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 たまには一人で勉強するのもいいものだ、教室には人一人居ない。
 オレンジ色が教室を染めている。椅子、机、教壇、それに私。
 幻想的ではないけれど心が落ち着く。

 今日はこれぐらいにしておこう。
 そう思い左側を向くと、夕日が目に飛び込んできた。
 まるで朝日みたいな強さだ。
 冬は空気が澄んでいる、そのせいで余計まぶしく見えるのだろう。

 とっさに左腕で影を作り、夕日が目に入らないようにした。
 そうしている内に見慣れた人影が入り口に現れた。

「和ちゃん今帰るの?」

 私に気付いたようで、こちらに向いて「そうよ」と返事をした。
 彼女もまた夕日を浴び影を伸ばして、オレンジ色に染まっている。

「生徒会室に寄ってたら時間かかっちゃって。風子も帰るの?」

 私が「うん」とうなづくと和ちゃんは「少し待ってて」と返事をした。
 用意が済むまで唯ちゃんの席に、
 つまり和ちゃんの後ろの席に腰掛けて待つことにした。

「もうすぐ卒業だね」

 何気なく話し掛けた、この時期の学生はそれが挨拶だという風に。
 彼女は「そうね」と軽く言いまた用意に戻った。

 和ちゃんと唯ちゃんは別々の大学に進学するという。

「ねえ、唯ちゃんと離れて寂しくない?」

 さらに問いかけた。こんなこと聞いても仕方ない、
 私の寂しさが紛れるわけでもないのに。

「そうね、寂しくないと言えば嘘になるわ。
 でも仕方ないわよ、それぞれの人生だもの」

 それぞれの人生、確かにそうだろう。
 二人は十年以上の月日を過ごして来たはずだ、
 それを簡単に割り切れるものだろうか。

 私はわずか二年で動揺しているというのに。

「和ちゃんにはわからないよ、私の気持ちなんて」

 思わず棘のある言い方をしてしまったが、もう取り消せない。

「風子?」

 和ちゃんの声が変わった、いつもの様な明瞭とした声ではない。
 かすかな戸惑いを含んだ声。私はかまわず言葉を続けた。

「そういえば言ってなかったね。一年のとき……友達いなかったの」

 和ちゃんは黙っていた、こんなことを言われても困るだけだろう。
 放課後の静けさが強く感じられる。

「もちろん中学のころはそんなことなかったよ。
 でも高校に入ってから上手く話しかけられなくって。
 気付いたら一人になっちゃった」

「そう、だったの……」

 ようやく和ちゃんが口を開いた。
 沈黙に耐え切れなかったのだろう。
 それは私も同じ事で、話を続けずにはいられなかった。

「同じ中学の子もいなかったし寂しかった。
 これからどうなるんだろうって思ってた。
 二年になってからなっちゃんと英子ちゃんが友達になってくれて、
 それから学校が楽しくなってきたの」

