◎
色んな話を重ねた。
多くの想いを交わした。
繋いでいるんじゃなくて、結び合った手を重ねながら、私達は誓い合う。
ただ傍に居る事じゃなくて、傍に居たいって一人でもずっと思い続ける事を。
仲間を大切に思い続けるって事を。
話は尽きなかったけど、尽きさせたくなかったけど、
それでも、いつまでもこうしてるわけにもいかなかった。
不意に少しだけ会話が途切れた時、梓が静かにリボンを解き始めた。
「もう……、いいのか……?」
少し残念そうに、澪が梓に訊ねる。
心を強く持っている澪だって、まだこうしていたいって気持ちはあるんだろう。
私にだって、勿論ある。
唯とムギ、梓にだってあるだろう。
手を繋ぎ合ってるのは、絆を感じられて、凄く安心出来る事には違いないんだから……。
だけど、梓はゆっくり頷いたんだ。
寂しそうでも、少し口の端で微笑みながら。
「はい……!
もう……、大丈夫です。ありがとう……ございました!」
力強い意志のこもった言葉。
梓は決めたんだ。
一瞬だけの安心や温かさに頼らず、長い孤独の中でも未来を信じて歩いていく事を。
後輩の梓にそんな事をされてしまったら、先輩の私達としても負けているわけにはいかない。
皆で頷き合うと、一斉に手首のリボンを解いてやった。
不安、恐怖、後悔、そんな感情が一瞬だけ私の心の中に生まれる。
離れていく事は、やっぱり怖い。
一人で多くの恐怖に耐えながら生きていけるほど、私は強くない。
でも、私はそれを笑い飛ばしてやった。
一人を怖がっているのは私だけじゃない。
卒業で離れ離れになって、ずっと怖がっていたのは皆も同じだったんだ。
皆だって、誰だって、見えない未来に不安を抱いてるのは同じなんだ。
この世界に来る事になって、それだけはよく分かったから。
自分や皆の不安や恐怖に嫌でも目を向ける事が出来たから……。
だから、きっと大丈夫。
私も、皆も、大丈夫なんだ。
結局、私達は自分の中の不安や恐怖から逃げ出す事は出来ない。
逃げ出せないんだったら、それを抱えながら生きてやるだけだ。
この先に何が待ってるとしたって、笑いながら生きてやろう。
未来、一人っきりで生きる事になったとしたって、
私達が生きて来た思い出を皆が憶えていてくれるって、私は思えるから。
笑顔で生きていける、きっと。
一斉に立ち上がり、皆で顔を見合わせる。
皆、微笑んでいた。
不安や恐怖や後悔を抱えながら、それでも。
未来を、信じて。
不意に。
一陣の強い風が吹いた。
目を閉じたくなるくらいのとても強い風。
でも、私達は目を閉じない。
手も繋がず、肩も寄せ合わず、自分だけの足で立って、ただ自分の想いを信じる。
そして、皆でリボンを持った腕を掲げる。
リボンを風に靡かせて、強い風を手の中に感じて……、
その手を、皆で同時に放した。
リボンが風に乗り、空に舞い上がる。
リボンが宙を舞う。
私達を繋いでいた物、結んでくれていた物が飛んでいく。
繋がれていた私達の心を解放していく。
残されたのは私達の孤独で自由な心。
何処までも不安と隣り合わせの心。
でも、それでよかった。
私達はこれまで自分達の心を雁字搦めに縛っていた。
皆と傍に居なきゃいけないって強迫観念に囚われていた。
それで自分だけじゃなく、皆の心まで雁字搦めに縛ってしまっていたんだ。
だけど、そんなの……、孤独よりももっと酷くて悲しい事だ。
私達は自由になって、自由にさせるべきなんだ、皆の心を。
宙に舞ったリボンを目で追えなくなった頃、
唯が軽く微笑みながら、また突拍子も無い事を言った。
「ねえ、皆……。
ライブ会場まで走らない?」
「走る……って、唯、おまえ、体調は……?」
私が訊ねてみると、唯は軽く首を横に振って続けた。
その瞳には強い想いが宿ってるように見えた。
「身体の調子なら大丈夫だよ?
澪ちゃん達のおかげで結構休ませてもらったもんね。
勿論、危ないと思ったらすぐに走るのやめるよ。
何だかね……、今とっても走りたい気分なんだ。
駄目……?」
駄目なわけなかった。
実を言うと、私だって今すぐにでも走り出したい気分だった。
自分でも自分の中の想いが掴み切れてない。
でも、走りたかったんだ、どうしても。
私は自分のわけの分からない衝動に苦笑しながら、澪、ムギ、梓の順で視線を交わしてみる。
三人とも苦笑しながら、多分、私と唯と同じ想いを抱いてるみたいだった。
私はまたもうちょっとだけ苦笑してから、唯の頭に軽く手を置いて言った。
「いいんじゃないか?
