アットウィキロゴ
でも、言われてみれば、純ちゃんの気持ちも分からなくもない。
蒸し暑い夏の夜だってのに、昨晩私達は窓を閉め切って眠った。
誰も居ないこの世界だけど、悪意を持った第三者が存在しないとも限らない。
馬鹿みたいな考えだけど、エイリアンみたいな生物が居ないとも言い切れない。
だから、私達は学校の玄関まで完全に鍵を掛けて、眠る事にしたんだ。

安全を考えるとその選択に間違いは無かったと思うけど、
真夏の夜に完全な密閉空間で寝るってのは、かなり無理があったかもしれない。
暑さに弱い唯なんか、ぐったりして憂ちゃんに団扇で扇いでもらってたもんな。
私もそうだけど、現代っ子ってのはか弱いもんだ……。
こうなると電池で動かせる扇風機くらいは探してくるべきか。
電池の残量が心配ではあるけど、背に腹は代えられないしな。


「ほらほら、純。
起き……なくてもいいから、せめてパジャマの袖には手を通して」


気が付けば、梓がその辺に脱ぎ散らかされた純ちゃんのパジャマを拾い集めていた。
「起き……なくてもいい」ってのは、
そもそも起こそうとしても無駄だって事を知ってるんだろうな。
私も寝起きのいい方じゃないけど、流石に純ちゃんほどじゃないぞ。
その事に若干呆れはする。
でも、逆に頼もしくもあった。

こんなわけの分からない状況なのに、純ちゃんはいつもの元気な純ちゃんだ。
純ちゃんについては詳しく知ってるわけじゃない。
梓から聞く話で、どんな子なのか見当を付けてるだけだ。
元気でマイペースな子なんだろうなとは思ってたけど、そのくらいだ。
でも、こんな間近で純ちゃんと梓のやりとりを見られるようになって、気付いた。
梓は本当に純ちゃんに支えられてるんだって事に。

一見、梓が純ちゃんのフォローをしてるように見える。
それはそうなんだろうけど、きっと梓はそれ以上に純ちゃんの事を信頼してる。
大体、友達のために三年から部活を変えるなんて、そうそう出来る事じゃないよな。
澪の奴なんか一緒にバンドやろうって話をしてたのに、文芸部に入ろうとしてたしな。
いや、まあ、それは、二人で軽音部に入ろうと思ってる事を澪に伝えたのが、
軽音部の見学に行こうって誘った当日だった私にも責任があるんだろうけどさ……。

とにかく、梓が純ちゃんに支えられてるのは間違いない。
涙を流しながらも私達の卒業を祝福出来たのも、純ちゃんが傍に居てくれたからだと思う。
きっと私の知らない所では、色んな話をして、色んな事を考えてたんだろう。
私の知らない所で、純ちゃんは何度も梓の心を支えてあげてくれてたんだ。
純ちゃんにその自覚があるかどうかは微妙だけど、
そういう無自覚な優しさを持ってるって所も純ちゃんの魅力だと思う。
だから、梓は苦笑しながらも、純ちゃんの傍に居たがるんだろう。


「律先輩、純にパジャマ着せるの手伝ってもらえますか?」


「あいよ、了解」


梓に言われ、私は純ちゃんの頭から手を離して代わりに肩を支える。
「純ったら困りますよね」と苦笑しながら、梓が純ちゃんにパジャマを着せていく。
その手先は器用で、本当に慣れてるんだな、とちょっと感心した。
今までそれだけ何度も純ちゃんのパジャマを着せてあげてたって事か。
不思議ではあるけど、いい関係の友達だよな。


「んー……? あー……?」


パジャマの衣擦れがくすぐったいのか、
梓がパジャマのボタンを留める度に純ちゃんが変な声を上げる。
起きてるんだか、起きてないんだか……。
いや、きっと九割くらい寝てるんだろうな……。
この調子だと、パジャマの代わりに着ぐるみを着せてても、しばらく気付かないだろうな。

そういや、澪もああ見えて寝起きも寝相もいい方じゃないんだよな。
三年の学祭の時、
寝てる澪の腕に散々人って字を書いたのに起きなかったし、
ロンドンでの卒業旅行の時の澪の寝相も、そりゃひどいもんだった。
いや、ここだけの話だけど。


「さてと、次はズボンですね。
律先輩、純の身体をしっかり押さえてて下さい」


ボタンを留め終わると、梓が純ちゃんの足下に回って言った。
「しっかり押さえてて下さい」って暴れ馬じゃないんだから……、
と思った瞬間、純ちゃんは足下の梓に向けて鋭い蹴りを繰り出していた。
あっ、と私が声を上げるより先に、梓がその蹴りを見事に避けていた。


