「実はさ……」


私は純ちゃんの方を向きながら、最初だけちょっと深刻そうに呟いてみる。


「色々あってムギに抱き着いたら、そのまま二人して転んじゃったんだよなー。
勢いが強過ぎたみたいでさ、いやはやどうにも申し訳ない。
ちなみに『色々』が何なのかってのは乙女の秘密よ。
きゃはっ」


最後にはピースサインを見せて、とぼけてみせた。
純ちゃんと憂ちゃんがちょっと困った様に笑う。
梓も「何やってるんですか……」と呟きながら苦笑した。
うん。嘘は言ってない。
嘘は言ってないんだけど、やっぱり皆を誤魔化すのは結構辛い。
今は話せないけど、いつかその『色々』を皆に話せる時が来ればいいな。

不意に憂ちゃんが少しマッサージを止めて、目を伏せながら言った。


「でも、気を付けて下さいね、律さん。
律さんが怪我しちゃったら、皆、悲しいと思うんです。
お姉ちゃんも今まで何度か怪我した事があるんですけど、
その度に私、すっごく心配で、恐くて、不安で、悲しくて……。
澪さんだって、律さんが怪我したら、すごく心配だと思うんです。

ううん、絶対に心配なんですよ。
だって、さっきの夕食の時、
澪さんが律さんの肘を見ながら、すごく心配そうにしてましたし……」


唯の昔の怪我の事を思い出したのか、憂ちゃんの言葉はとても辛そうだった。
自分の怪我より誰かの怪我の方が辛い。
憂ちゃんはきっとそういう子なんだと思う。
澪……も形は違うけど、自分の怪我より誰かの怪我の方が苦手なんだよな。
痛い話が苦手だし、私が骨折した時にも泣いてたし、
唯がギターの弦で指をちょっと切った時も大袈裟に騒いでた。
そういう意味で澪は誰かの怪我に敏感な奴なんだ。

どうも憂ちゃんと比べると、
我が幼馴染みながら情けなくなるけど、それもそれで私の好きな澪の一面だ。
そこが嫌いだったら、こんなにも長い間、澪と付き合ってない。
高校だってきっと別の高校にしてた。
だから……、私は澪を大切に思うのと同じくらい、私を大切にしなきゃいけない。

私は重ねていた梓の手から自分の手を放し、憂ちゃんの肩に手を置いた。
まっすぐに憂ちゃんの瞳を見つめ、軽く頷く。


「うん、ごめん、憂ちゃん。
次からは気を付けるよ。澪をこれ以上心配させたくないもんな」


憂ちゃんは軽く微笑んで、
でも、少しだけ目の端を吊り上げて、口元に人差し指を当てた。


「めっ! ですよ、律さん。
そんな事言っちゃ、めっ! です。
律さんの事が心配なのは、澪さんだけじゃありませんよ。
私だって、お姉ちゃんだって、紬さんだって、純ちゃんだって、
和ちゃんだって、勿論、梓ちゃんだって、律さんの事が心配なんですから」


憂ちゃんのその言葉に純ちゃんは「うんうん」と頷いてくれたけど、
梓は私の二の腕から手を放し、「いや、私は別に……」と目を伏せて呟いた。
可愛げの無い後輩だけど、その頬は軽く赤く染まっていた。
どうも私の事が心配なわけじゃないんだけど、
面と向かって親友に自分の気持ちを言われちゃうと恥ずかしいらしい。

まあ……、気持ちは分かるかな。
唯の奴、勝手に私の気持ちを澪に代弁する事が結構あるんだけど、
あれは本当に恥ずかしいんだよな。
「りっちゃんも澪ちゃんの事が大好きだし!」とか真顔で言うんだよ、あいつ。
例え本当にそうでも、はっきり言われちゃうと素直になれなくなるっつーの。
しかも、更に腹立たしいのは、
あいつの代弁がその時の私の考えとぴったりな時が多い事だ。
エスパーか、おまえは。

いや、唯の事はともかくとして。
憂ちゃんの言葉は嬉しくて、申し訳なかった。
そうだな。私はもっと周りに目を向けなきゃいけないんだ。
もう一度、私は憂ちゃんに真剣な言葉を届ける。


