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浴槽にお湯を張って、私は一人で風呂に浸かる。
日本の風呂と違って比較的浅い浴槽だから、お湯を張るのは五右衛門風呂より簡単だった。
いや、お湯を張る……ってのは、ちょっと違うか。
ムギが見つけてくれたバッテリーに、
片っ端から電気ポットをタコ足配線で繋いで、沸いたお湯を浴槽に入れてるだけだからな。
ちなみに使ってる水は、コンビニとかで見つけたミネラルウォーターだ。
贅沢な気はするけど、水道は使えないし、流石に近所の川から水を汲んでくるわけにもいかない。
とは言え、正直、風呂一つにかなり手間が掛かってる気がしないでもない。
でも、今はそれがありがたかった。
実は今日は梓が風呂当番だったけど、無理を言って代わってもらった。
梓は不審そうな表情を浮かべていた。
だけど、それは「私が一番風呂に入りたいから」って言って、どうにか誤魔化した。
落ち着く時間が欲しかった。
面倒な作業を行いながら、自分の考えをまとめたかったんだ。
まとめなきゃ、唯とムギの前で落ち着いた姿を見せられないからだ。
湯船に浸かりながら、唯の姿を思い出す。
憂ちゃんみたいなポニーテール、和みたいな眼鏡……。
正直言って、唯が何を考えてるのかは理解し切れてない。
唯は単純に今この場所に居ない二人の真似をしたかっただけかもしれない。
ちょっと思いついて、やってみただけなのかもしれない。
でも、その心の奥底に寂しさがあるのだけは間違いないはずだった。
どんな理由があるにしても、唯は自分の中の寂しさと戦うためにそんな恰好をしてたんだ。
過去と立ち向かうために、きっと……。
羨ましかった。
羨ましくて、怖い。
私は未来に進むために過去を見ないようにした。
未来に突き進まなきゃ、恐怖でどうにかなっちゃいそうだった。
だから、私は残された皆と一緒に、この世界で生きてく事を重視しようって思ったんだ。
失った物にいつまでも目を向けていられるほど、私は強い精神を持ててない。
胸の痛みと戦いながら、失くした物を捜し続ける勇気なんて持てない。
これ以上失いたくないから、私は失くした物より残された物を護りたいんだ。
本音を言うと、過去に目を向けられる唯達を羨ましく思う気持ちはある。
私だってそうしたかった。
出来る事なら。
だけど、それはしちゃいけない事だったんだ。
絶対に、しちゃいけない。私だけは、それを選んじゃいけない。
過去に目を向ける事は立派だけど、過去ばかり見てちゃ絶対に前には進めない。
残された五人の中のリーダー的な存在の私だけは、それをやっちゃいけないって思うんだ。
残された皆を、何が何でも護るためには。
それにこれは私だけの決意じゃなくて……。
「失礼します」
不意にバスルームの扉が開いたかと思うと、聞き覚えのある声が響いた。
私はちょっとびっくりして、つい胸元を二の腕で押さえてしまう。
やってしまった後で気付く。
私、何でこんな女の子っぽい行動してるんだ……?
別に見られて困るような身体じゃないじゃないかよ。
見られるほどの凹凸が無いって意味だが……。
いやいや、そういうのはどうでもよくて……。
バスルーム内、立ち込める湯気の中、目を細めて突然の訪問者に視線を向けてみる。
正体は声で分かってたけど、自分の目で確認しない事にはすぐに信じられそうになかったからだ。
訪問者は長い黒髪を下ろし、タオルも巻かずに全裸でバスルームに入って来ていた。
そりゃそうだ。
銭湯ならともかく、個人用のユニットバスに入るのにタオルを巻く奴は居ない。
いや、小学生の頃の澪は恥ずかしがって巻いてたっけか?
確か「すぐにお風呂に浸かるんだから」って澪の巻いたタオルを無理矢理剥ぎ取った覚えがあるな……。
まあ、それはともかく。
私はその訪問者の予想通りの顔を確認すると、少し溜息を吐きながら言ってやった。
「何だよ、梓……。
まだ私が風呂に入ってから十分も経ってないじゃんか。
おまえは私を大雑把でいい加減って思ってるかもしれないけど、
そんなカラスの行水みたいな風呂で満足出来るほど大雑把じゃないんだぞー」
少し頬を膨らませてやると、私のその表情を見た梓が苦笑して首を傾げる。
どうも私の風呂を急かしに来たってわけでもないらしい。
梓は長い髪を少し後ろに流すと、湯船に手を置いて笑った。
「違いますよ、律先輩。
たまには気分転換に私も律先輩とお風呂に入ってみようかって思ったんです。
……ご迷惑ですか?」
「いや……、別に迷惑じゃないけどさ……。
でも、どんな風の吹き回しだ?