私もちょっと久々に走ってやりたい気分だったからさ。
でもさ、走るのがちょっとでも辛くなったら、すぐに言えよ?
別に急がなきゃいけない用事ってわけでもないんだからな」
「うんっ!
ありがとう、りっちゃん、皆!
じゃあ、早速……、
よーい……、ドン!」
言い様、唯が勢いよく飛び出して行った。
まあ、ゆっくり追い掛けるか、とか思っていたら、
既に結構先に行っていた唯がとんでもない事を言い出しやがった。
「最下位の人は一週間料理当番ねー!」
「ちょっ……! おま……、ずるっ!」
唯の言葉に驚いた私から、澪、ムギ、梓の順で唯の後を追い掛け始める。
唯はそう足が速いわけじゃないし、体力もそう無いから、すぐに追い付けるはずだ。
料理が嫌いなわけじゃないけど、流石に一週間の料理当番は面倒臭い。
これは言い出しっぺの唯に涙を呑んでもらう事にしよう。
……あれ?
となると、もし唯が最下位になったら、
これからの一週間、私達は唯の料理を食べ続けなきゃいけないわけか?
それはそれで微妙な感じだな……。
まあ、唯の料理は外見は悪いけど、不味いわけじゃないから別にいいか……?
唯の足は予想以上に遅かった。
私達四人はすぐに唯と肩を並べる事が出来た。
このまま抜き去るべきかどうか迷っていたら、ちょっと驚いた。
横目に見た唯が満面の笑顔を浮かべていたからだ。
楽しそうに、嬉しそうに、もうすぐ抜かれそうだってのに眩しいくらいの笑顔で。
唯は、走っていた。
私は思わず丁度隣に走っていた梓に視線を向けてみる。
梓も面食らった表情をしてたけど、すぐに唯と同じくらい眩しい笑顔になった。
少し離れた距離でムギと澪のペースがちょっと落ちてるのを見ると、
二人ともいつの間にか笑顔になっちゃってるみたいだ。
まったく……、こいつらは何がそんなに面白いんだか……。
そう思いながらも、私もいつの間にか自分で気付けるくらい満面の笑顔になってた。
「あ……、ははっ。
あははっ。あははははははっ!」
声を上げて大声で笑い始めてしまう。
唯も澪もムギも梓も大声で笑い始めていた。
何がそんなに面白いのかは分からないし、自分でもどうかしてると思う。
だけど、確かに嬉しかった。
心の中の不安や恐怖はまだ全然消えてない。
喉元に引っ掛かった魚の小骨みたいに、気になり続けてる。
それでも、そんなのよりずっと嬉しい気持ちが私達を笑顔にさせていた。
私達は本当は一人でも、いつか一人になったとしても、
こうして皆で居られた時間は確かに存在してたんだって、そう思うと嬉しくなるんだ。
私達の時間は確かにあったし、あるし、これからもあるかもしれないんだ。
信じよう、と思った。
実は私が梓の想いを受け入れられなかったのは、もう一つだけ理由がある。
それには気付いてるだろうけど、梓もそれについては触れなかった。
触れるべき事なのかどうかは、私にも分からなかった。
私が梓を抱き締められなかったもう一つの理由……。
それはこの夢の世界から目覚められた後の話だ。
きっと私達はいつか目覚められる。
どんな形であれ、和達みたいに元の世界に戻る事が出来るだろう。
重要なのは元の世界に戻った後での話だ。
私は思うんだ。
元の世界に戻った時、私達はこの夢の世界での事を憶えてるんだろうかって。
この世界は唯……というか、私達全員が同時に見ている夢だ。
夢の世界での出来事なんだ。
今は勿論、鮮明に憶えてるし、自分の意志で色んな事を考えられる。
だけど、その記憶や想いがどうなるのかは、目覚めてみるまで分からない。
この世界で考えた事や思い出が、何もかも無かった事になっちゃうかもしれない。
むしろその可能性の方が高いんじゃないかなって思う。
そんな状態で、梓と恋人みたいな関係になる事なんて出来なかった。
例えばそれは、いくらでもやり直せるからって、
気に入らない展開になったゲームをロードして再開するみたいなものだった。
この世界で梓と恋人になって慰め合って、
目覚めた後で何も憶えてないなんて悲しいじゃないか。
私の想いも、梓の想いも、何もかも無駄になっちゃうじゃないか。
それ以上に、無かった事に出来るかもしれないって現状に甘えたくなかった。
無かった事に出来るから、とりあえず梓を抱き締めておくなんて事は、絶対にしたくなかった。
だからこそ、梓と恋人になるにしろ、元の先輩後輩に戻るにしろ、それは目覚めた後での話にしたいんだ。
私は一度きりの人生を生きてるし、一度きりの人生を生きてたい。
ゲームみたいにやり直せる人生なんて、自分にも梓にも失礼で残酷でしかないから。
だから、きっと梓も「忘れないで」と言ったんだろう、と思う。
この世界での出来事が夢みたいに消えてしまうかもしれないから……。
でも、信じる。未来ってやつを信じてみせる。
全部は無理にしたって、私達は少しでもこの世界での出来事を憶えてられるはずだって。
確かにあったこの時間、この想いを憶えててやるんだって。
絶対に……。
「うわあああああああああああっ!」
いつの間にか私は走りながら大きな声で叫んでいた。
それは不安や恐怖からの叫びでもあったけれど、未来に対する決意からの叫びでもあった。
忘れたくない。忘れてやらない。
私はこの世界での想いや記憶、皆との思い出、梓がぶつけてくれた想いを忘れない。
そして、絶対に唯と一緒に元の世界に戻るんだ……!
