どういうこと?
なんで××さんと平沢さんは、あそこで私を――私たちを見ていたのだろう。
見ていたんだろうか? でも、私と目が合ったってことは見ていたということだ。
なぜ私たちを、あんな所から観察していたのだろう?
それに××さんは――『理学部の子』と律の仲介役だったじゃないか。
だとしたら、待ち合わせまで三十分の時点であんなところにいるのはなんだか不思議じゃないか?
それとも、何か用があって……。
二人は、私に何をしたんだろう。
手を振って、親指を立てた。
ほとんど交流もないのに、私に何かを伝えるつもりだったのかな。
何かって……?
何だろう。
二人の行動が、頭にリプレイされた。
手を振って、親指を立てる?
それって。
それって。
まるで、頑張れと言っているような。
昨日もだ。
『では、明日頑張ってくださいね』――。
『理学部の子』は、そう言ったんだ。
何を頑張るのか、わかんなかったけど。
でも、私自身が知ってるんだ。
私は、私の想いを伝えることに頑張ろうとしてた。
律のことが、好きだって。
じゃあ、『理学部の子』も、××さんも平沢さんも。
それに対して、頑張れと言ってくれたのかな。
そんなの、都合良すぎるかもしれないけど。
何より、雪が、綺麗だったから。
言える、気がした。
私は唇を舐めた。
息を呑む。
雪を見上げてる律。
私は、名前を呼んだ。
「――律」
■
律は、空に向いていた視線を私に下ろした。
数秒の視線の交錯。
名前を呼んでおいて、黙っていたら変だ。
だけど、それからしばらく見つめあっていた。
自分でも驚くほどに落ち着いていた。
だけど、異常なほど緊張していた。
自分で自分がわからない。
とにかく、私は今、自分の心を描写することはできようとも、それが正しくできないという状態だった。
私という人間の内面を、客観的に遠くから見降ろし、それがどうであるという風に説明ができない。
できたとしても、語彙が足りない。
それぐらい、落ち着いているのに、緊張してる。
小さな矛盾だけど、律の前じゃ仕方なかった。
「……なんだよ?」
「っ――」
落ち着いてた、はずなのに。
声を聞いたら。
なんだよって、言われたら。
急に恥ずかしさが身に染みてきて、唇と瞼が震えてきた。
「えっと……その……」
ここまで来て、躊躇うなんて。
一体どこまで憶病なんだと心の中で自分を罵るしかなかった。
名前を呼ぶだけはできたのに。いざ言おうってなると、そうはいかなかった。
まるで言葉が意志を持っているかのように、出たくないよと喉で止まるのだ。
口を開いて見せはするのに、えっと、とかそんな風にくぐもった声しか出ない。
彷徨に胸がどぎまぎし始めた。
けど。
私は、怖いんだ。
律に想いを伝えれなかった、もしもの未来を考えるだけで。
そんなの、嫌だ。
私は、律と恋人同士になりたい。
散々悩んだじゃないか。
チョコレートだって作って。あんなに頭抱えて、ズキズキする胸を撫でて律のこと想い続けたじゃないか。
朝起きても、ご飯食べてても、寝る時も、ベッドの中でもさ……いつだって、律のこと好きでいたじゃないか。
歌詞も書いて。
それで時折、誰もいない部屋で、ひとりごととして囁いてたじゃないか。
その言葉を。
ふとした時、独白のように、そう口に出してたじゃないか。
その言葉を、ポツリと。
だから、言えるだろ。
私は心の中で言い聞かせた。
そして。
「――……好き」
思ったよりも、声は出た。
律は、口を小さく開けっぱなして、固まった。
だけど、構わなかった。
私は、そこからなら何でも言える気がしたんだ。
一言目が怖かっただけで。
少しでもきっかけが掴まれば、私は私の言葉を口に出すだけだったんだ。
「律のことが、好きなんだ」
言えた。
言えた!
