アットウィキロゴ
「唯とムギはさ……」


不意に澪が呟き始めた。
そうだな。それも考えなきゃいけない事だった。
私達の道は、私と澪だけの意志で決めていい事じゃない。
私、澪、唯、ムギ、梓の五人で決めるべき事なんだ。
私は真剣な表情を澪に向けて、澪の次の言葉を待つ。
数秒経って、澪が静かに口を開いた。


「まだロンドンで三人を捜したいみたいだ。
でも、一応、ムギの方は他の街にも行ってみたいって言ってたよ。
ムギも散々捜して気付いたんだと思う。
ロンドンに和達は来てないんだろうって。
和達は何処か違う街か世界に居るんだろうって。
でも、完全には諦め切れてないみたいでさ……、
もう少しだけ……、もう少し納得出来るまで捜したいらしい。
それはそれで大切な事なんだって私も思うよ……。

だけど、唯は……、唯はさ……」


澪が視線を散漫とさせる。
躊躇いがちに何度も呼吸する。
唯が何か変だって言うんだろうか。
私はそれを察して、澪に訊ねてみる。


「唯の恰好の事か?
あいつ、半日に一回くらい、
憂ちゃんみたいな髪型して、和みたいな眼鏡を掛けてるもんな……。
でも、あれは、きっと……」


あいつの決心だ。
とは言えなかった。
私の言葉が終わるより先に、澪が首を横に振ったからだ。
予想外の澪の行動だった。
私は思わず間抜けな質問をしてしまう。


「違う……のか……?」


「うん、違うよ、律……。
いや、違ってないけど、違うんだ……。
唯のあの恰好を見た時は私も驚いたよ。
過去に……、思い出に逃げ込んでるのかって思った。
でも、それは違ったんだんだよな。
唯は和達を忘れないためにあの恰好をしてるんだ。
それは唯の決心で、私は唯の選択肢を尊重したい。
まっすぐに思い出に目を向けてられる唯は、本当に凄いなって思う。

でもさ……。
ここ三日くらいの唯は変じゃないか……?
特に唯の奴、律と視線を合わせようとしてない気がするんだよ。
律……、唯と何か……、あったのか……?」


分かるわけがなかった。
私だってその答えは出せてないんだ。
でも、やっぱりな、って妙に納得もしていた。
澪達が見てて分かるくらい、私達の関係は変になっちゃってるんだ。
それをどうしたらいいのかは、分からない。
私が黙ってるのを不安に思ったのか、澪が静かな声で続けた。


「ごめん、律……。
当人同士の問題なのに口出しちゃって……。
でも、もし私に何か出来る事があったら……」


澪の申し出はありがたかった。
でも、それは澪のためにも唯のためにもならない気がした。
私と唯の問題は私達が解決するべき事だし、
唯だって何か考えがあっての行動のはずだ。
だから、私に出来る事は……。

私は自転車から降りて、澪に近付いてその肩を叩いた。
澪は何の心配もしなくていいんだって伝えるために。


「ありがとうな、澪。
でも、大丈夫だよ。
私達が考えてるのと同じように、唯だって何かを考えてるだけなんだ。
だから、あいつの好きにやらせてやろうぜ?
私はあいつの答えが出るまで待つつもりだよ。
それまで私はどっちの準備もしておく。
ロンドンに滞在する準備と、何処か違う街に行く準備をさ。
両方の準備をしておけば、皆の答えが出た時にすぐ行動が起こせるだろ?」


それは澪を安心させるための言葉だったけど、本音でもあった。
私は皆の選択肢の支えになれたら、それで嬉しい。

だけど、澪は更に不安そうな表情になって、逆に私の両肩に手を置いた。
何故かとても……、辛そうな表情だった。


「皆の答え……って、律のは……?
律の答えは……、どうなの……?
律はどうしたいの……?」


私がどうしたいかだって?
そんなの決まり切ってるじゃないか。
私は肩に置かれた澪の手を取って、真面目な顔で言ってみせた。


「皆の出した答えが私の答えなんだよ、澪。
皆がどんな答えを出したって、
おまえがどんな答えを出したって、
私はどんな答えでも実現出来るように、精一杯フォローしたいんだ。
皆の手助けが出来るって事が、私の一番嬉しい事なんだよ」