その意志を込めて、私は大声で叫んだ。
気付けば、私に倣って唯達も大きな声で叫んでいた。
世界に向けて、皆に向けて、自分に向けて。
きっと多くの不安を抱えながら、だけど、私も含めた全員が笑顔で。
未来を信じるために、私達は叫びながら走ってやった。
◎
最初に転移させられた広場に辿り着いた時、正直、私は驚いた。
会場自体は雨よけに建てられたテントの中に、
レジャーシートを敷いただけの物だったけど、それはそれで十分だった。
私達は別にそんなに豪華なライブをやりたいわけじゃないんだからな。
それより驚いたのは揃えられた楽器の方だ。
ギー太にエリザベスにむったん……、
ムギのキーボードに私のドラムまで全て同型の楽器が揃えられていたからだ。
いや、同型ってだけじゃなく、カラーリングまで全部同じだった。
よく見ると、シート脇に置かれてるギターケースとかも同型なんじゃないか?
「おい、これ……」
私が指差して訊ねてみると、
走ってきた事でちょっと息を切らした唯が、両手を腰に当てて鼻息を荒くした。
「あ、気付いた、りっちゃん?
色んな楽器屋を回って皆のと同じ種類の楽器探すの大変だったんだよー?
もっと褒めてくれていいんだよー、ふんすっ!」
いやいや、楽器屋を回ったからって、色まで同じ楽器を全員分集められるもんなのか?
いくら何でも都合よ過ぎだろ、それ……。
待てよ……?
そうか……、ここは唯の夢の世界なんだよな……。
そう楽器に詳しいわけじゃない唯の事だから、楽器の種類の多さなんて考えずに、
楽器屋を回れば全員分の同じ楽器が見つけられるはずだって、無意識の内に思っていたのかもしれない。
それで都合よく私達の楽器と同型の楽器を揃える事が出来たのかもしれない。
私は唯にそれを指摘しようと思って口を開いたけど、すぐにそれをやめた。
やめよう。
楽器自体は唯の夢の産物かもしれないけど、
楽器屋を回って全員分揃えてくれたのは、確かに唯達の努力の結晶なんだ。
大変だった、って言ってたわけだし、かなり苦労して探し出してくれたんだろう。
それだけは間違いないんだ。今はその事だけで十分じゃないか。
私が唯の頭に軽く手を置いて「ありがとな」と言うと、唯は照れた様に微笑んでくれた。
「それにしても……」
自分のムスタングと全く同型のギターを手に持ちながら、梓が目を俯かせて呟いた。
「本当に今からライブをするんですか、唯先輩?
勿論、私だってセッションはしたいですよ?
でも……、まずは皆で練習してからの方がよくありませんか?
最近全然演奏出来てませんでしたし、私、自信無いです……」
「いいんだよー、あずにゃん」
言いながら、唯が梓に抱き着く。
梓は唯に身を任せながらも、また首を傾げて訊ねていた。
「いい……ですか?」
「うん、いいんだよ、あずにゃん。
自信が無いのは皆同じだし、練習出来てないのだって皆同じなんだよ?
