「えっと……、ごめんね……。
私ったら全然気付かなくてさ……」


「いえ……。
私こそ年上の人をちゃん付けで呼びたいだなんて、
いきなり変な事を言ってしまってすみません……。
でも……」


途切れ途切れながら、憂ちゃんは自分の想いをはっきり口にしてくれた。
憂ちゃんからそんなに信頼されてるのは凄く嬉しい。
でも、何でだ……?
私はその答えが出せない。
自慢じゃないが、この数日でそんなに憂ちゃんと親しくなる何かがあったなんて思えない。
三年間、それなりの距離感を持って私達は付き合っていた。
友達の妹っていう難しい位置にいる憂ちゃん相手に私は少し戸惑ってて、
多分、憂ちゃんはそれを察して、私と丁度いい距離感で付き合ってくれてたと思う。
けど、今の憂ちゃんは私ともっと親しくなりたいと言ってくれてる。

失礼だと思うけど、私にはその理由が全然分からない。
はっきり言って、本気でお風呂以外に理由が見当たらなかった。
梓には冗談で言ってたんだけど、本気で湯の力が私達を近付けてくれたんだろうか?
そりゃ私だって、一緒に風呂に入ったおかげで若干親しくなれたとは思ってるんだけど……。

流石にその理由まで憂ちゃんに訊いちゃうわけにはいかない。
そんなの失礼過ぎるにも程がある。
だから、今度こそ私はちゃんと憂ちゃんの気持ちを考えなきゃいけない。
あの日の事をもっと思い出すんだ。
あの日、憂ちゃんと私の間に何があったのかを……。

裸の憂ちゃんと抱き合うような体勢になった……、ってのは違うよな。
憂ちゃんは本気で私の事を心配してくれてたし、
ムギの勘違いの事にも気付いてないみたいだった。
となると、あの日、私と憂ちゃんの間であった事と言えば一つしかない。


「ほうかごガールズ……?」


私が訊ねるみたいに口にすると、憂ちゃんの表情がパッと輝いた。
私達の様子を見ていた純ちゃんと和の様子も安心した感じになる。
嬉しそうに微笑みながら、憂ちゃんが話を続けてくれる。


「はい……!
あの日は言ってなかったんですけど……、
恥ずかしくて言い出せなかったんですけど……、
だから、今、言わせてもらいますね……。

律さんが新バンドの……、
ほうかごガールズの事を発案してくれて、私、とても嬉しかったんです。
これでお姉ちゃん達に私達の演奏を聴いてもらえるんだって思うと、凄く嬉しくて……。
それもそのバンドに和ちゃんまで参加してくれるなんて、本当、夢みたいです……!
今更ですけど、本当にありがとうございます!」


憂ちゃんは少しだけ興奮して言っていた。
憂ちゃんが興奮するなんて、よっぽどの事だった。
そうか……。
私は憂ちゃんにそんなに喜んでもらえる事を思い付いてたのか……。
正直、単なる勢いだけの思い付きが、憂ちゃんにそんなに喜んでもらえてたなんて思いもしなかった。

大体、それはわかばガールズのためだけに言い出した事じゃない。
何も出来てない自分が悔しくて、
それと私自身もわかばガールズの演奏が聴きたくて、
そんな下心もあって言い出した事なんだ。
不純な雑念や下心に溢れた勢いだけの発案なんだ。
それがこんなに喜んでもらえてるなんて、何だか申し訳ないけど……。
でも……。

それは口にしないでいい事だと思った。
始まりや理由は何であれ、憂ちゃんはそれを嬉しいと思ってくれた。
私の事を信頼してくれたんだ。
だったら、言いだしっぺとしての責任を取るのが、私のせめてもの罪滅ぼしだ。
私はいつも勢いだけの自分に呆れながら、
でも、ちょっとだけ感心しながら、憂ちゃんの目をまっすぐに見つめた。
今度は変な気負いもなく正面から見つめられた。


「ほうかごガールズの事……、
憂ちゃんにそんな喜んでもらえてたなんて、私も嬉しいよ。
ごめんね、すぐに気付けなくってさ……。

その分、私、皆の演奏をしっかり支えるよ。
部活に力を入れてるわかばガールズの演奏に匹敵出来るかは分かんないけど、頑張る。
だから……」


私は正直な想いを口にした。
頑張ろう。
わかばガールズの完璧な演奏を手助けするために、精一杯頑張ろう……!
そんな真剣な想いを込めていたけど、何故だかその言葉は純ちゃんに苦笑された。
持っていたベースを軽くかき鳴らしてから、純ちゃんが私に言った。