「もう……、律先輩、
しっかり押さえてて下さいって言ったじゃないですか」


「わ……、悪い悪い……」


梓が非難する様な視線を私に向け、私は素直に頭を下げて謝った。
言い訳する事も出来ない。
これは完全に油断してた私の失敗だ。
梓が見事に避けてくれて助かった……。

しかし、本気で鋭い蹴りだった。
純ちゃんの中の獣が叫んだんだろうか。
脳じゃなくて身体が足下の違和感に気付いて、本能的に蹴ったに違いない。
純ちゃん……、恐ろしい子……!
ついでにそれを見事に避けた梓も恐ろしい子……!

私はちょっとだけ期待して、純ちゃんの顔に視線を向けてみる。
もしかしたら、今の蹴りで純ちゃんが目を覚ましたんじゃないかと思ったからだ。
でも、残念ながらと言うべきか、予想通りと言うべきか、
純ちゃんは相も変わらずに寝息を立てて、それはそれは気持ち良さそうに爆睡していた。
こりゃ本気で筋金入りの寝太郎(眠り姫?)だ。
流石の澪も、いや、唯でさえも、
純ちゃんのこの眠りっぷりには敵いそうにない。

結局、純ちゃんの脚にズボンを通した後、
梓と二人で両側から肩を支えて純ちゃんの布団まで運んでも、
純ちゃんは遂に一瞬たりとも目を覚まさなかった。
ここまでくるともう褒めるしかない。

でも、普段大雑把に見えて、
異常事態になると一番最初に目を覚ましちゃう私よりは、よっぽど頼りになるよな……。
多分、今の状況で梓を支えられてるのは、私じゃなくて純ちゃんなんだろう。
それを恥に思う事は無いはずだし、
梓を支えてくれる子が居る事に安心するべきなんだろうけど、何だか悔しい気がした。
それを悔しいと思っちゃう自分が悔しかった。

だから、私は生徒会室に梓を残して、
皆の朝食の準備をした後、一人で朝食を食べて屋上に上がったんだ。
これからの事、澪の事、今の状況……、そんな色んな事を考えるために。
答えを出せるかどうかは分からない。
それでも、何かを考えずにはいられなかった。

ちなみに結構騒がしくしちゃったはずなのに、
和は私が目を覚まして最初に見た時から一切変わらない姿で眠っていた。
布団の丁度真ん中で手足を伸ばして、
逆に気味が悪いくらい整った姿勢で、規則正しく寝息を立てていた。
相変わらず頼もしい……。
純ちゃんも純ちゃんだけど、和も和だよな……。





屋上ではしばらく和と話した。
主に今日の行動に予定についてだ。
私は今日こそ地図と、ついでに使えそうな電化製品を探しに街に出る。
私と街に出るのは昨日と同じく、唯、梓、ムギ、純ちゃんでいいだろう。
和は学校に残って澪、憂ちゃんと調べ物をする。
大体、そんな予定でいいだろうと結論が出た時、
閉めていた屋上の扉が大きな音を立てて開いた。


「律先輩!
ちょっと一緒に来てもらえませんかっ?」


無音に近かった屋上に甲高い声が響く。
急に名前を呼ばれて、ちょっと驚いた私は扉の方に視線を向けた。
見覚えのある癖っ毛。
屋上の扉を開いて、甲高い声を出したのは純ちゃんだった。


「ど……、どうしたの?」


私は真剣な表情の純ちゃんに少し気圧されながら訊ねる。
純ちゃんは覚えてないだろうけど、
さっき同性とは言え裸を見ちゃってるから、何となく気まずいってのもあった。
ちなみにすごい寝癖がついていた純ちゃんの髪は整えられている。
まったく見事だと思った。
自分の癖っ毛との付き合い方を分かってる証拠だろう。


「ちょっと……、待ってよ、純……!」


不意に仁王立ちに近い体勢の純ちゃんの後ろから、梓が顔を出した。
かなり息を切らせている。
多分、純ちゃんを走って追い掛けてきたんだろうな。
梓は肩で息をしながら私と和と視線を合わせると、軽く頭を下げた。


「律先輩、和先輩、純がお騒がせしてすみません……。
ごはんを食べた後、純と二人で校庭を散歩してたんですけど、
屋上にお二人の姿を見つけた瞬間、
純ったら急に走り出しちゃって、それで私も純を追い掛けて来たんですけど……。