 彼女の顔を見ないように、目を合わせないようにしていた。

「三年になって和ちゃんとも友達になったし、
 このクラス、今までで一番居心地いいと思う。
 でも、もうすぐ卒業なんだね……」

 こんなことを話して彼女はどう思っただろうか、
 私の話している間、力のない相槌を打っていた。

「ごめんねこんな話しちゃって、迷惑だったよね?」

「そんなことないわよ。他の誰かに話した?」

 私は目を閉じてうつむいて、涙がこぼれないようにしていた。
 それでも声を出して平気なフリをした。

「ううん、でもなっちゃんと英子ちゃんはわかってると思う」

 よせばいいのに、私はまた弱音を吐いた。

「どうしよう、こんな気持ちのまま卒業出来ないよ……」

 視界がわずかに滲む、我慢しないと。
 こんな所で泣いて、同情してもらって、そんな所が子どもなんだろう。

 沈黙が長い、何か言って欲しい。
 私は机の上で手を組んだりしながらそわそわしていた。

 彼女のことだから、気の利いた一言を探しているんだろう。
 寂しさなんて吹き飛ばしてくれるような言葉を。

「……ごめんなさい風子、私は何も言えないわ。寂しいのは一緒だもの。
 生徒会長失格ね、友達一人励ませないなんて」

 ――和ちゃんも私と同じなんだ。

 彼女はずっとマイナスの感情を抑えてきたのかもしれない。
 生徒会長として学生の手本になろうとして。
 私が彼女にこんな表情をさせてしまったのだろうか。

 その表情が泣くまいと我慢してた私に、涙と心無い言葉をこぼさせた。

「そんなこと……言わないでよ。いつもみたいに、しっかりしてよ……」

「……ねえ、風子」

 静かで優しい声、これも初めて聞いた。
 あたたかい何かが手を包む。
 すぐに彼女の手だとわかった。

「これだけは言えるわ。卒業してもずっと友達よ」


 手の冷たい人は心が温かいと言われている。

 ――じゃあ和ちゃんの手はどうして温かいんだろう。

 夕日は顔をひそめ、蛍光灯の明かりが教室を支配している。

 視線を落とすと、机が涙で濡れていた。
 そういえばここは唯ちゃんの席だった、拭いておかないと。
 机を濡らしたことを謝るべきだろうか、
 それよりも和ちゃんを悲しませたことを謝るべきかもしれない。

 遠くのほうで「じゃあね」「また明日ね」と聞こえた、
 部活帰りの生徒だろう。


 長い沈黙のあと、最初に口を開いたのは私だった。

「私たちも、帰ろう」

「……そうね」

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 荷物をまとめ、薄暗い廊下に出た。
 窓枠の影を踏みながら歩いたが、交わす言葉は無かった。

 校舎を出て民家を数軒通り過ぎ、横断歩道に差し掛かる。
 赤信号を見つめながら、車の音を聞いていた。

 でも、彼女の声は聞こえない。
 視界の端には眼鏡を掛けた横顔が写るだけ。

 もしかしたら、彼女を傷つけたのかもしれない。
 人に嫌われるのは怖い。
 でもそれより怖いのは、人を傷つけたかもしれないことだ。

 赤信号を見つめながら、意識は彼女の方に向いていた。

「風子、意外だと思うだろうけど、唯は案外しっかりしてるの。
 試験勉強と平行して演芸大会の練習もしてたのよ。
 あ、演芸大会ってのはギターの発表のことね」

「うん……、そうだね」

 信号が青に変わり同時に歩き出す。
 急に口を開いた彼女に、どんな反応をすればいいのかわからなかった。

「受験勉強だって頑張ってるのよ。軽音部のみんなのおかげだけどね」

 どうして急に唯ちゃんのことを話し始めたんだろう。
 考えても憶測に過ぎないので聞き役に徹することにした。


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 和ちゃんと別れたあと、彼女の言動を気にしていた。
 やっぱり寂しいのだろうか。
 唯ちゃんと違う大学へ行くことが。

 等間隔に並ぶ街路樹を横目に家路を急いだ。

 こうして人の心配をするのは、私にも心配事があるからかもしれない。
 これがいい傾向なのか悪い傾向なのかはわからない。

 ただ心が晴れてくれればいい。
 私にせよ彼女にせよ、そう願わずにはいられなかった。


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 眠れない。
 十二時にはベッドに潜りこんだのに、時計の短針は3の数字を指していた。

 家族を起こさないよう台所へ行き、
 冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出し、コップに汲んで喉に流し込んだ。

