アットウィキロゴ
でも、思った。
私が過去を思い出して笑っちゃってるって事に。
悪い事じゃないって思う。
でも、笑っちゃっていいのか、不安になった。
私は未来に進む事を決心した。
皆と一緒に居るために、突き進んでいく事を決めたんだ。
過去を切り捨ててまで……。
失った大切な仲間達を犠牲にしてまで……。
そんな私が……、過去を思い出して笑顔になっちゃっていいんだろうか……?

その答えが出るより先に、ムギが静かに呟いた。
誰に聞かせるわけでもないみたいな、独り言みたいな呟きだった。


「また……、皆で演奏したいな……」


呟いた後、はっとしたみたいにムギが自分の口元に手を当てた。
まずい事を言っちゃったって思ったんだろう。
今、そんな事をしてる場合じゃないって、そう思ったんだろうな。
確かにそんな事をしてる場合じゃない。
今の私達は自分達が生きてく事を最優先に考えるべきなんだ。
……けど。
私だってムギと同じ気持ちだった。
私とムギだけじゃなく、皆、同じ気持ちだと思う。
私達は軽音部で、音楽が大好きなんだ。聴くのも演奏するのも大好きなんだ。
過去がどうのってのはともかく、皆で演奏したいって気持ちだけは、否定したくない。
気が付けば、私はムギの頭に手を伸ばしていた。


「演奏……、また皆でしたいよな……」


言いながら、ムギの頭を撫でる。
演奏したい。
演奏してやりたい。
特に今の私は不完全燃焼なんだ。
ライブ寸前、あの一陣の風のせいで、私達は練習の成果を披露出来なかった。
そんなに上手い演奏にはならなかったかもしれないけど、演奏自体出来ないよりはずっとマシだった。
だから、すごく悔しくて、不完全燃焼だ。
出来る物なら、今すぐにでも演奏してやりたい。

ムギが意外そうな表情で私の顔を見て、
しばらくしてから、真顔になって「うんっ!」と頷いた。
私達は軽音部なんだ。
何も出来なくたって、不安に押し潰されそうだって、音楽だけは捨てたくない。


「だけど……ね……」


ちょっと悲しそうにムギが呟き始めた。
ムギが何を言おうとしてるのか分かったけど、私は黙ってムギの言葉の続きを聞く事にした。
ムギが続ける。


「楽器が……無いんだよね……」


辛そうに呟く。
やっぱりそうなんだなって思う。
私だって同じだ。
唯や澪ほどじゃないにしろ、自分の楽器には愛着があるし、今手元に無い事が辛い。
ムギだって卒業旅行の時に日本から自分のキーボードを送ってもらうくらいだったんだ。
自分のキーボードが無い事を辛く思ってるのは間違いない。

胸の痛みを感じる。
でも、私は前に進むって決めたから、ムギの頭を撫でながら言ったんだ。
ムギを傷付けるかもとは思ったけど、言っておくべきだって思ったんだ。


「ムギ……、楽器屋、行こうぜ……。
新しい相棒を探しにさ……。
今日はもう遅いから、その内、時間が出来た時にでも……さ。
それでまた演奏してやるんだよ。
な?」


ムギが私の言葉に視線を彷徨わせる。
そうするべきだって想いと、そうしたくないって二つの想いが戦ってるんだろう。
どっちが正しいのかは分からないし、多分、どっちも正しいんだろう。
でも、私は未来に進むのを選んだんだから、新しい相棒を探す事を選びたかったんだ。

結局、ムギは頷きも首を横に振りもしなかった。
迷ってるんだ、きっと。
でも、それでよかった。
私は未来に進むけど、ムギには迷って自分の答えを見つけ出してほしい。
そうやってムギが出した答えなら、私だって素直に受け止められると思う。