「そうだよね。重ね重ねごめん、憂ちゃん。
私だって皆の事が心配なんだ。皆だって私が怪我したら心配だよな。
気を付けるよ。皆の事、悲しませたくないもんな。

ま、残念だけど、梓だけは私の事が心配じゃないみたいだけどさ」


わざとらしく肩を落として溜息を吐いてやる。
私のその演技には気付いてるらしく、梓が「はいはい」と肩を竦めた。
本気で生意気だな、こいつは……。
昔はあんなに「律先輩、律先輩」って懐いてくれたのに……。
うん、ごめん、それは嘘。
梓は昔から生意気な後輩で、あんまり懐いてもくれなかった。

でも……、昔から私の事をちゃんと見ていてくれて、
今も私に悪い事を言っちゃったんじゃないかって、不安そうな顔をしていて……。
そんな可愛げの無い梓が可愛くて、いつの間にか私は微笑んでいた。

また、その頭を軽く撫でてやる。
抱き着いた回数こそ唯には全然及ばないけど、
梓の頭を撫でた回数なら、多分私の方がずっと多い。
それくらい習慣になってる私と梓のコミュニケーション。
色々と素直になれない二人だけど、このやりとりだけはずっと変えずにいたいと思う。

数秒後、その手は梓に軽く払われる事になるわけだが。
まあ、これもこれで私達の普段のコミュニケーション。
お約束ってやつだ、多分。





純ちゃんのマッサージが終わった後、
布団の上に広げていたスーパーオールスターパックを席に運び直す。
四人で席に座ると、憂ちゃんがダージリンを給仕してくれた。
給仕役がよく似合うけど、新軽音部でも憂ちゃんが給仕してるんだろうか?
本人に訊くのも何だし、今度、梓に訊いてみる事にしよう。

ちなみに席に座ってる四人は、私、純ちゃん、梓、和だ。
私は元梓の席、和は元ムギの席、純ちゃんは元澪の席、梓は元私の席に座ってる。
勿論、残ってるのは元唯の席だ。
後で憂ちゃんがその席に座ったら、軽音部企画会議を始めようと思う。

そう。
わざわざ私が元私の席に座らずに、
元梓の席に座ってるのは、これから軽音部企画会議を始めるためなのだ!
やっぱり企画会議の時はこういう席割じゃないとな。
議題はまだ誰にも言ってないけどな!


「何をするつもりなの、律?」


梓が探し出してくれた地図に視線を落としながら、和が私に小さく訊ねた。
私は小さく溜息を吐いて、先に突っ込んでおく事にする。


「何をするつもりっつーか、
そっちこそ今まで何をしてたんだよ、和は……」


「何をって……、
地図を読んでいたんだけど?」


「知っとるわ!
私が憂ちゃんにマッサージをされてる時も、
皆と色んな話をしてる時も黙々と地図なんか読んでからに!
居ないのかって錯覚するくらいだったわ!
何つーか……、会話に入ってくれよ……」


私が言うと、和は真顔で首を傾げた。
私の言ってる事が意外で仕方が無いって様子だった。


「え? 会話に参加してよかったの?
律達、楽しそうだったから、邪魔しちゃ悪いなって思ってたんだけど。
私が軽音部の輪の中に入っちゃっていいものか分からなかったのよ」


「お気遣いありがとう、和……。
でも、和ももう身内みたいなもんなんだからさ、
遠慮せずにどんどん会話の中に入って来てくれよな」


「そうね……、ありがとう、律……。
私ももうちょっと遠慮をやめないといけないわね。
でも……」


「でも、何だよ?」


「貴方達が本当にいいチームに見えたのよ。
一人だけ先輩が混じってるなんて思えないくらい。
だから、ちょっと会話に入りにくかったのよね。
そうね……。
律がもしも留年してたら、今頃はこんな軽音部になってたのかしらね?」


「縁起でもない事を言うなよ……」


私はげっそりとして突っ込みながらも、実はちょっと驚いていた。
私が考えていた事をそのまま和が考えてくれていた事に。
実は私も和と同じ事を考えていたんだ。
この四人で軽音部をやれたら、どうなるんだろうって。
すっごく楽しそうだなって。

でも、それを頭の中で思うのと、口にするのでは全然違う。
それを言葉にしていいものか、本気で迷う。
そのための軽音部企画会議をしようと思ってたわけだけど、
それが三人の心を傷付ける事になるんじゃないかって不安になるんだ。