おまえ、この前まで学校に居た時も、私と風呂に入ろうとしなかったじゃんか」
「だから、気分転換ですよ、気分転換。
それに私とお風呂に入りたがらなかったのは、律先輩の方もじゃないですか。
律先輩こそ、どうして私とお風呂に入るの嫌がってたんですか?」
梓が頬を膨らませながら微笑む。
一緒に風呂に入ろうとしなかった私を怒ってるわけじゃないらしい。
純粋に疑問に思ってるだけみたいだな。
でも、……あれ?
確かに私は梓と一度も風呂に入ってないな。
憂ちゃんや純ちゃん、和ですら一緒に風呂に入ってたのに、
何故か梓と澪とだけは一緒に風呂に入った覚えが無い。
澪は顔馴染み過ぎて気恥ずかしかったからだけど、梓の方はどうしてだったっけ?
はっきりとは思い出せない。
でも、確か私と同じくらいの体型の梓と自分を比較するのが恥ずかしかったからだった気がする。
不本意な事だが、軽音部設立メンバーの中で一番身体にメリハリが無いのは私だ。
悲しくなるくらい、メリハリと凹凸が無い。
それでも、後輩の梓には何とか勝っていた。身長も胸も勝っていた。
万が一……だけど、梓に胸で負ける事になったら、私はしばらく立ち直れそうにない。
だって、あの幼児体型の梓だぞ?
あの幼児体型の梓にまで負けたら……、そう思うと怖くて梓と一緒に入れなかったんだ。
今思うと、ものすっごく下らない理由だな……。
だけど、梓が私と風呂に入りたがらなかったのも同じような理由だろうな。
梓の場合は同じくらいのレベルだと思ってた私が、成長してるんじゃないかって心配してたはずだ。
それを確かめたくなくて、一緒に風呂に入る気になれなかったんだろう。
心配するな、梓。
私もおまえと同じく全然成長してないから……。
失礼な気がしながら、私は髪を下ろした梓の身体を見つめてみる。
今まで梓とは何度か風呂に入った事があるけど、
初めて風呂に入った時から胸も腰回りも全然変わってないように見えた。
まあ、その柔らかそうな肌が劣化してるわけでもないし、
シワが増えてるってわけでもなさそうだから、女としては悔しさと喜びがトントンって感じかな。
「何ですか、律先輩……?」
私の視線に気付いたらしく、ジト目になった梓が私に訊ねる。
私は肩をすくめると、浴槽の隅に背中を寄せて梓を手招きしてやった。
「悪い悪い、何でもないって。
いいよ、たまには一緒に風呂に入ろうぜ?
梓もそのままじゃ風邪ひいちゃうぞ?
若干狭くなるけど、ま、二人なら何とかなるだろ」
「はい、それじゃ失礼しますね。
ありがとうございます、律先輩」
笑顔になった梓が、お湯を何度か自分に掛ける。
それから、私に背中を向ける体勢で浴槽に入った。
お湯を高く張ってるわけじゃないから、お湯が浴槽から溢れる事は無かった。
二人で並んで体育座りしてるみたいな体勢になる。
何だか変な感じだな。
折角だから梓も私と向き合う体勢で浴槽に入ればよかったのに……。
って思ったけど、その自分達の体勢を想像してみて、すぐに思い直した。
二人で全裸で至近距離で向かい合うとか、何だよ、その体勢……。
いくら何でも恥ずかし過ぎるだろ……。
そうだ。
二人でちょっとだけ立ち上がって、二人で肩を並べる体勢で浴槽に入り直すのはどうだろう。
それなら漫画とかでもよく見る体勢だし、無理なく会話出来るよな。
そう考えて立ち上がろうとした瞬間、
梓が首だけ私の方に回して視線を向けている事に気付いた。
私と梓の視線が交錯する。
梓の背中と私の膝や腕なんかが触れ合う。
何となく、まあ、いいか、と思った。
この体勢でも会話が出来ないわけじゃないしな。
たまには、こういうのも悪くないかもしれない。
急に。
梓が苦笑しながら喋り始めた。
「やっぱり……、ちょっと狭かったですね……」
「だから言っただろうが、中野よ……」
私はお湯に濡れた梓の頭を掴み、手の中でクルクルと回してやる。
分かり切った事を言うなってんだよな……。
「やめて下さいよ、律先輩。
お風呂の中でそれやられるとのぼせやすくなるじゃないですか」
言いながら、梓が微笑む。
元気だよな、こいつは……。
でも、梓の言う事にも一理ある。
それなら久々にチョークスリッパーでも喰らわせて……。
と、そこで不意に私は妙な事に気が付いた。
そういや、今まで梓の日焼けが痛いだろうからってチョークを自重してたんだが、
少し肌寒いロンドンに転移して三日経つってのに、何で梓の肌はまだ日焼けしてんだ……?