でも、何度も言うけど、下手でもいいんだって思うんだよね。
これから私達がやりたいのは上手いライブなんじゃなくて、
今の私達が出来る今の私達の精一杯のライブなんだもん。
それはあずにゃんも一緒でしょ?」
「そうだぞ、梓」
唯の言葉を継いだのは澪だった。
唯に抱き締められながら、梓が澪に視線を向ける。
「実はさ、本当は私達も練習したかったけど、
それは梓達に卑怯だと思ったから、楽器だけ集めて練習してなかったんだ。
今の私達の実力をそのまま曲にしたかったからさ。
そんな事で上手く演奏出来るわけないし、下手でいいんだって思うんだよ。
鈍っちゃった自分達の実力を再確認して、
自分達の無力さを知って、それからやっと前に進んでいけると思えるんだ。
だから、ぶっつけ本番でライブをやろうよ、梓。
そりゃ……、私だって鈍っちゃった自分の演奏を聴かれるのは恥ずかしいけどさ……」
「お願い、梓ちゃん!
私の我儘で悪いとは思うんだけど、やっぱり私も唯ちゃん達と同意見なの。
だから……、練習より先に皆でライブをやらせてもらっていい……?」
ムギが両手を胸の前で合わせて梓に頭を下げる。
皆、真剣だった。真剣な表情と想いで、未来に進もうとしてた。
梓もそれが分かったのか、軽く微笑んでから唯の胸の中で頷いて言った。
「……分かりました!
私、自信ありませんけど……、皆さんも同じ気持ちなんですよね……。
それでも、今の自分達に出来る演奏をしたいって気持ち、私にも分かります……。
私も、今の実力を知って、それからまた努力を始めたいです……!」
「ありがとう、あずにゃんー!」
唯がまたつよく梓を抱き締めて、澪達も嬉しそうに梓の頭を撫でていた。
それはとてもいい事だったんだけど、何となく疎外感が胸に湧いたから訊ねてみた。
「……ちなみに私の意見については誰も訊かないのかね?」
何故か数秒の沈黙。
どうしてそこで黙るんだよ……。
しばらく後、梓が唯から身体を離すと、肩を竦めながら生意気に答えてくれおった。
「律先輩は練習してもあんまり変わらないんじゃないですか?」
「中野アズスンアズー!」
一気に梓との距離を詰めて、得意のチョークスリーパーを食らわせてやる。
もう遠慮はしない。
遠慮はお互いのためにもならないはずだし、本気で嫌なら梓も言ってくれるだろう。
こういうのが私達の関係でいいはずだ。
不意に見回してみると、澪達が微笑みながら私達を見つめている事に気付いた。
そういや、澪達の前で梓にチョークを食らわせるのは、久し振りだったかもしれない。
多分、私達の様子を懐かしく思ってるんだと思う。
優しい視線を私達に向けてくれていた。
でも、澪達はすぐに苦笑を浮かべたままで、自分達の楽器に向かって歩いていった。
早くライブを始めたい気持ちもあるんだろうな。
練習云々はともかく、私だって同じ気持ちだった。
そう思って私が梓から身体を離そうとすると、
梓が首に回された私の腕を強く握って、私以外の誰にも聞こえないくらいの声で囁いた。
「律先輩、あの……、私……。
歌いたい曲が……あって……」
その言葉だけで梓が何を言いたいのか分かった。
ほうかごガールズのメンバーとして、それを分かってやらないわけにはいかなかった。
『演奏したい』じゃなくて、「歌いたい」って梓は言ったんだ。
つまり、それは……。
私は軽く梓の頭を撫でてから、
腕を頭上に掲げて、皆に宣言するみたいに声を大きくして言ってやった。
「おーい、皆ー!
ぶっつけ本番って事は、どの曲を演奏してもいいって事だよなー?
って事は、部長権限で私に演奏する曲決めさせてもらってもいいよなー?」
「えー……。いきなり何言ってんのさ、りっちゃん元部長ー……」
唯がちょっと不満そうに言ったけど、その目は笑っていた。
唯としても演奏出来さえすれば、曲目はどれでもいいと思ってるんだろう。
わざとらしく勿体ぶってから、ちょっと後に唯が折れてくれた。
「まあ、いいかあ……。
それで何を演奏するつもりなの?
ひょっとして『冬の日』とか?」
「何でもいいけど、どうしてそこで『冬の日』が出て来るんだ?」
「え? だって、今のロンドン、二月みたいだから……」
「それだけかよ!
まあ、演奏する直前で私が伝えてやるから、その辺もお楽しみって事で。
それが真のぶっつけ本番ってやつだぜ!」
「うーん、合ってるような合ってないような……。
私はいいけど、ムギちゃん達もそれでいい?」
最終更新:2012年07月10日 22:05