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「それにしても、よくあんないっぱいあったもんだよなー」
パンパンに膨らんだリュックサックを背負って、自転車を漕ぎながら私は呟く。
かなり肩に来る重さだけど、今後の事を考えると贅沢は言ってられない。
特にムギは私以上に大きなリュックサックを背負ってるんだ。
これで文句を言っちゃ罰が当たるってもんだ。
「非常時の事を考えて用意してくれてたらしいの。
そんなに必要なのかな? って前から思ってたんだけど、
実際こうして役に立つ日が来たんだから、人生、何が起こるか分からないよね」
ムギが苦笑しながら呟く。
その顔に少し元気が無いのは、
やっぱり誰の姿も無い自宅を目の当たりにしてしまったからだろう。
期待しちゃいけないって事は、ムギだって分かってたと思う。
これだけ捜しても、私達以外の姿は何処にも見つからないんだ。
自分の家族だけ無事に居てくれるって考えるなんて、都合が良過ぎる。
分かってる。
私だって分かってるつもりだった。
でも、我ながら馬鹿だなって思うんだけど、
自分の目で確認しなきゃ、期待や希望ってものは持ち続けちゃうものなんだよな。
私なんか自分の家族を自宅に見つけられなかったのに、
ひょっとしたら、ムギの家族だったら無事かもしれないって期待しちゃってたんだ。
ムギの家族は金持ちだ。
どれくらい金持ちなのかはしらないけど、
ただ事じゃないくらいの金持ちではあるらしい。
別荘だって何件も持ってるんだしな。
だから、私は馬鹿みたいな期待をしてた。
金持ちのムギの家族は前々からこの世界……、
まあ、国どころか県からも出てないから、他の地域の事は何も分からないけど、
とにかくこの世界から生き物が全て消失するって現象を予期してて、
今もその現象への対策を自宅の対策本部かなんかで練ってくれてるんじゃないかってな。
勿論、そんな事があるはずも無かった。
そりゃそうだ。
大体、こんな状況になる予期をしてたんだったら、
大切な娘のムギをみすみす外出なんかさせるかっての。
分かっちゃいたけど、期待せずにはいられなかった。
自分の力じゃどうにもならない気がして、他の力のある誰かに頼りたかったんだと思う。
こんな状況、自分達じゃどうする事も出来ないから……。
だから……、誰かに助けてほしかった。
誰かに救ってほしかったんだ……。
でも、その期待は簡単に打ち崩された。
私の実家より遥かに大きくて、
執事やお手伝いさんなんかも大勢居るはずのムギの家にも、誰一人居なかった。
それどころか、ムギの家で飼ってるらしいミシシッピ何たらって亀の姿も一匹も無かった。
分かっちゃいた事だけど、
もう本気で私達以外の生き物はこの世界に存在しないのかもしれない。
無音が私の耳に届く。
いや、自転車の車輪の音と風の音くらいは聞こえるけど、そんなの音じゃない。
音だけど、音じゃないんだ。
音ってのはもっと……、そう、他の誰かや他の何かが立てる物音なんだと思う。
騒がしくて、やかましくて、嫌になる事もあるけど、
その一切が消えてしまった今じゃ、ほんの少しの雑音だって懐かしかった。
誰か他者の存在を感じたかった。
でも、そんなに落ち込んでるわけでもない。
事態が良くなったわけじゃないけど、
自分の置かれた現状が分からなかった時よりはずっとマシだと思う。
テストの結果を待ってる時と、テストの結果が出た後って感じかな。
変な例えなんだけどさ。
テストの結果なんて、自分がテストを解いた時点でもう決まってるのに、
テスト用紙が返ってくるまで、いい点であるよう神様に祈るなんて、誰だってやる事だと思う。
私なんか大学受験の時は、結果が出るまで神様にずっと祈ってた。
結果が分からない時ってのは、それくらい変な期待に満ち溢れちゃうもんなんだよな。
だから、同時に不安にもなる。
期待をするから、そうじゃなかった時の心配もどんどん膨らんでく。
それに押し潰されそうになる事もある。
でも、良い結果でも、悪い結果でも、出てしまえばそれは単なる結果なんだ。
最悪な結果でも、出ないよりはずっとマシなんだと思う。
町をずっと回って、ムギの家を訊ねてみて、
少なくとも市内には誰一人居ないのは間違いなさそうな感じになってきた。
嫌な調査結果だけど、そのおかげでこれからの事を考えられるって事でもある。
落ち込んでる暇なんか無い。
それに私には、まだ大切な仲間が居るんだからな……。
負けてられないよな……。
私は微笑んで、ムギにもう一度話し掛けてみる。
「だけど、ムギも寂しがりだよなー。
自分のキーボードを使いたいからって、電池を取りに行くなんてさ」
「えへへ、ごめんなさい……。
だって、皆は電気が通ってなくても楽器を弾けるのに、
キーボードだけはどうしても電気が無いと弾けないじゃない?