だけど、言えたことへの嬉しさはすぐには湧いてこなかった。
それどころじゃない。
すごく恥ずかしい想いの方が先行していたのだ。
だから私は律の顔を見ることはできない。
律の顔を見たら、それ以上の言葉が出ないかもしれなかった。
もう一杯一杯だ。
でも、精一杯でやるしかないんだ。
私は拳を胸の前で握り締めた。
この、張り裂けそうなほどに、爆発しそうな高鳴りを。
私の咽の震えと、訴えるまでに高らかな声に変えるしかなかった。
それは、私の精一杯、そして限界を超えるほどの叫びだった。
「好きなんだっ……――」
辛かった。苦しかった。
律を想うと、毎日息が苦しかった。
喉が渇いた。
お腹の上のあたりがグルグルした。
モヤモヤもした。
何か引っかかってるんじゃないかってくらい、調子が悪くなって。
胸が痛くて。
喉も震えて。
ぼんやりしたり、ぼーっとしたり。
だけどふとした瞬間、律を思い出して。
律の笑顔を見たくなったり。
家に帰って一人なのが、寂しかったりもした。
唐突に律に会いたくなって。
布団に入っても、明日律と一緒にいることを楽しみに思えたり。
そこでまた、胸がキューッと縮まって。
ふんわりした気持ちにもなって。
だからこそ、この気持ちが何なのかわからなくて。
もどかしくて。
それで悩んだ毎日もあった。
でも、律を意識してから。
律がそこにいなかったり、別の誰かのところにいたらモヤモヤするのも。
そこにいるだけで、一緒にいるだけで楽しくて。
好きだから。
律のこと、誰よりも好きだから。
だから、いつも胸が一杯で苦しかったんだ。
だから叫びあげた。
中庭に人がいようが構わなかった。
言いたかったんだ。
律に届けたかったんだ。
だから、力一杯、叫んだ。
今まで生きてきた中で、一番声を張り上げたかもしれない。
それぐらい、大きな声で。
「好きなんだよっ……! 律のことが、律が、大好きなんだ……!
私は下を向いた。
アスファルトの地面が広がる。
そこに、ポタポタと何かが落ちるのが見えた。
雪が降っているから、雨じゃない。
それが、涙だと悟るのに長くはかからなかった。
いろんな感情が溢れだして、グチャグチャで。
なんで涙が出たのかわからないけど。
私は大泣きして、両腕の服の袖でとにかく涙を拭った。
叫びは、私の心の壁も壊したようだった。
張り詰めていた糸がプチンと切れて、それを境にいろんな想いが溢れて。
それが、涙という形となって私の頬を濡らす。
それは頬じゃ留めきれなくなって、地面に落ちる。
「うっ……ひっく、っ……うぅ……――」
情けない自分の声が、漏れた。
服の袖で顔を撫でる度に、そこはどんどん濡れていく一方で。
拭っても拭っても、涙は止まらない。
やっと言えた。
言えた。
律に好きって、言えたんだ。
それが嬉しくて、泣いてるのかな。
わからない。
でも、わからなくてもいい。
言えただけで、もうよかった。
もう後は、どうなってもいい。
涙が流れることだけ、考えよう。
そう思ったけど、もう頭に思考の隙間はなかった。
ただ、喘いで、咳き込んで、泣くだけで。
何も考えれなかった。
その時だ。
「みーお」
優しすぎる声がした。
涙で、目も耳も、何もかもがぐちゃぐちゃでわからない私。
だけど、その憎たらしいほどに優しくて、私を痺れさせる声を、私は聞き逃すことなんてできやしなかった。
こんなにも、今の私は酷い顔をしていて、そして頭の中もかき乱れているというのに。
その声だけ――私の名前を呼んでくれる……
こいつの声だけは……しっかりと耳が捕まえたのだった。
最終更新:2012年06月01日 08:41