私達が連れ立ってホテルの部屋に戻ると、唯達三人は嬉しそうな顔で私達を出迎えてくれた。
私はこれまでの事情を説明しようとしたけど、
何を言うよりも先に梓と二人で風呂場に追いやられてしまった。
どうやら、私達の表情を見ただけで三人には全部の事が分かってしまったらしい。
唯の体調は心配だったけど、見る限りでは特に問題は無さそうだった。
と言うか、物凄い力で私達を風呂場に追い込んだのは唯だった。
元気そうで何よりなんだが……、元気過ぎないか?
ひょっとして私と梓に話をさせるために、
体調が悪い振りをしてた……、っってのは考え過ぎかな?
どっちにしても、唯が元気なのは嬉しい事だ。

追いやられた風呂場には既に湯が張られていた。
疲れてる身体をこの湯で癒せって事なんだろう。
ありがたい事にはありがたかったけど、何か凄く裏を感じる……。
絶対何か企んでるな、あいつら……。
まあ、勘繰ってみた所で私達に何が出来るわけでもない。
私達は肩をすくめながら、とりあえず服を脱いでありがたくお湯を頂く事にした。
服だけは濡れないように、こっそり扉の隙間から唯が回収してくれたみたいだった。

湯舟に浸かりながら、私と梓は特に会話はしなかった。
話す事はいくらでも湧いて来るだろうけど、今は二人で黙っていたかった。
考えたい事があったんだ。
お互いに考えているのは、多分、ライブの事だと思う。

ライブで演奏したい曲は決まってる。
『天使にふれたよ!』だ。
とりあえずだけど、この曲だけは梓と、皆と演奏したい。
私達の最後の曲を再始動の最初の曲にするのも悪くないし、
あんなに練習してた梓の歌声を聴きたいんだ。
聴かせたいんだ、皆に。
まだそんなに上手くなってるわけじゃないけど、聴いてほしいんだ。
この世界で、この世界だからこそ私達が辿り着けた音楽を。

私が梓と視線を合わせると、梓は静かに頷いてくれた。
考えが伝わっているのかどうかは分からないけど、多分、考えてる事は同じだった。
これでも一応新バンドの仲間なんだしな。
その点に関してだけは、唯達よりも梓の事を分かってる自信はあるぞ。

カラスの行水ってわけじゃないけど、私達は早めに風呂場から上がる事にした。
全身をちゃんと洗ってはいるぞ?
でも、普段より急いで二人で洗い合ったのは確かだ。
気が早って仕方が無かったからだ。
皆とライブの話を、世界の話をしたかった。
ゆっくり湯舟に浸かってなんて居られなかった。
そうして、置いてあったタオルで身体を拭くのもそこそこに風呂場から出ると……、驚いた。
私も梓も目を見開いて息を呑んでしまっていた。

無いんだ。
何一つ無かったんだ。
その場にあるはずの物が消えてしまっていたんだ。
どういう事なんだ……。

いや、服の話だけどな。
唯に回収されたはずの服どころか、着替えの服すら置かれていなかった。
着替えの服くらい用意してくれてると思ったんだが……。
しかも、何処に行ったのか、唯達の姿すら見えない。
あいつら、私達にどういう罠を仕掛けたんだよ……。

仕方ないから私達はバスタオルを身体に巻いて部屋の探索を始める。
下着と服はすぐに見つかった。
と言うか、ベッドの上に二着置いてあった。
いや、置いてあったのはいいんだけど、その服は非常に不可思議な形状をしていた。
さわちゃんが縫いそうな奇妙な服ってわけじゃない。
ただ、何と言うか……、超ヒラヒラだった。
水色のヒラヒラのワンピースで、例えるなら赤毛のアンが着るみたいな服だった。
……これを私に着ろって事か?
私がこの服に袖を通した姿をちょっとだけ想像してみる。

………。
……。
…。

無い無い無い!
超無いし! 超おかしーし!
こんな服を着た日にゃ、一生、唯か澪に馬鹿にされ続けるわ!
とんでもない罠だ!
ムギは褒めてくれるかもしれないけど、それはそれで何か嫌だ……。

肩を落としながら梓に視線を向けてみると、梓もげっそりとした表情を浮かべていた。
流石に梓もこの衣装は嫌らしい……。
そういや、梓もそんなに女の子っぽい恰好をするタイプじゃないしな……。
私達の中では比較的スカートを穿く奴ではあるんだけどさ。

