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お見舞いを終えて、私たちは玄関で別れることになる。
「澪先輩、部活はしばらく無しにしましょう」
別れ際に梓がそう言った。
理由を聞いてみた。
「やっぱり、律先輩があんな状態ですし、澪先輩だって律先輩が心配でベース弾けないでしょう」
図星だった。
律が入院して、目覚めないと聞いてからベッドに籠って学校をさぼるような私だ。
今でさえ幽霊として現れたけど、それでも不安はなくなったわけじゃない。
解消された不安もあれば、新しく現れた不安もある。
それに、やっぱり私は律のことで頭が一杯で、何にもやる気が起きなかった。
だから、もし部活をやると言われても、行くのはしばらく断ろうと思っていた。
だけどまさか部活自体中止になるなんて思ってなかった。
「皆は部活やりたいんじゃないの?」
私は、梓だけでなく、唯とムギにも言った。
「その、別に私に気を遣わなくても……えっと、私抜きで部活やってくれたらいいんだよ。律は無事なんだ。だから、皆はいつも通りでいいと思う」
実際私が落ち込んでて、そんな時に部活をやったら私に対して配慮が足りない、と三人は思ったのかもしれない。
でも、どちらかといえば私も、私の所為で三人も大好きな部活をしばらく中止にするのは嬉しくないと思ったのだ。
唯なんかムギのお菓子が食べたいだろうし、ムギも同じ。
梓だって部活をやりたいに決まってる。
だったら、私と律なんかに気を遣わないで、いつも通り部活をやってくれた方がいいと思った。
「でも、ベースとドラムがいなきゃ何にもならないわ」とムギ。
「パートで個人練習もできるし、なんならお菓子ばっかり食べててもいいよ。私としては、私のために部活しないの、ちょっと申し訳ないんだ」
今、私の隣に律はいない。
私と三人の話が終わるまで、その辺りをぶらついてくるようにあらかじめ言っておいたからだ。
会話の途中に割り込んだり、私が律に突っ込んじゃうから。
だから今だけは近くにいない方がいいと思って。
でも、律が幽霊となって隣にいることを少しずつ受け入れてしまっている私には、ちょっとでも律の姿が見えないと酷く不安になるのだった。
そんな不安をよそに、会話は続いていく。
「そう? 澪ちゃんは来ないの?」
唯が尋ねてきた。
「ごめん、私は部活できないかな。申し訳ないけど、三人で」
部活をいつも通りやってほしいと考案した私自身が、部活に参加しない。
それはずるいというか、逃げなのかもしれない。提案者が入らないなんて馬鹿げてた。
でも、やっぱり私に部活は無理だ。
それに、学校に行くことさえ今は難しいかもしれない。
それなのにベースなんて弾ける気がしない。
私の言葉に唯は何か返そうとしたけど、口を開いてすぐに閉じ委縮した。
「そうだよね」と言った。
「りっちゃんがああだもんね。澪ちゃんは部活より、りっちゃんのことだけ考えてた方がいいよ! というよりも、もう考えてるよね」
「うん……律のこと、心配だから、多分部活に行っても楽しめないし、私がいると空気も沈んじゃうと思うんだ。だから、三人でやってて欲しい」
結局三人で部活することが決まり、私たちは別れた。
最後は、唯と梓がやたらと絡んで、そこをムギが微笑むという、いつもの日常みたいなやり取りが見られた。
私はホッとした。あまり深刻になってもらいたくなかったから。
皆には、いつも通りでいて欲しい。
それはなぜかって、皆が深刻にしてたら、私はもっと律のことに意識が向いて、悲しまなきゃいけなくなるから。
幽霊となって一緒にいることで、それは少しは緩くなったけど。
でも、私はやっぱりまだ心細いままなのだ。
私は近くを歩いて、病院の入り口の横の花壇を見下している律を見つけた。
「律」
「おお澪、話終わったか」
「うん。三人には、部活やってもらうことにした」
「そっか……その方がいいよな。で、澪は?」