赤ちゃん並みの新陳代謝の梓だぞ?
あっという間に日焼けが治っててもおかしくないはずだろ?
私は首を傾げ、唸ってしまう。
「あれ?
どうしたんですか、律先輩?
もしかして律先輩の方がのぼせちゃいましたか?
すみません、大丈夫ですか?」
梓が心配そうに私の顔を覗き込んで来る。
その梓の顔を見て、私は少しだけ思考を元に戻す事が出来た。
心配そうな梓の頭を軽く撫でて言ってやる。
「いや、何でもないよ、梓。
まだのぼせてもないって。
ちょっとどうでもいい事を考えちゃっただけだよ」
「本当ですか?
本当に大丈夫なんですか?
何かあったら、いつでも私に言ってくださいよ?」
「ああ、分かってるって、梓。
サンキュな」
また、梓の頭を撫でる。
うん、治ってない梓の日焼けなんて、今はどうでもいい事だよな。
多分、たまたま治りが遅いだけなんだろうし、今は私に気を遣ってくれる梓の様子が嬉しい。
とても……、嬉しい……。
思った。
私が過去よりも未来を大切にしようと思えたのは梓が居たからだって。
この閉ざされた世界に来る前から、梓は私達に翼を与えてくれた。
未来へ進む意志ってやつを与えてくれた。
それだけじゃない。
ロンドンに転移してからも、梓は私達を、私を支えてくれた。
今だって、きっと私の事を心配して一緒に風呂に入ってくれてるんだ。
私を励ますために。
無理をしてるのかもしれないけど、まっすぐに未来に進もうとしてるんだよな、梓は。
だったら、私は未来に進まなきゃいけないじゃないか。
梓と一緒に前に進むべきなんだよ、私は。
それが皆のために繋がるはずだ。
私は右手を梓の頭から肩に置き直して、梓の温もりを感じる。
温かい……。
風呂には入ってるからってだけじゃなく、梓の全身は心から温かい。
梓と一緒に進んでいければ、何だって乗り越えられる。
乗り越えたい。
「あの……、律先輩……」
梓が笑顔を消して、躊躇いがちに口を開いた。
何か言いにくい事を言い出し始めるつもりなんだろう。
多分、それは私も分かってたけど、梓の言葉を止めようとは思わなかった。
話しにくいけど、話しておきたい事でもあったからだ。
梓がゆっくりと続ける。
「唯先輩の事なんですけど……、律先輩も見ましたよね?
唯先輩の憂と和先輩みたいなあの恰好……」
やっぱりそうなんだな、って思った。
今日は梓は唯と澪と一緒にホテルに留守番してる日だったんだ。
私より先に唯の姿を見てても全然不思議じゃなかった。
唯の姿を見て、梓はどう思ったんだろう。
多分、残された仲間の中で、一番私に近い考え方を持ってるのは梓だ。
未来に進んで、残された仲間達を何としても護りたいって思ってくれてるはずだろう。
そんな梓が唯の姿を見て思った事は……。
「ああ、見たよ。正直、驚いた。
唯の奴があんな恰好をするなんて、思ってもみなかったからさ……。
唯の想いが……、痛いくらい分かったよ……」
私が呟くと、梓も神妙な表情で頷いた。
辛そうだけど、でも、何かを決心したみたいな表情だった。
梓は私の方に少し近付いてから、口を開いた。
「私も唯先輩の気持ちは分かります……。
私だって、どんな形でもいいから、憂達を感じていたいって思いますし……。
憂や和先輩の真似をする事で憂達を感じられるなら、それでいいのかもとも思います。
それが……、唯先輩の選んだ事なんですから……。
でも……」
「ああ……、そうだな……。
でも……、だよな……」
梓の言葉は私が継ぐ事にした。
梓にばかり辛い言葉や言わせたり、痛い決心をさせてちゃいけないって思ったからだ。
私だって、梓を引っ張ってやらなきゃいけないんだ。
「唯は……、唯達はそれでいいと思う……。
唯の姿を見ると、憂ちゃんの事を思い出して辛くなるけど、それでいいんだよ、きっと。
あいつには……、皆の過去を持ち続けてもらおうって思うんだ。
私は皆の未来を探したいし、守りたい。
その分、唯達には私と梓の過去を捜してもらおう。
私と梓は唯達の未来を見つける。唯達には私達の過去を捜してもらう。
役割分担だよ、バンドのパートみたいなさ。
それがきっと……、一番いい事なんじゃないかな……」
私が想いを言葉にすると、「はい」と梓が頷いてくれた。
実は本音を言わせてもらうと、かなり無理をしてた。
必死に皆の事を考えて、どうにか無理矢理に出せた答えだった。
