「それ以上は言わないでくれよ、律。
律が私に謝りたいって思ってくれるのは嬉しいけど、
私だって律に謝りたかったんだ。もっともっと謝りたいんだ。
でも、それは二人のためによくない事だって思うんだよ……。

だからさ、これでお相子って事にしないか?
私も律もお互いに謝りたいんだけど、
それを我慢する事がお互いへの本当の謝罪って事にしてさ。
それが一番いいって思うんだけど……、どうかな?」


言葉が出せなかった。
何だよ……、澪のくせに一番いい解決策出してくれやがって……。
一番先に怯えてたくせに、カッコいいじゃんかよ……。
いや、一番先に怯えてたからこそ、かな。
澪は弱い。怖がりだし、人見知りだし、すぐに逃げ出す。
でも、だからこそ、一番先に恐怖に向き合えるんだと思う。
特に澪は追い込まれてから実力を発揮する奴なんだ。
追い込まれてから、立ち直って、強くなるタイプなんだよな。

追い込まれると弱い私とは正反対だ。
普段こそ澪を引っ張ってる私だけど、
色んなピンチの時には澪に助けてもらってた。
どっちがいいって話じゃない。
そういうのが私達の長い付き合いの中で築き上げて来た私達の関係ってやつなんだと思う。

私はまた寝転がってから、静かな風に吹かれながら空を仰いだ。


「そっか……。そうだな……。
ごめ……、いや、ありがとな、澪……」


それ以上は何も言わなかった。
何も言えなかったし、何も言わない方がよかったんだろうと思う。
ただ、軽く手を伸ばすと、澪はその私の手に指を絡めてくれた。
澪と手を繋ぐなんて本当は恥ずかしいはずなのに、不思議とそんな事は感じなかった。
凄く自然に、子供の頃みたいに手を繋げた。
澪の手の温もりを感じる。
澪も私の手の温もりを感じてるはずだ。
多分、それでよかった。

また二人で言葉を止める。
今度は失ったわけじゃない。
何も言わない時間を過ごそうと思っただけだ。
静かな時間を澪と過ごしたかった。

どれくらい経っただろう。
風に吹かれ、
星空を見上げ、
お互いの体温が一体化する感覚に気づき始めた頃、
私は不意に澪とまた話したくなった。
夜空を見上げたまま話そうと口を開いた瞬間、
私の言葉は先に言われた澪の言葉に止められてしまった。
どうも二人とも同じ気持ちだったらしい。


「綺麗な夜空だよな……。本当に綺麗な……」


確かに綺麗な夜空だ。
でも、その夜空はもしかしたら……。
その思いは口には出来なかった。
私は躊躇いがちに頷いて、小さく呟いてみる。


「そうだな……、確かに綺麗だよな……」


「うん、綺麗だ。偽物かもしれない夜空でも……さ」


「……えっ?」


驚いた。
この世界が私達の世界とは違ってる事には気付いてるんだろうと思ってたけど、
まさかこの夜空を偽物って考える方が理に適ってる事にも気付いてるとは思ってなかった。
私は和の話からそう考えたわけだけど、澪はほとんど自力でその答えに至ったんだろう。
私は偽物かもしれない夜空から目を逸らさず、澪に訊ねる。


「偽物の夜空かもしれない……ってどういう事か訊いていいか、澪?」


「いいけどさ……。
でも、律だって気付いてるよな?
この世界の夜空、ううん、この世界自体が偽物かもしれないってさ。
さっき、律の反応を見て、気付いたよ。
嘘を言う時の声色だったし、手に汗も掻いてたから……。
分かるよ、律の嘘は……」


「マジかよっ?」


「ああ、長い付き合いのせいか、何となく分かるんだよ。
律の嘘なんて、私には簡単に見抜けるんだからな!
今度から嘘を吐く時は精々気を付けろよ。
まあ、嘘を吐いてたって、全部見抜いてやるけどな」


