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 次の日講義室に入ると、澪ちゃんはすでに一番前の席に座っていた。
 いつもの綺麗な横顔を見せながら読書している。


「じゃあ、今日から澪ちゃんと講義受けるよ」
「りょうかーい」


 後ろにいた友達三人に了解を取る。
 私はそれから意気揚々と澪ちゃんに声を掛けた。


「おはよう、澪ちゃん」
「あっ……えっと、おはよう、ございます……」


 私の声に慌てて、途切れ途切れの挨拶をする澪ちゃん。
 やっぱり一瞬しか目をあわせてはくれないけど、でも充分だった。
 可愛いなあ。


「隣いい? 今日から、一緒に受けようかなって思ってさ」
「……はい」


 この反応。
 口でははいって言ってるんだけど、でも表情はやっぱり浮かばれない。
 今まで一人でずっといたんだ。澪ちゃんは一人がよかったのかもしれない。
 だから突然他人と一緒に講義を受けるのは気が引けちゃうだろう。

 私は、澪ちゃんに尋ねた。


「……嫌、かな?」
「そ、そんなことない……です」


 澪ちゃんは焦ったような口振りでそう返してくれた。
 どっちかわからないけど。
 でも。
 嬉しかった。


「……ありがとう。よろしく澪ちゃん」


 澪ちゃんの隣に座った。
 だけど会話は弾まなかった。
 私だけ一方的にべらべらと喋り過ぎじゃないのかと昨日反省したからだ。


 それにもうすぐ講義だ。
 澪ちゃんは講義に使われる教材をペラペラめくったり、手帳のようなものを取り出して何か確認しているような様子だった。
 私とは違って立派な優等生、という感じがする。


 私は頬杖を突いて、隣の澪ちゃんを見つめていた。
 澪ちゃんはそれに気付くと、恥ずかしそうに目を逸らして。
 だけどやっぱり私が気になっちゃうのかまたこっちを見たり。

 焦るように狼狽しながら、落ち着かない様子だった。
 申し訳ない気持ちもあるけれど、正直可愛い。


「その手帳、何が書いてあるの?」


 なんでもいいから、話しやすい話題。
 澪ちゃんは、自分の手の中にある手帳を見下ろした。


「これ、ですか……?」
「うん。さっきから開いてるけど」
「……よ、予定が書いてあるだけです」


 それで終わった。
 澪ちゃんは気恥ずかしそうに、手帳を閉じてそれをしまう。
 それから、両手を膝の上に乗せてじっとしていた。


 切り揃えたような前髪も、後ろに伸びる綺麗な髪も、どこをとっても完璧だった。
 頬杖を突いたまま見つめる。
 たまに澪ちゃんがこっちをちらっと一瞥することもあって。
 会話もないまま、時間は過ぎて。
 教授がやってきた。










 一番前、というのは正直めちゃめちゃ辛い。
 昨日までは友達三人と後ろのほうの席に座っていた。
 この講義室はどの席に座ってもよく、気分で変えてもよし。
 仲良しグループで固まってもよしというそれなりに学生たちの自主性を重んじる、といえば聞こえはいいが、ただ単に自由だというだけだった。


 だから私たちも昨日までは『仲良しグループ』として後ろの方の席に座っていたのである。
 それが突然一番前に来たのだから、ある意味で縛られる。
 例えば後ろの席なら寝ようと思えば寝れたのだけど、一番前になるといかんせん教授が目の前で講義しているのだ。
 そうなると簡単に寝ることはできないし、寝たら教授直々にお叱りが飛ぶという事態を招く。それだけは避けたい。
 一番前は迂闊な行動ができなくて、暇だった。


 ただノートを取ったり、教材を見たり。
 だから暇になると、隣で真面目に講義を受けている澪ちゃんに目が行く。

 あんまり見つめすぎると集中できないだろうから、正面を向いているように見せかけて横目でちらっと見る程度にした。
 澪ちゃんのノートは、とても綺麗だった。国語の先生が書いたんじゃなかろうか、というぐらい筆記が乱れない。

 たかがノートにそこまで気張る必要があるのか、と思うけれど、澪ちゃんは別に気張っているわけでもなく平常がその字面であるというだけだろう。
 スラスラと教授の講義のポイントだとか、ホワイトボードに書かれた内容を書いていく。
 そこに気張っている様子は微塵もなかった。


 すげえなあ。
 高校時代の澪ちゃんの友達が羨ましい。
 だってテスト前にこのノートを見せてもらえるんだぜ。
 きっと誰よりもわかりやすいノートなんだろうなあって思う。
 もし私が澪ちゃんと友達だったら、多分テスト前は泣きついてたかもしれない。

 このN女子大ですらギリギリだったんだからなあ。
 誰かに頼るなんてせずに、部活も適当にやって、ただ漠然と勉強してたから。
 もし誰かに勉強を教えてもらえてたら、もっと点数伸びてたかもしれない。
 いや、それは甘えか。人に頼ろうなんて甘いぞ私。



