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言いながらムギは少し視線を伏せていたけど、
言葉の最後の方では軽く微笑みを見せてくれていた。
ムギの穏やかな笑顔……。
そうだよ……。
私はこの笑顔が見たかったから、皆の未来を守りたかったんだ。
自分の過去を捨てて、皆の笑顔のために頑張りたかったんだ。
その選択肢は間違ってないはずだった。

だけど、私が過去と思い出を捨てると悲しむ仲間が居たんだ。
私は自分の事だけに目を向けてたから、それに気付けてなかった。
私が皆の悲しむ姿を見たくないように、皆だって私の悲しむ姿を見たくなかったんだ。
その事に、やっと気付けた。
だから……、私はもう一度澪に視線を向けてから言った。


「……行ってくるよ、澪」


「何処……に……?」


「私に何が出来るか分からない。
何をしても裏目に出ちゃうのかもしれない……。
だけど、まだ出来る事があるって気付いたから、
澪達が気付かせてくれたから、それをやりたいって思うんだよ……。
唯を安心させてやりたい……。
唯が眠ってる内に、それが出来るようにしておきたいんだ……。
まだ仮定に過ぎないけど、安心出来れば、唯の体調も回復するはずだから……!」


言いながら、私はポケットの中に手を突っ込む。
ポケットの中には唯が拾ってくれた二つのピックがある。
三つあるうちの二つのピックが……。
残り一つのピックを、探しに行きたいと思う。
見つけ出して、苦しむ唯に見せてあげたい。
唯してくれた事は、無駄じゃなかったんだって。
私を苦しめるだけじゃなかったんだって。

そんな事をして、何の意味があるのかは分からない。
そんなちっぽけな事には、何の意味も無いのかもしれない。
今更、ピックを見つけたって、何も……。
だけど……。
私に出来る事は、多分それだけだ。
澪や梓みたいに誰かを支えてあげられるわけじゃない。
ムギみたいに看病が出来るわけでもない。
唯の傍に居たって、私に何か意味のある事が出来るわけじゃない。
だから、私は私に出来るちっぽけな事を精一杯やらなきゃいけないんだ。


「……ああ、分かったよ、行って来い、律。
おまえが唯を追い詰めた理由については聞かないよ。
聞いたって、それは本人同士にしかどうにか出来ない問題だろうしな。
おまえに出来る何かがあるんだったら、私はそれを待ってるよ。
待ってるから……!」


澪が強い視線で私の言葉に頷いてくれた。
大切な幼馴染みが、私を送り出してくれた。
私も、強く頷く。


「ありがとな、澪。
唯が目を覚ましたら、私は必ず戻って来るって伝えておいてくれ。
おまえを元気にさせてみせる、絶対に死なせないからな! ってさ。

……もう一度言うけど、本当にありがとう、澪。
おまえが居なきゃ、私は多分何も出来てなかった……。
もっともっと後悔してた……。
何かを出来る気になれたのはおまえのおかげだ。
何だよ……、怖がりのくせにカッコいいじゃんかよ、澪……」


私がちょっと口を尖らせて言うと、澪が軽く笑ってくれた。
正直な想いを、告白してくれた。


「私だってギリギリだよ、律……。
怖いし、痛いし、辛いし、悲しいし、苦しい。
今だってパパやママ……、和達の事を思い出すと辛くてどうにかなりそうだ……。
でもさ……、頑張らなきゃって思うんだ。
皆の……、律の元気に頑張ってる姿を見てると、私も精一杯頑張らなきゃって思うんだよ。
律が元気な姿を見せてくれるから、私だって怖くても頑張れるんだ」


「でも……、それは私の本当の……」


本当の姿じゃない。
強がってただけの姿だ。
本当の私はもっと弱くて情けない奴なんだ……。
それを言うより先に、澪は首を横に振って言ってくれた。


「ううん……、それもおまえの本当の姿なんだよ、律……。
律の元気な姿を見てると、勇気が湧いて来るんだ。
空元気だったとしても、無理をしてたにしても、
律の元気な姿を見るのは、本当に嬉しかったんだよ……。
何も出来てないって事ない。
私は……、律の元気な姿に救われてたよ……」