「軽音部かあ……」


ドーナツを口にしながら、純ちゃんが遠い目を浮かべる。
いつも明るい純ちゃんに似合わず、寂しそうな表情に思えた。


「ライブやりたかったよね、憂、梓。
そりゃ完璧ってわけじゃないけどさ、
それでも私達の曲を澪先輩達に聴いてもらいたかったー!
でも、流石にスミーレ達が居ないとなるとなー……。
ギターとベースだけってのもねー……。
せめて、ドラムが居ないと……。
今更ドラム打ち込みってのも味気無いし、あー、悔しい!」


「無茶言わないの、純。
周りがこんな状況で、そんな事言ってられないでしょ」


「何よー。梓はライブやりたくないのー?」


「そりゃ……、やれるもんならやりたいけど……」


純ちゃんが言うと、梓も悔しそうに目を伏せて呟いた。
そっか……。
やっぱり二人ともライブをやりたかったんだな……。
私だって、梓達の前でライブをやりたいしな……。


「私……、ドラムやろうかな……。
律さんや菫ちゃんのドラムを見てただけだからね
全然、自信無いけど、純ちゃん達の演奏が聴いてもらえるなら頑張ってみる!」


給仕を終えた憂ちゃんが決心した表情で元唯の席に座る。
憂ちゃんがドラム……。
呑み込みの早い憂ちゃんの事だ。
きっと少し練習しただけで、見事なドラム捌きを見せてくれる事だろう。
だけど、それは……。


「それは駄……」


「駄目だよ、憂!
憂はお姉ちゃんに練習した成果を見せるんでしょ?
ドラムでも一応の練習の成果にはなるけど、
やっぱり憂がこれまでわかばガールズでやって来た事を見せなきゃ意味が無いって!
そうでしょ?」


そう言ったのは純ちゃんだった。
私が言おうとした事を全部言われてしまった。
でも、それが嬉しい。
新軽音部……、『わかばガールズ』はちゃんと機能してるんだ。
お互いを思いやって、最善のために動けてるんだ。

視線を向けてみると、梓も嬉しそうに純ちゃん達を見つめていた。
部員達の繋がりを部長として嬉しく感じてるんだと思う。
部長ってのはこれだからやめられないんだよな。


「でも……、でもね、純ちゃん……。
私、やっぱりお姉ちゃん達に、私達の演奏を聴いてもらいたいよ……。
梓ちゃんも純ちゃんもそのために頑張って来たの知ってるから、だからね……」


憂ちゃんが複雑な表情で呟く。
純ちゃんが自分の事を気遣ってくれて嬉しいけど、
憂ちゃんにもどうしても譲れない所があるんだろう。
全員が全員の事を思ってて、だからこそ、譲れなくて……。

だから、私は決心した。
これ以上、後輩達に重荷を背負わせる必要は無い。
後は私が勇気を出せば済むだけの話だ。

私は席から立ち上がり、両手を掲げる。
わかばガールズのドラムの子(確か菫ちゃん)に、
心の中で謝ってから、高鳴る鼓動を抑えて力強く宣言してみせる。


「おっしゃ、話は聞かせてもらったぜ、わかばガールズの皆さん。
忘れてもらっちゃ困るぜ。
ここに放課後ティータイムの伝説的なドラムスが居るって事をな」


おどけた言い方をしてはいたけど、本当は緊張で息が詰まりそうだった。
そういう言い方しか出来なかった。
正直、余計なお世話なんじゃないかって気がしてる。
梓達はわかばガールズって新バンドでセッションをしたいんだ。
私達に練習の成果を聴かせたいんだ。
そこに私が参加してどうするんだって話だよ。
余計な上に邪魔者以外の何者でもない。
でも、私はわかばガールズを放ってはおけなくて……。
余計なお世話でも、力になりたくて……。
だから……。

しばらくの沈黙。
立ち上がった私に誰も何も言わない。
わかばガールズがライブをするって意味を分かってない。
そんな風に思われたのかもしれなかった。
私なんかが菫ちゃんの代わりになれるはずもない、とも思われてるのかもしれない。

思わず目を瞑る。
やってしまったのだろうか……。
傷付けてしまったんだろうか……。
わかばガールズのメンバーが揃ってないという事を実感させてしまったんだろうか……。

