アットウィキロゴ
急に梓が大きな声を出して私の言葉を制した。
どうやら、忘れてほしくないって事だけは間違いが無いらしい。
その一方で梓は自分の言葉を気の迷いって言っちゃってる。
どうも矛盾してる気がするんだが……。

その矛盾には梓自身も分かっていたらしく、
どうにか私に自分の気持ちを届けようとしたみたいで、見る見るうちに早口になった。
早口になるのは、梓の焦った時の癖だ。


「私のあの言葉は気の迷いです……。気の迷いなんです……。
私が律先輩に、あんな時に……、
よりにもよってあんな時に「抱き締めて」なんて言うわけないじゃないですか。
冷静な状態であんな事、言えるわけないじゃないですか。
大体、律先輩に失礼ですよ。
律先輩の想いを利用して、優しさに頼って、
自分を慰めてもらおうとするなんて、絶対にやっちゃいけない事です。
やっちゃいけない事なんです。
それなのに……、分かってるのに……、私は律先輩に縋り付いちゃって……。

だから、あの時の私の行動は気の迷いじゃなきゃいけないんです……。
あんな私が本気だったら……、律先輩に申し訳ないじゃないですか……。
私が私自身を許せなくなっちゃうじゃないですか……」


「梓……、もういいって……。
もういいよ……、そんなに自分を責めるな……。
それはおまえだけじゃない。元はと言えば私が……」


私は言いながら梓の頭に不意に手を伸ばし掛けて……、やめた。
今の梓はそれを望んでない気がしたからだ。
私は手を宙に彷徨わせた後、握り締めて元の位置に戻した。
今は肌の温かさより言葉を梓と交わすべき時なんだ。
だからこそ、私は梓の目をまっすぐ見て、今度は私が真剣な言葉を届けようと思った。


「ごめんな、梓……。
おまえの行動が気の迷いだとしたなら、おまえを迷わせたのは私だよな。
私がさ……、部長なのに……、年上なのに……、
おまえが優しかったから、おまえが私を支えてくれたから、
もっと支えてほしくて頼りたくなっちゃったんだよ。
おまえは気に病む必要無いよ、梓。
こればっかりは完全無欠に私の責任なんだ。
だから、もう自分を責めなくても……」


「ねえ、律先輩……。
一つ、訊いていいですか……?」


急に梓が話を変える。
少し面食らったけど、今は梓の言う事は何でも聞いてやりたかった。
私は一息吐いてから、ゆっくりと頷いた。


「……ああ、何でも訊いてくれよ、梓」


「じゃあ……、訊かせて頂きますね……。
あの……、その……、えっと……、
律先輩は……、その……私の……私の事が……。
私の事が好きだから……、あの日、私にキスをしようとしたんですか……?」


「……そう……だな。それは……」


私はそれ以上の言葉を口にする事が出来なくなった。
答えてやりたい質問だった。
あの時の梓を拒絶した以上、梓を迷わせてしまった以上、
絶対に私が答えなきゃいけない質問だった。
なのに……、私はその答えを持ち合わせていない。

梓の事は好きだ。
小さくて可愛らしいし、何だかんだと私を慕ってくれるし、
支えてくれるし、頑張ってる姿も健気だし、ずっと見ていたい気にさせてくれる。
そうだ。私は梓の事が大好きなんだよな……。
でも、恋愛対象かと訊かれてしまうと、話は全く違ってくる。
女同士ってのもあるけど、それを抜きにしても自分の気持ちがよく分かってないんだ。

答えを伝えてやりたい。
想いを伝えたい。
でも、私にはその想いが自分でも分かってない。
歯がゆくて、悔しくて、拳を握り締めてしまう。
私は梓の事を恋愛対象として考えていたから、キスをしようとしてたんだろうか?
分からない……。
どんなに考えてもその答えが出ない……。

私が真剣に考えていた表情がおかしかったのか、梓が小さく笑った。
頬の赤味は少しだけ治まっていて、何処となく嬉しそうな表情だった。


「自分の気持ちが分からないんですよね、律先輩……。
実はですね……、私もなんです」


「梓……も……?」


「はい。私、律先輩の事、あの……、好きですよ。
今言うのも何なんですけど、律先輩って最初は苦手な先輩で、
私、この部でやっていけるのかな、って不安だったんですけど……、
でも、その内に律先輩の事、信頼するようになってて、
一緒に居るのも楽しくなって……、ですから、私、律先輩の事が好きです。
大好き……なんだと思います」