私たちは並んで歩きだした。もう時刻は五時前で、オレンジ色が視界を見たしていた。
夕暮れが道を照らしてる。
道を歩いていると、買い物帰りの主婦の人や、学校帰りの小学生が仲良く帰っているところにも出くわした。
誰も私を気にしてる人なんていない。だから堂々と律と喋ってもよかった。
気にしないで喋っていられるって、気が楽だ。
「私は、行かないよ」
「ふーん、なんで?」
「わかんないのかよ、馬鹿律」
「私がそんなに心配か、澪しゃん」
「当たり前だろ」
私は一呼吸置いた。なんだ、わかってるじゃないか。
だけど余計に恥ずかしかったから、私は律の方を見ないで、ただ自分の爪先を見つめて歩くだけだった。
「心配だし……それに、もう何もやる気にならないよ。やれって方が難しいかな」
だからこそ、学校をさぼって家で寝てたわけだし。
すっと律を一瞥すると、目があって数十秒を見つめあっていた。
しばらくして、恥ずかしくなって二人して目を逸らしたけど 目を泳がせて、言葉もなくなって。
もう一度律を見たら、律は照れくさそうに後頭部を撫でながら返してきた。
「その、なんか不思議だな。澪がそんなにも、私のこと心配してくれてるなんて」
「……不思議か?」
「知ってるよ、澪が私のこと好きなの。でも、言葉で言ってくれることとか、あんまりないからさ……」
私は恥ずかしがり屋だし、臆病だし、人の目も気になるし。
普段から律にそういう言葉を投げかけないのは、皆が見てるからだ。
唯やムギ、梓にからかわれるのがちょっと照れくさいからだ。
だから、普段はあんまり律に対する好意を大っぴらに見せることはなかった。
本当は大好きだし、もしかしたら随所で律に対する好意を見せちゃうような行動をとったりしてたかもしれないけど……。
「いっつも心配はしてるよ。だからいっつもお前に怒ったりするんだよ」
「それも知ってる」
「だから今回は……弱々しい方の心配だ」
怒ったりできないし、殴ったりもできないんだ。
それが、結構堪えてる。
心配とかそういうの差し引いても、私は、怖くてたまらない。
多分、二年生の時に律と喧嘩し時ぐらい、私は今、弱い。
もう、簡単に心が壊れそう。
それぐらい、今の私、いつも以上に繊細だった。。
でも、今はもっと細いよ。ちょっとでも傷つく言葉言われたら、壊れちゃうかも。
引き籠るかもしれない。
泣いて泣いてベッドに潜りこんでずっと出てこれないかもしれない。
だって、泣いて抱きつけるのはいつも律だけだったけど、今は抱きつけないから。
ああ、そっか。
私、何に悲しんでるって。
律が目が覚めないとか、幽霊になったからとか。
そういうのもあるけど。
律に触れないことなんだ。
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家に帰って、律はベッドに寝転んだ。
私は勉強机について、回転椅子に座って、椅子ごと回転して律の方を見た。
だらだらと伸びた律は、本当にいつもの律にしか見えないのに。
だからこそ余計に、触れなかったり幽霊なことに残念さを感じちゃうんだろう。
「何しよっか、澪」
律は天井を見ながら言った。私は何にも思い浮かばなかった。
「うん……」
「触れないしな、お互いに」
「……」
「エッチなこともできないな」
「そうだな……」
「突っ込めよ澪」
「そんな元気、今の私にはないよ」
逆に、なんでそんなことを律が言えるのか不思議だった。
割と元気そうな律。一番辛いのは私じゃなくて律だって言うのは、私の邪推だったのだろうか。
人から構ってもらうことが好きな律が、私以外の人には見えないの、かなり堪えると思うのに。
そうじゃないらしい。私だけでも満足なんだろうか。
それはそれで嬉しいよ。でも、やっぱり変だよ。
いっつも律を独占してたいって思うし、律が他の人と仲良くしてて嫉妬もする。
だけど、いざ律が私だけにしか見えなくなって触れなくなったら、なんだかそれはそれで寂しくなってしまうなんて。
