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私が何も言わない事が気になったんだろう。
純ちゃんのモコモコを手放すと、梓が軽く咳払いをした。
それから、妙に真剣な視線を私に向ける。


「耳コピとか何とかは置いておくとしましてですね、律先輩……」


「な、何だよ……?」


「律先輩、気付いてます?
律先輩は私の事、自分に翼を与えてくれた天使だって言ってくれましたよね……?
恥ずかしいですけど、それは嬉しいです……。

でも、ちょっと考えてみてくれませんか?
私が律先輩に心の翼を贈った天使だとしたら、
今、私に心の翼を贈ろうとしてくれてる律先輩も、天使って事になりませんか?」


「はあっ?」


思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
さっき誰かに天使って呼ばれる事なんて無いだろうって思ってただけに、余計に恥ずかしさが込み上げて来る。
でも、一応理に適ってる言葉だけに、梓に何かを言い返す事も出来ない。
誰かに救いを求めて周りを見回してみると、純ちゃんと視線が合った。
純ちゃんは頷き、私に助け船を出すように言ってくれた。


「いいじゃない、梓!
律先輩は梓に心の翼をくれる天使!
二人とも天使なんだよ!
梓もいい事言うじゃん!」


って、うおーいっ!
助け舟じゃなかったー!
自分が先にやった事ながら、天使って呼ばれるのはあまりにも恥ずかしい。
私のその恥ずかしさを分かってるはずなのに、悪戯っぽく和が純ちゃんの言葉に頷いた。


「そうね、素敵な考え方だと思うわ。
放課後ティータイムのメンバーは全員天使って事でいいじゃない。
律も天使って考え方、私は妥当だと思うわよ」


ひでえ……。
滅多打ちの火だるまだ……。
しかも、天使、天使って言われるから、思わず自分が天使の恰好をしてる姿を思い浮かべてしまった。
白い衣を纏って、頭に光輪を浮かべ、背中には荘厳な雰囲気の翼が……。
って、超似合わねー!
おかしーし! 超おかしーし!

私はつい頭を抱えて悶えてしまう。
いくら何でも、我ながらこれはあまりにも酷過ぎる……。
気が付けば、多分、私と同じ事を考えてるんだろう梓が口元に手を当てて笑っていた。


「律天使……、ぷっ!」


「中野アズキャットー!」


私は梓に掴み掛かろうとしたけど、すぐに思い直して梓の頭を掴んだ。
日焼けしてる梓を痛がらせるわけにはいかないからな……。
でも、せめて私の恥ずかしさくらいは思い知れ!
私は梓の頭を存分にクルクルと回し、私の恥ずかしさを思い知らせてやった。

だけど、よかったよな……。
こんな軽口を叩けるくらいなら、梓の緊張も少しずつ解けてきてはいるんだろう。
完全にちゃんと歌えるようになるまではもう少し時間が掛かるだろうけど、それは仕方が無い。
努力家の梓を安心させられるのは、積み重ねた練習だけだ。
梓が自分を信じられるようになるまで、思う存分練習に付き合おう。
梓に嫌われたわけでもなかったみたいだし、しっかり付き合わなきゃな。

胸に湧き上がる安心感。
皆、一緒に笑う。
幸せだ。
こんな世界でだって、皆で一緒に笑えられれば幸せだ。
八人がずっと一緒に笑えるんなら……。

でも。
皆で笑いながら、練習をしながら、気付く。
梓に嫌われてなかったのはとても嬉しい。
凄く嬉しい。
だからこそ、思った。
もしも本当に梓に嫌われてしまったら、私はどうなってしまうんだろう。
梓だけじゃない。
唯でも、澪でも、ムギでも、憂ちゃんでも、純ちゃんでも、和でも……。
残された八人の中の一人でも失われてしまったら、私達はどうなっちゃうんだろう……。