何なのよ、純……。
急に走り出すなんて、何かあったの?」


「仕方ないじゃん。
だって、律先輩の姿を見つけたら、居ても立ってもいられなくなったんだから」


純ちゃんの意外な言葉に、梓も和も、勿論、私も首を傾げる。
純ちゃんの事は可愛い後輩だと思ってるけど、物凄く親しいってわけじゃない。
だから、純ちゃんがそんな事を言い出すなんて、すごく意外だった。


「え……? 私……?」


私は思わず呟いてしまう。
純ちゃんは私の言葉に頷くと、近付いて来て私の手のひらを握った。


「はい! 実は律先輩に見てほしい物があるんです。
昨日学校で見つけて、その時は大した物じゃないって思ってたんですけど、
一晩寝てよく考えたら、やっぱり大変な物なんじゃないかって思えてきて……。
だから、律先輩、今から一緒にそれを見に行ってもらえませんか?」


「それなら、私じゃなくて……」


和の方がいいんじゃないか。
そう言おうとしたけど、その言葉は途中で止めた。
大変な物かもしれない得体の知れない何か……。
それを一番正しく判断出来るのは、きっと私達の中では和だけだ。
そんな事なんて、純ちゃんだって分かり切ってるだろう。

でも、純ちゃんは和じゃなくて、私を選んだ。
和じゃなくて、私に見てもらった方がいい物だって思ったから、私を選んだんだ。
だったら、私が行くしかないじゃないか。
和もそれを分かってるんだろう。
私が軽く視線を向けてみると、和は軽く頷いてくれた。
いってらっしゃい、とその視線は言っていた。


「分かった。
それが何なのかは分からないけど、今から一緒に行くよ。
連れてってくれるか?」


「ありがとうございます、律先輩!
じゃあ、すぐそこなんで私についてきて下さい。
和先輩、すみません、律先輩を借りていきます。

ほら、梓も一緒に行くよ!」


「何なのよ、もー……!」


肩を落として呟く梓を楽しそうに見つめながら、
純ちゃんが私の手を引いて屋上の扉に向けて駆け出し始める。
純ちゃんに手を引かれ、私もその場から走り出す。
結局、屋上で見つけられた答えなんて、ほとんど無かった。
でも、今は走り出す。
今は走るべき時なんだ。
走り出していい時なんだって思った。

梓の近くまで駆け寄る。
私は梓の手を取って、純ちゃんと梓と一緒に走り出そうとする。
瞬間、和が私達の後ろから大きな声で言ってくれた。


「律! 朝ごはん作ってくれたの律でしょ?
美味しかったわよ、ありがとう!
いってらっしゃい!」


こんな状況になって、まだ何も出来てない私の胸が震える。
和の言葉に、少しだけ救われた気がした。




階段を駆け降りて、廊下を走る。
夏休み中とは言え、いくら走っても誰にも注意されないのは何だか寂しい。
誰も居ない校舎で過ごした事は、部活で何度かある。
その時も校舎は静かで別世界みたいだった。

でも、今のこれは全然違う。
誰も居ないってだけじゃない。
人が生活してる痕跡すら全然感じられない。
長く過ごしたはずの校舎が、全然知らない建物みたいに思えてきて仕方が無かった。

もやもやした感情が胸の中に広がりそうになる。
今の所、私達に直接的な危険は無い。
エイリアンが居たり、変質者がうろついてたり、そういう事は無さそうだ。
この世界……、少なくともこの町の中には私達しか残ってないと思う。
本当はそれに安心するべきなんだろう。
女の子八人だけの集団に直接的な暴力が襲い掛かってきたら、成す術も無いんだから。

それでも、私は湧き上がる漠然とした不安を押し留める事が出来ない。
このままじゃいけない事は分かってるけど、
何をどうしたらいいか解決の糸口も掴めてないのが恐い。
その不安は自分の将来像に対する不安に似てるかもしれない。

私達の周りから人が消えてしまった今の状況は置いておくとして、
これまで普通の大学生活を過ごしていた私達に、直接的な脅威や危険は無かった。
切羽詰まった抜き差しならない場面に遭遇してるわけでもなかった。
大学生活、新しい仲間も出来て、毎日が新鮮だし、楽しかった。

