謝るしかなかった。
 あの日、澪ちゃんに酷いこと言った時は、これでいいんだと思っていた。
 りっちゃんの苦しみがなくなるのならこれでって。

 でも唯ちゃんに、それは間違いだと言われて。
 梓ちゃんが私と同じことをして、だけど私と違って後悔してると知って。
 私は本当にそれでよかったのかって。
 怖くて。少しずつ後悔が押し寄せてきて。
 澪ちゃんを傷つけたんだからせめて自分がってりっちゃんに告白して。

 馬鹿みたいに玉砕して。
 泣いてる。
 本当に恥ずかしいし、情けない。
 だから謝るしかない。



「ごめんね、澪ちゃん……」



 謝れば済む問題じゃないのに。
 あの二人がよりを戻したって聞いても、それを裂こうとした事実は変わらないんだ。
 私がやったことは、ずっと傷になるんだ。




「ムギ……顔上げて」



 足元の視界が滲みかけて、そんな声が掛かった。
 私はゆっくりと顔を上げる。


 澪ちゃんは、まだ笑っていた。



「そんなに謝られても困るよ。私と律は仲直り……まあ喧嘩してたわけじゃないけど、元の関係に戻ったんだ。 もうそんなに自分を責めないでいいんじゃないかな」
「違うの……」


 違うよ。
 戻ったのは嬉しい。確かに後悔と心の痛みは少し減ったかもしれない。
 でも、自分の事が嫌いなままだ。
 罪の意識がなくならない。



「二人を別れさせてしまったことは、変わらない事実だもの……」



 冷え切って寂しそうなハンバーガーとポテトを見つめる。
 口に出すことは、それはもう綺麗な謝りだった。簡単だった。
 でも心の中はそんなものじゃなくて、もっと深く抉れてるものだった。
 言葉にしにくい。



「そんなこと、私はどうでもいいよ」



 澪ちゃんは、文面でこそ辛辣に聞こえそうな台詞をさらっと言った。
 私は澪ちゃんに目を向けた。澪ちゃんは、真顔だった。




「変わらない事実がなんなんだよ。私は、ムギにそんなことで悩んでほしくない」



 『そんなこと』……。
 私がやった事は、たった一言で済まされるようなことじゃないのに。
 澪ちゃんは、怒るように――それでも柔らかい口調で告げた。



「確かにムギが私に言ったことは、ムギ自身を苦しめてるかも知れないよ。
 やってしまったことに後悔してるかもしれない……私がムギなら、自分を責めてるよ」



 一呼吸の間。
 澪ちゃんは滞らずに続ける。



「でも私と律はまた歩き出したんだ。一緒にいるって決めたんだ。
 ムギが別れさせたことに後悔してるなら、それだけでなんとか笑ってくれないの?
 私と律の仲が戻ったことより、後悔の方が心に響くの?」



 違うよ。



「そうした自分が嫌いなままなの」



 皆の事は好きだった。
 唯ちゃんが待ってるって言ってくれたのも嬉しい。
 りっちゃんと澪ちゃんの仲が戻ったのも、よかったと思う。
 だけど。
 だけど私が私を嫌いなままだから、笑えないんだ。
 もう何回これを反芻したんだろう。
 それぐらい自分が醜くて仕方ない。



「ここまで皆を悩ませて、苦しませた私が大っ嫌い」



「違うよ。ムギ」






 ――でも違うんだ!



 澪ちゃんの言葉に、唯ちゃんの電話が重なった。



「ムギが自分を大嫌いでも、私たちはムギのこと嫌いじゃないよ。
 律も私も、唯も。
 ムギの事、これっぽっちも責めたりなんかしてない。
 それに私は感謝してるくらいさ」



 澪ちゃんは、笑った。
 感謝……?



「感謝って……そんなこと……」
「……もしムギと梓がさ、私と律を一度疎遠にしなかったら、もっと苦しんでたと思うんだ。
 離れることで――失うことで、随分いろんな事に気付いたよ」



 私は死ぬほど後悔したのに。
 澪ちゃんはそれをよかったことだと受け入れているの?
 笑えるぐらい、いろんなことに気付いたの?



