言い様、梓が私の胸の中に飛び込んで来る。
勿論、抱き締められたいから、ってわけじゃない。
私の存在をただ確認したかったんだろうと思う。
梓は私の胸の中で震えていた。
梓の奴……、こんなに私を心配してくれてたのか……。
心配するな、とは言えなかった。
心配してくれてる相手に向かって、心配するなって言うのは無神経過ぎる気がした。
私も何度もした事があるだけに、今回ばかりはそれをしちゃいけないって思った。
梓の震えを止めるために、気休めじゃなくて、事実だけを伝える事にする。


「……悪かったよ、梓。
遅くなって……、ごめんな。
でも、見つけられたんだ。捜し物はもう見つけられたんだ。
後はそれを取りに行くだけだよ。もう……、それだけだからさ」


「本当……ですよね……?」


梓が上目遣いに私の表情をうかがう。
私は梓から視線を逸らさずに、ゆっくりと強く頷いた。
もう嘘は吐きたくないんだ。
嘘を吐いちゃ、いけない。

数秒見つめ合ってから、梓が強張っていた表情を崩してくれた。
少し安心してくれたみたいだった。
静かに梓が口を開く。


「本当……みたいですね……。
だから、信じますけど……、
律先輩の事、信じますけど……、もう嘘は吐かないで下さいよ?」


「何だよ……、私ってそんなに信用無いのか?」


私が口を尖らせて梓の頬を軽く抓ると、そのままの状態で梓が頷いた。


「それはそうですよ!
律先輩はいつもいい加減で大雑把で適当で変な事ばかりやってて……、
さっきだって……、部屋から出てくだって……、
「大丈夫」って言いながら、律先輩、泣き出しそうな顔してて……。
そんな顔見てたら、そんな嘘吐かれたら、心配せずにはいられないじゃないですか……!」


言葉の最後では梓はまた声を荒げていた。
私と会えて安心出来た事で、感情を少し抑えられなくなってるんだろう。
少し面食らったけど、それでよかった。
私と同じ様に、梓にも好きなだけ自分の気持ちに正直になってほしい。

それにしても、だ。
梓にまで私の嘘が見抜かれてるとは思わなかった。
この調子じゃ澪は勿論、ムギにだって私の嘘が完全にばれてるに違いない。
澪が前に「律の嘘なんて、私には簡単に見抜けるんだからな!」って言ってたけど、
どうやら私の嘘は本気で物凄く下手糞らしい。軽音部の皆に分かり切っちゃうくらいに……。
嘘で全てを誤魔化せると思ってた自分が、何だか恥ずかしくなってくるな……。

でも、嬉しかった。
心底、安心していた。
偽物のピックを作らなくてよかった。
嘘に嘘を重ねなくて、本当によかった……。
多分、偽物のピックを見せても、唯は喜んでくれてただろう。
澪達も私達の会話を見守っててくれてただろう。
私達の嘘を……、お芝居を見守っててくれてただろう。
皆が嘘を嘘と分かって、気持ちを誤魔化して、
皆のために嘘を吐き続ける関係になっちゃう所だったんだ……。
私の……せいで……。

だから、嬉しい。
本当に最後の最後にだけど、限界の所で踏み止まれたのが、泣きたくなるくらい嬉しい。
伝えよう、と思う。
正直な気持ちを、今度こそ皆に……。

私は手を伸ばして梓の頭を軽く撫でる。
何を伝えればいいのかは分からなかったけど、感謝の想いだけは届けたかった。
数秒、梓の頭を撫でる。
想いを届け切れるまで頭を撫でていたかったけど、そうしている時間も無かった。
今は唯の事を考えなきゃいけない時だし、梓だってそっちの方が大事だと思ってくれるはずだ。
私は小さく深呼吸してから、梓の頭から手を離して訊ねる。