「違いますよ、律先輩。
ここはアレですよ?
「頑張る」じゃなくて、「一緒に頑張ろう」って言う所ですよ?
だって、私達、もう同じバンドのメンバーじゃないですか。
もう仲間なんですから、他人行儀な言い方は無しにしましょうよ。
仲間で一丸になって、澪先輩達にすっごい演奏を聴かせてあげましょうよ!」


言い終わった後、流石の純ちゃんでも照れ臭かったんだろう。
頬を少し赤く染めながら、照れ隠しなのかピースサインを見せた。
仲間……か。
言われてみれば、そうだった。
助っ人のつもりだったから自覚は無かったけど、助っ人でも仲間は仲間なんだ。
もう他人行儀な考え方をするのはやめよう。
期間限定だけど、私の新しいバンドとして、全身全霊で皆と演奏するんだ!


「分かったよ、純ちゃん。勿論、憂ちゃんも。
私、自分の事を助っ人だからって、軽く考えてたかもしれない。
でも、それじゃいけなかったんだ。
助っ人だろうが何だろうが、
メンバー全員が気持ちを一つにしなきゃ、いい演奏なんて出来ないよな。
だから……、一緒に頑張ろうぜ!」


私が手を挙げて宣言すると、憂ちゃん達も笑顔で手を挙げてくれた。
まだライブをする前に、この事に気付けて本当によかった。
単なる助っ人ってだけの気分だったら、いい演奏なんて出来なかったかもしれない。
それに気付かせてくれた皆には本当に感謝したい。
和が私のその様子を見て、静かに微笑みながら言った。


「久し振りに聞いたわね、律の『ぜ』って語尾。
私の前じゃたまに出してたけど、憂達の前じゃあんまり出してなかったでしょ?
律も憂達の前じゃ照れてたのかしら?」


「うおーい!
そこは気付いても黙っててくれよ、和ー……!」


和に言われなくても、そこは私も自覚してた。
憂ちゃんと純ちゃんの前じゃ、ちょっと口調変えちゃうんだよな、私。
二人が嫌いってわけじゃなくて、
年下に素の自分を見せるのはやっぱり恥ずかしかったんだと思う。
いや、梓は除くけどな。
でも、ぎこちなくても、少しずつそういうのはなくしていこう。
私達はもう仲間なんだから。

私は照れ隠しのために、憂ちゃんに微笑みかけて言ってみる。


「って事で、それは置いといてとにかく……、
憂ちゃんは遠慮なく私の事をりっちゃんって呼んでくれていいぞ!
何だったら律って呼び捨てにしてくれても構わないからさ!」


私の言葉に憂ちゃんが嬉しそうにしながらも、軽く頭を下げて返した。


「ありがとうございます、律さん。
りっちゃんって呼ぶのを許してくれて、私、嬉しいです。
でも……、やっぱりまだしばらくは律さんってお呼びしますね。
りっちゃんで呼ぶのは、まだちょっと恥ずかしくて……。
でもいつか……、いつか必ずりっちゃんって呼ばせてもらいますね……!」


「そっか……。うん、いいよ。
その時を楽しみに待ってる。
こういうのは強制で呼ばせるようなもんじゃないしさ」


「自分で話を盛り上げておいてすみません、律さん……。
あ、そうだ!
律さんの方こそ、私の事、『憂』って呼び捨てで呼んで下さい。
律さんが梓ちゃんを呼び捨てで呼ぶの、いいなって思ってたんです」


私が憂ちゃんの事を呼び捨てに……?
『憂』って……?
うわ、それは想像してなかった。どうしよう……。
私がその答えを出すより先に、純ちゃんが憂ちゃんの話に乗っかった。


「あ、それいいなー、憂。
ねえ、律先輩、私の事も『純』って呼び捨てで呼んで下さいよ。
後輩を名前で呼び捨てる関係なんてカッコいいじゃないですか!
さあさあ、遠慮なく!」


ノリノリだー!
一応、私が純ちゃんを呼び捨てにする光景を想像してみる。
憂ちゃんを呼び捨てにするよりは想像しやすかったけど、
やっぱり純ちゃんを呼び捨てにするのも恥ずかしい。
呼び方を変えるってのは、難しいよな……。
漫画みたいに親しくなったらいつの間にか呼び捨ててるって事は無いぞ、マジで。
私は照れ笑いを浮かべて、頬を掻きながら純ちゃん達に言う。


