何となく目にした公園の隅っこ。
私達は腰を下ろして、肩を並べて、少しだけ微笑む。
私達の手首は純白のリボンで結ばれていた。
繋いでいるわけじゃない。
強く結んでるわけでもない。
軽く……、本当に軽くだけ私達五人の手首は結ばれている。
多分、その事に皆安心出来てる。

まだそんな物に頼ってしまっちゃうのかって、情けなく思わないと言えば嘘になる。
手を結ばなきゃ、安心出来ないのかって。
でも、私達はまだそんなに強くない。
私達のこの世界での物語は始まったばかりなんだ。
皆の絆をずっと信じらていくには、自信も勇気もまだまだ足りない。
いきなり絆だけを信じて生きるなんて、そんな事は出来そうにない。
それに、いきなり身の丈に合わない事をしようとしたって、余計酷い目に遭っちゃうだけだとも思う。
過去を無理矢理に捨てようとした私と梓、
過去を縋り付いてでも守ろうとした唯の姿を鑑みるに、無理をしたってろくな事にはならない。
だから、少しずつ……。
私達は少しずつ前に進んでいくべきなんだ。

今、唯が掛けている眼鏡もそうだった。
五人で手首を結ぶ前に、唯は言っていた。
「眼鏡を掛けてると、和ちゃんが傍に居てくれてる気がするんだ」って。
確かに眼鏡は和のトレードマークだ。
眼鏡で和を連想するのは理に適ってるし、そういう意味で唯も前まで赤い眼鏡を掛けてたんだろう。
赤いアンダーリムの眼鏡……、和の物と同じ種類の眼鏡を。
でも、今の唯はその眼鏡を掛けていなかった。
太い黒縁の古臭い眼鏡。和の眼鏡とは似ても似つかない眼鏡だ。
私がその理由を訊ねるより先に、唯は照れた顔で言葉を続けていた。


「でもね、和ちゃん……、
きっと「そういうのはやめなさい」って言うと思うんだよね……。
和ちゃんが本当に傍に居てくれたら、そういう風に言うと思うんだ……。
「私の事ばかり考えるのはやめなさい」って、きっと……。
でも、私、和ちゃんにはまだ傍に居てほしいし、忘れそうになるのが怖いから……、
だから、この眼鏡なら和ちゃんも許してくれるかも、って思ったんだよね。
和ちゃんは私が頑張るのを待っててくれる子だったから、
のんびりゆっくりでも私が前に進むのを嬉しく思ってる子だったからね……、
だからね……、いつか眼鏡無しでも和ちゃんの事を信じられるために、今は……」


唯が最後まで言う前に、私は唯の手を強く握って頷いた。
強くなろう。皆で少しずつ。
まだ弱くて情けない私達だけど、未来を信じていくために進むんだ。

そうして、五人で肩を並べ、空を見上げる。
右端から、梓、澪、私、唯、ムギの順で手首を繋いで語り合う。
色々な事を語り合っていく。
今まで言えなかった事、隠してた想い、これからの事、色んな事を……。

澪が自分が強がれた理由を告白する。
ムギがほんの少し憶えていた私達の大怪我について語る。
唯が眼鏡だけじゃなく、憂ちゃんと同じ髪型にしていた理由を言う。
梓が私達の手を包帯で繋いでしまった理由を喋る。
私が今まで皆に迷惑を掛けてしまった事を謝罪する。
隠していた想いを、お互いがお互いに伝えていく。
少しずつ、お互いの想いを理解していく。
本当に少しずつ。
だけど、確実に……。

ある程度、皆の想いをお互いに伝え終わった頃、梓が静かに独り言みたいに呟いた。


「結局……、この世界って何なんでしょうね……?」


「えっ……?
私の夢……じゃないの?」


唯が首を傾げて梓に訊ねると、梓は苦笑する事でそれを返した。


「いえ、それは多分そうなんでしょうけど、理屈……って言うんでしょうか?
そもそも、どうしてこんな事が起こってしまったのか、って事ですよ、唯先輩。
唯先輩が大怪我をしてしまって私達はそれが悲しくて、
それで私達はこの閉ざされた世界に来る事になりました。
でも、悲しかったからって、それだけでこういう事になるものなんでしょうか?」


