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ああ、もう、何をやってたんだ。
何をやってたんだよ、私は!
私は皆の未来を守るためって言って、自分の弱さから逃げるために思い出を捨てて。
それで、私の思い出を守りたかった唯にこんな行動を取らせる結果になって。
何だよ、もう……。何をやっちゃったんだ、私は……。

私のせいだ……。
私のせいで、私が弱かったせいで、私は唯に死を自覚させる事になったんだ。
体調を崩させたってだけじゃない。
苦しんでる私を、何をしたって救いたいって唯に思わせちゃったんだ。
例え自分の命を引き換えにしたって……。
自分が傷付く事より、私達が傷付く事の方に耐えられない奴なんだ、唯は。


「私……ね……?」


唯が優しい声色で穏やかに言葉を続けた。
穏やかな声が、逆に辛かった。
責められた方が何倍も楽だと思った。
でも、それは私の逃げだったし、楽になってもいけなかった。
私は息苦しさと強い胸の痛みに耐えながら、唯の顔に視線を向け続ける。
それだけが私に出来る事だったから……。


「私……、皆に会えて……嬉しかった……。
音楽に出会えたし……、皆のおかげで……ずっと楽しかったもん……。
皆の事が大好き……。
りっちゃんの事だって……大好き……だよ……。
大好きだから……ね……、嫌なんだ……。
これ以上、皆に嫌な思いを……させたくないんだ……よね。

私、嬉しかった……。
皆とまた遊べて、ライブをやろうって頑張れて、嬉しかった……。
傍に居てくれて……、すっごく嬉しかったんだよ……?
だけど……、いつまでも我儘言ってちゃ、駄目だよね……?
だから……、だからね……、もう……」


不意に唯の言葉が止まった。
聞いていて辛かった唯の言葉。
だけど、いつまでも聞いていたかった唯の声。
そう……、私達はまた唯とこうして話したくて、きっとこの世界に……。
でも、唯がその先の言葉を口から出す事は無かった。

苦しみ始めたからだ。
凄い汗を掻いて、呻き声を上げて、ベッドに転がってもがき始めたからだ。
まるで……、消える前の蝋燭の火みたいな、激しい苦しみ方で……。
いや……、違う!
何を考えてるんだ、私は!
何を考えちゃってるんだよ、私は!
そんな事はさせてたまるか!
唯を絶対に死なせてたまるか!

さっき唯は私の事を好きだと言った。
大好きだと言ってくれた。
私だって唯の事が大好きだ。
無茶苦茶な部だった私の軽音部にずっと居てくれて、私だって嬉しかったんだ。
大切な唯達を失いたくなかったから、思い出を捨てようと思ったんだ。
何よりも残された唯達を大切にしたかったんだ。
もし元の世界に戻れるとしたって、その世界に唯が居ないなんて……、意味が無い!
何の意味も無い!
死なせない……!
絶対に助けてみせる……!

だけど……、私に何が出来る……?
私には何も出来ないんじゃないか?
看病なんてろくに出来ないし、私が今までやって来た事のほとんどが裏目だ。
決意も決心も、何もかもが皆を追い詰めるだけだった。
皆を傷付けるだけだった。
だったら、私はもう何もしない方が……?
その方が……唯達のために……?
でも、それじゃ、私は何のために今まで……。
いや、私の事よりも、今は苦しむ唯を救う方が先決で……。

堂々巡りだった。
こんな状態になって、私は自分に出来る事、出来た事がほとんど無かった事に気付く。
部長が聞いて呆れる。
皆の足を引っ張ってばっかりだ。
足手纏いになりたくて、逆に足手纏いになってしまってる。
完全に単なる間抜けでしかない私……。

だけど、立ち止まってるわけにもいかなかった。
私には何も出来ないけど、何も出来ないなりにやらなきゃいけない事がある。
私は強く唯の手を握る。


「唯……、おまえは治る……! 元気になるって信じろ……!
治ったら話したい事がある。
文句を言ってやりたい事もいっぱいある……!
だから……、死ぬなんて……、もう言わないでくれ……!」


私に言える精一杯の言葉を伝える。
今の唯にどれだけ私の言葉が届いたか分からない。
届いてなくたって構わない。
私の言葉を届けようと思えた。今の所はそれだけで十分だ。
届けたかった言葉は、いつかまた必ず届けてみせる……。
頷くと、私は大きく息を吸い込んでから、大声で叫んだ。