私と梓はその服をベッドに置くと、他の服を捜してみる。
確かベッドの横にまとめて畳んでたはずだったんだが……、やっぱり無かった。
この調子だと隣の部屋にでも全部隠してるんだろう。
私は溜息を吐きながら、部屋と部屋を繋ぐ扉のノブに手を掛けた。
この部屋に居ない以上、唯達は多分隣の部屋に隠れてるはずだ。
意外にも扉に鍵は掛けられてなかった。
呆気なく開いた扉の先には、意外な光景が広がっていた。


「……何やってるんだ、おまえら」


私は思わず小さく呟いてしまった。
後ろから身を乗り出して扉の先を確認した梓も微妙な顔をしていた。
それもそのはず。
ベッドに置いてあったのと同じワンピースを既に唯達三人が着ていたからだ。
準備がいいと言うか何と言うか……。
こいつら、自分達が着替えるためにも私達を風呂場に追いやったわけか……。

しかも、三人とも普段とは全然違う髪型をしていた。
ムギが襟足で二つ結びにしていて、澪も珍しい三つ編みにしてる。
そして、普段とは一番変わってる髪型にしてるのは唯だった。
私とそう長さが変わらない髪のくせして、無理矢理左右両側で三つ編みを結んでる。
しかも、眼鏡まで掛けてるとか、一体これは何なんだ……。
でも、ちょっと安心もしていた。
眼鏡こそ掛けてるけど、その唯が掛けた眼鏡は和と同じ眼鏡じゃなかった。
掛けていたのは太い黒縁の眼鏡。
田舎臭いと言うか古臭いけど、その唯の髪型にはよく似合っていた。


「何だよ、律。まだ着替えてないのか?」


そう言ったのは澪だ。
こいつ……、さわちゃんの衣装を着る時は一番嫌がるくせに……。
こんなの着られるか!
と言おうかと思ったけど、やめた。
澪の奴、さわちゃんの衣装は嫌がるくせに、
こういう女の子女の子した服を着るのには抵抗の無い奴なんだよな……。
昔、ヒラヒラを私に着せようとした事も何度かあったしな……。
こいつには何を言っても無駄だろう。
ムギ……も駄目だな。
強要したりはしないはずだけど、褒め殺しで説得されちゃう気がする……。

だとすると、唯か……。
あんまり説得出来る気もしないけど、他に可能性も無いし、頑張ってみる事にしよう。
私はずれ落ちそうになるバスタオルを押さえながら唯に言ってやる。


「何なんだよ、おまえらのその服装は……」


「知らないの、りっちゃん?
ワンピースだよ!」


「服の種類を訊いてるんじゃねーよ!
どうしてそんな服を着てるのかって訊いてるんだよ!
いや、おまえ達がワンピースを着るのは勝手だけど、
どうしてそのワンピースを私達が着なきゃいけないんだ……」


「そうですよ!
唯先輩! 人の服を隠してどういうつもりなんですか!」


私の言葉に続いたのは梓だ。
予想以上にワンピースを着るのを恥ずかしがってるらしい。
よし、流石の唯でも、梓の援護射撃があれば説得出来るか?
だけど、梓の責めに珍しく唯は譲らなかった。


「えー、ワンピース可愛いよー。
あずにゃんのワンピース姿可愛いと思うよ?
私も澪ちゃんもムギちゃんも楽しみにしてるから、着て見せてよー……」


「……そ、そうですか?」


唯の言葉に満更でもなさそうに梓が呟いた。
弱っ!
もう落とされやがった……!
やっぱ梓は私よりも唯の事の方が好きなんじゃ……。
……って、何嫉妬してるんだよ、私は……。
いや、嫉妬じゃない……はずだ……。
でも、私は自分に素直にならなきゃ……。
いやいや、今はそんな事はともかく……!

