次の日。
琴吹嬢は約束通り希望に沿った仕事の話を持ってきてくれ、すぐさまその職に就くに相応しい知識があるかどうかのテストを受けた。
幸い私の頭脳はここでも通用する様で、問題無く満点を取ると次は細かい決まり事や条件などの説明をされた。
ちなみに、戸籍などの必要な物はすべて整えてくれるとの事だ。
話の流れとは言え、少なくともすぐに経歴を話す必要が無くなったのもありがたい。
そちらはまた対策を練るか。
そして今が週の中日。来週から早速、仕事に入る事になるらしい。
私は自分に与えられた、琴吹邸の一室の窓から外を見つめていた。
ザーボン(しかし……凄いものだ)
周りにも有能な者達が集まっているからこそとは言え、あの行動力に、器……
琴吹嬢のそれらの能力は、宇宙中から有能な人材を集めているフリーザ軍にスカウトしても良い位だ。
……フリーザか。
そうだな。
目的を忘れてはいけない。
私は、ここを安住の地にする為に周りの地固めをする訳ではない。
いずれフリーザ軍に戻る為に必要だからこうしただけだ。
ザーボン(……そう、私は戻らねばならないのだ)
……なぜ?
考えると、頭が痛んだ。
コンコン。
紬『ザーボンさん、入ってもよろしいかしら?』
ザーボン「──どうぞ」
私の返事の後、琴吹嬢が部屋に入って来る。
ザーボン「どうされましたか、紬様」
紬「ザーボンさんがどうしているかな、って思いまして。
……って、敬語はやめてって言ったでしょう?
それに紬様もやめて欲しいなって」
ザーボン「む……しかし、貴女は私の雇い主である故……」
正確に言うとそれは『琴吹財閥』ではあるが、この件は彼女が責任者となっているらしいし、便宜上こう言っておく。
紬「そうですが、家の召使いと言う訳ではありませんし。
適度に誠意を見せて頂ければそれで構いませんよ」
ザーボン「……わかった、気をつけよう。
ええと、お嬢様」
本当は良くない事だとは思うが、それこそ雇い主が仰るなら従うべきだろう。
紬「本当は『ムギちゃん』って呼んで欲しいのですが……うーん。
さすがにそれは……」
ザーボン「うむ、立場上あまりに不適切だな。
もちろん、命令とあらば従うが……」
紬「……ですね。
うふふ。まあ無理にとは言いませんので、『紬様』以外なら呼びやすい物で構いません。
──それで、明日からお引越しをする訳ですが、どうですか?
家は過ごしにくくありませんでしたか?」
ザーボン「何を仰る。とても良くして頂いて……」
そう。私は明日、通勤し易い場所へ引っ越す。
家具等は備え付けで荷物は大してない為、明日移動する時にまとめて持って行く事になっている。
ザーボン「しかし、正体もわからない人間の為にどうしてここまでしてくれる?」
いくら期待している相手とは言え、ここまでの行為にそう得があるとは思えないのだが……
紬「うふふ、それだけ貴方を買っていると言う事です。
この位当然ですわ」
そう言う彼女の笑顔には、いつもと同じく裏は感じられない。
ザーボン「……本当にありがとう。
必ず最高の結果を出して、もっと琴吹家……いや、お嬢様に栄光を与えてみせよう」
紬「あらあら。そうして頂ければ、家の人材派遣部門の信用も上がりますね。
まあ、そんなに気負わなくても大丈夫ですよ」
ザーボン「うむ。任せて頂きたい」
紬「あらあらまあまあ……
わかりました。
期待していますね」
……不思議だ。これほど素直にやる気になるなんて。
お嬢様と、平沢嬢のおかげだろうか?
そして、私はいずれ彼女達を裏切らないといけないのだろうか?
……今はそんな事はどうでも良いな。
いや……考えたくない。
来週か。楽しみだ。
────────
????「あ、あぁ……」
「……(ボソリ)逃げなさい」
????「でも……で、でも……」
「ここは私が時間を稼ぐから。
ね?
ほら、走るのっ!」
????「!
待って! 行っちゃダメだっ!」
「大丈夫! 私もすぐ追いかけるわ!
また後でねっ!
ザーボン君!」
────────
ザーボン「────!!!!!」
胸が熱い。動悸が激しい。頭痛がする。目の焦点が合わない。
ザーボン(ゆ……夢?)
