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 もうすぐ高校生活が終わる、私は上手くやってこれただろうか。
 色々あったが、今となっては青春のひとコマだろう。

 卒業式を間近に控え、私たちは家路に就いている。
 河川敷の上、少し高くなった道路を進む。
 私となっちゃんと英子ちゃんの三人で。

 今日は本当に楽しかった、今までこんなにはしゃいだ日はなかっただろう。
 軽音部のみんなが私たちの教室でライブを行ってくれた。
 和ちゃんがみんなの指揮をとり、協力して実現したライブ。

 私は――私たちは、ずっと忘れないだろう。
 今日のライブだけじゃなく、修学旅行や学園祭はもちろん。
 受験勉強に苦しんだのだっていい思い出だ。

 二人の背中を見つめながら、軽い足取りで歩く。

 鞄が軽い、もう教科書を入れる必要は無いから。
 履き慣れたローファーともお別れ、もう履くことは無いかな。
 着慣れた制服ともお別れ、卒業式ではちゃんと前を留めよう。
 掛け慣れた眼鏡は、もう少し付き合ってもらおう。
 髪は長いままでいいかな、今は染める気も無いし。

 なっちゃんが英子ちゃんに、「今日の風子ご機嫌だね」と耳打ちをした。


 宙に浮いたような足取りで二人へと近づき。

「だって、本当に楽しかったんだよ。そう思うよね? 二人とも」

 なっちゃんが「はいはい」と言いながら私の頭を撫で、
 英子ちゃんがそれに対し、「夏香、風子を子ども扱いしないの」と促した。

「今日だけは怒らないから。子ども扱いしても」

「いいの? もうちょっと可愛がってあげようかな?」

 なっちゃんにからかわれながら家路に就く。残す行事は卒業式だけだ。

 あのころは思いもしなかった、こんな気分で卒業を迎えられるなんて。
 といっても三ヶ月ほど前の事。ほんの少し落ち込んだだけ。

 今日は空が青い、空気も澄んでいる。

 あのころの空は灰色だった、冬だったせいもあるけれど。
 きっと私は、濁った目で空を見ていたんだと思う。

 真っ直ぐ見つめられず、不安から目を背けたかった。
 でもそれが出来なくて、立ちすくむしか方法がなかった。

「風子ってば」

 なっちゃんの声で我に返り、「お、怒ってないよ」と反応する。

「いや、なんか黙ってたから……。怒らせちゃったかなって」

「ううん、違うの。色々思い出してただけ」と、目を伏して首を横に振った。

 崩れた髪を整えながら二人と一緒に歩く。

 私の『色々思い出してただけ』という言葉には触れず、
 二人は静かに寄り添ってくれる。

「よっぽどライブが楽しかったのね」

 英子ちゃんがそう話し掛けてきたけれど、
 私が今浮かべている笑顔は二人によるものだった。

「それも……あるかな」

 含みのある言い方をして前へと向き直り、少し顔を下げた。


 三ヶ月前の私なら、素直にライブを楽しめただろうか。
 とてもそうは思えない。
 それ以前に、『さわ子先生に何かしたい』という言葉も出なかっただろう。

 ――このクラスになって本当に良かった。

 ここにいるなっちゃんと英子ちゃんだけじゃない。
 唯ちゃん、秋山さん、田井中さん、琴吹さん。
 そして和ちゃん。
 それに、あまり話さなかった子まで大切に思っている。

「――それでさ、風子」

「えっ?」

「このまま真っ直ぐ帰る? それとも寄り道してく?」

「どうしようかな」

「まあ……人に聞くってことは、私が寄り道したいってことなんだけどね」

 なっちゃんは悪戯っぽい笑顔を浮かべてこっちに振り向いた。

「決まりでいいかしら? 風子も」

 英子ちゃんが同意を促して、私も「うん」と首を縦に振った。

 先を行く二人を見つめながら、私はもう一度空を見上げた。
 二月にしては澄み切った空だ。
 卒業式までこの天気が続けばいい。

 未来のことはわからない。でも、今の私は満ち足りている。
 これで志望校に受かっていれば言うことなしだろう。
 気になるけれど、合格発表は卒業式のあとだ。

「なっちゃん、英子ちゃん」

「ん? どうしたの、風子」

 なっちゃんは私のほうに向き直り。
 英子ちゃんは顔だけをこっちに向けた。

「えっと……」

 何かを伝えようと思った、上手く言葉に出来ない何かを。
 でもそれは、浮かんだと同時に霧散してしまう。

「いい、天気だね」

 やっと出た言葉が天気の話だなんて、私はどこか抜けている。

「どこ行こっか?」

 抜けているのを取り繕うように、少し慌てて声を出した。

「ハンバーガー食べに行こうよ」と、素早いなっちゃんの回答。

 英子ちゃんも「そうね」とうなづき、
 私たちはハンバーガー屋さんへ足を向けた。

 再び空へ視線を投げると、一羽の鳥が空を飛んでいた。
 名前はわからないけど、青い空を水平に横切っている。

 私はもう一度あのときの空を思い出し、静かに歩みを進めた。

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 図書室の窓枠越しに空を見ていると、一羽の鳥がそこを横切った。
 外には灰色の空が広がっていて、十二月ということを実感させる。