「それもそうよね……」


名探偵ムギが口元に手を当てて首を捻る。
ムギはしばらくそうしていたけど、答えは出なかったらしく、困ったように苦笑した。
そりゃそうだ。
ムギは名探偵だけど、こんなの名探偵が解決する事件の範疇じゃないもんな。
と、私は不意に思い出した。
そういえば、この世界の謎について、心当たりがありそうな奴が一人だけ居たって事に。
私はそいつと繋いでいた手に少しだけ力を入れてから、訊ねてみる。


「そういや、澪……」


「どうした?」


「おまえ、この世界の正体について、何か心当たりがあるんじゃないか?
この世界が唯の夢だってのはほぼ確定として、
その原因についても考えがあるっぽいじゃんか」


「いや、確かにあるよ?
ある事にはあるんだけど……、でも、確証があるわけじゃないし、
いい加減な事を言って皆を戸惑わせるわけにもいかないだろ……?」


慎重そうに澪が呟く。
まったく……、人の事には口を出せるくせに、自分の事となると相変わらず気弱だな、澪は。
でも、それは、私も同じ……かな?
やっぱり幼馴染みなんだって事だろうな、私と澪は。
私は苦笑してから、澪と繋いだ手に優しく力を込めてやった。


「いいんだよ、確証が無くたってさ。
そういうのも皆で話して検証して行こうぜ?
違ってたら違ってたでいいじゃんか。
もう今更何が原因でも、ちょっとやそっとじゃ驚かないしさ」


「そうだよ、澪ちゃん!
難しい事は分からないけど、私もこの世界の事についてもっと知りたいよ!」


私に続いて唯が賛同してくれた。
多分、私達の中でこの世界の正体について一番知りたいのは唯だろう。
そもそもの原因が唯の夢なのかもしれないんだもんな。
責任を感じてる所もあるんだろう。
澪もそれは分かってたみたいで、真剣な表情で「分かったよ」と頷いてくれた。
私はその澪の様子に嬉しくなって、つい肩で軽く澪の肩を押してしまっていた。


「ありがとな、澪。
そういや、昨日、この世界についてなのかは知らないけど、何か呟いてたよな?
サンバ……だっけ?」


「サヴァンだ、サヴァン」


ボケたつもりはなかったけど、澪に突っ込まれてしまった。
そうか……、サンバじゃなかったのか……。
しかし、何だ、サヴァンっては……?


「サヴァンって……、サヴァン能力の事ですよね?」


そう澪に訊ねたのは梓だった。
梓も意外と色んな事知ってるよな……。
梓も知ってるって事は、そんなにマイナーな言葉ってわけじゃないのかな?
澪は梓の言葉に頷くと、何も分かってない私達三人に説明を始めてくれた。


「サヴァン能力って言うのは、脳に障害を持っていて、
そんな事が出来るはずがないのに、何故か出来てしまう能力の事なんだ。
……って、この説明だけじゃ分かりにくいよな……。
そうだな……、サヴァンって言葉は知らなくても、テレビで見かけた事はあるはずだよ。
確か律と私の家で一緒に何となく観てた番組の特集でもやってたはずだ。
憶えてないか?
漢字を書く事も出来ない人が十桁以上の掛け算を一瞬で解いたり、
会話も出来ない人がピアノを完璧に演奏してしまうってシーンがあったはずだけど……」


あー……、何となく憶えてる気がするな。
アンビリーバブル的な番組だったはずだ、多分。
私、あの番組はホラーとファニーが好きだから、その辺真面目に観てないんだよな……。
でも、一応、澪とそういう番組を観てたって記憶はある。
その特集の中では、会話もままならない人が確かに私達よりも完璧な演奏を見せていた。
あんまりにも上手かったから何か悔しかった事だけはちょっと憶えてる。
でも、そのサヴァンってのが、この世界と何の関係があるって言うんだろうか?
私がそれを訊ねると、澪はまた丁寧な説明を続ける。


「サヴァン能力ってのは、大概が生まれつき身に着けているものって思われてたらしい。
でも、それは単に後天的に脳に障害を持つ事が少なかったから、そう思われてたってだけみたいなんだ。
サヴァン能力みたいな物を後天的に身に着ける人もいるそうだ。
サヴァン能力の原因については諸説入り乱れてるみたいだけど、
今の所有力な説は脳の再配置ってやつが原因だって前に本で読んだ事があるよ」