「私だって……!
私だって……、りっちゃんの元気な姿、大好きだよ!」


澪の言葉に続いて言ってくれたのはムギだった。
真剣な表情で、私を見つめてくれている。
そう……なんだろうか……。
ほんの少しでも、私は皆の役に立てていたんだろうか……。
それなら、嬉しいな、凄く……。
私は少し救われた気分になりながら、頭を下げて二人に伝えた。


「ありがとう、二人とも……。
じゃあ、悪いけど……、行ってくる。
ムギ、澪、唯の看病は頼む。
二人になら唯の看病を任せられるからな。

ムギ……、自信を持ってくれ。
私、ムギが必死に医学書を翻訳してたの知ってるよ。
病気じゃないだろうけど、それでも唯がまた苦しんだ時には役に立つはずだ。

澪も……、ありがとう。
おまえのおかげで少しだけ勇気が出せたよ。
私が皆のために何の役に立つかは分からない。
でも、出来るだけの事はやってみせるよ」


二人に想いを伝え終わった後、私は梓に視線を向けた。
さっきから何も喋っていない梓。
ひょっとすると、私に何が出来るわけでもないって思ってるんだろうか。
そんな事は無いと思うけど、それでもよかった。
そう思われても仕方が無い事を私はして来たんだから。
私をまた信じてもらえるかどうかは、私のこれからの行動次第だ。
私は小さく深呼吸してから、梓に声を掛ける。


「梓……、おまえはここに居て……」


「私も連れてって下さい!」


私の声よりもずっと大きな声で梓が叫ぶ。
予想外の事に私は驚いて硬直してしまう。
澪達も不思議そうに梓を見つめてるみたいだった。
だけど、梓はそれを気にせずに言葉を続けた。


「律先輩が何をしようとしてるのかは分かりません……。
でも、お手伝いしたいんです!
唯先輩が元気になるなら、そのためのお手伝いがしたいんです!
だから……、私も連れてって下さい、律先輩!」


強い視線だった。
強い意志だった。
梓を連れて行くべきかもしれないって、一瞬考えてしまう。
だけど、私は首を横に振った。
それはしない方がいい事だと思ったからだ。
私が一人でやらなきゃいけない事だし、梓にはやってほしい事がある。
梓が悲しそうに視線を伏せて続ける。


「どうしてですか、律先輩……?
私……、私も……、皆さんのお役に立ちたいです……。
私には看病なんて出来ないですし……、
それに……、律先輩を一人で行かせるなんて心配で……」


梓は一陣の風の事を言ってるんだろうと思った。
確かに誰かを一人で行かせるのは心配な気持ちは分かる。
私は梓の肩に軽く手を置いて、静かに頷いてみせた。


「大丈夫だよ、梓。
梓にはやってほしい事があるんだ。
唯の傍に……、居てやってほしい。手を握っていてやってほしいんだ。
唯の事が大切なんだって、元気で居てほしいんだって、
そんな気持ちを込めて、私の代わりに一緒に居てやってほしいんだよ。
梓が傍に居た方が、唯だって喜ぶよ」


「でも……、でも、それじゃ、律先輩が……」


まだ寂しそうな表情を浮かべる梓。
私は梓を安心させるために、床に置いていたリュックサックに入れておいた物を取り出した。
雑誌とかをまとめる時に使うビニール紐だ。
400メートルのビニール紐を四つ。
そのうちの一つを私の腰に巻いてから結んだ。
私の突然の行動に、唖然とした表情で梓が呟く。


「な、何やってるんですか……っ!」


「おまえが最初に言い出した事だろ、梓?
自分の身体に触れてる物は一緒に転移するんじゃないかってさ。
その理論の応用だ。
ビニール紐を身体に結んでおいて、
誰かがそれを持っていてくれれば、どんなに距離が離れてたって大丈夫なはずだろ?
そんなに遠出をするつもりじゃないし、四つもあれば大丈夫だろ。
紐の端と端を結べば一キロ以上は進める。
それにこれも被ってくからさ」


言いながら、私はライト付きのヘルメットを被った。
さっき時間を確認したけど、午後五時を回ってたからな。
そろそろ太陽も沈み始める頃だ。
そんなに時間を掛けるつもりはないけど、万が一の時のために被っておいた方が安全だろう。
懐かしくなって持って来ておいてよかった。


