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そういやどれくらいだっただろう。
私は頭を捻って遠い過去に思いを馳せてみる。
言われてみれば、梓が日焼けをしてから、全然プロレス技を掛けた覚えが無い。
確か憂ちゃんにマッサージをしてもらってて、
そのついでに梓もしてもらえ、って話になった時、
いや、日焼けしてるからマッサージは痛いよな、
私も梓に触らないように気を付けるよ、ってな話をして以来、
代わりにツインテール両側引っ張りや、頭クルクルをするようになったはずだ。
確かに最近は梓にプロレス技を全然掛けてなかった気がするな。

「でも、それは……」と私が弁明しようとすると、梓が頬を膨らませて首を横に振った。
弁明なんて聞きたくありません! って事なんだろう。
申し開きもさせてもらえないのかよ……。
何となく釈然としない気分だ。
その私の様子に気付いたのか、梓が急に寂しそうな表情になって続けた。


「私の事を考えてくれてるのは、勿論嬉しいですよ?
でも、律先輩ったら、いつも極端なんですよ。
これまで普通にやられてた事を、急にやめられてしまった方の身にもなって下さい……。
日焼けが原因だって分かってても、他に何かあったんじゃないかって思ってしまうじゃないですか。
私が何か至らなかったのかも、って思ってしまうじゃないですか……」


「いや……、梓が至らないなんて、そんな事あるわけないじゃんか。
私は梓を傷付けたくなかっただけなんだよ……。
日焼けの痛みは昔色々あってこの身でよく知ってたからさ、それで……」


「いえ、すみません、律先輩……。
分かっているんです。律先輩が優しい人なんだって事は……。
分かってますけど……、私、寂しかった……。寂しかったんです……。
気を遣われる事って……、すっごく寂しくて、私……」


その言葉の最後の方は掠れてしまっていた。
もしかしたら、また泣き出しそうになってしまっているのかもしれない。
私は……、そういう所でも梓に寂しい気持ちにさせてしまっていたのか……。
梓の事を想ってした事のはずなのに、誰かのためにってのは難しい事なんだな……。
そう考えて、私が頭を下げて謝ろうとした瞬間、不意に梓が微笑んだ。
梓が滅多に見せない悪戯っぽい微笑みだった。


「なんちゃって」


「……えっ?」


「そんな顔しないで下さい、律先輩。
寂しかったのは本当ですけど、律先輩の気持ち、私、分かってます。
私の事を考えてくれてたんだってちゃんと分かってます。
律先輩の気遣い、嬉しいです。
でも……、寂しかったのも本当ですから……、その事も知っていてほしかったんです。
両方、私の本当の気持ちなんですよ?」


嬉しかった気持ちと寂しかった気持ち。
二つとも本当で、二つとも嘘が無い。
矛盾してるみたいだけど、梓の言ってる事はよく分かった。
多分、私だって同じだからだ。
この閉ざされた世界に来て、辛くて苦しくて、でも、嬉しさもある。
どんな形でも、唯ともう一度話せるようになった事は、
何を犠牲にする事になったとしたって、確かに嬉しい事ではあるんだ。
もしかしたら、梓はこの世界に対する想いも同時に私に伝えてくれたのかもしれない。

とは言え、久々の梓の生意気発言をそのままにしておくのも、何となく決まりが悪い。
私はいつもよりちょっとだけ弱く、梓の首に回した腕に力を入れてやる事にした。


「それならそうと、からかわずにちゃんと言え、中野ー!」


「あははっ、ごめんなさい。
痛っ。痛いですって、律先輩。
痛い痛い。すみませんってばー」


痛い痛いと言いながら、梓は私から逃げようとはしなかった。
私も梓から離れたくなかった。
梓の傍に居られる事は嬉しいし、とても安心出来る。
前みたいに梓とこんな風にふざけ合える事がこんなに嬉しくなるだなんて、思ってもみなかった。
私の想像以上に、梓は私の中で大きな存在になっているらしい。
いつまでも二人このままで居たい気持ちは正直ある。
でも、そういうわけにもいかなかった。
まだやらなきゃいけない事は残ってるし、いつまでも傍に居るのが仲間だって事じゃない。
私は名残惜しく梓から腕を放すと、少し溜息を吐いてから言ってみせた。