「ムギぃ! 梓ぁ!
唯の体調が急変した!
頼む! 今すぐ来てくれえっ!」


叫んでいる間も、私は唯の手を強く握り続けた。
この先、唯の手の熱さと私の唯達への想いを絶対に忘れないように。
それが何も出来ない私に出来る最後の抵抗だ。




隣の部屋で休んでいたムギと梓はすぐに駆け付けてくれた。
オレンジジュースを取りに行っていった澪も、
私の叫び声が聞こえたようですぐに部屋に入って来た。
いや、澪は部屋の外で私達の話が終わるのを待ってくれていたみたいだ。

この世界に取り残された五人が部屋の中に集まる。
唯が私達が集まった事に気付いているのかどうかは分からなかった。
目を瞑り、ただ呻き声を上げて、苦しんでいる。
唯のその様子を見ているのは辛かったけど、
私はその唯から目を逸らさずに、唯の様子を見るムギに訊ねた。


「どうだ、ムギ……?
唯の様子はどうなってる?
風邪が悪化した……って感じか?」


ムギは心配そうな表情を浮かべ、ゆっくり首を横に振った。
それから、小さく呟くみたいに答えてくれる。


「ごめんね……、分からないの……。
熱は計ってみたけど、そんなに上がってはいないみたい。
多分、疲れが溜まってた分が出ちゃっただけだとは思う……。
安心出来る状態ってわけじゃないけどね……」


「で、でも、唯先輩、こんなに苦しそうじゃないですかっ?」


梓が小さく叫んだけど、
すぐ後にはっとしたように「すみません」と謝った。
ムギに叫んでも仕方が無いって事は梓だってよく分かってるんだろう。
でも、分かってても叫ばずにいられない気持ちもよく分かる。
ムギは梓の叫びを悪く思ったわけでもなさそうで、また言葉を続けた。


「そうなの……、梓ちゃんの言う通りなの……。
病状が悪化してるはずないのに、まるで体調だけ悪化してるみたい。
何だかね……、症状こそ風邪に似てるんだけど、
唯ちゃん、本当に風邪なのかなって私、思うんだ……。
ねえ、皆?
唯ちゃんがこうなってから、咳やくしゃみを出してる所、見た事ある?」


ムギの突然の質問に皆で顔を見合わせる。
しばらく経ったけど、それには誰も名乗り出なかった。
そう言えば、私も唯の体調が崩れてから唯の風邪の症状を見た事が無い。
ただ熱が高くて、苦しんでるだけだ。
いや、ただ……ってレベルでもないのは分かってはいるんだけど。
でも、唯の風邪と言えばくしゃみのイメージがあるし、
その唯がこんな状態で一回もくしゃみをしてないなんておかしくないだろうか?
風邪じゃないって事なんだろうか?

そこまで考えて、不意に私は思い付いた。
現実離れした考えだったけど、今更現実離れしてたって誰も気にしないだろう。
この世界は誰かの夢の中の世界で、多分、それは唯の夢のはずだ。
世界は夢だ。
でも、ここに居て、物を考えてる私達はどうなんだろう?
少なくとも、私は私や唯、ムギ達が唯の夢の産物とは思えない。
私達は確かに生きてる。生きて、考えてる。
他の物が全部夢だとしても、私達の心だけは本当の物のはずだ。
心だけは本当なんだ。
本当だから、苦しんでるんだ。

だけど……、ひょっとしたら……。
そう思った瞬間、辛そうな表情の梓の顔が視界に入った。
真っ黒に日焼けした梓の顔……。
気が付けば私はその梓の頬に手を伸ばして触れていた。


「律先輩……?
な……、何なんですか、こんな時に……」


梓が複雑そうな表情をしながら呟いて、
それど私は自分のやってしまった事に気付いて「悪い」と素直に謝った。
だけど、正直、私の頭の中はそれどころじゃなかった。

そうだ……。
私達の心は本物だ。確証は無いけど、そうだって思える。
でも、私達の身体はどうだ?
この世界の構成物質が夢だとしたら、
私達の身体の抗生物質も夢だとしても全然おかしくない。
私達の身体が誰かの夢だって証拠の一つが梓の日焼けだ。
日本の夏よりもずっと涼しいロンドンに転移させられて一週間も経つのに、梓の日焼けは全然治ってない。
すぐ真っ白に戻る新陳代謝のくせに、今回だけ梓の日焼けは治らない。
それこそ、梓の身体も誰かの夢で構成されてるって証拠じゃないだろうか。

