そういや、それも気になってた事だ。
さっき私は妙な事を言ったつもりはないのに、何故か梓は嬉しそうに微笑んでいた。
その理由が分からない。
普段ふざけてる時ならともかく、今回ばかりは笑える所は無かったはずなんだが……。
私が首を傾げていると、梓が少し肩をすくめながら、頬を少し赤く染めて続けた。
肩をすくめて頬を染めるなんて、
何だか矛盾した行動のように見えるけど、多分、その二つが両立出来る理由があるんだろう。


「気付いてなかったんですか?
律先輩、さっき唯先輩の事、
「皆のために一生懸命になり過ぎるのはあいつのいい所だけど」って言ってましたよね?」


「……言ったな。ああ、確かに言った気がする。
それがどうしたんだよ?」


「それ、唯先輩だけじゃなくて、律先輩もですよ?
ご自分じゃ気付いてないかもしれませんけど」


「えっ……」


思わず言葉に詰まった。
私が皆のために一生懸命になり過ぎてる?
そりゃ何度か言われた事はあるけど、自分でそう思った事は一度も無い。
私はただ、皆で笑って遊びたいだけで……。
私は自分の顔が熱くなるのを感じる。
自分の言った言葉がそのまま自分に返って来るなんて、そんなに恥ずかしい事無いじゃんか……。
梓はその私の表情に気付いてないのか、いや、多分気付いててそのまま言葉を続ける。


「それに「ずっとそんな調子じゃ、あっという間に疲れちゃう」って所もですね。
律先輩、頑張り過ぎだと思います。
今だけじゃありません。
今回の風が吹く前、学校に住んでた時もですよ。
律先輩、ほうかごガールズでの活動以外に家事も頑張って下さってましたし、
私達の練習を秘密にするために、澪先輩達と会議もしててくれたみたいじゃないですか。
頑張り過ぎですよ、律先輩……。
私達も嬉しいですけど、そんなに頑張り過ぎちゃ潰れちゃいますよ……。
だから……」


「でも……、でも、私は……。
私は私達が生きていくために、憂ちゃん達を……!」


言った後で後悔した。
言ってしまった、と思った。
言わなきゃいけない事だったけど、まだもう少し後で言うべき事だった。
少なくとも、こんな精神状態で言っちゃう事じゃない。
もっと梓の辛い気持ちを知ってから、それを受け止めてから、謝りたかったのに……!

って……、謝る……?
私は謝りたかったのか?
自分の選択の是非の判断より何より先に、自分のした事を謝りたかったのか?
自分で自分の気持ちが分からなくなった。
自分の事なのに、自分の気持ちが遠くにあり過ぎて理解出来ない。

と。
笑顔を真剣な表情に変えて、梓が私の両手を胸の前に持って来て握った。
包み込むように握ってから言ってくれた。


「頑張らないで下さい、とは言いません。
皆、頑張ってるんです。
唯先輩も、澪先輩も、ムギ先輩も、……私だって。
でも、頑張り過ぎないで下さいよ……。
頑張り過ぎて、潰れてしまう律先輩なんて、見たくないです。
見たくないんですよ……」


「だけど、私は和を……。
おまえの親友まで……」


「私……、律先輩の選択が間違ってたとは思ってません。
昨日、律先輩が選んでくれた道は、最善だったって……、私、思います。
純達の事を考えると悲しいし、辛いですけど、でも……。
それでよかったんだと……、思います……」


意外な言葉だった。
梓がそこまで考えてくれているなんて思わなかった。
私の選択肢は最善だったんだろうか?
勿論、最善だと思ったから昨日はそうしたわけだけど、
今日になって不安と喪失感が増して来たのも確かだったんだ。
自分の選んだ道に自信が持てなくなってしまったんだ。
だから、凄く……、凄く怖かったんだ……。
私は三人を見捨てたんじゃないかって。
見殺しにしちゃったんじゃないか……って……。
私が三人を殺……し……。

考えるだけで震えが止まらない。
梓の目の前だってのに、色んな感情が混じっちゃって頭痛や吐き気が私を襲って……。
でも、その震えは梓が私の手を強く握る事で止めてくれた。
まっすぐな視線と、まっすぐな言葉で止めてくれたんだ。


「律先輩が選んだ事……、後悔しないでほしいんですよ……。
それを信じた澪先輩達のためにも、私のためにも……。
唯先輩も……、律先輩の事を悪く言ってませんでしたよ?
「昨日はりっちゃんに迷惑掛けちゃったね」って言ってました。
だから……、私のお願いを聞くって意味でも、後悔はしないでほしいんです……。
純、憂、和先輩じゃなくて、皆で生きていく事を選んだんですから。
律先輩も、私も……、それを選んだんですから……!」


後悔をしちゃいけない。
前に進まなきゃいけない。
私はそれを選んだ。
皆にそれを選んでもらった。
だったら……、迷ってちゃ、駄目なんだよな……。
残された物を……、残された仲間を……、全力で守らなきゃいけないんだ……。
それがきっと私のしなきゃいけない事なんだ……!