「何てこった……」


私は呻くみたいに呟く。
いや、澪に私の嘘が見抜かれやすいとは思ってたけど、まさかそこまでのレベルだったとは……。
嘘を言う時の声色……、ってそんなのがあるのかよ……。
今度、唯辺りにどんな声色か聞いてみようかな……。
いや、やめとこう。
下手に意識しちゃうと、変な癖が身に着いて余計に見抜かれちゃいそうだ……。

「だからさ」と妙に真剣な声色で澪が力強く言った。
とても懐かしい気がする澪の強い声だった。


「私に嘘を吐かないでくれよ、律。
嘘を吐かれても分かるし、嘘が分かっちゃうのも悲しいじゃないか。
だからさ……、嘘を吐かないでほしい。
その代わり、私も嘘を吐かないようにするからさ」


嘘を吐かないでほしい……か。
騙したり、からかったりする事こそ多かったけど、
澪に本当の意味の……自分の気持ちを悟られないための嘘を吐いた事はあんまり無い気がする。
だからこそ、澪には私の嘘が分かるし、嘘を吐かれると悲しいんだと思う。
私だって、澪に嘘を言われたら悲しい。
だったら……。


「分かったよ、澪……。
約束は出来ないけど、出来る限り嘘は吐かないようにする。
澪を悲しませるのは趣味じゃないし、バレバレの嘘を言うのもカッコ悪いしな」


「ああ、ありがとう、律……」


私が言うと、澪が私の手を強く握ってくれた。
私も強く握り返す。
嘘は悲しい。
嘘が必要な事もあるんだろうけど、
八人しか居ないこの閉ざされた世界で、嘘を吐きながら生きるのは私だって辛い。
だから……、せめて澪の前でだけは正直で居よう。

私はとても気が楽になった気がして、笑顔になって……、
でも、口元を引き締めて、訊かなきゃいかない事を訊く事にした。


「それで偽物かもしれない……、ってのはどういう事なんだ、澪?
いや、私もそう思ってなくはないんだけどさ、上手く説明出来ないんだよ。
だから、よかったら、澪の考えを聞かせてくれないか?」


「実はさ、律……。
皆には言えなかったんだけど、こんな事になって一番怖かった事がそれなんだ。
皆の姿が消えてしまったってだけなら、私もそこまで怖くないよ。
いや、怖い事は勿論怖いんだけどさ……。

でも、それより怖かったのは、
この世界そのものが得体の知れない何かなんだって気付いた事なんだ。
こんな事になって夜を迎えて、夜空を見てて気付いたんだよ。
ほら、律、見てくれるか?」


言って、澪が夜空を指差す。
何だか天体観測をしてるみたいだ。
私はつい軽い感じに訊ねてしまう。


「何だよ?
あれがデネブ、アルタイル、ベガってか?」


「違うって。
まあ、確かに今は夏の大三角の季節だけど……。
そうじゃなくてさ、山の近くに見えるあの端っこの方の星座を見てくれないか?
十字型のやつだよ」


「端っこの方の十字……?」


と言われても、満天過ぎてどれがどれやら分からない。
澪の指先を見つめて、どうにかその十字の星座を探してみる。
って、指先なんか見てても分かるわけないか。
私は自力で十字っぽく見える星を探す。

と。
急に澪が赤いフィルムをライトに巻いた懐中電灯を点けた。
そっか。
廊下に電気点けてないんだから、そりゃ澪も懐中電灯持ってるよな。
私は夜目でどうにか屋上まで来てみたけどな。