皆が演奏してるの見てて、自分だけ演奏出来ないのは寂しかったんだもん……。
音楽室にはピアノが置いてあるにはあるんだけど、
音色は違ってくるし、やっぱりね……、私は自分のキーボードが弾きたかったの。
これって我儘……かな……?」
視線を落とし、寂しそうに苦笑するムギ。
私は自転車のペダルを漕いでムギに並び、軽くその頭を撫でた。
「我儘だなんて、そんな事無いって、ムギ。
ミュージシャンとしては、むしろ我儘なくらいで問題無しだし!
それより私達も自分達の事ばっかり考えちゃってたみたいでごめんな。
そうだよな。キーボードは電気が通ってないと弾けないもんな……。
内蔵電池式ってのもたまにあるみたいだけど、それにしたって充電しなきゃいけないもんな。
それに気付けなくて、私の方こそごめん。
だからさ、帰ったらムギのキーボード聴かせてくれないか?
考えてみたら、ずっと一緒に練習はしてたけど、
ムギのソロのキーボードはあんまり聴く機会が無かった気がするしな。
まずはハニースイートを聴かせてほしいよ。
ムギの口笛聞いてたらさ、本家本元を聴きたくなっちゃったんだよな。
勿論、ボーカル付きでもいいぞ。
そうだ。折角だし、ムギのワンマンライブってのも楽しそうだよな。
報酬は今日の夕食でムギの好きなおかずを一品増しってのはどうだ?
と言うか、もうムギの好きなおかずを一品増しにする事は決めたから、
ワンマンライブを開催してくれなきゃ、
報酬だけ受け取っちゃったって後味の悪さを、ムギが感じる事になるんだけどな」
「もう……、りっちゃんたら強引なんだから……。
でも、いいよね。ワンマンライブ、すっごく楽しそう!
三日ぶりだから上手く弾けないかもしれないけど、私、頑張ってみるね。
あ、そうだ!
それなら、私、りっちゃんのワンマンライブも見てみたいな。
私、りっちゃんのドラム、大好きだもん」
「私のワンマンライブ……?
あ、いや……、別にいいんだけどさ……。
でも、キーボードならともかく、
ドラムスのワンマンライブなんて、多分つまんないぞ?
まあ、世界にはドラムスでワンマンライブやれてるミュージシャンも居るけど、
その人達はワンマン用の曲を準備してて、そのテクニックを持ってるわけだしな……。
知っての通り、私が叩けるのは皆で演奏する用の放課後ティータイムの曲だぜ?
そんな面白味の無さそうなやつでいいなら、やってもいいけど……」
私が呟くみたいに言うと、ムギが急に真剣な表情を浮かべた。
強い視線を私の方に向けて、強い言葉で話を続ける。
「ううん、つまんないなんて、そんな事無いよ、りっちゃん。
私、セッションしてる時に聴いてるりっちゃんのドラムの音、大好きだもん。
一度、セッション中じゃない時に、落ち着いた気分で聴いてみたかったんだ」
「そう……なのか……?
そっか……。
おっし、わかった!
だったら、ムギちゃんために、りっちゃんのワンマンライブを開催しようじゃんか。
『ゆいあず』ならぬ『りつむぎ』ユニットの結成だぜ!
ユニットっつっても、一緒に演奏するわけじゃないけどな!」
私がニヤリと不敵に微笑んでやると、ムギも不敵な表情を浮かべた。
目尻を細め、口元を悪人っぽく歪める。
出会った頃には想像も出来なかったムギの崩れた表情。
ムギもこういう顔が出来るようになったんだな、って思うと、何だか笑えてくるし楽しい。
まあ、隠し芸でマンボウとか変な顔をする事はあったけどさ。
と。
不意に私は重要な事を思い出し、ムギに真面目な顔を向けて言った。
「ライブもいいんだけどさ……。
ムギに一つお願いがあるんだが、聞いてもらえるか?
とても重要なお願いなんだ……」
「重要なお願い……?
う、うん……。
私に出来る事なら何でも言って、りっちゃん……!」
「それは助かるよ……。
実はな、ムギ……」
私は言葉を止める。
深呼吸をして、結構勿体ぶってから、私は続けた。
重要なお願いをムギに伝えるために。
「学校に戻ったらさ……。
………。
肩、揉んでくんないか?