「それにしても……、本当に治らないよな、おまえの日焼け。
日本に居た頃ならともかく、ロンドンのこの気温で日焼けしたままってのは何か怖いよなー」


私が腕を放した事でまた寂しそうな表情になっていた梓だけど、
その私の言葉を聞くとすぐに苦笑してくれた。
自分自身の身体の事なんだ。私に言われなくても百も承知って事なんだろう。
それでも、梓は律儀に私の言葉に応じてくれた。


「ホントですよね……。
正直、自分の身体の事ながら、私だって結構怖いです。
いえ、確か私の本当の身体じゃなかったんでしたよね?
律先輩達の推論が正しければ、この身体は唯先輩の私に対するイメージ……なんですよね?」


「ああ、確定したわけじゃないけど、多分……な。
この世界で私達の意識以外の物は、全部唯の夢のはずだよ。
私達以外他に生き物が居ないのも、それが原因なんだろうな。
生き物の外側まではイメージ出来るけど、その中身までは作れないんだと思う。
生き物の精神構造なんてさ、想像以上に複雑な物だもんな。
だから、こんな変な世界が出来ちゃったんだろうな」


「そうですね……。
妙な所で唯先輩らしいと言うか何と言うか……。
でも、そんな事より唯先輩ったら……」


「ああ、そうだよな……。
唯の奴……」


「どれだけ私が日焼けしやすいタイプだって思ってるんでしょうか……」


「だよなー……」


梓が呟き、そうして二人して苦笑する。
梓が日焼けしやすい体質なのは確かだけど、こんな肌寒い気候でまで日焼けするほどじゃない。
言っちゃ悪いが、こりゃいくら何でも設定ミスだ。
唯の中で梓がどれだけ日焼けキャラとして確立してるってんだ……。
まあ、その辺は唯自身にもコントロール出来ない事なんだろうけどさ。
私は肩を落とす梓の頭に手を置いて、ちょっと笑いながら言ってやる。


「その辺、唯に文句言ってやらないとな」


「ええ、後でしっかり文句を言います。
日焼けって痛いんですからねって、思いっきり文句を言いたいです。
勿論、この世界を夢見てる唯先輩に……」


ああ、と私は頷いた。
やっぱりそれが一番いいんだろうな、って思った。
この世界を夢見てる唯ってのは、この世界に居る唯の事じゃない。
元の世界……、病室で眠り続けてる唯の事だ。
両方唯ではあるけれど、何も分からずに自分の力に振り回されてるこの世界の唯よりは、
無意識にこの世界を創り上げてる元の世界の唯の方に文句を言ってやる方が道理っちゃ道理だよな。
梓はそれを……、元の世界に戻る事を選んだんだ。
私は静かにそれを訊ねてみる。


「……いいんだな、梓?」


「はい、私……、思ったんです。
何度も忘れようとしました。思い出す度、何度も辛くなりました。
でも、やっぱり私、純達の事、忘れられなくて……、忘れたくなくて……。
もう一度、会いたいんですよ、やっぱり……。
この世界じゃなくて、元の世界で……、もう一度三人と話をしたいんです。
いいえ、三人以外の皆とも……。
律先輩は反対するかもしれませんけど、でも……」


「反対なんか、しないよ。
言っただろ? 私はおまえの笑顔が好きなんだよ。
それでさ、おまえが一番の笑顔で居られるのは、皆と笑ってられる時だと思うんだ。
純ちゃんがおまえをからかって、憂ちゃんが見守ってくれて、
和がよく分からない突っ込みをして、さわちゃんがまた変な事を言い出して、
わかばガールズの残り二人がそれを見つめてて……。
そんな時に浮かべる笑顔が、きっとおまえの最高の笑顔なんだよ。
それは元の世界じゃないと出来ない事なんだ。
だから、私はおまえが元の世界に戻りたいって思う事に、反対なんかしないよ」


「あの……、律……先輩……も」


梓がそこまで言って口を噤んだ。
ちょっと恥ずかしい事だけど、私の言葉をまっすぐ受け止めてくれたんだろうと思う。
私にはそれが凄く嬉しかった。
梓は本当の笑顔を取り戻すために行動しようと思ってくれたんだから。
梓に負けないよう私も笑って、その梓の頭を撫でながら言葉を続けた。


