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途端、梓の瞳から大粒の涙が一筋こぼれた。
梓の悲しみの詰まった涙が……。
私の想いが上手く伝えられなかったせいで……。


「あずにゃん……。
そうじゃないよ……。そうじゃなくてね……」


唯が辛そうな表情で呟く。
梓を心の底から心配してるのがよく分かる表情だった。
私は梓だけじゃなく、唯まで悲しませてしまったんだ……。
辛いし、自分の不器用さが情けない。
それを後悔する事は出来たし、今までもそうして来たけど……。
私はもうそうするわけにはいかなかった。
これから先、私は梓にもっと嫌われる事になるかもしれない。
拒絶されてしまうかもしれないって思うと怖い。
だけど、誤解させたまま梓を悲しませてるのだけは、絶対に駄目だ。

傍に居なくたって大丈夫って思えるのは大切な事だ。
離れててもずっと仲間だって信じられるのも立派だと思う。
それでも、私達はまだそんなに強くない。
想いの力だけを信じられるほど、皆と話し足りてない。全然足りてない。
もっと話がしたい。演奏をしたい。一緒に居たい。
私はやっと皆が一緒に居られるために必要な事を見つけ出せそうになったんだ。
あれだけ皆に迷惑を掛けて、やっと見つけられそうになったんだ。
それを梓に伝えたいんだ。
本当に大切なのは、皆がただ一緒に居る事じゃなくて……!


「あず……」


もう一度、私は必死に左手を動かしたけど、
その場に立ち上がってしまった梓の身体の何処も掴む事は出来なかった。
一筋の涙を拭って、梓は私達に背を向けて部屋から飛び出して行ってしまった。


「し……、失礼します!」


絞り出したみたいなその言葉だけを私達に残して……。
呆然としていたと思う。
今までの私達だったら。
昨日までの私と唯だったら。

でも、もう呆然としてるわけにはいかなかったんだ。
もう自分の無力に泣いてるのはやめなきゃいけないんだ。
私も、唯も。
唯と頷き合うと、私達は布団を蹴り飛ばして床に脚を下ろした。
梓を追い掛けるんだ。

そうして、駆け出そうとした瞬間、不意に唯がその場に崩れ落ちた。
腰から力が抜けたって様子だった。
私は腰を下ろして、唯に調子を訊ねてみる。


「どうした、唯っ?
平気かっ? 知恵熱……かどうか分からないけど、それがぶり返したかっ?」


唯は悔しそうな表情を浮かべ、私の言葉に首を振る事で応じた。
私は左手を唯の額に当ててみたけど、熱がまた上がったってわけじゃないみたいだった。
悔しそうに唯が小さく呟く。


「ごめん……、ごめんね、りっちゃん……。
私、足に全然力が入らなくて、こんな時なのに……。
本当にごめんね、りっちゃん……、あずにゃん……も……」


あっ、と思った。
そうだ。すっかり失念してしまっていた。
唯は三日以上ベッドで寝込んでいたんだ。
昨日体調が快復したとは言え、ちょっとやそっとで体力が全快するはずがない。
少なくとも起き抜けで全力で走れるくらいの体力は戻ってないだろう。

私は唯と繋がれてた包帯をほどきながら、唯に宣言する。
宣言してみせる、力強く。


「大丈夫だよ、唯。梓は私が追い掛ける。
唯はそこでもう少し休んでろ。
大体、梓を悲しませちゃったのは、私の言葉が足りなかったせいだ。
全然上手く伝えられなかったせいだから……、私が梓を連れ戻して来る。
梓は私達の大切な後輩なんだって、
大事な天使なんだって事をちゃんと伝えて来る……!
だから……、待ってろ、唯……!」


「りっちゃん……。
私ね……、りっちゃんの言葉、間違ってなかったと思う。
私もりっちゃんと同じ様な事、あずにゃんに言ってたと思うし……。
りっちゃんが責任を感じる事無いよ……。
だけど、私……、
今はこんな状態で、役に立ちそうにないから……、
あずにゃんの事……、任せて……いい……?」


