「いただきます」
「……どうぞ」


 私が手を合わせてそう言うと、澪は正座のまま身構えた。
 私はテーブルの上の卵焼きを見つめる。

 うん、色は悪くないんじゃないのかな。
 私が普段作っているものより少しだけ焦げている気もするけど、まあそこまで酷いわけじゃない。
 澪は口を閉じて、眉を寄せている。
 私はその様子を気にしながら、卵焼きを一口。
 舌触りは、普通。
 味は――。
 ……?
 なんだこれ。
 ちょ、ちょっと待った。待て。えっと、なんだこれ!


「っ……うん、……おいしいよ」
「嘘だ。律、ちょっと変だよ」
「い、いやマジで。まずくは……ない……ただ――」
「ただ――何?」



 詰問のように私を見つめる澪。
 私は勢いに圧倒され、正直に返した。


「……味が」
「えっ?」
「悪いけど、卵焼きの味にしては……」


 慌てながら澪は自分の分を食べた。パクパク食べて、咀嚼しながら首を傾げる。そして少しずつ真っ青になっていって、お茶を飲んだ。
 それから少しだけ咳き込んで、溜め息を吐く。


「……いろいろやりすぎたかなあ」
「何かやったの? とりあえず卵の味があまりしないんだけど」
「醤油とか、砂糖とか、塩とか……いろいろ混ぜてみたんだけど」


 うん、間違ってないけど。私も母さんに、卵を溶くときに醤油や砂糖、塩を少量混ぜておくとかよいと習っている。実際今でもその作り方だ。


「これ、醤油と砂糖の入れすぎじゃないかな。中途半端に辛いぞ」
「……ごめんなさい」


 ずけずけと正直に言い過ぎたかな……澪はがっくりと肩を落として、シュンとしてしまった。
 落ち込んだように瞼を下げる表情は、本当にショックだったんだなあと思った。
 私はなんだかバツが悪くなって、明るく声を掛けた。


「でも全然食べれるよ! そんなにすっごいおいしくないわけじゃないじゃん」
「律に比べると駄目駄目すぎるよ……本当にごめん」
「そうじゃなくてさ……」


 私はあまりの消極的な態度に言葉が出なくなってしまった。
 取り繕う言葉はたくさん言えるだろう。おいしかったといえば、それは澪の喜びに繋がるのだろうか。
 もうすでに、辛いという感想を言い終えている。

 ここでおいしいと言ったって嘘だと澪は思うに違いない。
 もっと落ち込むだけじゃないのか?
 そんな嘘だとか本当だとか。
 私はそんなこと、どうでもいいのに。


「……でも、嬉しいよ」
「えっ?」
「……澪が一生懸命私に作ってくれたんだから、それだけで十分だよ」


 私は卵焼きを食べ切った。辛さは喉に来るけど、でも慣れるとそうでもない。
 それよりも、澪があんなに真剣な横顔で作ってくれたこれを台無しにしたくなかった。
 気持ちは伝わっていたから、とにかく澪の頑張りを無駄にしたくなかったんだ。
 いや、もっと単純で。
 澪にそんな顔して欲しくなくて。


「――ごちそうさま」


 私は言い放って、箸を置いた。
 なんか恥ずかしかったけど、澪がどんな表情をしているか気になった。
 私はゆっくりと澪を見る。
 澪は。



「……律ぅ……」


 目の端に水滴を溜めていた。



「ん、なんで泣くんだ……!?」
「……ぐす……うぅ……」


 私は澪の前まで移動した。


「ご、ごめん……よくわかんないけど、ごめんな」
「……別に、ショックで泣いてるわけじゃ……」
「えっ?」


「……なんか、嬉しくて」


 澪は服の袖で目元を拭いながら、笑った。


「……そっか」



 それがわかったら、私も嬉しいや。


 澪が笑うことが、私の喜びかもしれないんだからさ。



「ありがとう、律……」



 かもじゃなくて、そうだった。
 まだ会って、一週間のくせにさ。



 もしかして、私。
 私、澪のこと――。













 律に卵焼きを作ってあげたけど、調味料の量を間違えた。
 律に食べてもらうんだって張り切ったのに、失敗するなんて馬鹿だ私。
 でも、律はやっぱり優しかった。全部食べてくれた。
 私は嬉しくて泣いてしまった。


 人前で泣くのも、家族以外では律が初めてかもしれない。
 泣き顔を見せられるほど気を許す人なんて、いなかったから。


 私は、律に心を開いているのかな。
 そんなこと今までなかったのに。
 でも律が相手だと、私はどうしてか嬉しくなっちゃうんだ。
 なんか、今までにないくらいリラックスできる。
 家以外の場所で、あんな風に笑えるなんて。



 お風呂を――









 大学へ行く準備をしていると、お風呂から澪が出てきた。
 貸してあげたタオルを体に巻いていた。そして頭にもタオルを被っている。
 私は腕時計をはめながらその姿に衝撃を受けた。