それは私の心の底からの本音だった。
私はこれまで、皆のためにほとんど何も出来てない。
だから、何かをしたかった。
こんな頼りにならない部長の私でも、
いや、頼りにならない部長だからこそ、皆の答えを支えたいんだ。
それが私の答えなんだ。

でも、澪は辛そうな顔のままで首を振った。
それは滅多に見せる事が無い澪の本当に辛そうな顔だった。
澪は怖がりだ。色んな事からすぐ逃げるし、何にだって怯えがちだ。
だけど、本当に辛そうな表情を見せる事は少なかった。
特に澪は自分に何かが起こったからって、辛そうな表情を見せる奴じゃない。
前に澪がこんな顔を見せたのは、確か、そう、私が骨を折った時の事だったはずだ。
澪はそういう奴なんだ。そういう幼馴染みなんだ……。

澪が口を開く。
普段の私に似た口調じゃなくて、小さな頃に戻ったみたいな口調で喋り始める。


「駄目だよ、律……。
そんなの、絶対に駄目だよ……。
律は律で、自分の答えを出してよ……。
私達の事を支えようとしてくれてるのは嬉しいけど、でも……。
この答えだけは……、律も……、考えてよ……」


どうして澪がこんなに辛そうな顔をするのか、私には分からなかった。
ただ、私が澪を悲しませてしまってるって事だけは分かった。
私は今……、澪を傷付けちゃってるんだ……。
でも、何でなんだ?
私は皆の手助けがしたいんだ。その気持ちには絶対に嘘は無い。
和達を守れなかった分、残された皆だけは守りたいんだ。
皆、幸せで居てほしいんだ……。
そのためなら、私は何だってしたい。

だけど、澪はそれを辛いと思ってる。悲しんでるみたいだ。
私なんかに支えられたくないから……?
役立たずの私に支えられたって、足手纏いにしかならないから……?
いや、違う。そうじゃない。
澪はそんな事を考える奴じゃない。
澪は私の事を考えて、私を思いやって、辛いって思ってくれてるんだ。
長い付き合いなんだ。それくらいの澪の気持ちは分かるつもりだ。
澪の気持ちは嬉しい。
どうしてそんなに私の事で悲しんでくれるのかは分からないけど、とっても嬉しい。

でも、澪の気持ちを嬉しく思ってばかりもいられなかった。
澪の気持ちは嬉しいけど、それに甘えちゃいけないって思う。
もう決めたんだ。
私は過去を見ない事にした。自分の気持ちに溺れない事にした。
胸の痛みを感じながら前に進めるほど、私は器用じゃない。
馬鹿みたいに、全然、器用じゃない。
もう何も失わないために、皆が傍に居るために、私は精一杯皆を支えるんだ。
そのためにピックだって投げ捨てたんだ……!

私は自分の肩に置かれた澪の手を握る。
強く握って、嘘っぽくても力強く笑ってみせる。


「悪かったよ、澪……。
でも、そんなに心配しなくても大丈夫だぜ?
私だって考えたんだ。考えて、考え抜いた答えがそれなんだよ。
皆と一緒に居て、皆の手助けが出来たら、すっげー嬉しいんだよ。
それが私の答えなんだよ。
皆が出してくれた答えなら、何だって納得出来ると思うしさ」


「律の言ってる事は分かるよ……。
でも……、でもね……、律……。それは……」


澪が躊躇いがちに口ごもる。
きっと澪も自分が何を言いたいのか、完全には分かってないんだろう。
心の何処かで私にそうさせちゃいけないって思いながら、その理由が分かってないんだと思う。
詳しく分かってないのは私達も同じだ、って、その澪の姿を見て、私は何となく気付いた。
私も含めて、澪もムギも梓も唯も怖がってる。
何かを失う事を心の奥底から恐怖してる。
でも、どうしてそんなに怖いのか、その理由を多分、全員が分かってない。
ただ、失うのが怖いって気持ちだけは、胸の中にずっと居座ってる。

失うのが怖いのは当然の事だ。
誰だって、大切な物を失いたくないはずだ。
そんなの当たり前じゃないか。
だけど、必要以上に怖がってるって気がしなくもないんだよ。
人が消えたとは言え、ムギってあんなに怖がりだったか?
澪もあんなに家の中に閉じこもるくらい臆病だったか?
私だって何でこんなに不安になっちゃってるんだ?