「機会があればな!
いきなり呼び捨てってのはちょっと……ね。
その内、そう呼ぶからさ!」


私の言葉に純ちゃんと憂ちゃんは残念そうな顔をしたけど、すぐに納得してくれた。
自分達も簡単には私の事をりっちゃんって呼べない気持ちがあるみたいで、
私の気持ちを分かってくれたみたいだ。
その内……、ってのは、勿論その場しのぎの嘘じゃない。
今はまだ恥ずかしいけど、皆でライブをした頃には、少しは呼びやすくなってるはずだ。
その頃には、新しい呼び方で呼び合える仲になっててほしいと思う。
呼びたい、と思う。

でも、それはまだもうちょっとだけ先の話だ。
私はスティックを掲げると、私の新しい仲間達に向けて宣言してみせる。


「よっしゃ。
仲間同士の親交も大切だけど、練習だって同じくらい大切だ。
そろそろ練習しようぜ!
期限があるわけじゃないけど、出来るだけ早く澪達にライブをみせてやりたいからな!」


私の言葉に、「はいっ!」、「そうですね!」、「分かったわ」と三者三様の返事が上がる。
皆の返事は嬉しかったけど、同時に私は突っ込みを待っていた。
多分、あいつからの突っ込みが来るはずだって思ってた。
このパターンならあいつから、
「普段は練習しようなんて言わないのに、今日はやけに張り切ってますね」って突っ込みが来るはずだ。
そう思ってた。

だけど、あいつからの……、梓からの生意気な突っ込みは来なかった。
梓は私の言葉をまるで聴いてないみたいに、音楽室の壁を見つめながらぼんやりしていた。


「おーい、梓ー?
練習だぞー? おまえがいつもやりがってる練習だぞー?」


ちょっと声を張り上げてみるけど、梓は全く反応しなかった。
そういや、梓はさっきまでの会話にも全然参加してなかったよな。
私と憂ちゃんの会話には参加しそうなもんなんだけどな……。
何か悩み事でもあるんだろうか……。
何だか心配になる。
でも、大事だって騒いじゃうのも、梓に悪い気がするしな……。

どうしようかな……。
何個か解決策を考えてみたけど、私らしい最適な答えは一つしか見つからなかった。
我ながらひどい解決策だなって思う。
でも、それが一番だ思ったから、私は少し深呼吸してから意を決して立ち上がった。
壁を見つめている梓にゆっくりと近付いていく。

手を伸ばせば届く距離。
そんな距離にまで近付いても、梓は私の行動に気付いてないみたいだった。
小さく溜息を吐いてから、私は梓に手を伸ばして……、
成長してる気がしないでもないその梓の控え目な胸を鷲掴み、耳元で囁いてやった。



「あーずーさちゃん?」


「にゃっ!?」


梓があだ名通りの猫みたいな悲鳴を上げる。
やっぱ効果抜群だな。
ぼんやりしてる澪によくやる技なんだけど、澪の奴もこの私の技には弱い。
ほぼ確実に反応して、その後に「聞こえてるよ!」って言いながら殴り掛かって来る。
聞こえてるなら反応しようぜ……。

梓の奴も多分、殴り掛かって来るはずだ。
前に澪のコスプレ……、じゃないか。
とにかく澪の真似をさせようとした時、
こいつ、「律、うるさい!」って言いながら本気で殴り掛かって来たからな……。
あれは痛かった……。

ただ殴られるだけってのも悔しいから、
私は鷲掴んだ胸を揉んでやろうと少し手を動かそうとして……、気付いた。
あれ……?
も……、揉めん……。
ブラジャーの硬い感触だけが手に伝わってきて、どうにも揉みようがない……。
梓……、胸が成長してるように見えたのは私の気のせいだったのか……。
つーか、ブラジャーのサイズだけ大きくしてるんじゃないのか?
サイズが合ってない気がするんだが……。

瞬間、私は途轍もなく悲しくなった。
まさか梓……、自分の成長を信じてサイズの大きいブラジャーを買ったのか?
フィッティングもせずに……?
やめてくれ……。
人の事を言えない立場なだけに悲しくなってくる……。

だけど、今はそんな事はどうでもよかった。
いつまで経っても、梓の拳が私の脳天を襲わない事の方が気になった。
本気で心配になって来て、手を梓の胸から離しておずおずと訊ねてみる。


「おい、梓……?
おまえ、大丈夫か? 熱でもあるのか?
調子が悪いんだったら、早めに昼飯作ってやるから、食べて休んでいいんだぞ……?」


「あ……、はい……。
いえ、えっと……、大丈夫です……。
考え事してただけなんで……、
その……、返事しなくてすみませんでした……」


梓が元気無く呟く。
そして、大きな溜息。
胸を揉んだ私の行動がとても間抜けに思えて来る。
私が間抜けなのは全然構わないんだけど、
その間抜けさに今の梓を巻き込んでしまうのは、ひどく申し訳ない気がした。

私、間違っちゃったのか?
私の思い付きの行動が失敗する事は多いけど、今回も失敗だったのか?
梓の調子を取り戻そうとしてやった事は、完全に失敗だったってのか?