唯がそう言ってくれるだけで救われる気分だった。
でも、一人だけ救われてても意味が無い。
私達が本当に救わなきゃいけないのは梓なんだ。
今はそれがよく分かる。
梓が私達の腕を包帯で繋いだ理由、今なら分かる気がする。
さっきは驚いたけど、考えてみればそう突然の行動ってわけでもなかったんだ。
そうする素振りはずっとずっと前からあったんだ……。

ロンドンに転移させられてから、その素振りには気付いてた。
気付いてたけど、自分の事ばかりに目を向けてて、本当の意味では気付けてなかった。
まず転移させられた直後からそうだ。
皆で手を繋いで移動する時、梓は私の手を強く握ってた。
下手すりゃ臆病な澪に握られた時よりも痛いくらい、私の手を握ってたんだ。

その後だってそうだ。
梓は妙なくらい私の行動に付き合ってくれていた。
外の探索で私を励ましてくれたし、風呂まで珍しく一緒に入った。
その後も何度も外回りに誘われた。
それは私を心配しての行動だと私は思ってたし、
実際にもそうだったんだろうけど、それだけが理由じゃなかったのかもしれない。
梓も不安だったんだ。
不安で怖かったから、私の傍に居たがったんだ。
過去に目を向けてた唯とムギの傍じゃなく、強い意志を持った澪でもなく、
多分、同じ気持ちを抱いて過去より未来を見つめようとしてた似た者同士の私と……。
今、こんな状態になって、私はやっとその事に気付けたんだ。

救わなきゃいけない。
私は梓にこれまで何度も救われた。
今度は私が梓の心を救わなきゃいけない時なんだ。
その先、梓の隣に私の姿がなくったって、私は梓を救うんだ……!

私は部屋の中に置いたままにしておいた、
昨日使ったビニール紐に手を伸ばそうとして……、やめた。
本当はビニール紐を身体に結んでいた方が安心出来る。
誰かに端を持っていてもらう方が正解なんだろうとも思う。
だけど、そうするのはやめておいた。
一陣の風の事を気にし過ぎてもどうしようもないし、
何より私達はもっと前に進んでいかなきゃいけないと思うから……。
私は唯の頭に軽く手を置いて言うんだ。


「梓の事……、連れ戻して来るよ、唯。
本当はおまえが行った方が喜ぶのかもしれないけどさ……、
でも、あいつに誤解させたのは私だし、私がどうにかしたいって思うんだよ。
一応、元部長……なんだしな。
澪達……、先に呼んで来るか?」


「うん……、ありがとう、りっちゃん……。
でも、大丈夫。
ちょっとふらふらするだけだから、もう少し休めば大丈夫だと思う。
それにね……、私が行った方が喜ぶなんて、そんな事無いよ。
りっちゃんが来てくれたら、あずにゃんだってきっと喜ぶよ。
あずにゃんに……、りっちゃんと私達の考えを伝えてあげて……ね?

……紐、いいの……?」


唯がビニール紐に視線を向けながら呟く。
本当は私にビニール紐を結んで行ってほしいんだろう。
唯のその視線は凄く心配そうだった。
私だって胸の中が不安で張り裂けそうだったけど、どうにか首を振った。


「……いいんだよ。
梓が私達の手首を包帯で結んでくれてさ、分かったんだ。
昨日は非常事態だったからともかく、さ。
もうそういうのに頼ってちゃいけないって思ったんだ。
だから……、な……。
いや、とにかくもう行くよ、唯。
そろそろ追い掛けなきゃ流石に梓に追い付けなくなるからな。

おまえはもう少しだけ休んでから、澪達と一緒に居てくれ。
それより先に調子が悪くなったら、すぐ澪達を呼ぶんだぞ?
澪達、梓の事を心配するかもしれないけど、大丈夫だって言っておいてくれよな。
私……、絶対に梓を連れ戻して来るからさ。
絶対に……。

そうだ。
おまえから梓に伝言は無いか?
私じゃ梓に上手く伝えられない事もあるかもしれないしな。
何か私じゃ浮かんで来ないような言葉があるようだったら言ってくれよ。
そのおまえの言葉だけは……、絶対に伝える」