「ところで、唯の様子は……?」


頭から手を離された梓の様子は少し寂しそうに見えたけど、すぐに真剣な表情に戻って口を開いた。
梓だって、今自分がどうするべきかを分かってるんだ。


「唯先輩の様子は小康状態……だと思います。
ムギ先輩がおっしゃるには、よくもなってないし、悪くもなってないとの事でした。
澪先輩も、ムギ先輩も、唯先輩を必死に看病してくれています。
勿論、私だって唯先輩の事が心配ですよ……。
だけど、律先輩が全然戻って来てくれないし、外を見てみると明るいままだし、
律先輩に何かあったのかもって思うと、私……、居ても立っても居られなくて……。
それで……、私……、律先輩まで居なくなっちゃったらどうしようって、私……」


躊躇いがちに梓が目を伏せる。
自分の弱さを見せる事と、私の言いつけを守れなかった事が辛いんだろう。
私にはその梓の気持ちがよく分かった。
私だって同じだったからだ。
何となくだけど、私達の選んだ道や考え方はよく似ていると思う。
未来に進もうとしたのも同じだし、誰かを失う事が何よりも怖かったのも同じだ。
私達は……、似た者同士なんだろうな……。
だから、あの日、私が風呂場で梓を求めようとしたのは、ひょっとしたら……。
いや、今はそんな事を考えてる場合じゃない。
私は梓の両肩に手を置いて、梓の視線がまた私の方に戻るのを待った。
梓は責任感の強い子だ。
迷いを見せながらも、すぐに視線を私の瞳に見度してくれた。
見つめ合いながら、私は言葉を続ける。


「詳しい事は言えないけどさ、外の様子は心配無いと思う。
こんな時間になっても太陽が沈まないなんて異常だけど、多分、これは白夜なんだよ。
梓だってテレビで何度か観た事があるだろ?」


「白夜って、律先輩……。
確か白夜はロンドンじゃ見られなかったはずじゃ……。
ううん……、そっか……。
この世界が唯先輩の夢の中なら、もしかしたらそういう事も……」


「理解が早くて助かるよ、梓。流石は優等生だよな。
だから、確実ってわけじゃないけど、今の外の様子は問題無いはずだ。
とりあえず気にするのはやめとこうぜ?
そんな事より、今は唯に届けたい物があるしな。
届けたいんだよ、『それ』と私の想いを……。
だから、『それ』を持って部屋に戻ろうぜ?
澪達は部屋で唯を看病してくれてるんだろ?」


「はい……、さっきも言いましたけど、
お二人とも、唯先輩の看病をしてらっしゃってます。
私が律先輩の事が気にしてるのを気付いて下さったみたいで、
「律の所に行って来い」って澪先輩が送り出して下さったんです……。
澪先輩達だって律先輩の事が心配なはずなのに、私だけを……」


それはそうだろうと思う。
ムギもそうだけど、特に澪は私の幼馴染みなんだ。
私の嘘も強がりも全部分かっていたはずだ。
分かっていて、送り出してくれたんだ。
勿論、私がどんな選択肢を選ぶのかは分かってなかったはずだと思う。
だけど、あいつは私の選んだ事を全部受け止めるつもりで、
そんな想いを抱いて送り出してくれたはずなんだ。
確証は無いけど、そんな物は必要無かった。
あいつはそういう幼馴染みなんだ。
どんなに情けなくたって私を信じてくれてるんだ。

ムギだって同じ。
ムギも私の事を信じてくれた。
だから、不安でも私を信じて今も待ってくれているんだ。
その信頼を裏切る事なんて、もう絶対に出来ない。

私は梓の頭を軽く掴んで、ホテルの入口の庇に視線を向けさせる。
不思議そうな表情を浮かべつつも、梓は素直に私の動き従ってくれた。
私は頷きながら言葉を続けて、梓に想いを届ける。


「心配、ありがとな。嬉しいよ、梓……。
あそこにさ……、私が唯に渡したい物があるんだ。
何かは言えないんだけど、ちょっと待っててくれないか?
私、もう嘘は吐かないからさ。
正直な気持ちを皆に伝えるようにしたいからさ……、
そのためにも、ほんの少しだけ待っててほしいんだ」


それは私の正直な気持ち。
やっと久々に伝えられた私の本当の想いだった。
だけど、梓は私の言葉には首を振る事で応じた。


「駄目です」


「え……っ?」


「私も一緒にあそこまで登ります。
律先輩を一人きりにするのなんて、もう嫌です。
唯先輩と律先輩の問題ですから、
律先輩が何を捜してるのかは確認しないようにしますけど、
目を瞑ってますけど、あそこまでは絶対に一緒に登らせてもらいますからね」