 放課後の時間、私たち受験生は勉強をして過ごすことになる。
 とはいえ、自宅で勉強すると集中力を保てない子が多い。

 そういうわけで、私はなっちゃんと英子ちゃんの三人で図書室にいる。
 左隣に座っているなっちゃんに数学の質問を受けている最中だ。

「風子、ここはなんで高さが5になるの?」

「ここは正弦定理を使って、斜辺の高さから計算するの」

「なるほど、じゃあこれは――」

 この学校の図書室は窓が広くて好きだ、
 日差しが辺り一面に差し込んでくる。
 高い天井は開放感を与え、堅苦しい思考を開放してくれそうだ。
 木製の床と白塗りの壁が上手く調和して、
 落ち着いた雰囲気を出している。

「夏香、そろそろ自分で考えたらどう?」

 私の正面に座っている英子ちゃんがすかさず口を開き、
 なっちゃんは決まりが悪そうに答える。

「なんで私にはきつく当たるかなあ、英子は。
 宿題だって見せてくれないし……」

「夏香はちゃんとして来てるじゃない。何を見ようっていうの?」

「いや、言ってみただけ。私も優しくされたいなって――」

「夏香は自分で出来てるでしょ。
 私が宿題見せたりするのは自分で出来なかった子だけよ」

「うん、そういうのうらやましいなって思っただけ」

「そもそも、夏香はやれば出来るじゃない。
 国語なんてクラスでも上位でしょ?」

 割り込んでいいものかと思ったが、すでに言葉が先走っていた。

「まあまあ英子ちゃん、人に教えるのって自分の勉強のためにもなるんだよ」

「そう――、それならいいけど。あんまり夏香を甘やかしちゃ駄目よ」

 英子ちゃんに見つめられながら、自分の後ろめたさから目を反らせた。

 そういえば、『人のために何かをするのは見返りを期待しての行動だ』
 という言葉を聞いたことがある。
 嫌な言葉だけど、いつかは向き合わないといけないのかもしれない。

「さっすが! 風子は優しいなあ」

 なっちゃんに微笑み返した顔は、きっと不自然になっているだろう。

 正面に向き直ると、本棚の隙間から近づいてくる人影に気付いた。
 見慣れた赤い眼鏡、和ちゃんだ。

「英子、ここいいかしら?」

「いいわよ、座って」

 遅れてやってきた和ちゃんが私の左斜め前に座る。
 着席するや否や、
 なっちゃんが主人を見つけた飼い犬のように身を乗り出した。

「和、おっそーい。おかげでお母さんに怒られたんだよ?」

「あら、そう」

 主人は飼い犬を軽くあしらって鞄から参考書とノートを取り出し、
 付箋の貼ってあるページを開いた。

 英子ちゃんに対する『お母さん』という愛称はどうかと思う。
 言われている本人が不快に思っていないのなら、それでいいんだろうけど。

 もともと私は数学が得意なほうではなかった。
 かといってどうにもならないほど苦手なわけではない。

 やはりみんなで勉強をしているからだろう。
 自分では解決出来なかった問題でも、
 人の協力でいとも簡単に解けることがある。

 和ちゃんは理数系に強いところがある。
 その影響なのか、人に教えられるレベルにまで理解が高まった。

「こうなったら和に見せてもらうからね」

「そう、丁重にお断りするわ」

「夏香、あんまり人のことを覗き込むのは感心しないわね」

 やっぱり楽しい、みんなとワイワイしているのは。
 このまま続けばいいと思わずにいられない。


 夕日が差し込み、図書室の一角をオレンジ色に染めている。
 黒い影とのコントラスト。

 その様子に目を奪われていると、
 なっちゃんの手が止まっていることに気付いた。
 これはそろそろ言い出すころかなと、私は一人納得し手を休める。

「そろそろ切り上げてさ、この辺でどっか遊びに行こうよ」

「夏香、私たち受験生なのよ」

 英子ちゃんはこう言うものの、
 なんだかんだで付き合ってしまうことはわかっている。
 私もその一人だ。

「わかってるって。じゃあさ、本屋だけ行こう」

「ちょうどいいわね、買いたい本があったのよ」

 和ちゃんも乗り気のようだ。
 英子ちゃんも「しょうがないわね」とひと言つぶやく。

「夏香、少し寄るだけだからね。風子はどうする?」

「私も行くよ、ちょっと勉強疲れてきたかなって」

 半分は本当だけど、もう半分はみんなに合わせたことも否定出来ない。
 それに、『みんなと長く過ごしたい』という気持ちもあった。

「よっし! じゃあ今日の勉強おーわりっと」

「そう、私は帰ってからも勉強するわ」

 和ちゃんは相変わらずマイペースといったところだ。


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 本屋に入り真正面の手帳コーナーを眺める。
 様々な手帳を見ながら『もう十二月なんだな』と、
 時間の流れを意識して、足は文庫コーナーへ向かった。