それを梓に訊ねたかったけど、本人に訊く事じゃないってのも分かってた。
私は無理して笑ってから、梓の肩を軽く叩いた。
どうしよう……。
梓に嫌われちゃってたら、どうしよう……。
思わずそんな事を考えちゃってる自分に気付く。

当然だけど、梓だろうと誰だろうと、誰かに嫌われるのはどんな時だって嫌だ。
嫌に決まってるじゃないか。
でも、閉ざされた世界に来てから、私は誰かに嫌われるのがすごく怖くなってる気がする。
皆、親しい仲間達だし、残されたのは私達の八人だけなんだ。
たったそれだけしか居ないのに、そんな数少ない仲間に嫌われるなんて、絶対に嫌だ……!

様子がおかしいはずの梓にすら、私の顔色が悪い事を気付かれちゃったんだろう。
梓が心配そうな顔を向けて、私に言ってくれた。


「どうしたんですか、律先輩?
これから練習するんですよね?
ぼんやりしててすみませんでした。
私はもう大丈夫ですから、練習しましょう?」


悩んでる梓に何で気を遣わせちゃってるんだよ、私は……。
私は自分の情けなさと臆病さに呆れながら、どうにか掠れた声を絞り出す。


「あ、ああ……。
今日は初めてほうかごガールズで合わせる日だからな……。
しっかり頑張れよ、梓。
それと……、えっと……」


「何ですか?」


梓が首を傾げて私に訊ねる。
その顔にはもう微笑みが戻っていた。
梓の悩みはひょっとしたらそれほど深い悩みじゃなかったのかもしれない。
私が勝手に怖がっちゃってるだけかもしれない。
だけど、梓に嫌われた可能性がほんの少しでもあるって思うと、
私は震えてしまう自分の心を押し留められなかった。

本当は「ごめんな」って言おうと思ってた。
「調子に乗って胸を揉んだりして悪かった」って言いたかった。
でも、流石にそれはやめておいた。
それは完全な私の自己満足だからだ。
梓に「気にしてませんよ」って言ってもらって、安心するための謝罪なんだ。
それが分かるくらいには、私の頭は悪くないつもりだ。

だから、私は深呼吸して、軽く笑って見せた。
もし今の行動で梓に嫌われたんだったら、他の所でフォローしよう。
本当に謝らなきゃいけない時はあると思うけど、
自分の不安を消すためだけに謝るなんて、しちゃいけない事だ。
「何でもない。練習、頑張れよ」と私が言うと、「律先輩も」と梓が返した。

むったんを持って、梓が音楽室の中央に向かう。
私は大きく深呼吸をしてから、さっきまで座っていたドラムに向かって歩いていく。
純ちゃん達が梓に心配そうな声を掛け、「大丈夫だよ」と梓が微笑むのを横目に見る。
少しだけ安心しながら、私は相棒のドラムの椅子に座った。

相棒のドラム……。
ほうかごガールズを組んでから、メンバーで分担して運んだ私の黄色いドラムだ。
わかばガールズのライブの後で演奏出来るように、実家に置いておいたんだよな。

菫ちゃんのドラムを借りるって選択肢もあったけど、私はそうはしなかった。
純ちゃんは「スミーレは気にしないと思いますよ」って言ってくれた。
でも、それは遠慮しておいた。
わかばガールズのドラマーは菫ちゃんで、
菫ちゃんのドラムは菫ちゃんだけの物なんだ。
後からしゃしゃり出た私がその居場所を奪っちゃいけないんだ。
例え今後一生会う事が出来ないとしたって、それだけはやっちゃいけない。

まあ、菫ちゃんのドラムが身長の高い人用のドラムだった、ってのもあるけどさ。
話にはちょっと聞いてたけど、でけーな、菫ちゃん……。
梓に見せてもらった写真で見ても、梓より頭一個は確実に大きかったし……。
勿論、ドラムをセッティングし直す事も出来るんだけど、やっぱりそれは駄目なんだ。
私だって自分のドラムを勝手にセッティングし直されたら、
流石に怒りはしないけど、どうも気分悪いもんな……。


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最終更新:2012年07月09日 22:56