「脳の再配置と言えば、幻肢痛の原因とも言われてる現象ですよね?」


そう訊ねたのはまた梓だった。
本当に博学な奴だな、こいつは……。
澪はよく本を読む奴だからいいとしても、梓は何処でそんな知識を仕入れてるんだ?
あー、ひょっとするとインターネットか?
梓の奴、ネットは結構やってるみたいだから、その辺から仕入れてるのかもな。
まあ、今はそんな事はどうでもいいか。
私は苦笑してから、澪に訊ねる。


「で、その再配置が何だって言うんだよ?」


「詳しい説明は省くけどさ、要は弱点を補うために別の所が成長するって事かな。
律には漫画的な説明の方が分かりやすいかもしれないな。
たまに見かけると思うけど、盲目の武術の達人を連想してもらえれば分かりやすいと思う。
律がよく読む漫画にはそんな登場人物って結構出て来るだろ?」


「いや……、そんなに格闘漫画ばっかり読んでるわけじゃないんだが……。
でも、まあ、確かに居るな。
うん、思い出してみただけで、結構居るよ、盲目の武術の達人」


「だろ?
実はあれには科学的な根拠もあるらしいんだ。
視覚を失う事で、元々視覚のために使っていた脳を、
聴覚とか嗅覚とか別の機能に使えるようになる事もあるらしいんだよ。
それが脳の再配置……、ここまでは分かってくれたか?」


「まあ、何となく……。
つまり、失った何かを補うために、一点集中で違う何かを伸ばすって事……でいいのか?」


「大体、そう考えてもらって間違いないかな。
さっきも言ったけど、サヴァン能力もその脳の再配置が原因らしい。
会話をする能力が無い代わりに天才的な音楽の才能を持ったり、
数字の計算が出来ない代わりに写実的で完璧な絵画を描けるようになったり……、
とにかくそれがサヴァン能力なんだよ。

……何かに似てると思わないか?」


「ひょっとして……」


澪の問い掛けに、ムギが神妙な表情で呟いた。
ムギが呟いてくれたおかげで、私もムギが何を言いたいのか気付けた。
私達の中で一番、私達の怪我の事を憶えているムギ。
そのムギが誰よりも先に気付くって事は……。
躊躇いながら、ムギが言葉を続ける


「唯ちゃんの……、頭の大怪我……?」


何処か悲しそうなムギに向けて、「ああ」と澪は頷いた。
澪も少し悲しそうだったけど、それでも言葉を続けてくれた。


「まだはっきりと思い出せてるわけじゃない。
でも、元の世界では、確か唯は頭に大怪我を負って、その日から眠り続けるようになった。
植物状態ってわけじゃないけど、何故か目を覚まさなくなったはずだ。
多分、脳の何処かに障害が出たんだと思う。
それで目を覚ます事が難しくなったんだ……」


「……唯が目を覚まさなかったのは、私も何となく憶えてるよ、澪。
でも、それとこの世界に何の関係があるって言うんだ……?」


私が訊ねると、澪は少し溜息を吐いた。
どうやらそこから先の推論には自信が無いみたいだ。
それでも、澪は私の瞳を見つめて言ってくれた。


「ここから先の推論は科学的と言うより、SFの範疇になるんだ。
あくまでそういう考え方も出来るって前提で聞いてほしい。

……脳波くらいは皆知ってるよな?
詳しくは違うんだろうけど、簡単に言えば人間の脳に流れてる電気の事だよ。
電波って言ってもいいかもしれない。
とにかく、人間の脳も電気と電波で動いてるんだ。
脳からの指令は弱い電気信号で全身に伝えられてるのは、もう常識レベルの話だしさ。
当然の話だけど、その電気信号はその人固有の物で、他の誰かに影響を与える事は無い。
そう考えられてる。

でも、本当にそうなのかな?
何らかの原因で強い脳波を発せるようになれば、
誰かの脳にも影響を与えられるようになるとは考えられないか?
例えば脳に障害を負って眠り続けるようになってしまって、
誰とも喋る事も触れ合うも出来なくなってしまったけど、
その代わりに別のコミュニケーションの方法として、
近い脳波を持つ他人を自分の夢の中に引きこめるようになった……、そんな感じにさ」