「何に……改めて気付いたの?」




 澪ちゃんは目を細めた。






「律の大切さ」




 澪ちゃんにとって一番大事な『律』という名前。
 その名前を呼ぶ澪ちゃんの表情は、愛しさに満ちていた。




「もちろん昔から律の事は大好きだったし、大切だった。私、素直になれなくてさ……。
 あまりそういうの口に出したことはないけど……でも、ずっとずっと好きなんだ。
 だけどムギに別れてって言われて。そして私自身も律を苦しめてるかもって不安だったから……
 律と会わないことにしたんだよ。ちょうど梓も同じことを律に言ったらしくて、お互い会うのをやめた」



 大好きだから、苦しめることが嫌で別れた。
 澪ちゃんがりっちゃんをどのくらい愛してるか、私には測り知れない。

 りっちゃんも澪ちゃんに会えない時間が、どれほど辛かったかも想像に難くないんだ。
 高校時代の二人を思い返せば、そんなの簡単だ。


 二人の間の『絆』や、『想い』は、私や梓ちゃんのそれと段違いだ。
 二人の間の『愛』は偽りなんてなかったんだ。



 だから二人が別れると決めた時、どちらも辛かったはずなんだ。
 だからこそ、私はこんなにも自分が嫌いなんだから。
 だからこそ、こんなにも別れさせたのを後悔したんだから。



「でも、会わないって決めてからがとても辛かったよ。
 律と一緒にいたいために大学を辞めたけど、結局それは律を苦しめてたんじゃないかって。
 私が律と一緒にいたいって想いは、結局律にとっていい結果をもたらさないんじゃないかって。
 今までの想いが全部崩れていくみたいで、怖かった」



 怖いと語る澪ちゃんの瞳に『怖さ』はなかった。



「ずっと家で引き籠っててさ……いろんな事を考えた。
 ムギに言われたこと、梓に告白されたこと。
 律と一緒にいた時のことも。
 本当に迷って、痛かった。
 自分が選んだ道は、本当によい選択だったのかって。
 どうするべきだったかもわからないけど、自問自答に踏み切ってばかりで。
 毎日毎日、頭を抱えたんだ」



 自分の選んだ道。
 私は私の想いのままに行動して、失敗した。
 しなければよかったと後悔をした。
 りっちゃんと澪ちゃんの二人の想いをぶち壊した事に。


 澪ちゃんの葛藤は、悲痛すぎるくらいに胸に響いた。
 私が澪ちゃんに別れろと言ったけど、別れるかどうかの判断は澪ちゃんだった。
 そこに踏み切る澪ちゃんの痛みなんて、私の痛みの何千倍だ。


 それから、家でその選択を後悔したのかもしれない。
 りっちゃんと別れなければよかったと、その選択をしたことを後悔したかもしれない。



「でも――気付いたこともある。
 律の顔が見れないとさ、怖いんだ。泣いちゃうんだ……。
 一緒にいるときに感じなかった痛みを味わったんだ。
 一緒にいた時の痛みよりも、ずっとずっと辛かった。


 それに、会えない四日間。いつも律の顔が頭に浮かんでて……。
 ベッドに入ってる時も、部屋の隅で膝を抱えてる時も。ご飯の時もお風呂の時も。
 ずっと律の事を考えてた。
 それぐらい、律の事が大好きなんだって……」



「……」



「だからムギ。今回の事は、悪いことばかりじゃなかったんだ。
 二年の時、私と律が喧嘩したの、覚えてるか?
 あの時と同じなんだよ。
 離れなきゃ気付けないこともあったんだ。


 私がまだ、こんなにも律の事が好きだって気付かせてくれた。
 だからムギのやったことは、これっぽっちも悪くなんかない。
 ムギが自分を責めるなんてことしなくていいんだよ。