「私漫画見てくるね」

 なっちゃんはそう言って本棚の間を抜けて漫画コーナーへ行った。
 英子ちゃんと和ちゃんは幅の広い通路から雑誌コーナーへ向かった。

 ――さて、どうしようか。

 赤茶色の背表紙を目で追い、
 今は古典文学を読むような気分じゃないな。
 芸能人やマンガ調の表紙を見ながら、
 日本文学で装丁だけ変えて再販って増えたな。

 などと脳内でつぶやきつつ、淡い色の背表紙を目に留める。
 棚から取り出し表紙を見る。
 長い髪の女の子が空を見上げている絵だ。
 青色の絵の具に、気持ち程度橙色を混ぜた空。
 その絵は水彩調で優しげな印象を与える。

 直感を信じてこれにしよう。

 早々にレジを済ませ鞄に放り込み、
 漫画コーナーをうろついているなっちゃんに声を掛けた。

「なっちゃん何買うの?」

「欲しかった新刊が売ってなかったんだけど……」

「私は文庫本買ったよ」

「いいなあ、風子は」

 どうやら無かったらしい。
 無駄足になったのかな。

「そんなこともあるよね」「発売してるはずなのに」
「通販は?」「直接買いたいの」

 こんなやりとりをしながら、二人で雑誌コーナーへ向かった。

 雑誌コーナーに足を運ぶと、和ちゃんと英子ちゃんの姿を見つけた。
 棚にはライフスタイル、料理、暮らし、といったラベルが貼られている。

「風子、私雑誌見てくる」

 なっちゃんはまたふらりとファッション誌のコーナーへ行ってしまった。

「二人とも何読んでるの?」

 私が後ろから話し掛けると、和ちゃんが振り向いて答えた。

「料理の雑誌よ」

 そういえば和ちゃんは自分で弁当を作ってきてるんだった。
 私は料理を出来ないわけではないけど、弁当を作るほどの意欲はない。

「その本買うの?」

「そうよ、弟と妹に作ってあげるの」

 弟と妹の存在、彼女の性格を形作った一因だろう。
 面倒見のいい人柄、真面目過ぎるわけでもなく柔軟な一面もある彼女。

「ところで風子、焼き海苔をメインにした料理って無いかしら?」

 こんな一面もある。


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 私たちは本屋をあとにし、しばらく歩いた。
 雑貨屋、服屋、ファーストフード店、誘惑に耐えつつときには耐えられず。

 徐々に店も少なくなり、住宅の数が目立つようになった。
 行きかう人も減ってきている。

 荷物を抱えたなっちゃんが、英子ちゃんと和ちゃんに声を掛ける。

「じゃあ私たちこっちだから、また明日ね」

 私となっちゃんが同じ方向、英子ちゃんと和ちゃんが同じ方向だ。
 私も続けて「じゃあね」と言い、
 方向の違う二人もそれぞれ挨拶を返した。

 二人と別れたあと、なっちゃんと夕焼けの道を歩いた。
 荷物を持ってあげようかなと思いつつ、
 そこまでするのは変だなと考え直し、
 当たり障りのない話題を振りながらしばらく歩いた。

 こうして帰れるのもあと数ヶ月か、
 わかってはいるけど、違う大学に進むということを改めて意識してしまう。

「風子どうしたの、悩み事? 相談に乗ろっか?」

「無いよ、悩みなんて。なっちゃんこそ勉強とか困ってない?」

「私は上手く気分転換してるからね。本当に何もない?」

「あ、り、ま、せ、ん! 私だって子供じゃないんだから」

 悩みが無いというのは嘘だし、子供じゃないというのも嘘だ。

「そっか……、ならいいけど」

 会話もそこそこに「それじゃ風子、また明日」「じゃあね」
 と挨拶を交わし、道を分かれ、それぞれの家路を進んだ。


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 夕食を終えてお風呂に浸かっていると、
 昼間何を考えていたのかわからなくなりそうだ。

 浴槽の淵に両腕を乗せ、その上に頭を置いてみる。
 洗い場を眺めながら今日一日を振り返ってみた。

 放課後は勉強だ……やっぱりみんなで勉強するとはかどる。
 そのあと本屋に行って、色々まわって。

 そう、『楽しい』って思って『このまま続けばいい』って思ったんだ。

 あと数ヶ月で離れ離れになる、みんな違う大学へ行くから。

 少し体が冷えてきた、もう一回肩まで浸かろう。


 晩御飯を食べる、お風呂に入る、勉強に取り掛かる。
 受験が終わるまでこのリズムは崩さないだろう。

 合格するために勉強する、第一志望に合格しみんなと離れ離れになる。
 まるで一人になるために勉強してるみたいだ。

 そんなことを考えてる場合じゃない、簡単な微分積分も手に付かない。
 とりあえず今日のノルマは達成しないと。

 なんだか気持ちが沈んでいる、上手く解消出来そうにない。

 明日は一人で勉強したほうがよさそうだ。


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最終更新:2012年06月10日 22:05