「それなら安心……のはず……ですけど……。
でも……、でも……」


まだ心配そうな表情を浮かべる梓。
安心させてやりたかったけど、今は無理にでも信じてもらうしかなかった。
ビニール紐の固まりの端を梓に握らせてから、私は部屋の扉を開ける。


「律先輩!」


「りっちゃん!」


「律!」


三人の言葉が重なる。
全員の視線が私に集まる。
続きの言葉は澪が代表して言ってくれた。


「ちゃんと帰って来いよ!
唯と一緒に待ってるから……!
だから、ちゃんと帰って来て……!
お願い……!」


「ああ!
唯の事……、頼む!」


そう言ってから、駆け出して行く。
未来への希望と、少なからずの不安を胸に抱きながら……。





走る。
階段を駆け下りていく。
ビニール紐を腰に巻いて、ライト付きヘルメットを被って、そんな間抜けな姿で私は走る。
間抜けだけど、私が今出来る最善の、最良の装備姿だ。
どんな姿でだって、走ってみせる。
見つけ出してみせる。
ピックを。
私の過去を。
唯が大切にしようとしてくれた物を。

さっき、私は勇気が出せたと皆に言った。
勇気は確かに出せた。
ギリギリの所で踏み止まれた。
踏み止まれたのは澪の拳骨、ムギの信頼、梓の支え、唯の想いのおかげだ。
最低な私が最後の最後で勇気を出せた。
それは本当だ。
でも、怖さは全然無くなってない。
むしろ不安と恐怖はどんどん増して来てる。

それを誤魔化して、拳を握り締めて、唇を噛み締めて、私は走ってる。
怖い……、物凄く怖い……。
唯の事を失うのが怖い。
捨てた過去と向き合うのが怖い。
ピックを見つけられたとして、唯に何て言えばいいのかも分からない。
皆は私を信頼してくれたけど、その信頼に応えられるか全く自信が無い。
無い無い尽くしで我ながら呆れ果ててしまいそうだ。

でも、走る。
走らなきゃいけない。
走らなきゃ、今度こそ私は恐怖で動き出せなくなる。
それは駄目だ。絶対に駄目だ。それだけは許しちゃいけない。
今一番苦しいのは唯なんだ。
唯の苦しみと比べたら、私の恐怖なんて大した事無いんだ。
無いに決まってるんだ……!


「……はあっ!」


溜息なんだか深呼吸なんだかよく分からない吐息が私から漏れる。
何だよ……。
いい加減にしろよ、私……。
何でまたこんなに怖がってるんだよ、畜生……。
本当に苦しいのは唯だ。唯なんだぞ……!
死ぬ事まで覚悟させちゃってるんだぞ……!
だから、進め!
今は私の苦しみなんて考えるな。
もう陽は沈みかけなんだ。
陽が沈んでしまったら、小さなピックを見つけるのがもっと難しくなる。
悩むのは後からだっていくらでも出来るんだから……!

階段を降り切り、私はホテルの玄関から飛び出していく。
視線を地面に向けると、建物や私の影はかなり長くなってしまっていた。
この調子じゃ二時間もしないうちに完全に陽が沈んでしまうはずだ。
勝負は二時間……。
長い時間のはずなのに、気だけが焦る。
そもそも唯が三日間掛けて見つけられなかったんだ。
残りニ時間で私に見つける事なんて出来るんだろうか……?

いや、出来る……、出来るはずだ……!
唯は何の手掛かりも無くピックを捜して見つけ出してくれたんだ。
私がピックを投げ捨てた方向すら把握出来ずに、見つけ出したんだ。
投げ捨てた方向を憶えてる私が、
投げ捨てた私が見つけられなくてどうする……!


私は屋上を見上げ、あの日、自分が立っていた方向を確認する。
あの日、確か私はホテルの道路に面した方の端に立っていたはずだ。
それをまっすぐに投げ捨てたわけだから……。
よし……、間違いない。
あの方向なら、丁度道路の方に落ちた形になっているはず……。
私は頷くとまっしぐらに全速力で道路に飛び出して、しゃがみ込んだ。

後は総当たり。
目ぼしい場所は唯が全部調べてるはずだけど、
もしかしたら何かの原因で見落としてるって可能性もあるから、絨毯爆撃的に端から端まで見ていこう。
そうすればいつかは必ず見つかる。
見つかるんだ……!
後は単なる時間との勝負だ。
いつかは見つけられるとしたって、全てが手遅れになってからじゃ遅過ぎる。
だから、急げ……!
急いでピックを見つけ出すんだ……!