 少しでも気分を紛らわせるため水を飲む。
 いつからだろう、心を落ち着かせるために水を飲むことを覚えたのは。

 同じ建物で家族が眠っているのに、世界中で一人だけみたいだと感じた。

 もう一杯汲み、部屋まで持っていくことにした。
 少し落ち着こうと思いテレビを付けてみたが、
 ただのノイズか欧米の街並みが映っているだけだった。

 時計の短針は3と4の間、長針は真下を指している。

 ベッドに潜り眠気を待ってみるが、一向に訪れない。
 このまま寝ずに学校へ行こうか。

 私がこうしている間にも、みんなはどんどん先に行ってしまう。
 みんなが特別速いわけではない、私がついて行けないだけ。

 喉元の不安感を押し流すように、もう一口水を飲んだ。

 気になるのは和ちゃんのこと、
 彼女なりにけじめをつけようとしていたのかもしれない。
 幼馴染の唯ちゃんのことやクラスのみんなのことを。

 時刻は午前四時を過ぎ、カーテンの隙間からは空が見えている。
 空は薄い藍色に染まり、朝の訪れを予感させた。

 無防備に空を見ていた私に、小さな物音が飛び込んだ。
 泥棒と思ったけど、おそらく新聞配達だろう。

 だいたい、『寂しい』なんて感情は胸に留めておけばよかったんだ。
 みんな多かれ少なかれそんな感情は持ってるんだから、
 ただ表に現さないだけ。

 胸が痛い、心臓ではなく心が。
 人の心は脳にあるというけど、今はそんな気がしなかった。

 ――卒業するのはみんな同じなのにどうして私だけ。

 そんな思いが頭をよぎる。
 こんなに不安を感じるのは何が原因なんだろう。


 午前五時さすがに眠い。
 でも今寝たら学校に行けなくなる。
 いや少しでも寝ておいたほうがいい。
 徹夜はしたことがある寝なくても大丈夫。
 そうじゃなくて体に悪いから寝ておいたほうがいい。
 だから寝たら起きれないんだってば。
 一日ぐらい休んでもいい。
 体調が悪いわけでもないのに休むのは気が引ける。
 そんなふうに考えるの嫌だな。
 少しぐらい気を抜いてもいい。
 勉強が遅れるとかそんな心配じゃない。
 恥ずかしいから。
 自分が情けないから。
 ただ気持ちの問題。
 だって自分が嫌いなんだから。
 そんなことない頑張ってる。
 自分を認めてあげてもいい。
 そもそも自分に価値なんてない。
 価値は作り出すものって本で読んだけど。
 じゃあ作り出せない人はどうすればいいんだろう。
 ああ嫌だこんなこと考えるのは。
 もう寝よう頭を休めよう。
 目が覚めれば全部忘れるよ。


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 結局和ちゃんとはよそよそしいまま、三日が過ぎた。

 そのあいだ私は、夜中に鬱々と考え朝方に眠り、
 学校では集中出来ない日々が続いていた。

 私はなっちゃんと英子ちゃんと、和ちゃんは軽音部のみんなと一緒にいる。
 表面的には何も変わっていない。

 何人が気付いているだろう、私と和ちゃんがよそよそしくなったことに。
 なっちゃんと英子ちゃんは気付いているとして、唯ちゃんはどうだろうか。
 和ちゃんと距離が近い分敏感かもしれない。

 昼休みの教室では昼食を終えたあと、みんな思い思いの時間を過ごしている。
 勉強する子、談笑する子、本を読む子、トランプに興じる子。
 その一方私は机に座り、置物のようにじっとしていた。

 頭の中に泥が詰まっているような感覚、ただの寝不足だと思うことにした。

「どうしたの風子? 具合悪いの?」

 なっちゃんの問いにも「なんでもないよ」と返した。

 あれ以来ずっと気にしていた。
 なぜあんな話をしてしまったんだろう、『みんなと離れて寂しい』だなんて。
 まるで小学生のようなワガママ、自分が恥ずかしくなる。
 その上、和ちゃんまで惑わせてしまった。