「律、ドライヤーとかは……」


 胸から下は全てタオルが隠してしまっているけれど、触れたら折れてしまいそうな細い肩や、鎖骨が妙に色っぽかった。
 頭はタオルを被っていて表情しか見えないけれど、でもお風呂上がりの暖かい熱気が澪の顔を火照らしている。



「律?」
「……あ、えっ? な、何?」
「ドライヤーとか……くしとか、貸してくれないかな……?」
「あ、ああうん。わかった」


 私はなんだか澪の体をジロジロ見ていた自分が恥ずかしくなって、逃げるようにドライヤーやくしが置いてある場所へ走った。
 オーブンレンジのすぐ横だ。実家の部屋に置いておいた鏡もすぐ横に置いてあるので、いつもそこでセットしている。
 ドライヤーをコンセントに繋げ澪に渡した。


「はい」
「あ、ありがと……」
「お風呂、どうだった?」
「うん。気持ちよかったよ。ありがとう」



 澪は微笑んでくれた。
 ドライヤーとくしを手渡した時、お風呂上がりのいい匂いが澪からした。
 私が普段使ってるシャンプーとボディソープのはずなんだけど……どうして澪がそれを使うと自分と同じに感じないんだ? 
 澪の方が妙に色っぽいというか……なんか、ドキドキするのだけど。



「そっか、よかった」
「今、何時?」
「八時七分。ここから大学までは二十分だから、あと三十分は余裕はあるよ」


 九時から講義開始である。準備や少しの余裕も考慮すると、八時三十分ぐらい出れば大丈夫そうだ。


「わかった……」


 私は澪から離れて、部屋の中央のテーブルへ向かう。
 鞄に講義で使う辞書や教材を詰め始めた。
 しかし行動に頭が伴わなくて、実際チラチラと澪を見てしまっていた。


(……本当に、綺麗な髪だな)


 澪の第一印象は、大体そんなものだったから。
 とにかく、長くて綺麗な髪が目立つ。
 そんな長い髪を、澪は丁寧に乾かしていく。
 くしを使ったり、手で撫でるように。
 私の準備の手が止まってしまっていた。
 乾かしている最中の澪と、目が合う。



「律……?」
「な、なんでもない……」


 昨日から、おかしい。
 澪の体を意識する。
 色っぽいだとか、体の線を見つめてる。
 どうしたんだ私は。

 澪の体だけじゃない。
 澪がそこにいるってことに、なんだかすごくそわそわして落ち着けない。




「澪の髪って、すっごい綺麗だよな」



 なんとなくそう言った。
 これぐらいは別にいいかなと思った。



「えっ? そ、そうかな……」


 澪は狼狽しながら髪を撫でた。ここから見ていても、指が髪に引っかからない。
 さっと流れるような。


「でも長いと大変だよ」
「やっぱりいろいろやってるの? お手入れとか」


 私は正直自分の髪なんてどうでも……と思いつつも、やっぱりどこか気になるのでお風呂の時に少し手入れはしている。
 まあ髪の毛なんてどうでもいいんだけど……なんて言って見せるけど、やっぱり私は女の子なのだ。
 逆に澪は長いし綺麗だ。枝毛なんかも全然なさそうだし、手入れ大変なんだろうな。



「……まあそれなりに」
「へえー……いいなあ。私も伸ばそっかな」


 全然髪なんてどうでもいいと思って生きてきたけど、澪の髪を見てからはどうもそれじゃ微妙なのかなと思い始めてきている私がいる。
 澪は、女の子らしかった。
 私が自分の長い横髪を触っていると、澪は私に言った。



「律は――それでも十分、可愛いと思う、けど……」




「えっ――」



 ドキっとした。
 言った澪は澪で、顔を真っ赤にさせていて。
 私はきっとそれ以上に、顔を真っ赤にさせていただろう。
 耳が情報を遮断して、音が聞こえなくなって。
 代わりに、跳ねるように心拍数を上げていく心臓の音だけがいやに響いた。



「わ、私着替えてくる……」



 澪は逃げるように、お風呂場に入って行った。
 私は硬直から解き放たれ、はーっと息を吐いた。
 なんだよ今の雰囲気。
 私は、澪が着替えに行ってくれたことに少しだけ安堵した。










 お風呂にも入れてもらった。なんか申し訳なかった。
 律が普段使ってるお風呂。他人のプライベートに踏み込んだ気がした。
 やけにドキドキしたなあ。



 律は、私の髪を褒めてくれるけど、律の髪もとっても綺麗だと思う。
 短いのも似合ってるし、触ったらサラサラしてるんだろうなって。
 可愛いよと言ったら、律は照れていた。可愛かった。
 私は恥ずかしくなって逃げた。


 大学はいつもと同じだった。
 でも、先週よりは律とよく話す気がする。
 まだ恥ずかしさとか、緊張も抜けきれないけど。
 誰かと話すって、こんなに楽しかったんだなあ。



 律は言った――


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最終更新:2012年06月01日 08:16