不意に。
私は思い付いた。
思い付いてしまった。
それは私の焦りが産み出した悪魔の囁きだったのかもしれない。
だけど、悪魔の囁きでも、それは私自身が産み出した悪魔には違いなかった。
時計屋から拝借してきた腕時計で時間を確認してみる。
時間はもうすぐ七時を回ろうとしている。
あっという間に二時間も過ぎ去ってしまった。
もうすぐ陽も落ちてしまうだろう。
ピックが落ちている場所の推測が全然出来てない上に、陽まで落ちてしまったら本当に打つ手が無い。
ライト付きのヘルメットは被ってるけど、
こんな小さなライトくらいが何の役に立つのかも分かったもんじゃない。
だから、私は思った。
思ってしまった。
今から楽器屋に行って適当なピックを見つけて、
それにほうかごガールズのマークを描いてしまうってのはどうだろうって。
そのピックを本物として通すのはどうだろうって……、思ってしまった……。
ピックの事は私と唯しか知らない。
そして、本物のピックの形は私しか知らない。
本物のピックだって言って渡してしまえば、唯は単純に信じてくれるだろう。
心を落ち着かせてくれて、元気になってくれるだろう。
そうだ……。
今は一刻も争う時なんだ……。
さっき私は自分に嘘を吐く事を決めたじゃないか。
唯のために、皆のために、嘘を吐くって決めたじゃないか。
単に私がこれからずっとこの嘘を胸に抱えて、生きていけばいいだけだ。
唯に生きてもらうためなんだ。
唯に元気になってもらうためなんだ。
皆のためなら、私は嘘吐きにだってなってみせ……。
「……くそっ!」
拳を握り締めて、コンクリートの道路に自分の拳を叩き付ける。
分かってる。
唯を救うためには、そうするのが一番いいんだ。
私以外の誰も傷付かないいい方法だって事はよく分かってる。
でも……、駄目だ……。
それだけは……、絶対に出来ない……。
唯は私のために精一杯ピックを捜してくれた。
澪達も私を信じて、私に勇気をくれた。
皆の想いを……、どうしても裏切れない……。
肝心な所で、私は私の想いを偽れない。裏切れない……!
唯のためだってのに……。
そうしなけりゃ、唯が死んじゃうかもしれないっていうのに……!
だけど、耳に響く言葉がある。
私の言葉より強く響くあいつの言葉がある。
「私に嘘を吐かないでくれよ、律。
嘘を吐かれても分かるし、嘘が分かっちゃうのも悲しいじゃないか」
ロンドンに転移させられる前、夜の屋上で澪に言われた言葉。
嘘なんて吐けない。
あいつの前では吐けない。
勿論、唯の前でだって、ムギの前だって、梓の前だって吐きたくない。
嘘を吐きたくないんだ……!
嘘なんて吐けるかよ、皆の前で……!
少しは吐けたって、吐き続けられるわけないだろ……!
本当にどうしようもない奴だとは自分でも思う。
最善のはずの行動すら出来ない。
本当に役立たずだな、私は……。
皆の足を引っ張ってばっかりだよ……。
だけど、どうしようもなく臆病なおかげで、
弱かったおかげで、どうにか最後の失敗だけはせずに居られたみたいだ。
偽物のピックを持っていく事なんて絶対に出来ない。
私はもう嘘なんて吐けない。
皆の前でも、自分自身の気持ちにも、嘘なんて吐きたくないんだ。
ああ、認めるよ。
私だって本当は和達を見捨てたくなんかなかった。
何としても和達を見つけ出したかった。
一緒に居たかった。
ほうかごガールズのライブをしてやりたかった。
でも、それ以上に残った皆を失うのが怖かったから、自分を誤魔化してたんだ。
皆を守るため、皆と一緒に未来に進むためって言い訳して、
和達の事を必死に思い出さないようにしてたんだ。
そのためにピックを捨てたんだ。
未来に進むためじゃなくて、過去を思い出さないために……。
私はずっとそんな自分を見たくなかった。
弱くて逃げてばっかりの自分を見ていたくなかった。
でも、もうそれは無理だ……。
もう認めようと思う、今度こそ。
私は弱くて、皆の足手纏いだったって事に。
それをどうにか悟られないように自分の心を誤魔化して、
余計に皆に心配を掛けて、結局、嘘を吐いた所で何も変えられなかった。
事態を悪化させただけだったんだよな……。
だから、もう嘘は吐けない。吐かない。
ピックをもし見つけられても、正直な想いを唯に伝える。
今度こそ、なけなしの誤魔化しの勇気じゃなくて、本当の勇気で皆を支える。
そのためには……!