私は言葉がまた出なくなった。
今までみたいに絶句したわけじゃない。
嬉しかったからだ。
嬉しくて、ただ嬉しくて、胸がいっぱいになって言葉が出なくなったんだ。
私も梓も想いを素直に表現出来ない者同士だと思う。
だから、嫌われてると思ってたわけじゃないけど、
梓が私の事を好きだと言ってくれるのは本当に嬉しかった。
それだけで軽音部で活動して来た価値があったって思える。

私は口を開く。
何て言ったらいいのか分からないけど、私はこの想いを言葉にしたかった。
梓が私を好きで居てくれて嬉しいんだって。
こんな私なのにありがとうって。
その気持ちだけはどうにか伝えたかった。
でも、その言葉は梓が私の唇に右の人差し指を当てる事で制されてしまった。
まだ梓には話したい事があるって事なんだろう。
私は出そうだった言葉を呑み込む。
その私の様子を見届けると、梓は頬をまた赤くさせながらはにかんだ。


「私、律先輩の事が好きです。
大好きなんですよ?
ですけど……、本当にキスしたいくらいまで好きなのかは、私にも分かりません。
先輩としては大好きですけど、それとキスとは全然別問題じゃないですか。
恋愛関係とは全然違うじゃないですか。
ただの先輩にキスしようとするなんて、変な話じゃないですか。
そんな風に自分の気持ちがよく分かってないのに、
キスしようとするなんて、気の迷い以外の何物でもないじゃないですか。
だから、さっきの私の行動は気の迷いなんです。
気の迷いなんですよ、あれは……」


そうか……。
確かにそれは気の迷いだな。
自分の気持ちもはっきりしないのにする事なんて、全部気の迷いって言っても過言じゃないもんな。
梓の言う事はもっともだよ。残念だけど、そういう事なんだよな……。

……?
あれ……?
残念だ……、って思ったのか、私……?

胸が激しく鼓動するのを感じる。
若干、痛みも感じる気がする。
何だよ……?
これってひょっとして……、失恋の痛み……ってやつ……?
私ってそんなに梓の事が……?
いや、でも、だけど……、そんな簡単に決めちゃっていいのか……?


「梓……、あの……、私……」


私は何かを伝えようとして言葉を出した。
でも、想いも気持ちも言葉も固まらない。
情けない事だけど、多分、初めての感情に動揺する事しか出来なかった。
今、私はどんな表情をしてるんだろう……?
やだな……、こんな表情、梓に見せたくないな……。
泣き顔は見せられたのに、今の表情だけは見てほしくない。
一瞬、私は梓の顔から視線を逸らしそうになる。
だけど、梓はその私の情けない行動を柔らかい言葉で止めてくれた。


「気の迷いなんですよ、私の行動も、律先輩の行動も……。
そんないい加減で曖昧な気持ちで、キスなんかしていいはずがありません。
もっとお互いの気持ちを確かめ合って、信頼し合って……、
それからでないと、抱き締め合ったりなんてしちゃ駄目なんですよ」


「ああ、そうだよな……。
その通りだよ、梓……。
私……、とんでもない事をする所だったよな……」


「ええ……、お互いに……。
気の迷いでそんな事しちゃ駄目です。
しちゃ駄目なんです、絶対……。
ですけど……」


「けど……?」


「私……、あの時の気持ちを気の迷いって言葉だけで、終わらせたくないんです」


「……えっ?」


多分、その時の私の顔は凄く間抜けな物だったと思う。
それくらい予想してない言葉だった。
私の表情がよっぽど崩れてしまっていたんだろう。
梓がちょっと苦笑したみたいになってから、言葉を続けた。


「勿論、気の迷いは気の迷いなんですけど……、
でも、その気の迷いの中に、私の本当の気持ちが無かったとも言い切れない気がするんです。
火の無い所に煙は立たないって言うじゃないですか。
気の迷いだとしても、私が律先輩にキスしてほしかったのは、
少しはそんな気持ちもあったからじゃないかって……、私、思うんです」


「私達の……本当の気持ち……」


「ええ……、本当の気持ちが……。
だから、私のさっきの行動、律先輩には忘れないで居てほしいんです。
気の迷いって言葉で、終わらせたくないんです……。
大体、全部が全部、気の迷いのせいにするなんて、私のプライドが許しません!
それだと全部を気の迷いって言葉のせいにして逃げてるみたいじゃないですか!」