そうして、私達は色んな迷いや想いを抱えながら、
食糧や日用品をリュックに詰めてホテルに戻った。
複雑な表情を浮かべてたムギだけど、帰り道ではまた笑顔を見せてくれるようになった。
色んな想いを抱いて、迷いながらも、笑顔になる事を選択したんだろう。
私はそんなムギを支えていけたら嬉しいって思った。

そこまでは、私も笑えてた。
そこまでは……。
でも、それから、その私の笑顔は、
ホテルの部屋に戻って、長く失われる事になる。
長い長い間、笑う事が出来なくなる。
笑えるもんかよ……。

きっかけはホテルに戻って、
部屋の扉を開いた時に目にしたものだった。
ムギと一緒に重い荷物を持って階段を上って、
ちょっと疲れながらも元気な声を出して扉を開く。


「おいーっす。戻ったぞー」


扉を開いた先には一人の女の子が立っていた。
結ぶには少し短めの髪をポニーテールにした女の子……。
憂……ちゃん……?
私の胸が息苦しいほどに鼓動を始める。
憂ちゃんなのか?
憂ちゃんもロンドンまで飛ばされていたのか?
他の二人も元気なのか?
だったら嬉しい。だったら嬉しい……けど……。
何なんだよ、この不安感は……。
喜ぶより先に私の胸が鼓動し続ける。
これは違うって胸の奥が叫びを上げる。
こんな事があるはずがないって、私の心の声が大声で主張する。

そうだ、ありえない。
こんな事は……、ありえない……。
これは……、これは、つまり……。


「あっ、お帰りなさい」


言いながら、女の子が振り向く。
憂ちゃんの顔の女の子……。
その顔には赤いアンダーリムの眼鏡が掛けられていて……。
和の物と同じ眼鏡が……。

息を呑んだ。
声が出ない。出せない。
これはどういう事だ……?
当然、転移の失敗で憂ちゃんと和が融合しちゃったとか、
馬鹿みたいなわけの分からない陳腐な展開ではありえない。
もっともっともっともっと単純な理由だ。
でも、転移の失敗って陳腐な理由の方が、ずっと良かったかもしれない。

そうだ。ちょっと考えれば分かる事だ。
扉の向こう、髪を結んで眼鏡を掛けた女の子は……。
間違いない。
もう見分けがつくくらい、こいつの顔は見慣れてる。
そう。
こいつは私達のよく知ってる仲間……。

唯なんだって事だ。




何が起こったかはすぐ理解出来なかった。
正直、時間が止まった。
動き出せない。
息が止まる。
でも、頭の中だけは目眩がするくらいの思考が、
ぐるぐるぐるぐる回ってる。

何だよ、これ?
唯はどうして髪を結んでるんだ?
いやいや、髪を結ぶ事自体は全然いい。
たまに結んでた事もあるし、髪くらい自由に結んでいいじゃないか。
唯のくせに可愛い髪型だなって思う事も何度かあった。
でも、何で? どうして?
よりにもよって、どうしてこの髪型を選んでるってんだ?
短い髪をリボンでポニーテールに結んで、まるで憂ちゃんみたいに。
唯に瓜二つの妹の憂ちゃんみたいに……。

そして、眼鏡。
何処で見つけたのか、アンダーリムの赤い眼鏡。
多分、服を探しに行った時に見つけ出したんだろうその眼鏡。
和の物と全く同じ眼鏡。
トレードマークみたいな私達の親友の和と同型の眼鏡を……、
唯が掛けている……。

何だ、何だ、何だってんだ。
唯はどうして二人を思い出させる恰好をしてるんだよ?
過去を思い出すのはいい。
失った三人を捜し続けるのだって構わない。
それは唯の権利だし、私はその唯の選択を否定しちゃいけない。
否定したくない。

だけど、
これは、
これだけは、
駄目だ。

過去に追い込まれちゃう事だけは、絶対に駄目だ。
過去に目を向けながらでも、前には進まなきゃいけないんだ。
唯が思い出に浸るのは構わない。
でも、唯が思い出に支配されてるのは、見てられない。