「……っしゃあっ!」
声を出し、立ち上がる。
全ては振り出しに戻ってしまった。
何もかも振り出しで、ゼロだ。
だけど、マイナスじゃない。もうマイナスじゃない。
ピックを見つけてみせる。
今度こそ自分の意志で、自分の気持ちに嘘を吐かないで。
それこそが本当の意味で皆と私のために出来る最後の事だ……!
見つけてみせる、絶対に……!
まずは落ち着け。
落ち着いて考えるんだ。
この周辺の地面にはピックが落ちてなかった。
それは事実だ。
だからって、何処か遠い場所にピックが飛ばされたって考えるのも早過ぎないか?
そう思うのにはちゃんと理由がある。
昔の話なんだけど、聡がカードゲームに使うカードを落とした事があった。
家の近くで落としたのは確からしいんだけど、
私も一緒に捜したのに何故か見つからなかった。
大事なレアカードらしく、聡は相当落ち込んでいたけど、
数日後、そのカードは本当に意外な所から見つかった。
聡のカードが見つかったのは自宅の屋根の上だった。
風で飛ばされたのか、何かの拍子で運ばれたのか、そのどちらかは分からない。
だけど、落としたカードは、確かに私の家の近くにあったんだ。
この周辺の地面にピックは無かった。
地面には。
だったら、地面以外に落ちてるんじゃないか?
それなら唯がピックを見つけられなかったのも納得出来る。
唯もピックは地面に落ちてる物だって思い込んで捜していたはずだ。
それが普通なんだ。さっきまでの私もそうだったしな。
だとしたら、地面じゃなくて建物の屋根や窓、
配水管なんかに挟まってる可能性も決してゼロじゃないどころかかなり高いはずだ。
「よしっ……!」
そう呟くと、私はまず一旦ホテルの入口に戻り、フロントに置いておいた物を手に取った。
それを首から掛け、すぐに元の場所まで戻る。
一息、深呼吸。
逸る気持ちを抑えながら、それの接眼レンズに目を近付ける。
持って来たのは、当然だけど双眼鏡だ。
地面ならともかく、高所にピックが挟まってるとなると肉眼じゃとても捜し切れない。
私は久々に使う双眼鏡に戸惑いながらも、全力でピックを捜し始める。
簡単に見つけられるとは思ってない。
私の考えが間違ってる可能性だってある。
だけど、絶対に見つけ出してやる……!
今度こそ、何が起こったって……!
元々捜し物が苦手な私だ。
最初こそ直立不動でピックを捜していたんだけど、
そのうちに双眼鏡を覗き込むだけじゃもどかしくて、いつの間にか歩き出していた。
少なくとも歩きながら捜した方が、効率よくピックを捜せるはずだしな……。
そう思っていたのが、間違いだったのかもしれない。
「いだっ……!」
不意に、私は自分の側頭部に鈍い痛みが襲ったのを感じた。
双眼鏡を目から離して周囲を見渡してみて、
私はやっと自分がビルの壁にぶつかったんだという事に気付いた。
双眼鏡を覗き込んでたせいで近くが見えてなかったらしい。
これは気を付けないといけなかったな……。
でも、私の頭にそれほどの痛みは無かった。
それはライト付きヘルメットを被っていたおかげだったみたいだ。
ライトの方をメインで使おうと思って被っていたはずなんだけど、
まさかヘルメットの方に助けられるとは思わなかった。
これが転ばぬ先の杖ってやつか?
いや、違うか。
いや、そんな事はどうでもいい。
自分がライト付きヘルメットを被っていた事を思い出して、
その瞬間、私はとても重要な事に気付いていた。
今……、何時だ……?
さっき時間を確認した時は七時前だったはずだけど、まだ結構明るいぞ?
昨日までは七時過ぎには完全に陽が落ちていたはずだったんだが……。
そんなに経ってないのか……?
そう思って腕時計を確認してみて思わずぎょっとした。
腕時計が七時五十分を指し示していたからだ。
なのに、陽が落ちてない……?
それどころか朝焼けくらいには明るくないか……?
何でだ……?
