「律先輩も純を止めて下さいよ……。
後で皆で食べるって話をしてたじゃないですか。
こんな行儀の悪い食べ方されたら、律先輩も嫌じゃないんですか?」
これ以上純ちゃんに言っても仕方が無いと思ったのか、
気が付けば、注意の矛先がいつの間にか私の方に向いていた。
私は純ちゃんと顔を合わせて苦笑した後、梓に返してやる。
「別に私は気にしないぞ?
純ちゃんの気持ちも分かるしさ。
やっぱこういうオールスターパックは、
一口ずつ好きなのを食べるのが醍醐味ってやつだからな!
ねー、純ちゃん」
「そうですよねー、律先輩」
純ちゃんと二人で梓に笑顔を向けてやると、
梓が頭を抱えて「もういいです」と溜息を吐いた。
そのまま習慣で愛用の学生鞄を長椅子に置こうとして、
でも、長椅子には私が転がってるのを思い出したらしく、
自分が使ってる机に向かって学生鞄を置き直した。
その一瞬、私は見逃さなかった。
去年、修学旅行の京都土産にプレゼントしたキーホルダーが、梓の学生鞄に付けられてる事に。
梓がそれをまだ付けてくれている事に。
大切にしてくれてるんだな、ってすごく嬉しくなる。
私達五人揃って『け』『い』『お』『ん』『ぶ』になる、おそろのキーホルダー。
何だかもうとっても懐かしい。
まあ、大切にしてるわりには、
梓の奴、二回もその『ぶ』のキーホルダーを落としたんだけどな。
一回目はともかく、二回目は本当に大騒ぎになった。
二回目は梓の学生鞄のキーホルダーが無くなってる事に唯が気付いて、
梓も唯に指摘されて初めてキーホルダーを落とした事に気付いたらしく、
受験シーズンだってのに、軽音部総出で学校中捜し回ったもんだ。
キーホルダーすぐに見つかったからよかったけど、
もしも見つからなかったら、受験なんかより梓の事が気になって仕方が無かっただろうな。
まったく……、困った後輩だよな……。
でも、梓がどうしてキーホルダーを落とす事になったのか、その原因には心当たりがある。
とは言っても、直接的な原因じゃなくて、落とすきっかけの一つってやつかな。
梓の教室に行ってみた時、何度か目撃した事があるんだよな。
梓が学生鞄からキーホルダーを外して、手のひらに持って嬉しそうに見てた所を。
手のひらの中の思い出を本当に嬉しそうに……。
多分だけど、そうやって何度も外してたせいで、
キーホルダーの留め金が緩くなっちゃったんだろうと思う。
それで二回もキーホルダーを落とす事になっちゃったんだ。
想いの強さのせいで思い出を失くしちゃうなんて、何とも皮肉な話だ。
でも、それはそれだけ梓が私達との思い出を大切にしてる、って意味でもあって……。
その梓の想いがくすぐったくて、嬉しくて、ちょっと切ない。
ちなみに今はキーホルダーを落とす心配は少なくなってたりする。
二回も落とした事で梓も勉強したらしく、
パスポートを入れるみたいな透明のケースにキーホルダーを入れて、それを学生鞄に付けてるんだよな。
そのキーホルダーの姿はちょっと不格好に見えるから、
留め金を丈夫なのに変えればいいんじゃないか……、って言うのは野暮だった。
きっと梓は、留め金も含めてそのキーホルダーを大切にしてくれてるんだろうからな。
「もういいよ。
すっごく気持ち良かった。ありがとう、憂ちゃん」
言って、憂ちゃんに私の身体の上からどいてもらう。
「もういいんですか?」と首を傾げる憂ちゃんの頭を撫でて、
不敵に笑ってみせると、憂ちゃんも柔らかく笑ってくれた。
唯とよく似た幸せそうな表情。
でも、よく見ると唯とは違う表情。
やっぱり、唯は唯で、憂ちゃんは憂ちゃんなんだ。
顔は似てても中身は全然違うし、わざわざ唯を思い出して憂ちゃんと触れ合う必要もない。
何となくだけど、今日憂ちゃんとちょっとだけ触れ合えて、
これからは少しは緊張せずに憂ちゃんと付き合っていけるような気がした。
私は立ち上がり、軽くなった気がする身体で梓の隣に向かう。
そのまま梓の首に後ろから腕を回して、顔を近付けて言ってやった。
「憂ちゃんのマッサージ、気持ち良かったぞ。
そんなに溜息吐いてないでさ、後で梓もやってもらえよ。
憂ちゃんにマッサージしてもらえば、そんな気持ちも吹っ飛ぶぞ?」
「誰が溜息を吐かせてると思ってるんですか……。
それに私は別に憂にマッサージなんてしてもらわなくても……」
「梓もやってもらえばいいじゃんー。
憂のマッサージ、すっごく気持ち良いよ?