すると、唯はゆっくり頭を振った。
静かに瞳を閉じながら、囁くみたいに言ってくれた。


「ううん……、大丈夫だよ……。
私の思ってる事、私達の思ってる事はりっちゃんと同じだって思うもん。
だから、私にりっちゃんからあずにゃんに伝えてもらう事なんて無いよ。
りっちゃんの気持ちが私の気持ちなんだよ。
私はりっちゃんとあずにゃんと……、皆と一緒に居ると幸せになれるんだ。
一緒に居てほしいんだ……。居てほしかったんだ……。
でも、それだけじゃ駄目……って事なんだよね?」


言ってから、唯が瞳を開く。
その瞳からは寂しさみたいな物を感じたけど、でも、強い想いだって感じられた。
私と同じ……、いや、私以上に強い唯の想いを……。
どんな形であれこの夢を見てる張本人だからこそ、
唯は私よりも、誰よりもその事を分かってるんだろう。

私は深呼吸をしてから立ち上がる。
これで終わりだ。
これで終わりにさせるんだって強く思いながら、自分の足で駆け出していく。


「じゃあ……、行って来る!」


「あっ!」


私がドアノブに手を掛けて飛び出そうとした瞬間、
不意に唯が何かを思い出したみたいな大きな声を出した。
私は振り返って唯に訊ねてみる。


「何だよ、どうした?」


「りっちゃんに思い付けない事……、一つだけあったよ。
今、思い出したんだ。
それだけ……、あずにゃんに伝えてもらってもいい?」


「ああ、勿論伝える。遠慮なく言ってくれ。
何だ? 何を伝えればいい?」


「新曲!」


「あ?」


「新曲だよ、りっちゃん!
あずにゃんに伝えて!
私達、あずにゃんに新曲を聴かせたいんだって!
この世界に来て、皆で作った新曲を聴いてほしいんだって!」


新曲……か。
なるほど、確かにそれは私からはどうやったって出て来ない言葉だ。
澪もそうだけど、唯達はよっぽど新曲を私達に聴かせたいんだろう。
勿論、私だって聴きたかった。
そんな自信作なら、何をどうしたって聴いてやりたい。


「了解だ、唯。
新曲の事、絶対に伝える。
帰って来たら聴かせろよ?
私だっておまえ達の新曲、気になってるんだからな!
それと……」


「それと……、何?」


唯が首を傾げて私に訊ねる。
だから、私は拳を握り締めて、言ってやった。
私達の想いはこういう所でも同じなんだって教えてやるために言ってやったんだ。


「私達だって帰ったらおまえらに演奏見せてやる!
私と梓の新バンドの実力聴かせてやるんだからな!
覚悟しとけよ!」


唯は一瞬だけその私の言葉に呆気に取られてたみたいだけど、
すぐに笑顔になると、力強く頷いて言ってくれた。


「うん、楽しみにしてるね!
りっちゃん達が戻って来たら、放課後ティータイム同士の対バンだよ!」




私は全速力で走る。
正直な話、梓が何処を目指して走り出して行ったのかは分からない。
広いロンドンであいつを見つけ出せるのか、不安が無いと言ったら嘘になる。
でも、私には一つの確信があった。
あいつを見つけ出す事は簡単なはずなんだって。
それだけは間違いないと思う。
梓は私の前から逃げるみたいに去って行った。
でも、本当に逃げたかったわけじゃないって事くらいは分かる。
自分の涙を……、自分の弱さを私達に見せたくなくて、あいつは飛び出して行ったんだ。

だから、あいつはすぐ傍には居るって思う。
ホテルの中には居ないにしても、
私が全力で捜せば簡単に見つけられるくらいの場所には。
その点においてだけは私に不安は無いんだ。
あいつは私と違って身勝手に行動するような奴じゃない。
責任感を持って、周囲に気を遣って、精一杯努力する奴なんだ。
本当のあいつの姿を知ってるわけじゃない。
あいつの全てを分かってやれてる自信なんて全然無い。
だけど、私の中では、梓はそういう責任感の強い後輩だった。
私達に心配を掛けるような事は絶対にしないはずだ。