それを伝えていいものなのかどうかは迷った。
そもそもこの世界が誰かの夢だとは確定してない。
唯の夢だなんて、確定したわけじゃない。
それに唯は私だけにその話をしたんだ。
約束をしたわけじゃないけと、私と唯だけの内緒の話にしてほしかったんだろうと思う。
もしかすると、自分が死んだ時に誰も悲しませないために。
元の世界に戻った澪達が、唯が死んだおかげで元の世界に戻れたって事に気付いて傷付かないために。
唯の気持ちは痛いほど分かる。
私だって、唯と同じ状況ならそうしてたかもしれない。

だけど、思った。
今の唯と私の状況が逆だったなら、唯はきっとこうするだろうと思った。
もしもこの世界が私の夢で、私が唯だけにそれを打ち明けていたなら、こうしたはずなんだ。
心の何処かでこうしてほしかったはずなんだ。
だから、私は皆に全てを打ち明ける事にしたんだ。
後で唯にどれだけ怒られたって構わない。
これも私と唯の選びたかった選択肢なんだろうから。


「なあ、皆、聞いてくれるか?
突然だけど、この世界の事についてなんだ。
唯の体調にも関係してくる話だから、落ち着いて聞いてほしい。
唯と話し合ってて思い出した事があるんだ。実は……」


私は、話した。
私の思い出した曖昧な記憶の事を。
あの夏休みの日、私達は確かに梓達のライブを観た事。
その後で私達も演奏をした事。
大成功とは言わないまでも、それなりの満足感を持って、
さわちゃん、菫ちゃん、奥田さんを含める皆で一緒にいつもの帰り道を帰っていた事。
そして……、私達の家路の別れ道のあの横断歩道で……、確かに何かが起こった事を。
事件なんだか事故なんだかはまだはっきりしないんだけど、私達はそれで大怪我をしたはずなんだ。
私達の怪我は命に関わるような怪我じゃなかったと思う。
だけど、唯だけは……、違った。
唯は病室に横たわっていて、目も開かずにいくつものチューブやコードに繋がれていて……。
それはまるで、体調を崩して寝込んでいる今の唯みたいな状態で……。
それで、唯も、私も、少しずつ思い出して、気付き始めたんだ。
この世界が本当に夢だとして、この世界が誰の夢で、何のための夢だったのかって。
そう、私達はきっと、傍に居たかったんだ。
始まりはそれだけだったんだ。


「そんな……」


私が唯が自分が死について話した事以外について語り終わると、
梓が動揺した表情を見せて呟き、澪が梓を気遣ってその肩を軽く抱いた。
ムギはただ真剣な表情で唯と私を交互に見ている。


「やっぱり……、この世界は誰かの夢って事でよかったのか?」


澪が梓の肩を抱きながら私に強い視線を向ける。
この世界が誰かの夢だって強く疑ってたのは、和と澪だ。
和が居ない以上、この世界について一番考えられるのは自分だけ。
自分こそが、この世界の真実を考えなきゃいけない。
そういう意志の強さが見える澪の視線だった。
私は気圧されそうな気持ちになりながら、それでも頷いた。


「完全に決まったわけじゃないよ、澪。
まだまだ分かんない事だらけだからな。
でも、多分……、そうだと思う。
私と唯が少しずつ思い出して来た記憶の事もそうなんだけど、そう考えると辻褄が合う事も多いんだよ。
ロンドンの中途半端な気候、日本じゃ見えないはずの南十字星、
あの公園にあるはずなのに無くなってたでかい樹、治らない梓の日焼け、他にも色々……。
この世界は夢……、誰かの思い出のイメージなんだ。
それでその誰かって言うのは……」


「唯ちゃん……なの……?」


ムギが唯の手を取りながら、静かに呟いた。
その声色からは、ムギがどんな感情を持っているのかまでは読み取れなかった。
私はムギの肩に手を置いてから続ける。


「ああ……、そう……だと思う。
この世界が誰かの夢だって決まったわけじゃない。
でも、この世界が誰かの夢だとしたなら、それは間違いなく唯の夢だよ。
色んな状況がそれを示してるし、唯自身も自覚し始めたみたいだった。
それに……」


一瞬、私はそれ以上の言葉を出すのを躊躇った。
まだはっきりしない記憶を口に出すのもどうかと思ったし、
それ以上にその記憶をはっきり断定させるのが怖かった。
あの日、私達は大怪我をした。したはずだ。
怪我をした箇所は、私は右腕、ムギも右腕で、澪は左脚、梓が肋骨。
そして……、唯が……。
唯……が……。


「私……、本当はね……」


不意にムギが静かに語り始めた。
口を挟めるような様子じゃなかった。
私は……、私達はじっとムギの次の言葉を待った。
三十秒くらい経っただろうか。
ムギが決心した表情でまた言葉を出した。