もしかして私は、『律』じゃなくて、『皆に人気の律』を一人占めしたかっただけなのだろうか……。
私は首を振った。
そんなことない。
私、律が大好きなんだから。
「これから、どうする?」
律は仰向けにベッドに倒れたまま、そう言った。
酷く穏やかな瞳が天井を向いたまま。その目を見つめているのも、なんだ物悲しくなって、私はすっと視線をずらした。
なんてことのない、床の一点を見る。
いや、見たというよりも視界に入っただけで、私は今、何も意識してみてはいなかった。
「私に訊かれても、わかんないよ」
「そーだな。誰にもわかんないよな」
「逆に、なんでそんなに律は普通でいられるの」
「普通に見える?」
ここで、やっと目が合った。
律は元気だ。
私はずっと寂しかったり悲しかったりして、いつも通り突っ込むことや笑って言葉を返すこともできないのに。
でも律は、なんだかそれほど悲しんでる様子はなかった。
冗談も飛ばすし、笑って声もかけてくれる。
なんでなんだろう。私は律のこと、すっごく想ってる。だから元気も出ない。
律は、私みたいに、今の状況をそれほど悲しんでないのかな。
自分が幽霊になったり、寝たままだったり、私に触れないこと、寂しく思ってたりしないのかな。
私だけ、私だけが悲しんでるのかな。
それはそれで、なんだか嫌だった。
好意のベクトルが私からしか伸びていないとしたら、拍子抜けを通り越して、なんだか自分が馬鹿らしく思えちゃいそうだった。
でも、律だってきっと辛いと思う。無理して笑ってるんだと思う。
それとも、私がそう思い込んでるだけなんだろうか。
ただ。
普通に見える? って言葉は、少しだけでも律は、この状況を悲しんでる。
私はゆっくりと返した。
「少なくとも、普通に見えるよ」
「そっか……まあでも、結構私も、何も思わないわけじゃないよ」
律がそんなことを言って、ちょっと安心した私がいた。
「そりゃそーだ。逆にこんな状況で、律が何も思ってなかったら驚くよ」
「そりゃいろいろ思うことはあるさ」
律はゆっくり体を起こして、あぐらをかいたまま息を吐いた。
ときどき律は、びっくりするぐらい大人な顔をする。
それをまた今見せた。
私はドキッとする半面、そういう表情をする律はきっと、何処か追い詰められたり、
さっきも言ったようにいろいろと思うことがあるんだろうなって思って、素直にその表情にときめくことなどできなかった。
「でも、明るくなきゃ私じゃないし、そうでもしないとやってられないんだよ」
律は私に笑顔を見せた。
そうでもしないと、やってられない。
無理に、笑ってるの?
律が辛い時、無理したり、あんまり弱いところ見せないようにしちゃう奴だってのは知ってるけど、
こんな時も、やっぱり無理してるんだろうか。
私に、本音を言ってはくれないのだろうか。また不安が増えた。
もういらないのに。
私は、私の中にあるいくつもの不安を抱えてるだけでもう零れそうなのに。
また増えて。どんどん零れそうになるよ。
「無理は、するなよ。泣きたかったら泣いてもいいし、言いたいことあるなら、言って。そのための私だって思ってほしい」
私だけ律を見ることができるのは、律を受け止められるのが私だけだから。
なのかな。いや、正直わからないよ。
でも、律を幽霊にしたのが神様だったら、私だけ律の傍に居させてくれるのも神様で、
幽霊になった律を見ることができるのも私だけにしたのも神様だった。
なんのために? 私が寂しがり屋だから?
律がいないと寂しくて何にも出来ないような子だから?
わからない。
それとも、律のことを面倒見させるため?
もうわかんない、疑問ばっかり不安ばっかり。考えれば考えるだけ辛い。
「うん、その時は、頼むな澪」
今じゃ、ないんだ。
またモヤモヤしたのが広がってきた。
律はずるい。
なんで、そんなに笑ってばっかりなんだよ。
最終更新:2012年06月01日 09:15