だけど、完全に不安が無いと言えば嘘になる。
軽音部の皆とは一緒の大学に進学する事が出来た。
澪とは元からそうだけど、これで唯やムギとの腐れ縁も決定したようなもんだ。
順調に進級出来たらの話だけど、残り三年以上は一緒に笑ってられるはずだ。
でも、その先……、大学を卒業した後の事は分からない。

流石に全員と同じ会社に就職するって事は無いだろうし、
バンドでプロデビュー……なんて事もとりあえずは無さそうだ。
ひょっとしたらプロデビューは出来るかもしれないけど、
それで食べていけるようになるかどうかはまた別の話だしな。
つまり、卒業後に私達が別々の道を歩いて行く事になるのは、ほとんど確定に近い。
一緒だった仲間が今度こそ本当にバラバラになっちゃうんだ。

今の私の胸の中を支配してる不安は、
そんな将来の事を考えてる時の不安とよく似てる気がするんだ。
直接的な危険や問題があるわけじゃない。
このままじゃいけないんだろうけど、何をどうしたらいいのか分からない。
何をどうしたって、何も変わらないかもしれない。

胸に湧き上がるのは漠然とした不安。
はっきりとした不安じゃないのに、
その不安が真綿で首を締めるみたいに私を苦しめる。
そういや、自殺の理由を『漠然とした不安』って言い残した小説家も居たんだっけか。

走りながら頭を振って、私は胸の中に湧き上がる不安をどうにか振り払う。
悩んでても何かが変わるわけじゃないはずだ。
今の私に出来る事は、目の前にある問題に一つ一つ取り組んでいく事だけだ。
そうでもしなきゃ、私を少しは頼りにしてくれてる和にも申し訳ない。


「律先輩、ここです」


不意に足を止めて、純ちゃんが深刻な表情で私に囁いた。
どうやら目的の場所に辿り着いたらしい。
純ちゃんの言った通り、その部屋は屋上からあんまり離れていなかった。
私も足を止め、私の隣で息を切らす梓とその部屋に掛かる表札に視線を向ける。
表札にはオカルト研と書かれていた。
肩で息をしていた梓が、少し息を整えると肩を落として呟く。


「ちょっと、純……。
大変な物がある場所って、オカルト研なの?」


「そうだよ。何かおかしい?」


梓の言葉に、真剣な表情で純ちゃんが頷いた。
それでも梓は胡散臭そうな表情を崩さなかった。
まあ、そりゃオカルト研だからなあ……。
オカルト研は桜高の生徒達の間では、
軽音部と並んで胡散臭い部として名前が挙げられてるらしい。
前に信代から聞いた話では、軽音部もオカルト研も、
どんな活動をしてるか分からない謎の部として有名なんだそうだ。
……って、いやいや、失礼な。
軽音部もオカルト研もちゃんと活動しとるわい!

でも、確かにオカルト研は私達にも謎の部だ。
そもそも部員を二人しか見掛けないけど、
桜高って四人揃わなきゃ部活動として認められないんじゃなかったっけ?
ひょっとしたら、オカルト研なわけだし、
あんまり出席しないって意味での幽霊部員じゃなくて、
霊魂的な意味での幽霊部員でも部員として認められるって特例があるとか?
それか部員の誰かが理事長の孫娘だからオッケーとかなのか?

……我ながら発想が古いな。
幽霊の部員とか、理事長の孫娘とか、昭和の漫画かよ……。
まあ、実際は部じゃなくて研究会だから二人でも大丈夫、とかそういう理由なんだろう。
私達だってちゃんとした部と認められてないのに、
何ヶ月も音楽室を好きに使わせてもらえてたわけだし。
やっぱり桜高ってそういう大らかな校風の学校だったんだよな。
そもそもDEATH DEVILが活動出来てた時点で相当に大らかでもあるが。


「オカルト研に大変な物があるって言われても困りますよね……。
すごく胡散臭いと言いますか、何と言いますか……。
ねえ、律先輩?」


同意を求めるみたいに梓が私に視線を向ける。
普通なら梓の言葉に頷く所だったけど、私は軽く首を振って言った。


「いや、そうとも限らないぞ、梓。
胡散臭いのは認めるけど、こんな状況なんだからな。
何があっても、その何かの原因がオカルト研の中の何かでも、おかしくないんじゃないか?
少なくとも私はそう思うぞ?」


「律先輩まで……」


梓が不安そうに言葉を濁す。
肩が少しだけ震えたのは、走ってきた疲れのせいってだけじゃないだろう。
少し恐がらせちゃったかもしれない。
私はちょっと反省した。


6
最終更新:2012年07月09日 21:30