考えても仕方が無い事だって、分かってる。
でも、幸せだからこそ、
私は胸に湧き上がる不安感を忘れる事が出来なかった。





「これで全部だったよね?」


「多分なー。ま、足りない物があったら、また取りに行きゃいいだろ」


「うわっ、りっちゃん適当だー」


「うっせ。
だったら、今この場でリュックサック開けて中身確認するか?」


「勘弁してであります、りっちゃん隊長!」


「分かればよい、唯隊員。今後も精進せい」


「は、光栄であります!」


私が隊長っぽく言ってやると、唯が敬礼みたいなポーズを取った。
敬礼はいいんだが、何でドイツ式敬礼なんだよ……。
いや、ドイツ式敬礼ともちょっと違うか。
つーか、唯の奴、こういうポーズ取る事多いよな。
癖なのか?
まあ、いいや。

閉ざされた世界に迷い込んで二十日目。
私は久し振りに唯と二人きりで食糧調達に出ていた。
とっくに夏休みも終わってる時期だってのに、妙にまだまだ暑苦しい。
単に残暑が厳しいだけなのか、
それともこの世界を夢見てる誰かが夏の世界しか想像出来てないのか、
そのどちらなのかは分からない。
まあ、別にどっちでもよかったし、
どっちか分かった所で涼しくなるってわけでもないだろう。

それにしても、唯と一緒に食糧調達に出るのは本当に久し振りだ。
生き物の姿が消えてしまって以来、唯は誰よりも憂ちゃんの傍に居ようとしてた。
憂ちゃんの事が心配なのかなって思ったけど、そうじゃないみたいだった。
勿論、唯自身が不安だから、憂ちゃんに付き纏ってるってわけでもない。
見る限り、単純に里帰りで実家に居る妹に会えて嬉しいってだけみたいだ。
しょっちゅう連絡を取り合ってるはずなのに、
やっぱりずっと一緒に住んでるのと比べれば雲泥の差なんだろう。
私だって、実家に戻った時は必要以上に聡に構っちゃったもんな。

聡の奴、しばらく会わない内にかなり身長が伸びてた。
どんどん男らしくなってて、びっくりするくらいだ。
きっと、いつの間にか私よりずっと背が高くなっちゃうんだろう。
何か悔しい。
私だってもっとおっきくなってやりたい。
……けど、年齢的にどうなんだろう……。
いやいや、希望を捨てちゃ駄目だ。
絶対におっきくなってやるぞ!
胸の話じゃなくて身長の話な!


「今日の夕飯、何だろねー?」


お気楽な感じに唯が微笑む。
こんな状況になったってのに、唯はまだまだ変わらず元気だ。
凄い奴だなって思う。
唯だって不安や恐怖を感じてないわけじゃないだろう。
でも、こいつは笑うんだ。
笑えてるのは憂ちゃんや和が傍に居るからだと思う。
二人に依存してるって話じゃない。
二人を不安にさせないために、唯は笑うんだ。
普段通りの姿を憂ちゃんと和に見せるんだと思う。
唯の奴がそこまで考えてるのかどうかは微妙な所だけどさ。


「さあなー? 何だろなー?
今日は澪が夕食の当番だし、カレーにでもするんじゃないか?
あいつ、結構カレーが好きだからな。
まあ、甘口だろうけどさ」


「私、甘口好きだよ?」


「私だって嫌いじゃないけど、たまには中辛も食べたいっつーの。
『カレーのちライス』の歌詞でもあるけど、
あいつにとっちゃ中辛はかなりの挑戦なんだよなー……」


「私も中辛はあんまり食べないなあ……」


「何だよ、女の子ぶるなっつーの。
カレーってのは辛いからカレーなんだぜ?」


「それ駄洒落だよ、りっちゃん……」


「ははっ、まあな。
それより最近どうだ? 練習は上手くいってるのか?」


「もちろ……、何の話?」


唯がわざとらしく視線を逸らす。
ちっ。
さり気無く話題を変えてみたが、引っ掛からなかったか。
あ、こいつ目を逸らしながら口笛吹いてやがる。
唯のくせに口笛吹けるなんて生意気な。
私ですら吹けないっつーのに……。
つーか、口笛って本気でどうやって吹くんだよ。

って、口笛の事はどうでもよかった。
唯の奴、この調子だと白状しそうにないな……。
前に澪は私達で勝手に楽しそうな事を始めるって言っていた。
間違いなく、私達の後でライブをやるんだろうなって思う。
軽音部なんだから、他にやる楽しそうな事も無さそうだしな。