あっ、……んっ! 憂っ、そこっ! そこが気持ち良いよ……っ!」
そう言ったのは純ちゃんだった。
私が長椅子から身体をどかせた瞬間、
憂ちゃんの下に身体を滑り込ませて、マッサージを始めてもらっていたらしい。
はえーな、オイ。
まあ、純ちゃんの気持ちも分かるけどな。
憂ちゃんのマッサージは本気で病み付きになる。
純ちゃんが夢中になっちゃうのも仕方が無い事だろう。
「梓ちゃんも後でおいでよ。
梓ちゃんは今日も外回り組だったでしょ?
あんまり自信無いんだけど、少しでも梓ちゃんの疲れを落としてあげたいんだ。
私に出来るのって、それくらいだから……」
憂ちゃんが甘えたような視線を梓に向ける。
マッサージするのは憂ちゃんの方なのに、
マッサージをさせてほしいって梓にねだってるみたいだ。
何となく、その気持ちは分かる。
私が皆の為に何かをしてあげたいように、
憂ちゃんだって誰かに何かをしてあげたいんだろう。
特に憂ちゃんはこの世界を調査する側じゃなくて、
皆の帰りを待っている側だから、余計にそんな気持ちが増して来るに違いない。
梓もそれは分かってるらしく、
複雑そうな表情をしていたけど、でも、すぐには首を振らなかった。
憂ちゃんの気持ちは分かるけど、そこは譲れないって感じだった。
友達と密着するのを見られるのが恥ずかしいのかな、って私は一瞬思った。
その気持ちなら私も分からなくは無いしな。
でも、すぐに思い直した。
そうだ。もっと単純な理由があるじゃないか。
いつもの事だからすっかり忘れちゃってたけど、
本人にしてみればいつもの事で済ませられる事じゃないんだろう。
私は梓から身体を離して、「ごめんな」と頭を下げた。
私の突然の行動に、梓が不安そうな表情を浮かべて呟く。
「ど……、どうしたんですか、急に……?
私……、謝られるような事、律先輩にされてないですよ……?」
「いや、無理するなって、梓。
急にくっ付いたりして悪かったよ。
大丈夫か? 痛くなかったか……?
梓、おまえ、別に憂ちゃんのマッサージが嫌なわけじゃないんだろ?
日焼けが痛いから遠慮してただけなんだろ?
気付けなくてごめんな」
言った後、もう一度、梓に頭を下げる。
そうだよ。梓は日焼けしやすいんだ。
すぐに真っ黒になって、身体中がヒリヒリしちゃう体質なんだ。
今日だって外回りをしてたせいか、身体中普段より真っ黒になってる。
昔、日焼けした肌を澪に叩かれた時の痛さをまた思い出す。
あれ以来、日焼けしないように気を付けて、
今じゃあの痛さを味わう事も少なくなったけど、
梓は気を付けてもどうしようもない体質なんだよな。
日焼けってのは軽い火傷だって話を聞いた事もある。
火傷を負ってる時に、マッサージなんかされたい気分にはならないだろう。
それどころか、私に軽く腕を回されただけでも痛かったに違いない。
「そうなんだ……。
ごめんね、梓ちゃん……。私も気付けなくて……。
そうだよね、日焼けしてる時にマッサージなんかされたくないよね……」
憂ちゃんも申し訳なさそうに、
でも、梓に気を遣わせないように、苦笑を浮かべながら謝る。
梓が私と憂ちゃんの顔を交互に見ながら、焦った様子で胸の前で手を振りながら言う。
「い……、いいんだよ、憂。
憂の気持ち、すごく嬉しいんだから、それだけで十分だって。
私こそマッサージさせてあげらなくて、ごめんね……。
律先輩も、ちょっとくっ付かれるくらいなら、
少しくらい痛くたって私は別に……。くっ付いてくれても私は……」
最後の方の言葉は小声でよく聞こえなかった。
ちょっとくらいなら痛くないって事……だろうか?