「うん、戻るよ……。
私だって元の世界に戻りたいんだぜ?
勿論、元の世界は辛い事が多いんじゃないかなって思う。
唯ほどではないけど、私達だって大怪我をしてるはずだし、
元の世界に戻れたとしても、その最初は病室のベッドで冴えない目覚めを迎える事になるんだろうな。
冴えないよなー……。

それでどうにか戻れたとしたってさ、おまえ達とはまた離れ離れになる。
学校生活に戻って、顔を合わせる事もどんどん少なくなって、
今のこの閉ざされた世界みたいに四六時中顔を合わせるって事は本当に出来なくなる。
歳を取る度に、会う機会が全然無くなっていくんだろう……。
それは正直辛いよ、私も。

だけどさ……、この世界で傍に居るって事と、
元の世界で傍に居たいって思い続ける事とは、何かが違うって思うんだ。
私達が目指したのは、この世界でいつまでも傍に居るって事じゃなかったはずだよ。
会えなくても……、辛くても……、悲しくたって……、
皆の事を思い出すと元気になれて、たまに会えると昔みたいに笑い合えて、
そういう意味で永遠に皆の傍に居たかったはずなんだ」


「『永遠に一緒だよ』……」


梓が『天使にふれたよ!』の歌詞を口にする。
ひょんな事から叶ってしまった永遠……かどうかは分からないけど、
少なくとも永遠に近い、私達の……、私達だけの日常生活。
だけど、やっぱりこれは私達の求めた永遠とは違っているはずだから……。
梓は力強く頷いてくれたんだ。


「戻りましょう、律先輩……。
私、また律先輩が大好きだって言ってくれる笑顔になりたいです。
皆と笑顔になりたいです。
本当の永遠を手に入れるのは、その時なんだって思いますから……。
律先輩も、澪先輩も、ムギ先輩も、それに……」


「ああ、勿論、唯も連れて、一緒に元の世界に戻ろう、梓。
そのために出来る事が何なのかはまだ全然分かってないけどさ、
皆で唯が元の世界でも目覚められる方法を考えてながら、探して行こう。
戻ってやるんだ、唯も一緒に……な」


「……はいっ!」


それが私達の決心。
偽りの笑顔と偽りの信頼、偽りの絆を捨てて、
今度こそ私達は本当の笑顔と信頼、絆を取り戻しに行くんだ。
先はきっと長いだろうけど、いつか必ず皆と一緒にその道を見つけ出してみせる。
でも、今はそれよりも先に……。

私は立ち上がる。
長く泣いてたせいか少し立ち眩みはしたけれど、別に問題は無かった。
これから私達は前に進むんだ。そう思うと、立ち眩みなんてすぐに気にならなくなった。
私に続いて、梓も立ち上がる。
梓のその表情は、私の大好きな笑顔にまでは及ばないまでも、いい笑顔だった。
私は宣言するみたいに梓に言った。


「行くぞ、梓!」


「はいっ!
……でも、まずは何をしましょうか?」


「まずは……、ライブだな!」


「ライブですかっ?」


「何だよー、いいじゃんかよー……。
ほうかごガールズでライブ出来なくて、不完全燃焼なんだよー。
それともおまえはこんな時にライブなんかやってられない、とでも言うつもりかよ?」


「いえ……、そりゃ私だって皆さんとセッションしたいですよ?
でも……、全然練習なんて出来てませんし……」


「いいんだよ、それでも。
練習出来てないのは皆一緒なんだし、
唯だって下手でもいいから皆と演奏したいって言ってたぞ?
そうそう、私達に新曲も聴かせたいんだとさ。
くっそー、新曲かー……。あいつらだけずるいよなー……」


「新曲……ですか。
そうですね……、私も聴きたいな……。
それに……、私だって皆さんとまたセッションしたいです!
私、本当はずっとずっと、先輩達とまた演奏したかったんですから!」


「おっしゃ、決まりだな。
戻ったら、皆と私達だけのライブだ。
唯は対バンだよ、とか言ってたけど、よく考えたらそれはちょっと無理だな。
唯チームはともかく、私達部長チームが不利過ぎるわ。
ギターとドラムだけでどうしろってんだよ。
てなわけで、五人一緒に放課後ティータイムの再結成ライブになるな」