流石に電池が満杯に詰まったリュックは重いわ、マジで。
肩が痛くなって来ちゃって、結構きついんだよなー」
言った後、「きゃはっ!」って可愛い子ぶってから、ムギにピースサインを見せる。
ムギが少し呆けた表情になったけど、
すぐに「りっちゃんったら……」と苦笑しながら呟いた。
よかった。笑えてもらえたみたいだ。
少しはムギの気が晴れてたら嬉しい。
勿論、これはムギを笑わすために言った冗談なんだけど、
実を言うと、ほんのちょっだけ冗談じゃなかったりする。
いやー……、流石に単一、単二、単三、単四全部で五百本を超える電池は重いよ。
学校に戻ったらしばらく休んで、本当に誰かに肩を揉んでもらいたい。
そりゃ、今後の事を考えると、電池は必要な物なんだけど、
でも、それにしても、単二電池なんて久し振りに見たな……。
小学校の理科の授業で先生が持って来た以来じゃないか?
流石は琴吹家。
準備がいいと言うか何と言うか……。
まあ、単二電池を使う機会は、これからも絶対に無い気がするけどな。
ちなみに私より大きいムギのリュックの中には、
ただの電池だけじゃなくて、変圧器や蓄電池も入ってる。
キーボードを使うには単なる電池じゃ駄目なのは分かってるけど、
まさか蓄電池や変圧器なんかも用意してるなんて、やはり恐るべし琴吹家。
金持ちをやるにはそれくらいの用意周到さが必要なのかもな。
「分かったわ、りっちゃん」
急にムギがまた真剣な表情を浮かべて言った。
私より遥かに重いリュックを背負ってるのに、それはそれは力強い表情だった。
「学校に戻ったら、私、りっちゃんの肩を思い切り揉むね!
大丈夫、心配しないで。
こんな時のために、お家で誰かの肩を揉む練習してたから!
私、友達の肩を揉んであげるのって、一度やってみたかったの!」
「そ……、そうか。ありがとう、ムギ……。
お手柔らかに頼むな。
くれぐれもお手柔らかに頼む……」
くれぐれも、本当に、くれぐれもお手柔らかに頼みたい。
ムギって力持ちだからなあ……。
あんまり力を入れられると、逆に酷い事になりそうだ。
自分から頼んでおいて何なんだけどさ……。
でも、練習してたって言ってるから、多分、大丈夫かな。
ムギはそういう気配りは出来る子だから、心配する事は無いはずだ。
そんな風にムギの事を考えていると、いつの間にか私は微笑んでたみたいだった。
その私の表情に気付いたのか、ムギがまた静かに言葉を続ける。
「そうだ、りっちゃん。
りっちゃんの肩を揉む代わりに、私も一つお願いをしていい?
一つだけ……、りっちゃんに大切なお願いがあるの……」
「何だ?
うん、いいぞ。何でも言ってくれよ、ムギ。
肩を揉んでくれるお返しだ。出来る限りのお願いなら聞くぞ」
私はムギに笑い掛ける。
ムギの大切なお願いなら、聞かないわけにはいかない。
ムギには普段からずっとお世話になってるんだもんな。
肩を揉らうお返しじゃなくたって、ムギのお願いなら何でも聞いてあげたい。
ムギは小さく息を吸い込む。
深呼吸してるんだろう。
そのお願いを口にするのを、結構躊躇ってるみたいだ。
そんなに言いにくいお願いなんだろうか……?
まさか、憂ちゃんとの馴れ初めを教えてほしい、とかってお願いじゃないよな……?
そういやムギの誤解も解けてない事だし、そういうお願いもある……のか?