「いや、でも……」


「律先輩はもう嘘を吐かないんですよね?
だったら、私だって嘘を吐きませんし、吐きたくありません。
私の想いを偽って、譲ったりもしたくありません。
だから……、絶対絶対!
絶対に私も一緒に行きますからね!」


梓の声と表情は真剣そのものだった。
梓がこんな我儘を言うのは滅多に無い事だ。
いや、我儘ってわけでもないけど、こんなに自己主張するなんてな……。
私は正直になる事を決めた。
梓もその私の姿を見て、自分も正直になる事を決めてくれたんだろう。
だったら、私に断る理由なんて一つも無い。
梓が一緒に来てくれるんだったら、例え短い距離でも勇気が湧いて来る。
私は梓の表情を見ながら頷く。


「分かったよ、梓……。
私に私の考えがあるみたいに、おまえにもおまえの考えがあるんだよな……。
よし、じゃあ、一緒に登るぞ?
フロントにおまえが持って来てくれてた脚立があったはずだから、まずはそれを取りに行こう。
その後でブツを回収したら、全速力で唯の所に戻るぞ。
私の正直な想いを……、今度こそ唯に伝えるからさ……。
それじゃ、おまえはこれを持って……」


言いながら、私は余っていたビニール紐の端を渡そうとする。
だけど、それより先に私の手は、強く梓の手に握り締められていた。
強く強く、握り締められていた。
突然の事に驚いて梓の顔をのぞき込んでみたけど、梓の顔は真剣そのものだった。
私を一人きりにしたくないって想いは、本気で強いものだったらしい。
だったら……。

私は握っていたビニール紐の端を離すと、手を開いて梓と指を絡め合った。
梓とは何度か手を繋いだ事はあるけど、指を絡めて握り合った事はほとんど無かった気がする。
梓の体温を感じる。
私だって、梓や皆とは二度と離れたくない。
強く強く、手と手、想いと想いを繋ぎ合う。
フロントに向けて二人で駆け出していく。
もう嘘を吐かず、本当の想いで皆を守っていくために。

走りながら、不意に梓が呟いた。


「そういえば、律先輩……。
澪先輩から律先輩に伝言がありました」


「伝言……?」


「「絶対に戻って来いよ。
戻って来たら、聴かせたい新曲がある」との事です」


新曲……って言うと、完成したのが嬉しくて唯が自分からばらしに来たあれか?
どんな曲かは分からないけど、そんな事はどうでもよかった。
それがどんな曲であろうと、その曲は澪とムギと唯が演奏する曲なんだ。
澪はその三人の内、誰一人欠けさせるつもりも無いって事なんだ。
唯は絶対に救ってみせるって言ってくれてるんだ、澪は。
カッコいい事ばっかりしやがって、まったくあいつは……。
私だって、負けてたまるか……!

だから、私はまた梓の手を強く握った。
握りながら、宣言してやった。


「唯は元気になる……。
絶対に元気にさせてみせる……。
それで唯が元気になって、皆が元気に揃ったらさ……。
私達もほうかごガールズの腕前を澪達に見せてやろうぜ、梓……!」


「……はいっ!」


私の言葉に梓は笑顔になって、強く私の手を握り返してくれた。
梓の体温を感じながら、守ってやる、と私は決心した。
今度こそ守ってやる。
唯も、澪も、ムギも、梓も……。
そして、私自身の想いと過去も……!