「赤い光……?」


「星を見る時は赤い光が眩しくなくていいんだよ。
昔、律の家族と私の家族で天体観測やった時、赤いライト使ってただろ?」


「そうだっけ?」


「まったく、律は……。
まあ、いいか。ほら、ライトなら分かるか?
この光の先にある星座だよ」


指先だと無理だったけど、
流石にライトで辿ってもらえれば私にだって分かる。
澪の照らす光の先には、確かに十字の星座らしきものがあった。
私は頷いてから訊ねる。


「ああ、あの星座な。
あの十字型の星座が何なんだ?」


「あの星座はみなみじゅうじ座……、俗に言う南十字星だよ」


「サザンクロス!」


「どうして英語で言い直す……」


「いや、何となくそんなイメージが……」


「言いたい事は分かるけどな。
確かにサザンクロスって名前の方が漫画とかじゃ有名かもしれないし」


「ご理解頂き、光栄です。
でも、その南十字星がどうしたんだ?
私だって南十字星くらいは知ってるんだが……」


「名前は知ってても、詳しくは知らないみたいだな、律。
普通はそうなのかもしれないけど、
実は南十字星にはあんまり知られてない事があるんだよ。
律……、南十字星は日本じゃ見えない星座なんだ」


「日本じゃ……見えない……?」


「正確には沖縄くらいかなり南の方なら見える星座なんだよ。
それも十二月から六月頃までならって話なんだ。
つまり、さ……」


うちの県は北の方じゃないけど、沖縄ほど南ってわけでもない。
しかも、今は八月……のはずだ。
なるほど、私にも澪の言いたい事がやっと分かった。
南十字星はどうやったってうちの県から見える星座じゃないんだ。
時期的にも全然合ってない。
閉ざされた世界の偽物の夜空……。
偽物の……世界……。

澪は溜息を軽く吐いてから、続ける。


「あれは間違いなく南十字星だと思う。
だったら、どうして南の方じゃないうちの県から見えるんだろう?
可能性は何個かある。

一つ目は、この世界は星の配置が私達の世界とは全然違う世界って可能性。
それなら説明は付くけど、生き物が存在しない理由には説明が付かなくなるよな?

なら、二つ目の可能性。
この世界は私達の世界から何億年も過ぎた未来の世界って可能性。
それなら多少星の配置が変わっててもおかしくないし、生き物が絶滅したって説明も出来る。
でも、そう考えるとやっぱり変だ。
何億年も未来の世界なら、私達の町がそのままの形で残ってるのはおかしいよ。
食料だって賞味期限も切れずに残ってるしさ。
だから、この可能性も無くなる。

その結果、私の辿り着いた可能性が……」


「偽物の夜空……ってわけだな」


「或いは偽物の世界……かな」


偽物の世界……。
和の言ってた事と大体同じだ。
この世界をちょっと調べれば分かる事だけど、やっぱりそういう事なんだろうか。
この世界は作られた電脳世界なのか、偽物の箱庭なのか、それとも誰かの夢なのか……。

澪が懐中電灯を消して、息詰まるような口振りで呟く


「偽物の世界の正体は私にも分からないよ、律。
私に分かったのはこの世界が偽物って事だけ。
でも、私にはそれだけで十分だった。
それだけで十分怖かったんだ……。

だから、偽物だって分かってても、家に閉じこもる事しか出来なかったよ。
誰に作られた世界だとしても……、
得体の知れない世界に生きる事がすっごく怖かったから……。
この世界にパパとママ……、ううん、他の誰でもいい……、
私達以外の誰かに助けてもらう事でしかどうにかなるって思えなかったんだ……」


吐き出されるような澪の苦しみ。
何とかしてやりたかったけど、私がそうするより先に澪は微笑みを見せていた。
やっぱり……、澪は追い込まれると強い。


「でも、そうしてるわけにもいかないって、和に説得されて思ったんだ。
皆が動いてるのに、私だけじっと誰かの助けを待つなんて、
何の意味も無いって、和と話をしてて思えたんだよ。
同時に恥ずかしくなったな、皆に迷惑を掛けてる事が。
だから、何も出来なくても、どうにかしたくなったんだ。
……また律達と笑って話したかったしさ」


そういう澪の表情は見惚れるくらい綺麗だった。
畜生、カッコいいな……。
残念だけど、この偽物の閉ざされた世界に関しては、私には何も出来そうに無い。
私に出来るのは、皆のフォローをする事だけだと思う。
この閉ざされた世界の中で、私達がどうなるのかは分からない。
でも、和と澪が居れば、きっといい形の答えが見つけられるはずだ。
その結果、例え元の世界に戻れなくたって……。