不意に、椅子が動く音がした。
恐る恐る目を開いてみると、梓がその場に立ち上がってるのが目に入った。
梓は真剣な顔をして、こう呟いた。


「え?
伝説的なドラムって誰でしたっけ?
和先輩でしたっけ?」


言い終わった後、梓が意地悪く微笑む。
からかわれたんだと気付き、私は梓に掴み掛ろうと腕を振り上げる。


「中野ー!」


一瞬、梓は日焼けしてるんだって事を思い出し、
掛ける技をチョークスリーパーからアイアンクローに変更する。
梓の頭を軽く掴み、手の中でクルクルと回してやった。


「ここに居るだろー。
放課後ティータイムのドラムスの田井中律さんがー!」


「いえ、律先輩が放課後ティータイムのドラムスって事は知ってますけど、
律先輩は普通のドラムスで、伝説的なドラムスではなかったはずなんですよね。
おかしいですね。
放課後ティータイムの伝説的なドラムスって誰なんでしょう?」


「中野あずにゃんこー!」


叫びながら、もう一度、梓の頭をクルクルと回してやる。
確かに伝説的なドラムスは言い過ぎだったかもしれんが、
そんな言い方をしなくてもよかろうが……。
だけど、私の心は落ち着いていた。
多分、私の緊張を感じてくれた梓が軽口を叩いてくれたんだと思う。
それが嬉しくて、高鳴っていた胸も治まって来ていた。

ちょっと思い付いて見回してみると、
純ちゃんも憂ちゃんも、和ですらも苦笑してるみたいだった。


「いいんですか?」


憂ちゃんが苦笑したまま、私に訊ねる。


「律さん、わかばガールズのドラムになってくれるんですか?」


その表情は苦笑を浮かべながら、申し訳なさそうに見えた。
ライブを見せるはずだった相手をバンドに参加してもらっていいのかな、って感じだ。
私は梓の頭から手を放して、小さく首を横に振った。


「ううん、違うよ、憂ちゃん。
私はわかばガールズのドラムスにはならない。
わかばガールズのドラムスは一人だけで、菫ちゃんって子だけだよ」


「え? それじゃ……」


「私は単なる助っ人だよ。
わかばガールズのメンバーの手助けのために来たお助けキャラの一人。
やっぱり、わかばガールズは正メンバーで演奏するべきだと思うんだ。
その時を私も楽しみにしてるしさ。
でも、いつになるか分からないその時を待ち続けるのも、お互いに辛いでしょ?
だから、それまでの今だけのコラボユニットってのは、どうかなって思うんだけど……」


「いいですねー、コラボユニット!」


思いの外、純ちゃんが楽しそうに言ってくれた。
私だって、考えるだけで楽しくなって来る。
コラボレーション。
思い付きで言ってみた事だけど、すごく悪くない気がした。
私は席に座り、人差し指を立てて言ってみる。


「これこそまさに炭水化物と炭水化物の夢のコラボレーション!」


「炭水化物ばかり食べてると太りますよ」


突っ込んだのはやっぱり梓だった。
確かにそうなんだが、そこは突っ込むなよな……。


「何だよ、梓はコラボに反対なのか?」


言いながら、不意に気付いた。
今朝、私は梓に放課後ティータイムの再結成をしようと伝えた。
それを忘れたみたいにコラボユニットを組むって言うなんて、虫が良過ぎただろうか?
不安を隠し切れず、梓の表情を覗き込んでみる。
再結成の事は決して忘れてないんだって思いも込めて……。


「いいえ。いいと思います、コラボユニット!
律先輩もたまにはいい事考えるじゃないですか!」


たまにはって何じゃいな……。
でも、梓が笑顔でそう言ってくれた事には安心出来た。
それに、コラボユニットを思い付けたのは、梓の軽口のおかげだった。
梓がドラムとは全く関係の無い和の名前を挙げてくれたおかげで、
関係無く見える物同士のコラボレーションってやつを思い付けたんだ。


「コラボユニットね。
それなら一つ提案があるんだけど……」


和が眼鏡を押し上げながら、口を開く。
今度はちゃんと私達の会話に入って来てくれたらしい。
それでこそ和だ。
むしろ、そうでないと困る。
これから和にも頑張ってもらう予定なんだからな。
まあ、とりあえずは和の提案を先に聞く事にしよう。


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最終更新:2012年07月09日 22:27