最近、唯と澪とムギは三人で集まって、軽音部の部室に集まってる事が多い。
聴いた事が無い曲が聞こえてくる事も結構ある。
私達ほうかごガールズはそれを聞かなかった事にしてる。
ちょっと聞こえても、すぐ忘れるように努力もしてるんだ。
こいつらがサプライズでライブをしたいってんなら、その邪魔はしたくないからな。

だけど、その練習の達成状況くらいは知りたかった。
時間だけは無駄にあった事も手伝って、私達の演奏はもうほぼ完成してる。
和のピアノの上達は凄く早かったし、
梓の歌も上手いってほどじゃないけど、人に聴かせられるレベルにはなってきた。
私だってブランクは完全に埋められたと思う。

でも、だからと言って、勝手にライブを開催しちゃうわけにもいかない。
こっちが完璧な演奏を聴かせたいように、
唯達だって私達に完璧な演奏を聴かせたいのは間違いないんだから。
お互いに最高のライブをやってやりたいじゃないか。

でもなあ……、唯達はサプライズのつもりだろうからなあ……。
練習がどれくらい進んでるか教えてくれるわけないんだよなあ……。
前に唯が「サプライズを考えてるんだよ!」って宣言してたから、
サプライズライブは絶対に間違いないんだけどさ。
つーか、内容が何だろうと、
サプライズを宣言しちゃったら既にサプライズじゃないだろう、唯よ……。
まあ、唯にとっちゃ、サプライズの内容が分からなきゃサプライズなんだろうな。

だから、結局は探り合いをしなきゃいけない。
澪やムギは口が固いから、探りを入れるのは必然的に唯になる。
でも、こいつも結構強情なんだよな。
何だかんだと梓には『天使にふれたよ!』を隠し通せたわけだし。
うーん……、どうしたものか……。

私が腕を組んで首を傾げてると、話を誤魔化すためか唯が急に言った。


「そうそう、りっちゃん。
憂の様子はどう?
最近、憂が素っ気無い気がするんだよねー……。
今日も食糧調達に誘ったのに、断られちゃったし……。
どうしよう……、反抗期なのかなあ……?」


その言葉には誤魔化しもあったんだろうけど、本音も混じってるみたいだった。
ちょっと寂しそうな視線を見る限り、本気で私に訊ねたかった事なんだろう。
正直、憂ちゃんの様子に関しては、私も気になってはいた。
勝手な印象だけど、唯と憂ちゃんは四六時中くっ付いてる姉妹ってイメージがある。
それは二人を知る誰もがそう思ってる事のはずだ。

だけど、最近の憂ちゃんの様子と印象は違っていた。
唯からは近付こうとしてるのに、
憂ちゃんは普段の笑顔でそれをかわしていた。
唯の言葉通りなら、今日だって唯の誘いを断ってたみたいだし……。
何か普段とは違う気がするんだよな。

でも、反抗期って事は無いと思う。
一緒にこそ居ないけど、憂ちゃんの口から出るのは唯の話ばかりだ。
憂ちゃんは本当に幸せそうな顔で、唯の話ばかりしてる。
だから、唯が心配する必要は無いはずなんだ。

私は唯の頭に手を置いて、軽く撫でてやる。
唯の不安そうな視線が少しだけ緩んだ。


「心配すんなって、唯。
おまえと一緒に居ない時、憂ちゃんはおまえの話ばかりしてるよ。
音楽を始めてお姉ちゃんって本当に凄かったんだって思いましたって、
お姉ちゃんにみたいに音楽をもっと好きになりたいって、本当に幸せそうに話してる。
だから、心配するな。憂ちゃんはおまえの事が大好きだよ」


「そっか……。そうだよね」


やけにあっさりと唯が頷く。
ただし、ちょっとだけ自信なさげに。
私はもう一度、唯の頭を撫でる。


「そうだよ。
憂ちゃんが素っ気無く見えるのは、実は唯の方が素っ気無いからじゃないか?
サプライズで何かするって言ってたけど、その内容を憂ちゃんにも内緒にしてるだろ?
だから、憂ちゃんが寂しがってる……とかな」