「だって弁当残してたじゃない」

「ダイエットしてるから残したんだよ」

 もっとマシな嘘を付けないのだろうか、私は。

「嘘付いてるよ風子、保健室行こ。
 顔色悪いし目の下にクマ出来てる。休んでた方がいいよ」


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 なっちゃんに手を引かれ、保健室の前までやってきた。

「誰もいないみたいだね、入っちゃおうよ」

 中に入ると薬品の匂いが漂ってきた。
 ずいぶん久しぶりだ、この匂いを嗅ぐのは。
 ベッドが二つあり、その周りにはピンク色のカーテンがあしらわれている。

「やっぱり戻るよなっちゃん、私は大丈夫だから」

「どうせ今戻っても自習だよ、それより体が大事」

 手を引かれベッドのそばに連れてこられたときには、
 反論する気も失せていた。

「それじゃあ、休むよ」

 上着を脱いで、手を差し出している彼女に手渡した。

「風子、眼鏡も」

 完全に忘れていた、眼鏡を掛けたまま寝ようとするなんて。
 外した眼鏡を渡し布団に潜り込んだ。

「眼鏡取ったとこ初めて見たかも、カーテン閉めるね」

 彼女はピンク色のカーテンを閉め、
 空いているベッドに腰掛けると、横たわる私に話しかけた。

「何があったか知らないけど、少しは私たちのこと頼ってくれてもいいんだよ」

 そうは言っても頼る気にはなれなかった。
 これは個人的な問題、気持ちの問題なんだから。

「一人で抱え込もうとしてるでしょ、話すだけでも楽になるよ」

「うん……」

 あくまで話すだけ、少しでも気持ちが晴れるならそれでいいと思った。

「放課後和ちゃんと話してたの、もうすぐ卒業だねって。
 そしたら私、卒業するのが寂しいって、和ちゃんの前で泣いちゃった。
 私ね……一年のとき友達居なかったの。
 話す子が居なかったわけじゃないけど。
 友達って言えるのは……たぶん、一人も居なかった」

 白い天井を向き、彼女を横目で見ながら話を続けた。

「二年になってから、なっちゃんと友達になって。
 それから英子ちゃんとも友達になって。
 あのときなっちゃんが隣の席でよかった。
 話し掛けてくれなかったら今も一人だったかも」


 今彼女が隣にいるのは、あのとき話し掛けてくれたからだ。
 席が一つずれていたらどうだっただろうか。

 きっかけは何だっていい、こうしてそばにいてくれるんだから。

「だから……ありがとう。友達になってくれて嬉しかった」

「大げさだよ風子。恥ずかしいなあ」

 彼女は少し照れた様子で顔を背けた。

「ごめんね、でも今なら言えると思ったんだ」

 今の内に言っておいたほうがいい、あとで後悔する前に。

「恵まれてるよね、私は。
 なっちゃんがいて英子ちゃんがいて和ちゃんがいる、みんながいる」

 ――それなのに。

「それなのに卒業するのが寂しいだなんて……。
 ワガママだよね、自分が嫌になっちゃう」

 こぼれた涙が枕を濡らした、文字通りの意味で。

「私どうしちゃったのかな、こんなことで落ち込むなんて」

「風子、さわちゃ……山中先生に相談してみたら?」

「え?」

 思いがけない提案だった、山中先生が出てくるなんて。

「さわ……先生はここの卒業生だし。人生の先輩だし、ね」

「でも……」

 思わず口ごもった。相談するのが嫌なわけじゃない。
 なんとなくみんなに悪い気がしてしまったから。

「もしかして私たちに遠慮してる? 全然気にする事ないよ。
 風子は人に頼ること覚えてもいいと思うよ。
 みんなに優しくするだけじゃなくて」

 でも、人に頼るってどうすればいいんだろう。
 今まで我慢してた分のツケが回ってきたような気分だ。

「さてと」

 なっちゃんはそう言いながら立ち上がり、スカートを整えた。

「じゃ、そろそろ教室戻るね」

「なんか……ありがとう、なっちゃん」

「少し寝たほうがいいよ、風子。それじゃ」

 彼女を見送ったあと、目を閉じ布団をかぶり、睡魔に身をゆだねた。


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最終更新:2012年06月10日 22:05