 でも。
 でもさ。
 テスト前や受験の時に、勉強教えてもらってたり、ノート見せてもらったり。
 そういう友達、私にはいなかったなあ……。


 私は澪ちゃんを通り越して、窓の外を見た。
 緑黄のある木々。
 春はまだ始まったばかりだった。










「澪ちゃんは部活何かやってた?」

 私は昼食のうどんを食べながら、日替わりランチセットを食べている澪ちゃんに尋ねた。
 桜高という共通点があるので、高校時代の話題は会話が繋げやすいはず。


「文芸部、です……」
「文芸部! あの、小説とか詩とか発表する部だよな?」
「……まあ、はい」

 なんか似合うなあ。文芸部だなんて私とはまったく交わらないような部活だけど、学園祭で文芸誌を発表していたのを覚えている。
 私はあんまり読書はしないのでその冊子はパラパラ捲った程度だったけど、同じ高校生かと思うぐらい完成していた。
 あの中に、澪ちゃんがいたんだ。


「澪ちゃんも何か書いてたりしたの?」
「少しだけ」
「小説とか?」
「……詩でした」

 どっちだとしてもイメージに合うな、なんか。
 それより意外と会話が続いていて嬉しかった。やっぱり共通点というのはいいものだ。
 相手しかわからなくて片方はわからない、という話題はすぐに終わってしまう。
 『はい』か『いいえ』で答えられる質問じゃないから、澪ちゃんも喋ってくれる。
 無理させちゃってるかもしれないけど、でもなんかホッとした。


「部長やってたりとか?」
「違いました……」
「そうだよなあ。実は私バスケ部の部長だったんだ。だから、もし澪ちゃんが部長だったら、部長会議で会ってたかもって思ったんだけど」
「はあ……」
「まあ部長じゃなくて当然だよな。だって部長会議で会ったことがあったら、そう簡単に澪ちゃんのこと忘れられそうにないし」
「えっ……」

 あっ、直球過ぎた。
 澪ちゃんは箸を止めて、私を見ていた。
 徐々に赤くなってる、ようにも見えるけど。
 それから、顔を隠すように俯いてしまった。

 もしかして結構恥ずかしいこと言ったかな私……。


「あ、えーと。つ、つまりそれだけ澪ちゃんが美人だってことだようん!」

 別に何か失言をしたわけじゃないのだけど、でもなんか弁解するように焦りつつそう言った。
 しかしまったく取り繕えていないのは私自身が一番分かっていた。
 澪ちゃんはしばらく下を向いたままだったけど、少ししたら顔を上げて、またぎこちない表情で答える。


「……美人じゃないですよ」
「いや澪ちゃんは美人だよ。綺麗な髪だし」


 外見だけが魅力じゃないと思う。
 私が澪ちゃんに話しかけようって思ったのは。

 たまに目で追っていたのは、別に澪ちゃんが美人だったからじゃない。
 それもあるかもしれないけど、でもそれが大きな理由というわけではなかった。


 一人ぼっちだったから。
 それが一番だった。

 だけどそれだけってわけじゃない。いろんな理由が――外見だけじゃなくて、
 雰囲気も瞳も、澪ちゃんのいろんな何かが、私に話しかけるように誘導させたような気がするのだった。

 『理由』が横並びしている。
 一番は外見かもしれないけど、でも同率一位の話しかけた理由がたくさんあるのだった。
 でもやっぱり、今は外見しか褒めれない。


 澪ちゃんの性格も、心のうちも、好きなものも趣味も、なんでも。私はまだ澪ちゃんのことを何も知らないのだから。
 だから褒めることができるのは、外見と綺麗な字ぐらいしかなかった。
 でも、外見だけ褒められるのなんてやっぱり誰だっていい気はしないだろう。


「別に美人だから声をかけたわけじゃないけどね」
「……そうですか」


 それで終わった。
 後は午後の講義の話とか、字が綺麗なことを褒めて昼食は終わった。
 褒めてばかりだし、話しているのは私だけだった。


 友達なのに名字っておかしい。
 だから澪ちゃんって呼ぶことにしたけど。
 一方的な語り掛けは、友達だといえるのかなあ。









 4月24日 晴れ



 今日から田井中さんと一緒に講義を受けることになった。
 嬉しい気持ちはあるけれど、でもやっぱり申し訳ないし緊張する。
 全然話ができないし話し掛けれない。なんで上手くいかないんだろう。
 困らせちゃってるかな。嫌ってるとかうるさいなんて気持ちはないのに。
 それもこれも、全部今まで逃げてきたからだ。