でも、痛い事には違いないよな。
今度から、気を付ける事にしないといけない。
私はそれをよく肝に銘じ、決心して梓に伝える。
「とにかく、ごめんな、梓。
日焼けしてる時はくっ付くのは控えるよ。
日焼けした肌のあの痛さは、私もよーく分かってるからさ。
唯にも気を付けるよう伝えとく。
スキンシップが無くて寂しいかもしれないけど、それくらいは勘弁してくれよな。
え? 別に寂しくないってか? こりゃ失敬」
そうは言ってみたけど、
私はともかく、唯にくっ付かれないのは梓も寂しいはずだ。
そうだな……。唯が風呂から上がったら、
梓に抱き着いてもいいけど、出来る限り優しく抱き着け、って伝える事にしよう。
それくらいなら梓も許してくれるだろう。
私も梓とくっ付けないのは若干寂しいけど、それは夏が終わるまでの辛抱だな。
軽く視線を向けてみると、梓が寂しそうな表情になってる気がした。
やっぱり、唯に抱き着かれなくなるかもしれないのが寂しいんだろうな。
私は梓を安心させるために、梓の頭に軽く手を置いて微笑んだ。
「心配すんなって、梓ちゅわん。
唯って奴は、注意してたってつい梓に抱き着いちゃう奴だからな。
でもさ、出来る限りは優しく抱き着けとは言っとくよ。
痛いのはやっぱり勘弁だもんな。
その分、私は控えるし、唯の事はそれで許してやってくれよな」
そう言ってみても、梓は何処か浮かない顔だった。
何かが寂しくて仕方が無いって感じだ。
ひょっとして、私とくっ付けなくなるのが寂しいのか?
……なんてな。そりゃ無いか。
梓に嫌われてるとは思っちゃいないけど、
すごく好かれてるって思えるほど私は自信過剰じゃない。
まあ……、そうだな……。
大切な先輩ってくらいには思ってくれてると、嬉しいんだけどな……。
「そういや、梓」
梓の寂しそうな顔を吹き飛ばすため、
それと恥ずかしい事を考えちゃった私の照れ隠しのため、軽く話題を変えてみる。
梓は小さく微笑んで、首を傾げて私に訊ねた。
「何ですか、律先輩?」
「ムギはどうしたんだ?
一緒に寝る前の準備をしてたんじゃないのか?」
「あ、はい、ムギ先輩はですね、
すごくお疲れみたいで、もう寝られましたよ。
皆さんに挨拶をする気力も残ってないみたいで、
寝袋で横になってすぐに寝息を立ててらっしゃっていました。
よっぽどお疲れだったんでしょうね……。
そういえば、今日は律先輩がムギ先輩と外回りをされてましたよね。
ひょっとして、律先輩がムギ先輩に何か変な事したんじゃないですか?」
「おまえは私を何だと思ってるんだよ……。
変な事なんて別に……」
別に……。
そこで言葉が止まる。
別に私はムギに変な事をしてない。
変な事が起こったのは世界の方だ。
一瞬だけ見えた生き物の……、いちごと晶の姿が私の頭の中に浮かぶ。
気のせい……じゃないはずだ。
あの横断歩道前、確かにいちごと晶が肩を並べて歩いてた。
二人が知り合いだったのかどうかは分からないけど、
そんな事よりも二人の姿を確認出来た事が嬉しかった。
二人の姿が見えたって事は、二人は元気で過ごしてるって事でいいはずだ。
人類が滅びて、私達だけが取り残されたって可能性を消せるはずなんだ。
他の皆も、皆の家族も、聡も元気で生きてるって事になるはずなんだ。
そうなる……はずだ。
そうであって……ほしい。
「律先輩?」
梓が不安そうに私の顔を覗き込む。
私が何も言わなくなった事を不審に思ったんだろう。
首を傾げながら、梓が重々しく続ける。
「もしかして、本当にムギ先輩に何かしたんですか?
そういえば、律先輩、いつの間にか肘に怪我してるし、
ムギ先輩に何かしようとして突き飛ばされたとか……」
「おいおい、そんな……」
「そんな事無いよ、梓ちゃん」
私が自己弁護するより先に、そう言ってくれたのは憂ちゃんだった。
私を信用し切った顔で、笑ってくれている。
「律さんが紬さんにそんな事するはず無いよ。
だって、律さんは私達の軽音部を作ってくれた自慢の先輩なんだから。
お姉ちゃん達や私達の居場所を作ってくれた人なんだよ?
そんな律さんが紬さんに変な事するわけないよ」
まっすぐな瞳に見つめられ、私と梓は言葉を失ってしまう。
勿論、梓だって本気で私がムギに何かをしたとは思ってないはずだ。
ただ私が口ごもるのが不審だったから、カマを掛けてみただけなんだろうと思う。
でも、憂ちゃんに言われて、自分が失礼な事をしてしまったと気付いたらしい。
軽く私に頭を下げる。
「すみません、律先輩。
私ったら失礼な事を言ってしまったみたいで……」
「いいよ」と言って、私は梓の頭を撫でる。
別に怒ってるわけじゃないし、皆に秘密にしてる事があるのは私の方だ。
憂ちゃんに信頼してもらえるのは嬉しいけど、悪いのは私の方なんだ……。
それはとても辛かったけど、それをここに居る皆に伝えるわけにはいかなかった。
こんな状態で、皆にはっきりしない希望は持たせたくない。
それにしても、まさか憂ちゃんが真っ先に私を弁護してくれるとは思わなかった。
憂ちゃんはいつの間に私をこんなにも信頼してくれるようになったんだろう。
梓もそれは感じていたようで、私の耳元で軽く囁いた。
「律先輩……、憂と妙に仲が良くないですか……?