つい変な事を考えちゃった私だけど、
それからムギは、そんな私の考えとは全然異なった真剣な言葉を口にした。
「あのね、りっちゃん……。
私が言う事じゃないと思うんだけど……、
こんな事、私に言われなくたって、りっちゃんなら分かってると思うんだけど……。
でもね……、私の我儘だと思って聞いてほしいの。
ねえ、りっちゃん……。
あの……ね……、澪ちゃんのね……、傍に居てあげてほしいの……。
りっちゃんが傍に居れば、澪ちゃんももっと安心出来ると思うし……。
だからね……」
言葉を止めて、ムギが視線を伏せる。
漕いでいたペダルも止めて、その場……道路の真ん中に自転車を停める。
ムギより少しだけ前に行っちゃってた私も、
自転車を停めて、ゆっくりとムギの表情を覗き込む。
ムギはとても不安そうな表情を浮かべていた。
その表情には「言っちゃった……」って書いてあるように思えた。
ムギが言葉通り、それはムギが言う事じゃない。
ムギに言われなくたって、私にも分かってる。
私は澪と話をするべきなんだって。
傍に居て、また今朝の挨拶程度じゃなくて、
もっと笑い合えるように努力するべきなんだって。
分かってる。分かり切ってるし、実際にも今晩に澪と話そうと思ってた。
そんなの、ムギに言われる事じゃないんだ。
ムギもそれを分かってる。
自分がそれを口にするべきじゃないのかもしれない、って思ってる。
だから、不安と後悔に溢れた表情を浮かべてるんだろう。
私はムギの言葉に腹が立った。
そんな事、ムギに言われるまでもない……。
腹が立って、拳を握って、不安そうなムギに向けて言葉を届けた。
「ああ……、そうだよな……。
澪の奴の傍にも、居なきゃいけないよな……。
あんなに不安そうにしてる幼馴染みの傍に居ないなんて、駄目だよな……。
ごめん、ムギ。嫌な事、言わせちゃって……」
言い終わってから、ムギに頭を下げる。
そうなんだよな。
ムギに言われなくたって、澪の傍に居るべきなんだって事は分かってる。
今晩、話をしようとも思ってた。
だけど、ムギに言われなきゃ、それは思うだけだったかもしれない。
いや、多分、そうだったと思う。
私って頭で分かってても、行動に移せない事が結構ある。
勉強しなきゃと思いながら遊んじゃいがちだし、
受験する大学の事も全然考えてなかったし、
前に澪と喧嘩した時も、謝ろうと思いながらも自分から謝りにはいけなかった。
今だって……。
今朝の事を思い出す。
和、純ちゃん、梓、憂ちゃん……。
皆、私と澪の事を心配して、話しに来てくれたんだろうと思う。
勿論、動機の全てってわけじゃないんだろうけど、何割かはそうなんだろうな。
だから、私は腹が立って仕方が無い。
勿論、何も出来てない自分自身に対してだ。
皆に気を遣わせて、心配させて、澪にも不安な気持ちを抱かせたままで……。
元とは言え、部長の私が何やってんだよって話だよな……。
「謝らないで、りっちゃん……。
謝らなきゃいけないのは私の方なんだから……。
勿論、澪ちゃんの事は心配。
澪ちゃんにはまたりっちゃんと二人で、いつもみたいな笑顔を見せてほしい。
でもね……、それだけじゃないの……。
私、りっちゃんと澪ちゃんが一緒に居ないのが嫌で、
それが恐くて、自分が不安なのを我慢出来なくて……、
だからね……、りっちゃんと澪ちゃんの問題なのに、
こんな事、口をするべきじゃなかったのに、私……」
ムギが辛そうな表情を浮かべて、私に頭を下げる。
確かに当人同士の問題に口を出しちゃいけない、ってのは一般常識だ。
本当はそんな事に第三者が口を挟むべきじゃない。
でも、それだけ私達の……、
いや、私の行動が見るに堪えなかったって事でもあるんだよな。
確かに私は澪から逃げてた。
澪に何を言えばいいのか分からなくて、
あいつを余計傷付けないようにって言い訳して、あいつから遠ざかってた。
言い訳して、逃げてたんだ。
一番恐がってるはずのあいつをほっぽり出して、自分が傷付かないように……。
「いいよ、ムギ。
こっちこそ、ごめんな。
言ってくれて、ありがとう」
私は自転車から降りて、ムギの方まで歩いていく。
ムギは長い髪を震わせて、まだ不安そうにしていた。
歩み寄りながら、私はもう一度口を開く。
「ムギの言う通りだと思うよ。
伝える言葉が思い付かなくても、澪とはもっと話しとくべきだった。
頭じゃ分かってたんだけどさ、私も恐かったんだな、結局の話……。
不安に怯えてるあいつを前にして、
もっと不安にさせちゃったらどうしようってさ……。
でも、それじゃ駄目なんだよな。
怯えてるのは澪だけじゃなくて、逆に私の方が澪よりも怯えてるのかもな……。
澪の奴だけどさ……、本当に困った奴だよな。
皆、恐いのに真っ先に怯えちゃうしさ、
今だけじゃなくて、普段から駄々こねてばっかりだし……。
だけどさ……、
澪が真っ先に恐がってくれるから、
私達が妙に落ち着けるってのもあるよな。
澪が慌てたり恐がったりすると、何だかすごく落ち着かないか?
澪も別に意識してやってるわけじゃないんだろうけどさ」
最終更新:2012年07月09日 22:16