶりに会えた嬉しさで心が緩い。
 簡単に涙が出てきそうなほどだった。


 でも今は堪えた。
 さっきもだったけど、私は泣くと喋れない。
 律と話す時間が欲しい。
 さっきは私がずっと泣いてたから、そんな時間もなかった。


 それにさっきから律は語り過ぎだ。
 今まで溜めこんできた想いを吐きだすように、饒舌だった。
 私にも、律に伝えたいこといっぱいあるのにな。


 でも。
 でも、嬉しかった。



「だからお礼に澪に美味しい物作るから。楽しみにしとけ」
「買い出しは?」
「うちにあるもので勘弁してくれ」
「それに美味しい物って、いつも律の料理はおいしいぞ」
「……またお前はそういう事を」
「嘘じゃない。律の料理はすっごく美味しい。そこらのレストランじゃ相手にならないよ」
「て、照れるから、やめろよな」



 赤くなって顔を逸らす律。
 可愛かった。
 そんな表情を、今までも何度も見てきた気がした。



 ――照れてる君も――



 さっきから感じるこの既視感は偶然じゃなかった。
 だって、さっきからふとした瞬間に歌詞が浮かぶんだ。
 過ぎったメロディが、なんだか懐かしくて。
 言葉にしたいけど。
 まだいいかなって思った。



「そんなに気合入れなくても、律の作った物ならなんでもいいよ」
「いいや、今日は豪華にしてやるからな。久しぶりに一緒にご飯食べるんだから」



 そう言って拳を握りしめる律。



「ふふっ……そこまで頑張らなくてもいいのに」



 でも嬉しい。
 久しぶりに一緒にご飯を食べれること。
 一緒に、って言葉がどんなにすごいかよくわかった。


 私は律と一緒じゃなきゃ駄目なんだなって。
 一緒にいることが、幸せで仕方ないんだって知ってるから。


 メニューを独り言と一緒に考えている律。
 私はそんな律に、切り出した。



「律」


「ん?」



 まだまだ言いたいことはあるけど。
 今はこれだけ言いたかった。



「ありがとう」


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最終更新:2012年06月01日 01:32