いえ、悪い事じゃないんですけど、
何だかいきなり急接近してるような気がして……」
その原因は私にも分からない。
ただ私も今日から急に憂ちゃんに親しみを持ててるような気がする。
朝に裸の付き合いをしたおかげなんだろうか?
何となく思い付いて、あの漫画の台詞を借りて言ってみる。
「それはひとえに湯の力ですよ、梓さん。
湯のある所に諍いは生じませんからね」
「何ですか、それ……。
確かに今朝、律先輩は憂とお風呂に入ってましたけど……」
「お、ローマのお風呂漫画の台詞じゃないですか。
律先輩も通ですね。
あっ、憂、もうちょっと下の方もお願い」
私達の会話が聞こえていたらしく、
マッサージされながら、純ちゃんが嬉しそうに言った。
純ちゃんも読んでたのか、あの風呂漫画……。
お兄さんが居るからかもしれないけど、
あのゲームのネタといい、純ちゃんも色々とマニアックだな……。
勿論、私に言えた事じゃないけどさ。
「それより律先輩、本当に肘の傷、大丈夫ですか?
皮が丸ごと捲れちゃってすごく痛そうなんですけど……」
不意に梓が私の肘を見て、心配そうに呟く。
確かに自分で見てても、すごく痛そうな怪我をしたもんだと思う。
まあ、痛そうなのは見た目だけで、実際はそんなに痛くないんだけどな。
こんな怪我より、あの時の怪我の方がずっと……。
………?
あれ?
私、そんな大怪我した事あったっけ?
昔から落ち着きの無い子って言われてきただけあって、
私は小さい頃から本当に色んな怪我をしてきた。
骨折だって何回かしたしな。
でも……、幸か不幸か、大怪我って言える怪我はした事が無かったはずだ。
じゃあ、あの時の怪我って何だ?
自分で思い付いた事なのに、何故か思い出せない。
夢の話……かな?
夢の中じゃ異世界で大冒険する事も多かったから、
それで負った怪我を思い出しただけなのかもしれない。
夢の中じゃ、何回か死んだ事あるしな。
怪我の事は激しくデジャヴって事で問題無いか。
「律先輩……?
どうしたんですか? やっぱり痛いんですか……?」
私が黙ってた事を不安に思ったらしい。
梓が心配そうに私の右の二の腕を左手で掴んだ。
患部には触れないように気を付けてくれてるんだろう。
私は大きく笑い、梓の左手に軽く触れて言ってやる。
「いんや。
実はすっげー怪我に見えるけど、大して痛くないんだよなー。
ムギにしっかり治療してもらえたし、
そもそも皮だけが見事に剥けちゃっただけみたいなんだよな。
我ながら上手く身を守れたもんだ。
田井中流護身術を甘く見るなよ!」
「変な自慢をしないで下さい。
何なんですか、その怪しげな護身術は……」
梓が呆れた視線を向けながら、微笑んでくれる。
また変な先輩だって思われたみたいだけど、それでもよかった。
はっきりしない夢の話なんかしても意味無いし、梓が笑ってくれるなら何だって嬉しい。
「そういえば律先輩?」
身体を起こして長椅子に座り直し、
憂ちゃんに肩を揉まれてる純ちゃんが私に訊ねる。
「結局、どうしてそんな怪我をしたんですか?
律先輩達は今日は自転車で行動してたみたいですけど、
自転車で転んだにしちゃ肘だけ怪我するってのも変な話ですし……。
まあ、そういう怪我もあるのかもしれませんけどね……」
言い終わってから、純ちゃんは首を傾げて私の方に視線を向けた。
その表情は私の事を心の底から心配してくれてるように見える。
飄々としてて掴みにくい所がある子だけど、やっぱり不安はあるんだと思う。
私と純ちゃんはものすごく仲が良いってわけでもないけど、
純ちゃんが怪我をしたとしたらすごく心配だし、
純ちゃんだって同じ様に思ってくれてるから、心配そうな顔を見せてくれるんだろう。
特にもう八人しか居ない仲間なんだしな……。
最終更新:2012年07月09日 22:24