「うーん……、でもー……。
サプライズはサプライズだし……、でもでもー……」


唯が戸惑った表情で呟き始める。
ちょっと意地悪し過ぎたかもしれない。
私は心の中で唯に謝ってから、満面だと思う笑顔を唯に向けて言った。


「いいさ、待つよ、唯達のサプライズ。
まだ……、準備中なんだろ?
こっちも焦り過ぎちゃってたみたいだ。
ごめんな、唯」


「あっ、ううん……。
こっちこそごめんね、りっちゃん……。
もうちょっと……、もうちょっとなんだ……。
完成したら、すぐりっちゃん達に報告するね。
だから……、それまで待っててくれる……?」


「了解だ。待つよ。
ただ急げよ、唯?
もたもたしてると、私達のライブの完成度がどんどん凄い事になっちゃうんだからな!」


「ええぅ!?
い、いいよ! こっちだって負けないもんね!」


「その意気やよし!」


私が笑うと、唯も笑った。
そうだ。焦りたいけど、焦っちゃいけない。
そんなの満足いくライブには絶対に繋がらない。
唯がもう少しって言ったんだ。私はそれを信じて待とう。
この世界で八人で笑って生きてくためにも。。


「それでさ、唯……」


「お姉ちゃーんっ!」


私が何かを言おうと言葉を出した瞬間、
その声は憂ちゃんの大きな声に掻き消された。
話をしている内に、私達はいつの間にか学校まで戻って来ていたらしい。
別に何か大した事を言おうと思ったわけじゃない。
私は苦笑して、声がした方向に視線を向ける。
視線を向けた先では、憂ちゃんと純ちゃんが私達の方に駆けて来るのが見えた。

途端、リュックの中身が相当重いはずなのに、
そんな事お構い無しに、唯が手を伸ばしながら憂ちゃんに向けて駆け出した。


「憂ーっ!」


あっという間に傍にまで駆け寄り、
憂ちゃんの手を両手で握ってから唯が続ける。


「ごめんよ、憂!
もうちょっと! もうちょっとだからね!
もうちょっとだけ待っててね!」


おいおい、いきなりそれじゃ分からんだろ……。
いくら何でも憂ちゃんだって、困った表情を浮かべて……ないな。
憂ちゃんは普段通り優しく微笑んで、唯の手を握り返していた。


「分かったよ、お姉ちゃん!
私、待ってるね!」


「ありがと、憂ー!」


すげえ、会話が成立してる……。
流石の憂ちゃんでも、
唯が何の事を「待って」って言ってるのかは分かってないはずだ。
でも、憂ちゃんは待つ事に決めたんだ。
唯が「待って」と言う事なら、どれだけだって待つ気なんだ。

凄い信頼関係だと思う。
私と聡も仲がいい姉弟だと思うけど、唯達には全然敵わないよ。
憂ちゃんはやっぱり反抗期なんかじゃない。
何か理由があって唯とちょっと距離を置いてるだけなんだ。

憂ちゃんが穏やかな笑顔を浮かべたまま、唯に向けて続けた。


「それよりお姉ちゃん、
澪さんと紬さんが部室で待ってるよ。
そろそろ待ち合わせの時間なんじゃない?」


憂ちゃんに言われ、唯が右手に嵌めた腕時計を見る。
生き物が居なくなって以来、私達は普段使わない腕時計を嵌めている。
電気が通ってないから、正確な時間が分かりにくいんだよな。
携帯電話の充電もしてないし……。
と言うか、右利きが右手に腕時計嵌めんなよな……。
別に左手じゃなきゃいけない決まりも無いんだけどさ。


「あーっ、本当だーっ!
急がなきゃ! また澪ちゃんに叱られちゃう……!」


憂ちゃんの手を離して駆け出そうとして、唯が一瞬止まる。
名残惜しそうに憂ちゃんの顔を見つめている。
自分が憂ちゃんに嫌われてないらしい事は分かってくれたみたいだけど、
それでも仲のいい妹と離れるのを躊躇っちゃってるらしい。
親友と妹……、どっちを選ぶべきか迷ってるんだ。

でも、憂ちゃんは普段通り笑って言ったんだ。


「ほらほら、お姉ちゃん。
リュックサックは私が運んでおくから、早く澪さん達の所に行ってあげて。
澪さん達、お姉ちゃんの事、今か今かと待ってると思うよ?」


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最終更新:2012年07月09日 23:11