どうしてだ?
ひょっとして、私達は大切な事を忘れてしまってるのか?
この閉ざされた世界に迷い込むより先に、私達は何かを既に失ってしまってたのか?
思い出せない。そこの記憶がすごく曖昧だ。
私達は本当にあの夏休みの日に、この世界に迷い込んだのか?
本当はもっと後だったんじゃないか?
あの日、梓達と合流した時じゃなくて、もっと後、何かが起こって私達は……。

そう思うのには、ちゃんとした根拠もあった。
私の中のはっきりとしない記憶の事だ。
あの夏休みの日、強い風が吹いた時、さわちゃんはそこに居なかったはずだ。
眼鏡の新入生のあの子だって居なかったはずだ。
だけど、不意に思い出すんだ。
その場に居なかったはずの二人の姿を、その風景の中に。
心地良い疲れを感じながら、皆で帰り道を歩いてたような、そんな気がするんだ。
同時に強く感じる。
何かを失ってしまったっていう、今にも叫び出したいくらいの喪失感を。


「澪、おまえは……」


訊ねようとしたけど、すぐに私もそれ以上の言葉を出すのを躊躇った。
訊ねてどうなるって言うんだろう。
自分達の記憶が曖昧だって事に気付いて、どうするんだ?
自分の記憶すら信じられない状態になって、もっと不安になっていくつもりか?
他に出来る事や、やるべき事があるんじゃないか?
いや、それでも、答えを知る事はきっと前に進むきっかけにも……。
色んな感情や考えが頭の中でぐるぐる回る。
この答えだけは、出さなきゃ……。
皆が一緒に居るためにも、この答えだけは出せなきゃいけない……。


「律先輩! 澪先輩!」


急に甲高い声がロンドンの街に響いた。
急な事に驚いた私達は身体を離し、声の方向に視線を向ける。
その場所では、梓が自転車に乗って凄い速度で私達に迫って来ていた。
どうしてこんな所に?
いや、梓が私達の居る場所を分かってるのは不思議じゃない。
ロンドンに転移させられて以来、
私達は街を回る時、前もって皆で地図を見ながら回る道順を決めている。
勿論、連絡手段が全く無いし、お互いの居場所が分からなくなったら困るからな。
流石に狼煙で緊急事態を伝えるわけにもいかないし……。
だから、念のため、私達は前もってその日に回る道順を決めてたんだ。
梓に私達の居場所が分かってても、何の不思議も問題も無い。

でも、この場所に梓が姿を見せたって事が問題なんだ。
しかも、一人っきりで。
皆で手を繋いで行動する事を提案した梓が、
私を風呂の中でも一人にしたくなかった梓が、一人っきりでこの場所にやって来たんだ。
よっぽどの事があったんだ……。
胸を不安が支配していく事に気付く。
その場に立っていられない不安感。
私は思わず梓の方に駆け寄ろうとして……、出来なかった。
その場から動き出せなかった。
足が固まって、踏み出す事が出来なかった。

緊急事態の詳細を知るのが怖いってのはある。
これ以上、自分達の身に降りかかる災難に目を向けたくないって弱気は勿論ある。
でも、それよりも動き出せない理由が、私にはあった。
梓の事だ。
梓の傍に近寄るのが、怖かった。
そんな事はもう無いと思う。
無いと思うのに……、もし梓に近付いた時に、
私が自分を抑えられなかったらどうしようって思ってる。
私の胸に突然衝動が湧き上がって、それでもう一度自分を押し留められる保証はない。

その不安には、梓の身体が小さいって事も関係してる気がする。
梓の身体は小さい。小柄って言われる私よりも更に小さい。
だから、余計に怖いんだ。
唯、ムギ、澪なら私が自分を抑えられなくなっても、止めてくれると思う。
唯もああ見えて、それなりに力がある奴だし、意志も強い奴だからな。
でも、梓はきっと無理だ。
小柄で、優しい子だから、
私が変な衝動に囚われても、受け入れてくれるんじゃないかって思う。
嬉しいけど……、そんなのは駄目だ。
梓の優しさに甘えてちゃ駄目なんだ。
自分の弱さを慰めててもらってちゃ、私はもっと弱くなる。
今まで以上に、前に進めなくなる……!