唯は今、失った二人に似せた恰好をしている。
それが何を意味してるのかは分からない。
唯の気持ちなんて絶対に分からない。
でも、推測は出来る。
唯はきっと……、失った仲間達の傍に居たいんだ……。
どんな形でも、どんな手段でも、仲間達の事を感じていたいんだ。
きっとそうなんだ。
だから、こんな事をしちゃってるんだろうな……。

それが私には分かる。
私も同じ事を感じた事があるからだ。
正直な話、閉ざされた世界に来て以来、鏡を見る度に胸が痛むのを感じてた。
鏡を見て、目元なんかを見る度に、思い出すんだ。
聡を。
私の弟の聡を。

私達はそんなに似てる姉弟じゃない。
男と女だし、年子ってわけでもないし、ちょっと似てるかな? ってくらいの姉弟だ。
でも、ちょっとだけ似てるだけで十分だった。
よく歌なんかで別れた恋人と似た誰かを見つける度に辛くなるって歌詞があるけど、その通りだ。
聡の面影を見つける度に、私は胸が締め付けられそうに痛んでたんだ。
しかも、その面影が自分の顔の中にあるってんだから、余計に悔しくて辛くなる。

私でさえそうなんだ。
憂ちゃんと瓜二つの唯は、鏡の中に妹の姿を見つけてどう思ってたんだろう。
今は存在しない妹の姿を見つけて……。
私なんかには想像も出来ない喪失感が湧き上がったはずだ。
どうにかして妹を取り戻したいって思ったはずなんだ。

だから……?
だから、なのか……?
だからこそ、唯は髪をポニーテールにしてるのか?
自分と妹の繋がりを消さないために、
妹を絶対に忘れないために同じ髪型をしてるんじゃないか?
アンダーリムの眼鏡もそうだ。
眼鏡を掛けて、和を必ず取り戻すって決意してるんじゃないか?
思い出を手繰り寄せるために……。

それは立派な事だと思う。
何かを成し遂げようとしてる唯の事は応援してやりたい。
唯の決意を支えてやるべきなんだ、私は。
支えるべきなんだよ、私は……。

でも……。
それが、
出来ない。
どうしても、出来ないんだよ……。

唯の姿を見た瞬間、頭の中から何もかもが吹き飛んでしまう感覚が私を襲った。
過去よりも未来を重視しようって決意が崩れていく気がした。
揺らいでしまったんだ、情けない事に。

分かってる。
唯にそんな気持ちが無い事は分かってる。
唯は誰かを責めるような奴じゃない。
誰かのせいにする奴じゃない。
それはよく分かってる。
信じてる。
信じてるはずなのに……。

それを一瞬考えてしまっただけで、私はもう動き出せなくなる。
唯はひょっとして、憂ちゃん達を見捨てた私を責めてるんじゃないかって。
憂ちゃんの姿を見せつけて、三人を見捨てたを自覚させようとしてるんじゃないかって……。
そんな事あるはずないのに、そう思ってしまう私が居る。
それ以上に。
唯が私を責めてるのかもって可能性以上に、
唯を疑ってしまってる自分が情けなくて、辛くて、嫌で……。
私は……、動き出せなくなる……。


「どうしたの、りっちゃん……?」


ムギが扉を開けたまま部屋に入ろうとしない私の肩に手を置く。
返事をしなきゃとは思うのに、咄嗟に言葉が出ない。
口を開いても喉から声を出す事は出来なかった。
そんな私の姿を不安に思ったんだろう。
ムギは身を乗り出して私の背中側から部屋の中を覗き込んだ。


「唯……ちゃん……?」


ムギの静かな声が響く。
その声色からは、ムギの感情は読み取れない。
私の方はと言えば、振り返ってムギの表情をうかがう事も出来ない。
ムギが唯の姿をどう思ってるのかを知るのが怖い……。
私は視線を伏せる。
出来る事なら耳を手のひらで塞ぎたい気分だった。
ムギの反応を……、知りたくない……。