私はまっすぐに梓に視線を向ける。
真正面から見つめ合う。
そして、私の手を握ってくれていた梓の手を離してもらうと、
梓の頭を抱えて、あくまで日焼けが痛まないように私の胸の中に軽く飛び込ませる。
軽く梓の肩に手を置いて、なけなしの力を振り絞って言ってみせる。


「ああ……、分かったよ、梓……。
やってやる……。やってやりたい……って思う。
私が選んだんだもんな。
弱音なんか吐いてても、どうしようもないよな。
そんな事してる方が、和、憂ちゃん、純ちゃんに悪いよな……。

……守るよ、絶対。
何があったって、おまえ達だけは絶対に守ってやる……。
それだけが私が和達に出来るたった一つの事なんだな……!」


「……はいっ!
でも、無理だけはしないで下さいよ?
私だって、皆さんを守りたいんですからね!」


私の胸の中で梓が頷いて言った。
守ろう、と思った。
せめて残された四人だけは全力で守らなきゃ、消えてしまった三人に申し訳なさ過ぎる。
ムギだって、唯だって、澪だって、梓だって、私がこの身に代えても守るんだ。
選んだ道を貫いて、前に進む事だけが私に出来る事なんだ。
もう……、迷っちゃいけないんだ……!

そうやって、私はその使命感に持てた。
使命感を持たせてくれたのが嬉しかった。
梓は私の選択肢を最善だと言ってくれた。
その道を進む事こそが私に出来る事なんだって自覚させてくれた。
今言うのも変だけど、私は幸せだった。
驚くくらい成長した梓に支えられて、一緒に歩いていけるのが。
同じ道を進んでいけるのが、幸せで泣き出したいくらいに。
きっと梓と一緒なら、これからも突き進んでいけるはずだ。

安心。
だけど、同時に不安感。
梓と一緒に居るのは幸せだ。
梓と一緒に居れば、どんな困難でも笑顔で乗り越えていけそうな気だってする。
何だって乗り越えられる。
それは私だけが感じてる事じゃない。
梓だってそう感じてるんだって、私には確信出来る。

梓と……、皆と一緒に居る。
その気持ちとその想いとその願いには嘘は無い。
ずっと皆と一緒に居たい。
また一陣の風が吹いたって、皆で一緒に居てみせる。
そのために私達は前に進むんだ!

なのに……。
どうして私はその事に不安を感じちゃうんだろう……。
こんなに幸せなのに、こんなに安心出来てるのに、どうして……。





食糧と調理器具、あとカチューシャを何個か鞄に詰めて、私と梓は帰路に着いた。
最初の頃は店から何かを取って行くのに罪悪感があったはずなのに、
今じゃ何の躊躇いもなく手に取って、簡単に持ち帰れるようになって来た。
正直、自分のこの変化はよろしくないなって思う。
まあ、仕方が無いっちゃ仕方が無いんだけどさ。
もしこの世界が夢じゃなくて現実で、
人の姿が戻って来たら、その時は何も言わずにレジにお金を置いて店から出て行こう……。
うん……、他に説明しようも無いし……。

人の姿と言えば、この世界について、梓が興味深い事を言っていた。
今日の午前、唯が言った事らしいんだけど、
唯はこの世界が現実の世界じゃなくて、誰かの夢なんじゃないかって話をしてたらしい。
私は唯とその話をした事は無い。
この世界が誰かの夢だって疑ってるのは、私と澪と和だけのはずだ。
和は唯にはそれを伝えてないみたいだったし、
澪も私以外にそんな曖昧な話をする事は無いはずだ。
となると、唯は自分の力だけでその推論に辿り着いたってわけか?