結局。
先に梓の方に駆け寄って行ったのは澪だった。
梓が自転車から降りて、澪がその梓の肩に両手を置くのを見届けてから、
やっと私は自分の足を動かす事が出来た。どうにかこうにか、やっとの事で動き出せた。
そうして私は、澪から何十歩も遅れて、歩き出した。


「どうしたんだ、梓?
非常事態なのか?
唯かムギに何かあったのか……?」


さっきまでと違って、逞しい姿と口調で澪が梓に訊ねる。
切り替えの早い奴だな、って思う。
誰よりも怖がりなのに……、
いや、誰よりも怖がりだからこそ、澪は恐怖との付き合い方を知ってるんだ。
怖いくせに、不安になってる梓を安心させてやるために、気丈な姿を見せてるんだ。
くそっ……、やっぱり何も出来てないのは私だけじゃないか……。
もっともっと色んな物を心の中に閉じ込めて、皆の足手纏いにならないようにしないと……!


「あ、はい……! 実は……、あの……っ!」


梓が私の方に視線を何度か向けながら喋り始める。
普段なら一番先に駆け寄るはずの私の足が遅い事が気になってるんだろう。
そりゃ気になるよな……。
私は意を決して、急いで梓の傍にまで走り寄った。
ただし、梓と澪からは少し離れた距離に。
梓はその私の距離をまだ気にしてたみたいだけど、
それどころじゃないと思ったらしく、澪に向けて言葉を続けた。


「今、ムギ先輩に付き添ってもらってるんですけど……、
唯先輩が……、唯先輩の様子がおかしくって、それで……っ!
それで私、先輩達を呼びに……っ!」


「唯が……っ?」


澪が小さく叫ぶ。
私も叫びたかったけど、それはどうにか押し留めた。
この三日くらい、様子がおかしかった唯……。
誰よりも大切な妹を失った唯……。
唯に何が起こったんだろう。
いや、何が起こってたって構わない。
唯に何かが起こったってんなら、私は全力であいつを助けてやるだけだ。
助けなきゃ、いけないんだ……!
澪が私に視線を向ける。
私は澪と視線を合わせ、大きく頷いてから、大声で言った。


「分かった!
戻るぞ、澪、梓!
唯に何が起こったのかは、帰り道で詳しく教えてくれ!」


言った後、私と澪は急いで自分の自転車に乗り直した。
梓は少しだけ安心したみたいで、私達の様子を静かに見ていてくれたけど……。
私の気のせいかもしれないけど……。
その梓の視線はとても……、とても寂しそうに見えた。




梓から話には聞いてた事だったけど、
ホテルの部屋に戻って唯の姿を見た瞬間、私は自分の胸が強く痛むのを感じた。
もっと早く気付いてやれてれば、と後悔の心が湧き上がって来る。
でも、後悔してるだけってのは、自分自身で許せなかった。
私はベッドの横で心配そうに唯を見守るムギに静かに声を掛ける。


「唯の様子は……、どうなんだ……?」


ムギが泣き出しそうな表情を私に向ける。
ベッドに横になってる唯と二人きりで不安だったのかもしれない。
私はムギの肩に優しく手を置いてから、口を閉じた。
ムギが話し始めるのを待とうと思ったんだ。
十秒くらい経ってから、少しは落ち着いたのか、ムギが口を開いてくれた。


「うん……、唯ちゃんはさっき眠ってくれた所よ……。
少しうなされてたみたいだけど、今はちょっと落ち着いたみたい……」


「そっか……」


呟いて、私はムギの隣で膝立ちになった。
そうして、ベッドに横になって寝息を立ててる唯の顔を見ながら呟く。


「風邪……なのか……?」


「うん、多分……。
風邪……だと思うよ……。
唯ちゃん……、ずっと気を張ってたみたいだから……」


41
最終更新:2012年07月09日 23:46