私は一息吸うと、少しだけ大きな声を出してやった。
上擦っていたたかもしれないけど、それは気にしない事にした。


「とにかく、梓はいいとしても私は嫌だぞ、あんなヒラヒラ!
何で私があんなヒラヒラ着なきゃいけないんだよ!
他の服を寄越せ、他の服をっ!」


「りっちゃんも着てみようよー。
折角のロンドンなんだし、ロンドンっぽい服装するのもいいと思うよー?」


「ロンドンっぽいのか、それっ?」


「だって赤毛のアンっぽいでしょー?
赤毛のアンってヨーロッパの話だよねー?」


唯も赤毛のアンっぽいって思ってたのか……。
それはそれとして、赤毛のアンってイギリスの話だっけ?
読んだ事ないから確かな事は言えないけど違ったような……。


「カナダだ、カナダ」


呆れ顔で突っ込んだのは澪だった。
そうか……、カナダだったのか……。
ヨーロッパですらねえよ……。
流石はメルヘン代表の澪しゃん。
赤毛のアンも既に読破しておられたか……。
そういや、澪の家で何度か見掛けた事がある気がするしな。
しかし、赤毛のアンを知ってても、読んだ事がある人ってどれくらい居るんだろう……。
少なくとも唯は読んでないみたいだが、まあ、それはどうでもいいか。

私は腰に手を当てて、はったりを大量に込めて唯に言ってやる。


「ほれ、やっぱりロンドンも何も関係無かったじゃんか。
だったら、私がそれを着る必要は無いよな?
さあさあ、隠した私の服を出したまえ、唯隊員」


「ええぅ……? でもでも……」


唯は譲らなかった。
唯がこんなに食い下がるのは珍しかった。
でも、唯はどうしてこんなに五人お揃いの服にこだわってるんだろうか。
五人で同じ服を着る理由なんて……。

……あっ。
そこで私はやっと気付いた。
そうだ。一つだけあった。私達が同じ服を着なきゃいけない理由。
それは……。


「ひょっとして、それ……、ライブの衣装……か?」


私が訊ねると、唯が少しだけ嬉しそうな顔になって頷いた。
澪とムギも唯に続いて頷く。
なるほどな。唯の奴が対バンとか言ってたから、すっかり勘違いしてた。
唯は最初から放課後ティータイムのライブをするつもりだったんだ。
そういや放課後ティータイム同士の対バンとも言ってた気がする。
対バンするにしても、あくまで放課後ティータイムとしてライブをするつもりだったんだ。

私は小さく息を吐いてから、唯の頭に手を置いて続ける。


「何だよ……。
それならそうと最初っから言えよな、唯。
澪とムギもだぞ?」


「ううん、澪ちゃんとムギちゃんは悪くないよ。
私が用意してたこの服でライブやりたいって言ったんだもん。
可愛い服だって思ったから、皆でこの服を着たかったんだ……。
でも、りっちゃんとあずにゃんは、こういう服苦手かなって思って……。
変な意地悪みたいになって、ごめんね、りっちゃん……」


唯が落ち込んだ様子で呟く。
衣装を勝手に用意してたって事もあるけど、まだ申し訳無さを感じてもいるんだろう。
この世界に私達を引き込んでしまった事にまだ責任を感じてるに違いない。
でも、唯がそんなに責任を感じる必要なんて無かった。
確かに始まりは唯が原因だろうけど、それを選んだのは多分私達なんだ。
私達が唯と一緒に居たかったんだ。
唯はそれを叶えてくれただけなんだ。
私は軽く唯の頭を撫でながら言ってやる。


「確かにこういう服は苦手だよ。
ヒラヒラしてて、無駄に女の子っぽくてわけ分かんねーし……。
でも、さ……、そんな事より皆でお揃いのライブ衣装を着れる事の方が嬉しいんだぜ?
折角唯が用意してくれた服なわけだし、ライブ衣装なら喜んで着るよ」


「いいの……?」


「いいって言ってんだろ?
妙に遠慮すんなよ、唯。もっと普段通り好きな事言ってくれよ。
おまえもおまえらしくやってくれた方が、私も嬉しいからさ」


「じゃ、じゃあ……、髪を……」


「あ、三つ編みは嫌だからな。
嫌だよ、あんな痛い髪型。三つ編みだけは断固断る。
それ以外なら従ってやらんでもないが」


「先を越されたっ?」


唯が悔しそうに唸り、それを見ていた澪達が楽しそうに笑った。
やれる事はやってやるが、出来ない事はちゃんと断る。
それこそが本当の仲間ってやつだ、多分。


「じゃあ、風邪をひく前に着替えちゃいましょうか、律先輩?」


梓が私の肩を軽く叩いて言った。
確かにそうだ。
三つ編みはともかくとして、冷える前に着替えなきゃ風邪をひいてしまう。
まあ、この私であって私でない身体が、風邪をひくのかどうかは分かんないけどさ。
梓がベッドに置いてある衣装に向かったのを見届けた後、
「じゃあ、着替えてからな」と言って私が部屋を繋ぐ扉を閉めようとした瞬間、
唯が最後にもう一つだけ私に小さな頼み事をした。
小さな事。でも、私としては結構勇気の居る唯の頼み事……。
少し躊躇ったけど、三つ編みよりはマシかもしれない。
私は頷いてからそれを受け取ると、扉を閉めて梓と一緒に着替えを始めた。