唯ってそんなに物事を深く考える奴だったっけ?
私がそう考えてるのが丸分かりだったんだろう。
梓が苦笑しながら私の疑問に答えてくれた。
唯が言うには、この世界は今まで生き物が存在していた世界とは音が違うらしい。
反響……、空気の振動……、音波……、とにかく、音。
上手く説明出来ないけど、その音が全然違うんだそうだ。
絶対音感を持ってるからなのか、
人と違う感性を持ってるからなのか、唯はその違和感に気付いてるんだそうだ。
澪辺りの言葉なら笑っちゃう所だけど、唯の言葉なら無視は出来ない。
唯には間違いなく人と違う感性と耳を持ってる。
その唯が言うんだから、この閉ざされた世界の音は元の世界と全然違うんだろう。

それが何を意味するのか?
当然だけど、この世界が生き物が消えたってだけの世界なら、音の質その物が変わる事なんて無い。
それでも、音の質が現実には変わってる、
って事は、世界自体が元の世界とは全然違ってるって事になるよな。
だから、唯はこの世界が現実の世界じゃないって気付いたんだろう。
その正体が夢か、妄想か、仮想世界なのかはともかくとして、
この世界は単に生き物の姿が消えたってだけの世界じゃないのは確かなんだ。
それが何を意味してるのかは、私にはまだ分からない。
大体、この閉ざされた世界の謎が解けた所で、元の世界に戻れるかどうかも分かってないしな。

でも、私達と全く違う方向性から唯は一つの仮定を組み立てた……。
凄いな、と思う。
当然だけど、私が考えてるのと同じ様に、唯だって考えてる。
誰だって、これからの自分達がマシになるように、精一杯考えてる。
私と梓は未来に向かって突き進んでいく事を考えた。
唯とムギは過去を大切にする事を考えてると思う。
そして、澪は現在、自分に出来る事を精一杯やるって事を考えてる。
選択肢はバラバラだ。
だけど、皆、幸せになるために生きてる事だけは間違いない。

唯達の選択肢は大切にしたいと思う。
私は私達の生き方を強要したいとは考えてない。
そんな事はしちゃいけない。
でも、私は私の生き方を貫く。
誰に何を言われたって、それがこれからに大切な事だって思うから。

ホテルの部屋に戻った時、残っていた三人は私達を笑顔で迎えてくれた。
勿論、完全な笑顔じゃない。
不安や怯えの色も大きい曖昧な笑顔。
だけど、とにもかくにも、私達は笑顔だった。
これからどうなるのか、どう出来るのかは分からなくて、不安ばかりだ。
でも、笑う事だけはやめちゃいけない。
それだけは確かなはずだ。

そうして笑顔のままで居たかったけど、
それより先に私は真面目な顔になって、唯とムギに謝った。
泣いている二人を慰められなかった事。
気を回してあげられなかった事。
和、憂ちゃん、純ちゃんよりも、残された皆を大切にしてしまった事。
色んな事を謝った。謝らなきゃ前に進めないと思った。
これから前に進むために、それはしなきゃいけない事だった。
皆を守り切るために……。

唯達から責められるのを覚悟してたけど、二人とも私を責めなかった。
悲しそうな表情だったけど、二人で頷いてくれた。
色々悩んで、納得いかない事も多いはずだけど、私の想いを感じ取ってくれたんだと思う。
部員に恵まれてるよな、私は……。
こんな私なのに……。

唯達が責めなかった代わりに、澪が私を責める事になった。
いや、責めるってのは言い過ぎか。
諭す……って感じで、澪は苦笑しながら私の頭を軽く小突いた。
「そういう言葉を昨日言えてれば、立派な部長だったんだけどな」って。
それは確かにそうだった。
私は昨日、この想いを正直に皆の前で伝えるべきだったんだ。
突然の事に動揺してるくらいだったら、まっすぐに答えを届けりゃよかったんだ。
そうすれば、唯とムギをこんなに悲しませる事も無かったんだから……。

でも、とりあえずは、どうにか私の想いを皆に届けられた。
梓に後押ししてもらって、何とか前に進む事が出来た。
この世界で生きていく事も、これで出来る……はずだ。

結局、唯達が憂ちゃん達を捜す事を、私は止めなかった。
この世界で生きていくための準備だけ優先してくれれば、
後は各自の自由に過ごすべきだってのも、私の正直な気持ちだった。
私は皆を守るための準備をする。
何の問題も無く生きていけるために、出来る限りの準備をしておく。
唯やムギは消えてしまった三人を捜す。
梓と澪も自分に出来る何かをするだろう。
てんでバラバラだけど、それが私の選んだ道なんだ。
でこぼこな私達が、上手く噛み合って生きてくってのはそういう事だと思う。

そうして、私達はどうにか笑顔になった。
誰からともなく、手を繋ぎ、皆の体温を感じ合った。
強く強く、皆と一緒に居られる事を感じる。
せめて残されたこの五人だけはずっと一緒に居たい。
居るんだ、何が起こったって……。

