「澪、昨日からなんかおかしい」
律の顔は見えないまま、律は静かにそう言った。
「……食事会はなんで断らなかったんだとか。昨日から言ってること、よくわかんないとこがあるし。
今日もさっきから、なんか変だしさ」
律の声は、さっきよりも明るくなくて、だんだん細くなっていった。
私たちの足音は、廊下に共鳴している。
少しの沈黙。
痛い沈黙。
私はどうすればいいんだ。
まだ胸の高鳴りが収まらないんだよ。
が。
「こっちを見ろ澪ー!」
律はあろうことか私の肩を掴み、無理やりこちらを向かせたのだ。
ドラマで見た、キスする直前みたいに。
律は私の両肩にそれぞれ手を置いて。
まじまじと私の顔を見た。
「別に変なとこないぞ……?」
律はどうやら、やっぱり私の顔に怪我か何かしたからそっぽを向いていると思ったようだった。
さっき違うって否定しただろ。信じてなかったのかよ。
それよりも。
律の顔が、目の前にある。
目の前に。
綺麗な瞳が、無邪気な顔が。
目の前に。
『りっちゃんの事、好き?』
『恋愛感情としての、好きかってことよ?』――。
頭の中で、火花が散った。
やめて。
もう、私を変にしないで。
心臓が跳ね上がったり、顔が熱くなったり。
なんでそんなことになるの?
私、どうしちゃんだんだろう。
何にもわからないくらい、体中が熱いよ。
律を見てると、胸が痛いよ。
でも、それと同じくらい胸がいっぱいになって。
一人で帰ったって、夜になっても。
ずっとずっと律の事考えてる。
おかしいんだ。
どうなっちゃったんだ。
律律律律って。
もうずっと律の事ばっかりで。
体がうずうずして、落ち着かなくなったり。
律が、私以外の人と仲良くしてるの見て、怖くなったり。
律のことばっかりで。
私は、律を弾き飛ばした。
勢いよく律を押し飛ばしたから、律は床に尻餅をついてしまう。
私は、もう沸騰してしまいそうな顔を隠すために。
そして、この高鳴りすぎて爆発しそうな心臓を止めるために。
何より私の『変』を止めるために。
駆け出した。
やめて。
もう私を変にしないで。
律は追ってこなかった。
私は初めて、講義をさぼった。
これが、
恋愛感情?
■
2月10日 くもり
どういうわけかよくわからないけど、澪に突き飛ばされた。
澪はすっごく赤い顔をしていて、泣きそうな顔もしていた。
それからどこかに走って行ってしまって、講義には来なかった。
私はよくわからないまま、ずっといつもの席で一人で講義を受けた。
入学して最初のメンバーも、澪はどうしたって聞いてきて。
私はわからないと言った。メンバーは、そっとしておいてくれた。
その日は、いつもより全然講義が頭に入らなかった。
私は澪に、何かしたんだろうか。
やっぱり食事会を断った方がいいんじゃないか。
そう思って××さんにやっぱり断ると言ったら、もう場所を予約しているらしい。
もう私は、私を好きだと言ってくれる子と食事をするしかなかった。
後悔した。その子には、申し訳ないけれど。
澪がそのことに怒っているのなら、謝らなきゃいけなかった。
メールしたけど、返事はなかった。電話も出なかった。
寂しかった。
早く気付けよな澪も。
私の気持ちぐらいさあ。
寂しいよ、澪。
■
私はサボったその日、すぐに家に帰って寝ていた。
家に帰ってきたのが午前九時半で、今は午後十時だった。
どうやらまるまる十二時間は寝ていたみたいだった。
お昼御飯も晩御飯も食べていない。
だけど全然食欲はなく、頭には律の顔が浮かんでいた。
(……律)
律。
私の、初めての友達。
今まで誰とも友達にならなかった、そしてなれなかった私にとって、初めての。
初めてあんなに人と話した。
初めて家族じゃない人とご飯を食べた。
一緒に授業を受けた。
一緒に買い物にも行った。
お互いの誕生日を祝った。
クリスマスも一緒にいて。
冬休みは、同じ地方だって知ってたから一緒に帰って。
それで、実家も近くだったから一緒に遊んで。
年越しも一緒で。
初詣も。
ずっと。
この一年ずっと、ずっと一緒だった。
律は友達がたくさんいるのに、いつも私と一緒にいてくれた。
私は律しか友達がいない。
律はたくさん友達がいる。
だけど律は、私といることを選んでくれた。
律は、私の寂しさを知っていたかもしれない。
知らなかったのかもしれない。
律が私じゃない誰かと一緒にいることが、私は嫌なのだと。
それを律が知ってたから、私と一緒にいてくれたのかもしれない。
そうじゃないのかもしれない。
でも、どっちでもいい。
律は私と一緒にいた。
どんな時も、一緒にいたんだよ。
だから、一緒にいられないのも怖いんだよ。
律のことを好きだと言っている、その子と食事をするって聞いて。
怖くて。
一緒にバレンタインを過ごせないのかなって、怖くて。
そしてもしかしたら。
律が私を放って、その子のところに行っちゃうんじゃないかって。
怖いんだ。
平沢さんと律が話してる場面に出くわした時、怖くなった。
律が曽我部さんと元々知り合いだったと知った時、痛くなった。
律が誰かと一緒にいたりすることを想像する時、震えた。
私は、律に嫉妬してるんじゃない。
律と一緒にいる、私以外の誰かに嫉妬してたんだ……。
だけど律と一緒にいるのは、楽しいんだ。
話してるのは、楽しい。
だけど、それだけじゃなくて。
最近は律といたら、恥ずかしくって。
律の事見てると、可愛いなって思ったり。
律の体を変に意識しちゃったり。
エッチなこと考えたり。
笑ってくれたりすると、私はドキドキしてしまう。
律の隣にいて、一緒にいて、ご飯食べて、一緒に講義受けて。
一緒に演奏して。
名前を呼んでくれるだけで、痺れるんだ。
『澪』って、律の口から出るだけで、心が躍ったりするんだ。
一つ一つが、楽しいのに。
最近は、直視できないよ。
律を見ていたら、胸が張り裂けそうになるんだよ。
『りっちゃんの事、好き?』
『私にとっても、澪は特別』
『澪』――。
『澪を一人にしたら悲しんじゃうだろうしなー』
『もっと早く出会いたかったな』
これが。
これが、好きってことなの?
律のことが、私は。
好き。
好きなんだ。
律のことが、好き。
律の顔を思い出すだけで、落ち着けなくなって高揚したり。
律が話しかけてくれるだけで、嬉しくて楽しくて。
律が他の誰かと仲良くしてて、胸が痛くなるのも。
一日中律のことを考えてるのも。
好きだから。
私は、律に恋してるんだ。
「律……」
律は、私の初めてをなんでも奪っていく。
今度も、奪われちゃったな。
初恋。
最終更新:2012年06月01日 08:32