五人並んで、ロンドンの街をゆっくりと歩く。
お揃いの水色のワンピースに腕を通して、
自分で言うのも何だけど、何処か古い神学校に通学する女生徒達みたいだ。
仮にも女子大生の身として気恥ずかしい感じもするけど、別に悪い気分じゃなかった。
皆でお揃いの恰好をするのなんて、高校の卒業式以来だ。
久し振りで懐かしくて、何だか嬉しい。
恰好だけじゃなく、皆の心も同じだったら、もっと嬉しいなって私は思う。

ただ同じ恰好をするのはいいんだけど、一つだけ問題があった。
それはやっぱり髪型の事だ。
梓は三つ編みを断らなかった。
普段からまっすぐな長い黒髪を結んでる奴だ。
恥ずかしい髪型ってわけでもないし、三つ編みくらい何でもないんだろうな。
梓の三つ編みは結構似合ってるし、新鮮でいいと思う。
でも、私自身の髪型にはちょっと納得がいってない。

今、私は前髪を下ろして、白い帽子を被っている。
三つ編みを断っちゃった気後れもあって、
唯から受け取った帽子なんだけど、被った後に鏡を見るとどうにも恥ずかしかった。
やっぱり前髪を下ろすのなんて、私には似合わないよな……。
苦し紛れにカチューシャを着けようとすると、それは何故か梓に止められた。
その帽子にカチューシャは似合わないって言うのが、梓の反対理由だった。
いや、まあ、それは私も分からないわけじゃないけどさ……。

仕方が無いから、思い切って前髪を下ろしたままで、
ワンピースに着替えて唯達の前に姿を見せると、唯に笑われてしまった。
私の髪型が笑われたってわけじゃない。
唯は私の被った白い帽子を指差して、くすくす笑った。
唯曰く、「りっちゃん、肉まん被ってるー」との事だ。
いや、この帽子被れっつったのおまえじゃねーかよ……。
怒っていいのか呆れていいのか迷ったから、とりあえず私は唯の頬を軽く抓っておいた。
ちょっと強めにしておいたつもりだったけど、唯は頬を抓られながら何故か笑っていた。
私もそれに釣られて笑ってしまった。
色々と納得いかなくはあるけど、唯がこうして笑ってくれるなら、別にいいのかもしれない。

今、私達が向かっているのは、私達が最初に転移させられた場所……。
私達がロンドンでライブをやったあの公園の広場だった。
向かっているのは、勿論これから五人だけのライブをするためだった。
私と梓は知らなかったんだけど、唯達はライブをするために既に楽器と会場の準備をしていたらしい。
新曲を私達に聴かせたがってた三人だ。
本当なら、もっと早く私達に新曲を聴かせたかったんだろう。
私だって聴きたいし、演奏したいんだから、これから楽器を集める手間が省けて助かった。
どんな楽器を用意してくれてるんだろうって一瞬思ったけど、その考えはすぐに振り払った。
心配する必要は無い。
唯達の事だ。
きっと私と梓にぴったりな楽器を見つけてくれているはずだろう。

そうして、私は歩く。
皆と肩を並べて、五人笑顔で歩いて行く。
私達のライブ会場へ。
前に進んでいくためのライブを開催するために。
大好きな音楽に包まれ、包み合うために。

半分くらいの距離を進んだだろうか。
「あ、そうだ!」と唯が何かを思い出したみたいに小さく叫んだ。
唯の事だから本気で忘れてたんだろう。
私が首を捻って「どうした?」と唯に訊ねてみると、
「ねえ、皆、私ね、ちょっとやっておきたい事があるんだ」って言って、
そのワンピースの何処に仕舞い込んでいたのか、細長くて白い物を取り出した。
一瞬、包帯かと思ったけど、そうじゃなかった。
唯が取り出したのは純白のリボン。
肌触りの良さそうな、優しい感触のリボンだった。


59
最終更新:2012年07月10日 21:54