私は少し動揺して太陽に視線を向けてみる。
太陽はかなり低い位置にあったけど、どうもこれ以上沈みそうには見えなかった。
夕焼けと言うか、まるで朝焼けみたいだ。
いや……、もしかしたら、これは……。
「白夜……?」
気が付くと私は呟いていた。
そうだよ、白夜だ。
直接目にした事は勿論無いけど、テレビで何度か見た事はある。
夜になっても一晩中太陽が沈まないって言うあの自然現象だ。
そういや、ロンドンに行く前に澪に訊ねた事があったっけな。
ロンドンって北の国ってイメージあるから、白夜見られるかなって。
そう訊ねると、呆れた顔で澪は言ってくれたんだったな。
白夜が見られる季節は夏。
それも北緯が66.6度以上の国だけだって。
それはそれは詳しく教えてくれた。
多分、澪もイギリスで白夜が見られるかと思って、私より先に調べてたんだろうな。
だけど、今はそんな事はどうでもよかった。
見られるはずのない白夜が、どうしてロンドンの街で見られるんだろうか。
しかも、今日に限って。
……唯だ、と瞬間的に思った。
私も人の事は言えないけど、
唯だってロンドンじゃ白夜が見れないって事は知らないはずだ。
南十字星が何故か日本で見られるのと同じように、
唯の勝手な思い込みで今このロンドンに白夜が発生してるんだろう。
本当に適当な奴だよな……。
でも、私はそれを唯の意志だと感じた。
ロンドンで白夜が見られるかどうかは別として、今日白夜になったって事が重要なんだ。
これは唯が私を助けてくれてるって事だと、私は思う。
私がピックを捜す手助けをしてくれてるんだ。
多分、無意識の内に……。
ここは唯の夢の世界とは言っても、
唯自身が完全にコントロール出来てるわけじゃないみたいだ。
もし自在にコントロール出来るくらいだったら、最初から和達の姿を消したりはしないだろう。
唯自身もこの世界の力を持て余してるんだ……。
だけど、今、ロンドンは白夜になっている。
それは唯の生きたいって意志の反映のはずだって、私は結論を出した。
勿論、そうじゃないかもしれない。
単に熱に苦しむ唯の想いが暴走してるだけなのかもしれないし、
それ以外の理由で白夜になってるだけって可能性だってある。
それでも、私はこの白夜を唯の生への意志だと思う事にした。
勘違いだって構わない。
どちらにしろ、この白夜が私の手助けをしてくれてるのは間違いないんだから。
あまり悠長な事は言ってられないけど、少なくとも多少は落ち着いてピックを捜せるんだから。
「待ってろ……。
待ってろよ、唯……。
和、純ちゃん、憂ちゃん……」
気が付けば私は消えてしまった三人の名前を呼んでいた。
和達を見捨ててしまった私に、三人の名前を呼ぶ資格は無いのかもしれない。
恨まれても当然なのかもしれない。
これまで私はそれが怖かったけど、今は三人を忘れる事の方が怖かった。
もう忘れたくない。
恨まれてたって憎まれてたって、和達の事は憶えていたいんだ。
それに和達がもしも私を恨んでいたって、
和達も唯に生きていて欲しい事だけは間違いないはずだ。
恨んでくれても構わない。
だけど、今だけは唯のために、私に少しだけ勇気を分けてほしい。
皆との思い出を力にさせてほしい。
心から、そう思う。
また必死に周囲を捜す。
小さなピックを見つけ出すのは至難の業だけど、もう諦めない。
絶対に見落とさない。
見つからない……。
唯が三日間捜して見つからなかった物なんだ。
そう簡単に見つかるはずもない……けど、そこで不意に私はある事に気付いた。
私はホテルの周囲を三時間以上捜した。
これでもかってくらいに捜した。
でも、まだ捜してない場所がある事にやっと気付けた。
時間制限が少なくなって、多少は冷静になれたからかもしれない。
また捜してない場所……、そこは……。
私は振り向いて、双眼鏡のレンズを覗き込んでその場所を見渡す。
簡単でこれまで思いもつかなかった場所、
単純過ぎて呆れてしまうくらいの盲点……、その場所こそ、私達が滞在してるホテルだ。
この周辺にピックは落ちていなかった。
確信は無いけど、風で遠くに飛ばされてるとも考えにくい。
周囲の建物の何処かに挟まってるようでもない。
なら、これで決まりだ。
ピックがある場所はこのホテル以外には考えられない。
あの夜、私は三つ同時にピックを投げた。
自分の過去と一緒に捨てようと思って投げ捨てた。
でも、力強く投げ捨てられたわけじゃなかった。
躊躇いや迷いや悲しみや……、
そんな色んな想いがあって、どうにか投げ捨てられただけだった。
力なんて……、ほとんど入れられてなかったんだ……。
遠い場所に飛ばされてたわけじゃない。
近過ぎて分からない所に落ちたって考える方が妥当だった。
唯が見つけられた二つのピックが何処にあったのかは分からない。
ホテルの周辺をずっと捜してたらしいし、
ここからそう遠くない場所で見つけたんだろうと思う。
だとしたら、一緒に投げた最後のピックだって、その二つのピックの近くにあるはずなんだ。
その場所こそこのホテルの外壁の何処かなんだ。
例えば、ホテルの入口の庇とか……。
思って、私はホテルの入口の庇……って言うのかどうかは分からないけど、
とにかく日本建築の建物だと庇に該当する部分を双眼鏡で見渡した。
勿論、そう簡単に見つかるとは思ってない。
でも、見つからなくたって、絶対に見つけ出してやる。
今度こそ私の考えは間違ってないはずだ。
ピックは間違いなく、このホテルの外壁の何処かに挟まっているはずなんだ。
どんな高い場所にあったって、どんなに見つけにくい場所にあったって、
私は絶対に今度こそ諦めずに見つけ出してやるんだ……!