 今まで美人って褒められたことはあるけど、全然嬉しくなかった。
 でも今日、田井中さんに言われたら、なんだか嬉しかった。
 何でなんだろう。


 晩御飯は、適当に食べた。
 人差し指しかキーボードが打てないけど、課題はそれなりに進んできた。
 計画通りに終わりそう。


 手帳には、課題の予定が書いてあるんだって言えばよかった。








 私の学科の棟の正面玄関から入ってすぐの場所はそれなりに広い空間になっている。
 学内の掲示板が貼ってあったり、ベンチやテーブルもあるから休憩所としても利用されていた。

 そこにある自動販売機の前に私はいる。
 気分は晴れてるわけでも曇っているわけでもなかった。いつも通りである。
 それでも中途半端ながら喉が乾いたので何か飲もうと自動販売機までやってきたのだ。

 紅茶にするか……でも、コーラも……あ、でもコーラは砂糖がなあ。
 無難にオレンジジュースを選んだ。

 バスケをやっていた高校時代は必ず運動をするので太るとか痩せるとか全然考えることはなかったけど、最近はサークルも入っていないから運動不足感が否めない。
 そうそう太るタイプじゃないとは思うけど、毎日数十分歩いているだけで運動になるのかね。
 缶のタブを押し開けたと同時に、自動ドアの玄関から誰かが入ってきた。


「あ、澪ちゃん」
「あ……お、おはようございます」
「おはよ」


 ぎこちない敬語はまだ変わっていない。別に無理に変えなくてもいいと思う。
 しかし、同級生から敬語というのはやっぱりどこか違和感があるな。
 だけど性格上仕方ないことだと思うし、押し付けも良くないだろう。


 私は澪ちゃんに近寄ると、そのまま並んで歩き出した。
 この場所を一直線に抜けた廊下。
 その突き当たりの階段を上がってすぐが私たちの一コマ目の講義室だった。



「澪ちゃんは課題やってる?」



 数日前に出された課題の話題。
 実は言うと私はほとんどやってなかった。
 手書きかワープロでレポートを作成し来週の水曜日提出とのことだけど、なんというかやる気にならないんだよなあ。
 機械苦手だから、パソコンもDVD見ること以外よくわからないし。
 第一課題の要項だけ読んでもいまいち理解しにくい。


「まあ、それなりに……」


 廊下に二人分の足音が響く。


「やっぱり計画とか立てたりしてるんだ?」


 澪ちゃんがびくっと反応した。
 ん、何か気になること言ったかな?


「あ、えっと……その……」


 どぎまぎしたような表情と声。
 一瞬だけ鞄に手を入れようとする素振りを見せたけど、それもやめて結局黙ってしまった。
 よくわからないけど、なんかしちゃったのかなあ。そうだとしたら申し訳ない。
 私は場を繋ぐように声を出した。


「大変だよなー。私パソコン持ってるから、それでやろうかな思ってるんだけどなかなか上手く行かないんだよね」


 チラッと澪ちゃんを見たら、顔を真っ赤にさせて泣きそうにしていた。
 唇を噛み締めて、目を細めて。
 どういう感情なのか読み取れないくらい、切なそうな顔をしていた。
 わ、私やっぱり何かしたんじゃ――?


「えーと、で、パソコン結構使うの難しくって……」


 無言は辛かったので、とにかく喋った。
 そんな表情の澪ちゃんに何も言えなかった自分が悔しい。
 でも、ただ喋るしかできなかった。

 さっきまで続けていた話題をさらに続行させることしかできなかったのだ。
 さっきの澪ちゃんの表情はやっぱり普通とは違う。
 別に具合が悪くなってるような様子はなかったけれど。でも、でも。
 なんか、モヤモヤした気分になるなあ。




 その日も普通に終わった。
 他愛も無い話をしたり、高校時代の話をしたり。
 結局澪ちゃんもいつも通り、あんまり喋ってくれなかったけど。
 でも、それでもよかった。
 胸は痛むけど、それと同じくらい一緒にいると嬉しいから。










 4月25日 晴れ


 私の馬鹿。
 なんで田井中さんが予定の話をした時、手帳を見せなかったんだろ。
 これに予定が書いてあるんだよって言えばよかったのに。
 パソコンの話をされたとき、私も持ってるよって言えばよかったのに。
 私も同じようにパソコンに困ってるって、言えば。
 そう言えたらもっともっと会話が続いて、田井中さんも笑ってくれたのになあ。
 私、絶対馬鹿だ。なんであんなにビクビクして。
 田井中さんにも嫌な思いさせて。


 もっと話したいのに。全然対応できない。
 緊張して、恥ずかしくて、ついすぐに会話を終わらせてしまう。
 その度にちょっと田井中さんが寂しそうにするの、もう見たくないのに。


 晩御飯は、また手抜きした。おいしくない。
 課題はパソコンでやった。やっぱり全然使いにくいままだ。
 田井中さんも、こんな風に頑張ってるのかな。


 最近田井中さんのことばっかりだ。
 どうしたんだろう私。


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最終更新:2012年06月01日 08:02