「おっ、ムギちゃんもおかえりー。お疲れ様ー」


唯の明るい声が上がる。
その声に対してムギは……、ムギは……。
言った。
想像以上に明るい声で言ったんだ。


「わあっ、どうしたの、唯ちゃん?
その眼鏡、すっごく似合ってる!
あっ、ひょっとしてその眼鏡とその髪型って……」


それ以上の言葉を聞いて、正気で居られる自信が無かった。
気が付くと、私は自分でも驚くくらいの大声を上げていた。
わざとらしかったけど、わざとらしくても、そうするしかなかった。


「あーっ! しまったあっ!」


「ど……、どうしたの、りっちゃん……?」


唯が不安そうな声色で私に訊ねる。
その唯の表情を見る事は私には出来ない。
したくない。
これ以上、ここには居られない。
未来に進むためには、ここに居ちゃいけない……!

私はもう一度、誰の顔も見ないようにして、
背負ってたリュックサックを部屋に投げ入れてから大声で叫んだ。


「今日は私が風呂当番だったんだ!
急いで沸かさないと梓達に叱られちゃうじゃんかよ!
悪いけど荷物は頼むよ!
また後でな!」


言い終わるが早いか、私はその場から駆け出していく。
駆け出さなきゃ、自分が自分で居られなくなる……!


「えっ? えーっ?
今日のお風呂当番りっちゃんだったっけ?
そんなの後でも……!」


私を呼び止めようとする唯の声が響いたけど、私は振り返らずに走り続ける。
物凄い勢いで走る。
その場から、逃げ出す。

唯の姿を見たからだけじゃない。
ムギの明るい声を耳にした瞬間、私は自分の心が壊れそうになるのを感じた。
似てる誰かが居るのは、私と唯だけじゃない。
新入部員の菫ちゃんって子はムギとそっくりだって梓が言っていた。
私も何度か目にした事があるけど、菫ちゃんはムギとよく似てると思う。
だとしたら、ムギだって私達と同じ苦しみを感じてたはずだ。
鏡を見る度に、辛い気持ちで居たはずなんだ。

でも……、ムギは唯の姿を見て明るい声を出した。
唯の行動を嬉しく思ってるみたいな声だった。
それはつまり、ムギは唯の想いを認めたって事なんだ。
思い出から目を背けず、
大切な思い出を絶対に取り戻すってムギも思ってるって事なんだ。

やめてくれ、と思った。
やめてくれよ……。
私の決心を揺るがさないでくれよ……。
未来を生きようって選んだ私の選択が間違ってたんじゃないかって思わせないでくれよ……。
思い出をまっすぐ見つめられてる唯達みたいに、私は強くないんだよ……。
私は一つの事に目を向ける事しか出来ないんだよ……。


「ちっ……くしょー……」


私の口から呟きが漏れる。
誰に向けて漏らした呟きでもない。
強いて言えば、自分自身に向けての呟き。
揺れてばかりの弱くて情けない自分への言葉だった。

私だって三人の事は忘れたくない。
忘れたくないけど……、
そればっかりに目を向けて進めるほど、私は器用じゃない。
胸の痛みに目を向けながら歩けるほど、私は強くないんだ。

不意に。
私は憂ちゃんと一緒に風呂に入った時の事を思い出した。
私と憂ちゃんの距離が少しずつ近付くきっかけになったあの日の事……。
憂ちゃんの笑顔と憂ちゃんの言葉はまだ鮮明に思い出せる。
忘れたくない。

だけど……。
あの日、憂ちゃんに背中に抱き着かれた感触だけは、
何故だか、どうしても思い出せなかった。
憂ちゃんの体温が私の中から少しずつ消え去ってしまっている。
憂ちゃんだけじゃなく、和や純ちゃんの体温も……。
少しずつ消えていく仲間達への想い……。
ひょっとしたら、それこそ私の望んでた事かもしれなかったけど……、
それはとても、
悲しかった。


38
最終更新:2012年07月09日 23:39