「何度か……、夢で見てたの……。
世界から皆が居なくなっちゃってすぐの頃からかな……。
皆がね……、大怪我をしてね……、
血まみれでね、倒れててね……、凄く……凄く怖い夢でね……。
それで……、それで唯ちゃんが病院のベッドに……、ベッドに居てね……。
私……怖くて、でも、夢の話だから、皆に言い出せなくて……。
ごめん……、皆……」


決心した表情だったけど、ムギの肩は震えていた。
言葉にする度に、夢の恐怖を思い出してるんだろう。
それを必死に抑えてるんだ……。
私はそんな夢を見た事は無かったけど、
個人それぞれで記憶の残り方が違ってるって事なんだろうと思う。
でも、なるほどな、って思った。
やっぱり、ムギは私達に何が起こったのかを、夢に見る事で何となく思い出してたんだ。
それで私達の中で一番この世界を怖がってたんだろうな……。

ムギの肩は長い間震えていた。
ひょっとすると、泣き出しているのかもしれない。
ムギはずっと私達の事を心配してくれていた。
誰かが死んでしまう事を嫌がっていた。
だから、自分が見た夢を現実に起こった事だと思いたくないんだろうと思う。
私だってそうだ。
私が思い出した過去の方が、本当の意味での夢だったらどんなにいいだろう。
どんなに幸せだろう。

でも……。
唯がこんな状態になってる以上、もう目を逸らしてるわけにもいかなかった。
目を逸らしてたら、今度こそ本当に手遅れになる。
もう手遅れになってしまうのは嫌だ。
絶対に……、嫌だ……!
もう……、仲間達を失いたくない……!
だから、私は自分が震えてるのが分かりながらも、何とか言葉を口に出した。


「唯は病室のベッドに横たわってた……。
悲しそうな表情の憂ちゃんや和達が唯を見てた……。
それを私達が遠巻きに見てた……。
そこまでは思い出した。思い出したんだ。
それで……、唯がベッドで寝てる理由も思い出したよ。
唯は怪我をしたんだ。とんでもない大怪我を。
頭に……さ」


頭……。
そう、頭だ。
私達が大怪我をした時、唯は私達と同じく、
そして、よりにもよって頭を大怪我したんだ。
だから、唯はベッドの上にずっと横たわってたんだ。
横たえられていたんだ。
脳死……、ではなかったと思う。
まだ思い出せてないだけかもしれないけど、脳死じゃかったはずだ。
だけど、唯は目を覚まさなかった。
頭の何処かに大きな損傷を負ったって話を聞いた記憶はある。
これから目を覚ますかどうかわからないらしいわ……、
って、そう悲しそうに呟く和の表情だけはしっかり思い出した。

私達はそれが嫌だった。
脳死でないにしても、唯が目を覚まさないなんて耐えられなかった。
また唯と話したかった。笑いたかった。演奏したかった。
どうにかしてまた一緒に居たかった。
傍に……、居たかったんだ……。

そうして、私達の願いは叶った。
何がどんな作用を起こしたのか。
何でこんな状態になってるのか。
その辺りはまだ何も分からないけど、とにかく夢は叶ったんだ。
叶って……しまったんだ……。
それがよかったのかどうかは……、私にもまだ……、分からない。

しばらく沈黙が部屋の中を包んだ。
聞こえるのは苦しそうな唯の呻き声だけ。
沈黙してる場合じゃないのは分かってたけど、
何をどうしたらいいのか、その解決の糸口も掴めてなかったからだ。


「あ、あの……」


少し呆然とした様子ながら、梓が呟き出した。
何か考えた事があるんだろう。
「どうした?」と私は梓に訊ねてみる。


「はい……。
この世界が唯先輩の夢だって言うのは……、
あの……、私も何となく分かるんです……。
律先輩もおっしゃってましたけど、こんなに日焼けが治らないのなんて初めてで……、
もしかしたら私の身体は本当の私の身体じゃないんじゃないかって、そう思わなくもなかったんです。
唯先輩の私に対するイメージが、私の身体を作り上げたってそんな気も……します……。

ですけど……、どうして……、
どうしてこんな事が起こってるんでしょうか……?
私、怪我の記憶はあんまり無いんですけど、
律先輩の言う事が事実だとしたら、私、この世界に来れて嬉しいです。
唯先輩が……、目を覚まさないなんて嫌です……。
傍に居て、笑っていてほしいです……。

だけど……、どうしてこんな不思議な事が起こってるんでしょうか。
あの……、もしかして……、ひょっとしたら、唯先輩が……。
いえ、でも……」


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最終更新:2012年07月09日 23:56