そう言って私が笑うと、梓も嬉しそうにまた笑顔を見せてくれた。
勿論、ライブしたからって、何がどうなるわけでもない。
ライブの影響で唯の脳が活性化して元の世界に目覚める、
って、漫画とかにありがちな奇蹟も多分起こらないし、そもそもそれが目的じゃない。
ライブの目的はただ一つ。
これから前に進む決心のためだ。
いつかまた一陣の風で皆が離れ離れになった時でも、
ライブの事を思い出して、少しでも前に進める勇気を持つためだ。
まあ、単純にライブしたいだけって理由もあるんだけどな。
結局、私達は音楽が大好きだって事なんだろう。

私は一歩進む。
胸を張って、前を向いて、まっすぐに進んでいく。
大目標は出来たんだ。
後はそれに向かって進んでいくだけだ。

……と思っていたら、何故か不意に梓に腕を掴まれた。
何事かと思って振り向いてみると、梓は上目遣いに私を見上げていた。
その頬はこれまで以上に紅潮してるようにも見える。
私はちょっと驚きながら訊ねてみる。


「何だ何だ?
どうしたんだよ、梓?
何か忘れてた事でもあったのか……?」


「えっと……、あの……、さっきの事……なんですけど……」


「さっき……?」


「私、律先輩に「抱き締めて」って……、言ったじゃないですか。
その事で、ちょっと……」


ああ、なるほどな。
あの時の梓は私に縋ろうと本当に必死だった。
私に捨てられないよう、身体ででも私を繋ぎ止めようと躍起になってた。
その事を忘れてほしいって事なんだろう。
私にもそれに異論は無い。
誰だって、動揺して自分でも思いの寄らない行動を取ってしまう事くらいある。
梓が忘れてほしいって言うんなら、ちょっと寂しいけど私も忘れてやるべきなんだ。
私は梓の頭に手を置いて、軽く笑ってやった。


「分かってるよ、忘れてほしいってんだろ?
嘘……はあんまり皆に吐きたくないけどさ、内緒にするくらいなら、まあ、いいだろ。
うん、気にするなよ、梓。
私、あの時のおまえの行動、気にしないか……」


「いえ、そうじゃないんです!
私の言葉……、忘れないで……いてくれませんか……」


「えっ?」


梓に言葉を止められ、私は動揺した声を上げてしまう。
想像とは全く逆の言葉を言われて平静で居られるほど、私は落ち着いた性格をしてないんだ。
でも、どういう事だ?
どうして梓は自分の言葉を忘れないでなんて……。
梓は私の手を取ると、そのまま自分の頭から私の手を離させた。
拒絶……ってわけじゃなく、私と対等に話をしたいって様子に見えた。

数秒だけの沈黙。
顔を真っ赤にした梓は何度も深呼吸をすると、私の瞳を見つめてから、力強く口を開いた。
偽りの無いまっすぐな言葉を届けてくれた。

「さっきの言葉……、あれは気の迷いです!」


「はあっ?」


まっすぐな言葉だった。
確かにまっすぐな言葉だ。
構えてただけに私は自分の力が抜けていくのを感じる。
梓が気の迷いって言うんなら気の迷いでもいいんだけど、
そうまっすぐにはっきりと言われると何とも複雑な気持ちになるな……。

私が苦笑すると、何故か梓が更に顔を赤くさせる。
まるでトマトみたいだな、って私は何となく間抜けな事を思った。
でも、梓にとっては真剣な話のつもりみたいだったから、
私は表情を引き締めて梓の次の言葉を待つ事にした。
視線を彷徨わせた後、息を何度か吸って、梓がまたその小さな口を開く。


「あれは気の迷いなんです。
私、ずっと寂しくて、辛くて、怖くて、誰かに頼りたくて……、
それであんな言葉が出てしまったんだと思います。あんな事を言ってしまったんだと思います。
変な事言ってしまって……、すみませんでした……」


「いや、いいんだよ。それはいいんだ。
でも、忘れないでほしいってのは何なんだ?
気の迷いなら、忘れてほしいってのが普通だろ?」


「いえ、違うんです!」


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最終更新:2012年07月10日 21:48