唯の姿を見ているのは辛い。過去を思い出して悔しくて、悲しい。
だけど、唯の選択は私が選びたかった選択でもあるから、
せめてその唯の、唯達の気持ちだけは守りたかったんだ。
だから、きっとこれが私に出せる最善の答えなんだと思う。
私達は未来に突き進んで、唯達は過去を大切にするんだ。
それでやっと皆が生きていけるはずなんだ。
胸に痛みを抱えながらでも……。
急に梓が笑顔になった。
優しい笑顔と甘い声色で喋り始めた。
「もう……、律先輩に全部言われちゃいましたね……。
律先輩ったら大雑把でいい加減なのに、色々考えてて困ります。
たまには私にもカッコつけさせて下さいよー」
何を言ってるんだよ、梓。
私が前に進めてるのはおまえのおかげだよ。
おまえが支えてくれて、励ましてくれるから、私は未来に進めるんだ。
おまえが私達に翼をくれたんだ。
おまえの笑顔が私を私で居させてくれてるんだ。
梓が居るから……。
梓が……。
そうだよ……。
きっと梓なら何度も私を立ち直らせてくれるし、
何があったって私を支え続けてくれるはずなんだ。
私は両手を伸ばして梓の肩に手を置く。
梓が私の方に視線を向ける。
私の大好きな笑顔を見せて、温かさを手のひらに感じさせてくれてて……。
もっと……、梓の体温を感じていたい……。
心にぽっかり空いた穴を、誰かの体温で埋めたい。
梓だってそう思ってるはずだ。
たった五人きりの世界、誰かの体温を感じたいって思ってるはずなんだ。
梓の柔らかそうな唇が目に入る。
梓の唇に私の唇を重ねたら、この不安は消えるだろうか。
梓の不安も消してやる事が出来るだろうか……。
そうだな、大丈夫。女同士でも不安を消すためならキスくらい別に……。
そうして私は……、
梓の肩を私の方に引き寄せようとして……。
限界の所で押し止めた。
どうにか……、それ以上の事をせずにいられた。
梓の両肩から手を離して、嫌な汗を掻くのを感じながら拳を強く握り締める。
何だ……?
今、私は何をしようとしてたんだ……?
梓を抱き締めようとしてたのか……?
抱き締めて、キスをしようとしてたのか……?
どうして……?
何で私は急に梓にそんな事をしようと……。
自分のしようとした事が信じられなかった。
裸で梓とキスをしようとするなんて、どうかしてる。
そんなの一時の気の迷いだ。
そうに決まってるじゃないか。
どうして私が梓とキスしなくっちゃいけないんだよ。
女同士だし、梓の事は好きだけど、そういう意味なんかじゃないんだ
だけど……。
必死に自分の行為を否定しようとしながら、
妙に冷静な自分が自分の行動を客観的に判断してしまってた。
私は寂しかったんだ、って。
寂しかったから、梓の体温で自分を慰めたかったんだ、って。
誰かの温もりを感じてたかったんだ、って……。
大好きな梓なら私を受け止めてくれるはずだって思って……。
いや、それならまだ全然マシだった。
私がさっき考えてたのは、もっとずっと最低な事だった。
梓の事が好きなら、好きだって言えばいい。
好きだって言って、それから慰め合いになるのなら、それはそれで一つの選択肢だ。
でも、違う。さっきの私は全然違う。
未来に進むための支えって言い訳を考えて、
梓なら私を拒否せずに受け入れてくれるはずだって下心も持って……。
皆の未来を守るんだから、それくらい許されるって思っちゃってたんだ、私は……。
何だよ。
何なんだよ。
そんなの許されるわけないだろ!
どうしてそんなの許されるって思っちゃったんだよ!
どうかしてるぞ、私は!
でも……。
でも……。
気が付けば、私はまた梓に手を伸ばそうとしてしまっている。
梓を抱き締めて、体温を感じようとしてしまっている。
心に空いた穴を塞ぐためなら、何だってしてしまいそうになっている。
さっきの決意が馬鹿みたいだ。
未来に進むって考えてたのは建前だったのか?
辛かったのは確かだ。悲しかったのは本当だ。苦しかったのは現実だ。
だけど、皆の未来を護るはずの私が、
梓の未来を奪おうとしてるなんて、どういう事だよ……。
それが許されるって考えてるとか、最悪以外の何物でも無いじゃないか……。
どうやら……、私は自分で思う以上に浅ましくて最低らしい……。
「律先輩……?
どうか……したんですか……?」
最終更新:2012年07月09日 23:43