だけど……、私はそこで予想もしてなかった事態に、声を上げてしまう事になる。
「あった……っ?」
あんまりにも簡単で信じられなかった。
唐突過ぎて変な夢でも見てるんじゃないかと勘違いしたくらいだ。
何度も双眼鏡を確認してみる。
でも、私が見つけたそれ……、ピックは確かにそこにあって、
双眼鏡越しにでもほうかごガールズのマークは簡単に確認出来た。
まさかホテルの外壁にあるかもって気付いてから、即座に見つかるとは思ってなかった。
確かにこれまで捜しもしなかった場所ではあるけど、こんなすぐに見つけられるなんて……。
ホテルの入口の庇だぞ?
これまで捜してた場所とは目と鼻の先じゃんか……。
いや……、これまで捜しもしなかった場所だからこそ、か。
思いもよらない場所だからこそ、それに気付けばすぐに見つけられるんだ。
まさしく灯台下暗しってやつだ。
そうか……。
ちょっと考え方を変えるだけで、答えは簡単に見つけられるんだな……。
そう……だったんだな……。
私は思わず泣き出しそうになってしまう。
悲しいのか嬉しいのか分かんないけど、何故だかとても泣いてしまいたい。
でも、そんなわけにもいかなかった。
私は鼓動が激しくなる心臓を抑えながら、ホテルの入口に向かう。
今はピックを回収して、唯に見せてやる方が先だ。
唯に何を言えばいいのかは分からない。
何を言ってやれるのかは分からない。
でも、とにかくピックだけは回収しておかないとな……。
と。
ピックを見つけられた事で少し安心出来たせいか、
私に不意に今まで気にしないようにしていた感覚が頭に戻って来た。
痛みだ。
ズキズキと痛む私の頭頂部の痛み。
さっき壁に頭をぶつけた時の痛みじゃない。
あれも痛かったけど、ヘルメットを被ってたおかげで大した負傷にはなってなかった。
それ以外の頭の痛みと言えば、考えるまでもない。
澪に殴られた痛みだ。
さっきまで忘れてたけど、気にし始めるとかなりズキズキと痛い。
澪の奴……、相当本気で殴りやがったんだな……。
でも、私はそれが嬉しかった。
変な話だけど、澪が傍に居てくれてるってそんな気がしたからだ。
私が弱気に傾こうとした時、こうして喝を入れてくれるんだ、澪は。
今は傍に居なくたって……。
弱気になってなんて、居られないよな……。
「よっしゃあっ!」
私はそう言って自分に気合いを入れ、入口の庇に視線を向ける。
少し高い場所ではあるけど、脚立があれば簡単に届くくらいの高さだ。
脚立なら確かホテルのフロントに置いていたはずだ。
梓がホームセンターから念のため持って来てた物だけど、こんな時に役に立つなんてな。
梓の先見の明ってやつには感謝しないといけない。
あいつには助けられて、支えられてばっかりだ。
律先輩、律先輩って、呆れた顔をしながらも、あいつは私を支えてくれた。
呼ばれ過ぎて、傍に居なくたって鮮明にあいつの声を思い出せるくらいだ。
「律先輩!」
ほら、今だってあいつの声が……。
……って、違う。
今のは現実に耳に届いた声だ。
私は驚きながら声がした方向……、ホテルの内部に視線を向ける。
居た。梓だ。小さな身体で私達を支えてくれてる梓だ。
その梓がツインテールを振り乱して、息を切らしながら私に駆け寄って来ていた。
私の目の前にまで辿り着くと、梓は大きな声を張り上げた。
「大丈夫ですか、律先輩……っ!」
「大丈夫……って?」
「何不思議そうな顔してるんですか!
心配したんですよ!
だって……、律先輩、三時間も経つのに全然戻って来てくれないし……、
気になって窓から外を見てみたら、八時過ぎなのに全然太陽が沈まないし……、
こんな異常事態……、心配するなって方が無理ですよ!」
最終更新:2012年07月10日 00:01