 こんな事、もしかしたらただの綺麗な慰めにしか聞こえないかもしれないけど……。
 でも本当だから。


 それに、私も律も、きっと唯も梓も、ムギがそんなに悲しそうにしてるの、見たくないし……。
 私も律も、誰かが泣いてたり悲しんでるの、嫌なんだ。
 だからまた前みたいに、皆で笑い合えたらなって……」



 ――笑い合っていたい。
 唯ちゃんの言葉が、また過ぎる。
 じりじりと胸に押し寄せる焦燥感と、自己嫌悪の波は、次第に収まっていっている気がした。
 こんなに簡単だったんだろうか。


 ここにきて、唯ちゃんの言葉が響いてる。





 ――待ってる。




 私なんか待たないでと、思ったのに。
 やめてって言いたいのに。



「……っ……」


「ムギ?」



 やめないでほしい。
 もっと皆と笑いたい。
 一緒にお菓子食べたいよ……。



「ありがとう……みお、ちゃん……」



 お店の中だったけど、涙が零れた。



 嬉しかった。
 嬉しかったんだ。
 まだ私を待ってくれてることが。
 私の事を、皆はまだ嫌っていないってことが。
 まだ五人で笑い合う『未来』を心待ちにできることが。


 澪ちゃんが優し過ぎて。
 唯ちゃんの言葉が優し過ぎて。
 私なんてって思うけど。
 でも、その私をまだ嫌いにならないでくれるなんて。
 自分のこと大嫌いで、嫌いになってほしいって思ってるのに。


 でも本当は。


 嫌いにならないでほしいよ。
 私を見捨てないでって。
 ずっと。








 だから。
 私は、幸せね。





 澪ちゃんと二人でポテトを食べた。
 すっかり冷めていたけど、気持ちは暖かかった。


「……澪ちゃん」
「ん?」
「……ありがとう」



 それだけだった。
 私はこの前まで、澪ちゃんの事をあまり好きでなかったのかもしれない。
 だけど今はそんな気持ちは一つもなかった。
 私も澪ちゃんが、大好きになっているから。


 それは恋愛感情ではないとはっきり言える。恋で感じるような心の高揚はなかった。
 だけどそれは悪い意味ではなく、とっても心地の良い気持ちであるのにも変わりはなかった。
 もう私は、りっちゃんに届かない。
 届きたいと思わない。
 届かなくてよかった。
 私のりっちゃんへの想いは、消えていたから。
 でも、それでよかった。
 代わりに私の中に、確かな確信が生まれていたから。



 澪ちゃんがりっちゃんと一緒にいるのを望んでる。
 諦めるとか、負けとかそんなんじゃない。
 私は、澪ちゃんにこそりっちゃんの傍にいてほしい。
 大好きなりっちゃんの隣にこそ、大好きな澪ちゃんがいてほしい。
 それが、私の幸福。
 あの二人が一緒にいることが、嬉しい。
 ずっとずっと、澪ちゃんとりっちゃんは一緒にいてほしい。
 あの二人が一緒にいるのが、私の喜びだって。
 そんな確信が、確かに生まれてるから。






「ムギも、ありがとう」
「りっちゃんとずっと幸せにね」
「ああ」



 私たちは笑顔を交わした。
 穏やかで、気持ちの良い笑みを自分でもできたような気がして。
 ここまで随分時間がかかったと思った。
 嬉しかった。




 お店から出る。
 澪ちゃんと私は、正反対の方向へ帰るようだった。
 別れ際、澪ちゃんは思い出したように私に言う。


「そういえば、律から伝言があるんだ。怒鳴ってごめん、だってさ」


 もうそんなこと、よかった。
 私は、微笑んで、「うん」とだけ返した。いいよそんなこと。私が悪かったんだから。
 澪ちゃんは、「それと」と付け加えた。そっちが本題だった。




「『放課後ティータイム』の曲、練習しとくようにだって」


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最終更新:2012年06月01日 01:35