「じゃあさ……、澪。
つまり、この世界は本当の意味で……」


「ああ、夢なんだよ、本当の意味で。
正確に言うと、私達が唯の夢の中に入り込んでるわけじゃない。
唯の脳波の影響で、同じ夢を五人とも同時に見てるんだよ。
元の世界での私達は、傍から見ていると唯と同じく眠り続けてるように見えるはずだ。
それがきっとこの世界の正体なんだと私は思う」


夢……。
本当の意味での夢……か。
簡単には信じられる話じゃなかったけど、心の何処かでは納得していた。
澪の推論が正しいとは限らないけれど、そう考えれば全ての説明が出来る気がした。
そう考えれば……、って、あれ?
そういや、一つだけちょっと分からない所があったな。
それを私が訊ねるより先に、梓が小さな声で澪に私が考えていたのと同じ事を訊ねていた。


「近い脳波……って言うのは、何なんですか、澪先輩?」


「そうだな……。
これも私の勝手な推論なんだけど、
この夢は唯が無意識に選んだ人しか入れないって思うんだ。
私達以外には他に誰も居ないわけだし、
無差別に他人を夢の中に引き込めてるようには見えないだろ?
だから、脳波か、感情か、想いか、どれかは分からないけど、
そのどれかが唯と近い他人しか、この世界には来れないんだと私は思う。
例えば……、唯ともう一度話をしたくて耐えられなかった、私達とか……さ」


澪の言う通りだと思った。
そうだ。唯が無意識に望んだからってだけじゃない。
私達も望んだから、私達はこの世界に来る事になったんだ。
この世界は唯の夢ってだけじゃなく、私達の夢の姿でもあるんだ。
だけど、そこで梓が珍しく澪に食い下がった。
まだ納得出来てない事があるらしい。


「唯先輩ともう一度話をしたかったっていうのは、分かります。
私だって、唯先輩が目を覚まさなかった事は……、凄く辛かった憶えがありますから……。
でも、澪先輩……、それなら、もっと他にこの世界に来るべき……、
いいえ、残るべきだった子が居るって思いませんか?」


「憂ちゃん……だな……」


澪が梓の言葉に頷きながら呟く。
それは澪も考えてなくはなかったらしい。
梓の疑問はもっともだった。
順位を考えるなんて馬鹿馬鹿しいけど、
でも、世界中を見渡してみて、唯の事を一番考えてるのは憂ちゃんのはずだ。
それに私達よりも、唯の家族の方が唯とまた話をしたがってるのも間違いない。
だとしたら、どうして憂ちゃんはこの世界に残っていないんだろうか……?

澪は皆の顔を見渡してから、続けた。
この世界に怯えてたからこそ、見つけられた答えを伝えてくれた。


「さっき言ったけど、そこはまた脳波が原因じゃないかって思うんだよ、梓。
皆は知ってるか?
傍で共同作業をしている人間の脳波は、いつの間にか似通って来るらしいんだ。
軽音部でさ、皆が活動している内に、皆の脳波が近くなってたとは考えられないかな?」


「それは……、喜んだらいいのか、悲しいんだらいいのか、何とも言えないな……」


私が呟くと、話を黙って聞いていた唯が頬を膨らませた。
私の発言に納得がいかなかったらしい。


「ええー……、皆の気持ちが一緒になるって素敵な事だよー?
りっちゃんはそれが嬉しくないのー……?」


「それは確かに素敵な事だと思うんだが……、
知らず知らずの内に私の脳波が唯の脳波に近付いちゃってたってのがなー……。
何か色んな日常生活に支障がありそうじゃん」


「何それー……。
ひどいよ、りっちゃん……」


唯がちょっと悲しそうに視線を伏せる。
私は苦笑して、リボンで結んだままの手で唯の頭を撫でて言ってやった。


「冗談だよ、唯。
それが今のこの世界に来る事になったきっかけになったんなら、私だって嬉しいよ。
私……、おまえと話したい事がいっぱい残ってたんだからさ」


「りっちゃん……」


「まあ、唯と考え方が似通っちゃうってのは、勘弁だけどな!」


「りっちゃんたら、もーっ……!」


「私も唯先輩の脳波に近付いちゃうのはちょっと……」


「あずにゃんまでー!」


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最終更新:2012年07月10日 21:58