私も、笑ってみせる。
笑って、澪に言葉を届けてみせる。


「そういや、和はこの世界は誰かの夢じゃないかって言ってたよ。
誰かの夢で閉ざされた世界なんだって。
一緒に居た時間が長かったおかげか、澪も和も似た事を考えてたんだな」


「和が……?
そうなんだ……、誰かの夢……か。
うん、そういう考え方もあるよな。
だから、和は訊いて来たんだな、あの公園の樹の事を……」


「お、澪も訊かれたのか?
そりゃそうか、重要な事だもんな。
澪も憶えてるよな? あのでっかい樹の事」


「ああ、今日、和の手伝いで地面を掘って、
でも、何も見つからなくて、不安そうな表情の和に訊かれたよ。

樹の事は私も憶えてる。
忘れたくても律のせいで忘れられないよ。
律、あの樹から落ちて、人差し指折ったじゃないか。
あの有り得ない方向に曲がった指……、思い出すと今も……。

あああああああっ!
思い出したくない、思い出したくない……。

………。
……。
…。

と、とにかく、私もあの樹の事は憶えてる。
その調子だと律もあの樹の事を憶えてるみたいで安心したよ。
世界じゃなくて、私の記憶の方が偽物だったら嫌だもんな……」


「そりゃ私だって嫌だよ。
何もかも偽物でもさ、せめて記憶だけは本物であってほしいじゃん?
とは言っても、あんまりはっきり憶えてるわけじゃないんだけどな。
結構昔の話だし、澪が泣き叫んでた記憶しか無いな。
大体、私はどうして樹に登ってたんだ……?
なあ澪、何で私が樹に登ったのか、おまえは憶えてるか?」


「えっ?
律、憶えてないのか……?」


「うむ、全く憶えとらん!」


「自慢そうに言うなよ……。
そうだな……、私は憶えてるんだけど、律に教えていいもんなのかな……?」


「えー、いいじゃん、ケチ。
私と澪の大切な思い出だろー?」


「忘れてた奴が言う台詞じゃないだろ、それ……」


軽く溜息。
それから昔を懐かしむ表情を浮かべると、澪は穏やかに話し始めた。


「私のために登ってくれたんだよ、律は」


「澪の……ため……?」


「今でもよく憶えてるよ。
あの日、私は律と公園でボール遊びをしてたんだ。
それできっかけは忘れたんだけど、私がボールを暴投しちゃったんだよ。
そのボールがあの樹に引っ掛かって、それを取りに律が樹を登ってくれたんだ。

あの時は怖かったんだぞ?
私のせいでりっちゃんが死ぬ事になったらどうしよう、ってすっごい怖かった」


「いや、死なねーっつの。
たかが人差し指折ったくらいで」


「まあな……。
でも、小学生にとっては、骨折ってそれくらいの大惨事だろ?
それにさ、大した怪我じゃないって分かった時も、まだ怖かったんだ。
私のせいで骨折したわけだし、律に嫌われてたら嫌だって思ってたんだ。

だけど……、律は私を責めなかった。
むしろ骨折した事をステータスとして友達に自慢してたくらいだったしさ。
あの時はホッとしたな……」


「ふふふ……、澪に気を遣わせないように振る舞うとは、やるな、昔の私」


「単に皆に骨折を自慢したくて、私を責めるのを忘れてただけじゃないのか?」


……んー、まあ、多分そうなんだろうけどさ。
澪と話す内に少しずつ思い出して来た。
確かに私はボールを取りにあの樹を登った気がする。
澪の泣き声しか憶えてないから、その辺はすっかり忘れちゃってたな。
でも、澪の表情を見る限り、澪にとっては結構大切な思い出だったみたいだ。
私が忘れちゃってたのは、どうにも申し訳無い気がするな……。

私のその考えを読み取ったのか、澪が嬉しそうに言ってくれた。


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最終更新:2012年07月09日 22:43