そうだな……。
多分、あいつはホテルのすぐ傍で迷ってるはずだと思う。
つい飛び出して行ってしまったけど、
戻らない事には不安ばかり募ってしまうって事にも気付いてる頃だろう。
梓は私達の手首を包帯で結んだ。
傍に居るために、もう二度と離れないために、私達の繋いだ手を更に包帯で繋いだんだ。
そんな梓があんまり遠くに行ってるはずがないって確信がある。
私達の傍に居たいって思ってくれてる梓が、遠くに行くはずがないんだ。
その点においてだけは安心出来る。

でも、それ以上に不安もある。
さっき、私は梓を誤解させてしまった。
上手く伝えられなかった。
伝えなきゃいけない事を、伝えてやる事が出来なかった。
私がこの世界でこれまで何度もしてしまったように、私はまた私の想いをちゃんと伝えられなかった。
何度も何度も何をやってるんだろうって自分でも呆れるし、もう一度梓と話すのが怖い。
もっと悲しませる事になってしまいそうで、本当に怖い。

それでも、止まらない。
私は足を止めない。
怖くても、進む。
伝えなきゃいけないし、伝えたいからだ。
本当に大切だと思う事を。私達の想いを。皆、梓の事が大好きだって事を。
その結果、私が梓に嫌われる事になったって……。

私は息を切らして、まずはホテルの屋上に上った。
梓がホテルの屋上に居ると思って上ったわけじゃない。
屋上からホテルの周辺を見回した方が梓を早く見つけられると思ったからだ。
私は屋上の柵に近寄ると、首に掛けていた双眼鏡を手に持って瞳を寄せる。


「梓……、梓……!」


気が付けば私は口に出していた。
どうしてなのかは自分でも分からない。
だけど、私は梓の名前を呼んでいたかった。
怖いのに、凄く怖いのに、もう一度梓と話をしたかった。
話をして、私達の想いを伝えたかった。

双眼鏡を必死に覗いて周囲を見渡す。
その最中、何度も視界が遮られた。
言うまでもなく、私の前髪にだ。
そういえば、カチューシャをせずに飛び出して来てしまった。
私のトレードマークのカチューシャ。
カチューシャをしてない自分には、何となく自信が持てない。
外見的にもそうだけど、内面的にもそうだった。
小さな頃からカチューシャをしてるのが自然だったから、
カチューシャをしてない時の自分が人からどう思われるかが今でも結構怖い。
二年以上の付き合いになる梓にだって、
カチューシャをしてない私を見せたのは何度くらいあっただろうか。

だけど、そんな事を気にしてる場合じゃなかったし、取りに戻る時間も勿体無かった。
それに逆にいいかもしれないって思った。
前髪を下ろした私が本当の私ってわけじゃないけど、
私のそういう一面も見せるべきじゃないかって思えたんだ。
包み隠さず、私は私の思ってる事をそのまま梓に伝えたい。

だから、前髪を掻き上げながらも必死に捜す。
軽音部の現部長を、私の大切な後輩を、大好きな梓の姿を……。
見つけ出すんだ……!

不意に。


「梓……っ!」


私は半分叫ぶみたいに声に出していた。
双眼鏡の先、ホテルから少しだけ離れたビルの陰に、
見覚えのあるツインテールの女の子が座り込んで膝に顔を埋めていた。
遠目だから詳しくは分からないけど、もしかしたら泣いているのかもしれない。
泣かせたままでなんて、居られるもんか……。
梓の涙を止めてやらなきゃ……。
私は双眼鏡をその場に置いて、屋上から階段を全速力で駆け下りる。
身体と心臓が悲鳴を上げて軋む。
でも、そんな事は気にならない。
私の胸はそれよりも強く痛んでるから、
梓の胸は私よりももっと痛いはずだから、私は梓が居る場所まで走るんだ。

今度こそ。
私の嘘の無い想いを伝えるために。
聞かせたい……。
いや、聞いてほしいんだ、私の想いのこもった言葉を。


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最終更新:2012年07月10日 21:37