言った後、また照れ臭そうに梓がはにかむ。
いい笑顔だった。
私の大好き笑顔にかなり近い眩しい笑顔。
気付けば私も微笑んでしまっていた。
梓らしいと言うか何と言うか、だな。
まったく……、本当に何事にも真面目な梓っぽいよ……。
何事にも決して逃げずに立ち向かって行く梓。
そうだよ……。私はそんな梓の事も好きだったんだ……。
そんな梓を見ていたいんだ……。
だったら、私も負けてはいられないよな。


「そうだよな、梓。
何かから逃げるなんてさ、私達ほうかごガールズのプライドが許さないよな。
そんな事してたら、きっと和達に叱られちゃうだろうしさ。
特に和は厳しいだろうなあ……。
「そんな事で部長が務まると思ってるのかしら?」とか言いそうだよ。
梓の言う通り、気の迷いなんて言葉に逃げてられないよな……。
探したくなったよ、私の中の本当の気持ちがさ……」


「はい!
二人で探しましょう、律先輩……。
律先輩が私に嘘を吐いちゃいけないって事を教えてくれました。
だから、私は本当の気持ちを見つけたいんです。
律先輩にも本当の気持ちを見つけてほしいんです。
色んな事から決して逃げずに、物事をしっかりと見据えて……。
例えその先に……」


「そうだな……。その先に……」


それ以上の事は二人とも言葉にしなかった。
分かり切った事だからだ。
深く分かり切ってるから、それは口にしなくてもよかった。
多分、私達の別れの時は近い。
今すぐって話じゃないく、まだ結構先の話のはずだけど、私達の別れはそう遠くないはずだ。
この夢の世界の一陣の風で離れ離れにさせられるってだけじゃない。
もしも元の世界に戻れたとしても、恐らくは私達はこの想いを……。

だけど、探すんだ。
探してみせるんだ。
もう逃げない。
この世界から。
過去から。
恐怖から。
自分の気持ちから。
そして、梓の気持ちから。

別れは少し怖くなったけど、私は笑った。
笑い飛ばして言ってやるんだ。
私達の決心を宣言してやるんだ。多分、未来ってやつに向けて。


「私も探すよ、梓。
本気で真面目に探すよ、私の本当の気持ちをさ。
もしも、それが梓への恋愛感情だったらさ……、おまえは受け入れてくれるか?」


「さあ……?
それとこれとは別問題ですから」


「うおーいっ!」


突っ込みながらも、私は笑顔のままだった。
梓も悪戯っぽく笑っていた。
それでいいんだと思った。
まずは本当の気持ちを見つける事。
全てはそこから始まるんだから。
いつかは終わるとしたって、始まらせなきゃ意味が無いんだから。

梓が笑顔のまま、目元の涙を拭いながら続ける。
涙の理由は笑い過ぎたからなのか、悲しかったからなのか、それは今は訊かなくてもいい事だ。


「さっき、本当の気持ちって言いましたけど、
私が律先輩の事を恋愛対象として好きな可能性は少ないですよ?
あったとしても少しだけだと思います。
だから……、後悔しちゃ駄目ですよ、律先輩?
私と恋人になれる可能性が高かったのは、さっき私が迷ってた時だったんですからね?
冷静な私が律先輩に恋するなんて思います?」


「ひっでー言い方だなあ、おい……。
でも、ま、いいよ。許してしんぜようぞ、梓。
私が本当におまえに恋してるって気付いて、
おまえが私を受け入れてくれなかったら一人でシクシク泣くさ。
だけど、後悔はしないぞ?
弱ってる子の気持ちを利用して付き合うとか私の性に合わないからな!」


「そう言うと思いました」


梓が言ってから、二人で顔を合わせて大きな声で笑う。
空を見上げてつい自嘲する。
あーあ……、損な生き方だよなあ、私達。
不器用で、変な所で真面目で、似た者同士で……。
だけど、後悔は無い。二人とも、後悔なんて無い。
これが私達の嘘の無い生き方なんだから……。

不意に笑顔のままで梓が私に手を差し出した。


「見つけましょう、私達の気持ち。
そのためにも、これから私達に出来る限りの……」


私は差し出された梓の手と握手する。
先輩と後輩としてでなく、支える側と支えられる側としてでもなく、
対等な……同じものを目指す仲間として、想いを伝え合うために。


「ああ、出来る限りのライブをやってやろうぜ!」


まずはそれから。
新しい道を歩いていくための一歩。
そのための握手。そのためのライブだ。
これが私達の新しい始まり。
それが悲劇になるとしても、喜劇になるとしても、
とにかく私達の新しい物語は幕をこうして開けたんだ。
それだけは確かに嬉しかった。
いつかは忘れる運命にあるとしても、この想いだけは心に残しておきたい。


58
最終更新:2012年07月10日 21:52