部屋に駆け込んだ時、唯は目を覚ましていた。
でも、目を覚ましてるとは言え、
その苦しそうな表情からは体調が全然回復してないのがよく分かった。


「あ……、あずにゃん……、
りっちゃん……、おかえり……なさい……」


苦しいくせに、呆れるくらい身体が辛いくせに、
唯は無理に笑顔を浮かべて、私達を出迎えてくれた。
私達に心配させないように、私達の事を気遣って……。
それは私が何度も皆にやって来た事ではあったけど、
自分がやられると無力感に苛まれて辛いだけだった。悔しいだけだった。
私は……、こんな事を皆にやっちゃってたのか……。

それを後悔する事は出来たけど、今はそんな場合じゃなかった。
私は椅子に座って唯の様子を見てくれていたムギと場所を代わってもらう。
それから苦しそうに息をする唯の手を握って言った。


「いいんだ、無理に喋るなよ、唯……。
私が……、私が悪かったんだ……。だから……」


「そうですよ、唯先輩!
無理しないで下さい!
そんな無理してちゃ、治るものも治らなくなっちゃいますよ!」


辛そうな表情の梓が私の後ろから言葉を重ねる。
澪達は何も言わず、私達の様子を見守ってくれていた。
本当は唯に伝えたい言葉が沢山あったはずだ。
でも、澪とムギは静かに私達を見守ってくれている。
私達を信じて、任せてくれているんだ……。

私は皆のためにも、自分のためにも、その信頼に応えなきゃいけない。
もう嘘を吐かず、正直な気持ちを唯達に伝えなきゃいけないんだ。
私は自分の手が震えてるのに気付きながら、それでも言葉を続けた。


「おまえの言いたい事と、おまえの気持ちは分かったよ。
この世界がおまえの夢みたいなものなのかもしれないって事もさ……。
だけど、それが何だってんだよ。
そんな事より、私はおまえに元気になってほしいんだよ、唯」


「で、でも……、でも……、私……、私が……」


「いいから無理して喋るな、唯……。
さっきおまえは言ったな。
自分が死んだらこの世界は消えるかもしれないって。
私達が元の世界に戻れるかもしれないって。
確かにそうかもしれないな。
ここがおまえの夢の世界だってんなら、そういう事も考えられる。
おまえが死ねば、私達は元の世界に戻れるかもしれない……。

だけど、それがどうした!
おまえなしで元の世界に戻ったって……、何の意味も無いんだよ、唯。
私はただ元の世界に戻りたいわけじゃない。
おまえと一緒に、皆と一緒に、元の世界で傍に居たいんだ。
遊びたいんだ。笑いたいんだ。演奏したいんだ!
だから……、もう死ぬなんて言わないでくれ……!」


それは私の想い。
私が唯に伝えたかった想いの一部。
でも、唯は納得してくれなかったみたいで、何度も首を横に振った。
自分が死んで私達を解放するって答えは、唯だって必死に考えて出した答えなんだと思う。
拳を握り締めて、唇を噛み締めて、血反吐を吐くような気持ちで出した答えのはずなんだ。
そう簡単に折れられるはずもない。
私達の事を大切に思うからこそ、唯は折れられないんだろうな。
だけど、私だって、唯の事が大切だから折れたくないんだ。

私は口を開いて、次の想いを伝えようとしたけど、
その言葉は唯に先に言葉を言われる事で遮られてしまった。
これ以上唯に無理はさせたくなかったけど……、
でも、唯にも自分の想いを言葉にさせてやらなきゃ、私の一方的な押し付けになるとも思った。
私が私の想いを伝えたいように、唯だって唯の想いを私達に届けたいに違いないんだから。


「でもね……、りっ……ちゃん……。
私ね……、思うんだ……。思い出したんだ……よ?
元の世界での……、私の事……。
私……、ずっと眠っててね……、身体が……、動かせなくて……、
でもね……、憂や和ちゃんや……、
りっちゃん達が私を心配してくれてるのだけは……分かって……、
皆に心配掛けたくないな、泣いてて……ほしくないなって……、私……、思って……。
私が思っちゃっ……たから……。
だから……、皆が私の夢の……中に……」


ああ……、きっと、そうだろう。
そうなんだろうって思う。
完全に思い出せたわけじゃないけど、私もかなり思い出せてはきていた。
あの夏休みの日、一陣の風のせいで生き物が消え去ったわけじゃない。
ライブの帰り道、私達は何かの原因で大怪我を負った。
交通事故なんだか、通り魔なんだか、隕石なんだか、その原因は憶えてないしどうでもいい。
とにかく、私達は大怪我を負ったんだ。
特に唯が頭にとても大きな怪我を……。


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最終更新:2012年07月10日 00:02