皆でずっと一緒に居る事。
それが私が一番やりたい事なんだ。
何があったって、絶対に……。

私はそう思ってた。
心の底からそう思ってたんだ。
梓と話をして以来、どんどん膨らむ不安からずっと目を逸らしながら。
皆と離れ離れになる事だけは絶対にしちゃいけないんだって思いながら。
多分……、偽りの笑顔を浮かべて。




「ロンドンってやっぱり日本より寒いね」


少しだけ厚着をしたムギと一緒に、私はロンドンの街に繰り出していた。
ホテルに置いてあった誰かの自転車を借りて、肩を並べて二人で走る。
ちなみにロープが絡まないよう気を付けてゆっくり走ってる。
ロンドンに転移して三日、事態は何も変わってなかった。
まあ、変わりようが無いとも言うけど。
生き物が居ない事以外、ロンドンの街には何の変哲も無いわけだしな。
結局、私達に出来るのは今日もロンドンの街を探索して回る事だけだ。


「確かにちょっと寒いかもなー。
冬ってほど寒いわけじゃないけどさ。
半袖だと寒い、長袖だと暑い。ぴったりなのは七分袖ってか?
あー、中途半端でイライラするよなー!」


私が軽く叫ぶとムギが楽しそうに笑った。
理由はどうであれ、ムギの笑顔が見られるのは嬉しい。
私が自分の想いを皆に告げて以来、私は意識してムギと一緒に行動するようになっていた。
これまでムギを不安させちゃってたのは、私が原因なんだ。
その不安をどうにか少しでも和らげてあげたかった。
ムギを不安させてたってのは、ロンドンに来てからって話じゃない。
日本で人が消えてからって話でもない。
もっともっと前……、ムギと出会ってから、私はムギを不安させてたんだと思う。

出会ってから、ムギは変わったと思う。
最初は取っつきにくかったけど、そんなムギも今じゃ人懐っこい可愛らしい子になった。
どっちがムギの本当の姿なのかは分かんないけど、いい方に変わったんだって私は思いたい。
とにかく、そうして、ムギは私達の大切な仲間になった。
大切な仲間になったけど、まだまだ私の想いが足りなかった気がする。
ムギは控え目で、私達がはしゃいでるのを楽しそうに見てる子だけど、
たまには私達と一緒にはしゃぎたい事も多かったんだと思う。
でも、性格からそれも上手く出来なくて、
一人だけ自分が残されてるんじゃないかって思ってしまった事も、一度や二度じゃないはずだ。

だから、少しでもムギの傍に居ようって思った。
不安を振り払ってあげられるかは分からない。
ただ、ムギだって私達の大切な仲間なんだって事は、どうにか伝えたかったんだ。

ムギは今、笑ってくれてる。
不安の色も混ざってる笑顔だけど、笑ってくれてる。
とりあえず、今はそれでいい。
でも、最終的には不安が一つも無い笑顔を浮かべさせてあげたい。


「あっ……、ほら、りっちゃん、見て見て!」


不意にムギが自転車を停めて、顔を上げて視線を向ける。
私も自転車を停め、ムギの視線を辿ってみる。
ムギの視線の先には、回転寿司屋があった。
複雑で単純な事情から、私達が演奏する事になったあの回転寿司屋だ。
色んな意味で懐かしい……。
何であんな事になったんだろうな、あの時……。
つか、澪も英語で何言ってるのか分かってるんだったら、
どうにかあのデカい店員さんに説明してくれりゃいいのに……。
まあ、もういい思い出だけどな。

そういや、本当はマキちゃん達が演奏やるんだったんだよな。
あの時は深く考えなかったけど、マキちゃん、英語出来るって事か?
スゲーな……。
ワールドワイドだぜ、ラブクライシス……。


「大変だったよなー、あの時……」


苦笑しながらムギに言うと、ムギも困った顔して笑った。
でも、楽しそうな笑顔でもあった。


「そうだね……、大変だったよね……。
でも、私は楽しかったな……。
りっちゃんは楽しくなかった……?」


「私か?
うん……、私も楽しかった……かな?」


「ふふっ、どうして疑問系なの?」


「いや、楽しかったんだけどさー……、
もう一度あの雰囲気で演奏しろってのは勘弁なんだよなー……。
怖かったもん、あのデカい店員さん……。
勿論、それ以外は楽しかったんだけどな」


私が肩をすくめると、ムギが口元に手を当ててまた笑った。
釣られて私も一緒になって笑う。
うん、楽しかったよな、あの時は……。
思い出すと楽しくてつい笑っちゃうよ。


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最終更新:2012年07月09日 23:37