私は目を皿のようにして、道路から街路樹から、片っ端から探り始める。
今は幸いにと言うべきか車も人も道路には居ない。
他の何を気にする事も無く、ピックを捜す事に専念出来るんだ。
大丈夫、見つかる。
絶対に見つかるって自分に言い聞かせて、とにかく探し続ける。

だけど……、私の中の弱い私が私の想いの邪魔をする。
私の中で耳鳴りみたいに、迷いの言葉を囁き続ける。

ピックを見つけてどうする?
ピックを見つけて唯を喜ばせて、それでどうするってんだ?
捨てようとした過去を受け止め切れるのか?
過去を見てちゃ動き出せなくなるから、ピックを捨てようとしたんだろ?
ピックを見つけたら、また動き出せなくなるんじゃないか?
和達を見捨てたって罪悪感に囚われて、何も出来なくなるだけなんじゃないか?
それとも、ピックを見つけて、皆の前で演技を続けるのか?
もう過去の事なんて乗り越えた。
何もかも大丈夫だって演技をして、皆に嘘を吐き続けるのか?


「駄目だ!」


私は声に出して自分に言い聞かせる。
今はそんな事を考えちゃいけないんだ。
唯の事を一番に考えるんだ。
唯が元気になれるんだったら、私は自分の気持ちに嘘を吐いたって構わない。
私はもう失いたくないんだ。
皆から唯を失わせちゃいけないんだ。
最後の最後に残った五人を、五人のままで居させなきゃいけないんだ……!
例え自分の気持ちに嘘を吐いたって……!

だからこそ、今は何も考えずに、前に進むんだ!
ピックを絶対に見つけ出すんだ!
それが一番いい答えなんだ!
さあ、今は地面を這って、ピックを捜すんだ!

それからどれくらい捜しただろうか……。
私は目に映る目ぼしい道路や建物付近を片っ端から捜した。
見落としは無かったはずだ。
街路樹の植えてある土まで掘り起こして捜したんだ。
だけど、何処にどう捜してもピックは見つからなかった。
どうやっても、見つからなかった。
何でだ?
どうして……、どうして見つからないんだ?
私がピックを投げ捨てたのはこの方向で間違いなかったはずだ。
片っ端から地面を捜し切ってやったはずなんだ。
なのに……、どうして?

瞬間、待てよ? と思った。
唯は三日間この付近を捜していた。
それで最後のピックを見つけられなかったんだ。
私がピックを投げ捨てた方向が分からなかったとは言え、そんな事があるか?
三日間だぞ?
特に唯はああ見えて誰よりも集中力がある奴じゃないか。
そんな唯がピックを二つも見つけて、最後の一つだけ見落とすなんて事があるか?

考えられるのは、最後のピックだけ何処か全然離れた場所に移動してるって可能性だ。
例えば風か何かで……。
風……。
思い出すのは梓と一緒に居た時に吹いた風。
強い風じゃなかった。あれはそんなに強い風じゃなかった。
だけど、小さくて軽いピックを何処かに飛ばすには十分な風だ。


「まさか……」


思わず呟いてしまう。
まさか私はまた間違ってしまったってのか?
時間が無いっていうのに、唯が苦しんでるっていうのに、
自分の迷いと戦う事に精一杯で、肝心な事に目が行ってなかったってのか?
風でピックが飛ばされてるかもって、そんな簡単な想像も出来ず……。
三日間も唯が必死に捜してくれた物を、
投げた方向が分かってるってだけで、簡単に見つけられるって勘違いして……。

馬鹿か、私は!
いや、正真正銘の馬鹿だ!
何で私はこんなに……。
こんなに馬鹿ばっかりやっちゃってるんだよ……。

いや、後悔してる時間は無い。
後悔してたって、何も出来ない。
風で飛ばされたってんなら、範囲を広げて捜すだけだ。
何としてでも捜し出すだけだ。
私に出来るのはそれだけなんだから……。
もうそれしか出来ないんだから……。
だから、急いで他の場所を捜しに……。


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最終更新:2012年07月09日 23:59