無意識の内に飛び起きていたのか。上半身だけ起こした状態の私は、手の甲で額を拭った。
……凄い汗だ。
ザーボン(また……か)
遠い遠い記憶。これまで忘れ──いや、逃げていた報いなのか。
その悪夢は、ここ数日ずっと私を襲っていた。
ザーボン「…………」
私は暗い部屋の中で、そっとある人の名前を呟く。
……こんな事では駄目だ。私は昔、決めたではないか。
すべてを忘れ、フリーザ軍の戦士として生きると。
そうだ。私はフリーザ軍・大幹部のザーボン。
この環境も、あそこへ戻る情報や手段を探る為に必要だから、利用しているだけだ。
そう。そのはず……なのに。
ザーボン「…………」
なぜ私はこんなに切ないのだろう。心細いのだろう。
だけど、数時間前まで居た『彼女』……いや、お嬢様の残り香が、そんな私を癒してくれた。
日曜日の午前。
引っ越して数日。日本での暮らし方や環境は学び、慣れたのでもう問題ない。
もちろん、地球へ来た原因なども時間が許す限りあれこれ調査をしてみた。……こちらはまったく進展はないが……
悪夢も相変わらずだが、こうやって色々と動いていたら、潰されそうになる程追い詰められる事は無くなってきていた。
やる事・準備が多すぎてあまり睡眠時間が取れない=夢の世界に居る時間が少ないと言うのもあるだろう。
それでも肉体的に辛く無いのは、やはり……そう、楽しいからだろうな。
ともあれ、後は翌日の初出勤を待つだけだ。
さて、とりあえず今日は何をして過ごすか。
仕事への下準備は完璧。とすると、やはり調査の続行か……
ピンポーン。
ザーボン「む?」
思案を始めたとき、チャイムが鳴った。
早速玄関に向かい、扉を開けてみると……
唯「やっほーっ、ザーボンさん!」
紬「こんにちは~」
ザーボン「おや。いらっしゃい」
二人をリビングキッチンへ通し、ソファーに掛けてもらう。
ザーボン「どうしたんだ、二人揃って」
私はお菓子と紅茶を用意しながら、「きれ~いっ!」や「広い!」などと言いながらはしゃぐ二人に問うた。
紬「うふふ。
今日は唯ちゃんとデートをしていたのですが、このマンションの近くまで来たものですから」
唯「私が行ってみたいってお願いしたんですっ!」
ザーボン「ああ、なるほど」
そう言えば今回の件、お嬢様は平沢嬢には話したと言っていたな。
もちろん隠す事ではないし、二人の関係を考えたら会話の中でそう言う話も出るだろう。
唯「このマンションって、ムギちゃんのお家のなんですよね?
すっごく良いお部屋だなぁ~」
ザーボン「うむ。行く所の無かった私にこれほどの家を紹介して頂き、お嬢様には本当に感謝している」
チョコレートと、入れたての紅茶をテーブルに並べる。
紬「あら、ありがとうございます☆」
唯「ありがとうございます~!
わぁ、凄いおいしそうっ!」
お嬢様はレモン、平沢嬢はミルクを入れると、全員で紅茶に口を付けた。
ザーボン「……うむ、良い味だ」
唯「んふー、ザーボンさんもお茶入れるの上手いですねっ。
ムギちゃんにも負けてないかも」
ザーボン「いや。この……アールグレイだったか。
この紅茶が良い葉を使っているからだよ」
紅茶の入れ方に多少心得があるのも確かだが、そう思う。
紬「ふふ、またまたご謙遜を」
ザーボン「そうではないよ」
しかし、ここは良い国だな。
様々な物が手に入るし、質も良い。
何よりのどかな物だ。殺伐とした雰囲気がまるでない。
私の知る限りこれだけ豊かな国だと、必ずその物資なりなんなりを巡って激しい争いがあるのだが……
この様な場所に住まう人間達には、不平不満は無いのだろうな。
……まあ先日、この二人に絡んでいた様な愚か者は居るみたいだが、どこにも例外と言うのはあるだろう。
紬「はい、唯ちゃん♪」
唯「はい、ムギちゃん♪」
気が付くと、お嬢様と平沢嬢が各々の紅茶を飲ませ合っていた。
ザーボン(……美しい)
行為そのものは決して美しい物ではないはずだ。
ザーボン(しかしこれは……
たまらんな。どんな絵画や彫刻も敵わぬ)
唯「ムギちゃんの紅茶もおいしいねっ☆」
紬「唯ちゃんの紅茶も美味しいわ♪」
唯「ザーボンさんが入れて、ムギちゃんが飲んだお茶だから、もっと味が良くなったのかな」
紬「うふふ♪」
唯「──あっ、ザーボンさんのもちょっと下さいな~」
紬「ストレートティー♪」
ザーボン「む?
ストレートが飲みたかったら、また入れれば……」
そう言うと二人は頬を膨らませて、
唯「かー。わかってない、わかってないよっ、ザーボンさん!」
紬「ダメダメですわっ」
唯「こういうノリは大事なんですよっ!?」
ザーボン「???」
ち、地球ではこう言うノリが当たり前なのか???
考える間も無く、私達は紅茶を飲み回す事になっていた。
紬「うふふ♪」
ザーボン(なんだこれは)
唯「あははっ♪」
ザーボン(しかし……お嬢様)
凄く生き生きしているなと思う。
紬「はい、唯ちゃんっ。
あーん」
唯「あーん」パクッ
琴吹邸で私と二人の時も、別によそよそしかったりした訳ではない。
だが、彼女と……平沢嬢と居る時は、他では見ない位輝いている。
どちらも本当の彼女なのだろうが、やはり仕事や、その相手とそんな会話をする時とプライベートはきちんと分けているのだろう。
そう言う姿勢は美しいと思う。
唯「あっ、そういえばザーボンさんはお仕事も決まったんでしたっけ」
ザーボン「うむ、そうだ。私は本当に運が良いよ。
日本に来て、すぐ家も仕事も手に入れる事が出来たのだからな」
唯「そのお仕事ってなんですか?」
……ああそうだ、お嬢様の願いで、平沢嬢には仕事に関してだけは完全に秘密にしていたのだ。
その理由は後述しよう。
ザーボン「ふふ、内緒だ」
唯「えーっ、なんでぇ!?」
ザーボン「なんでもだよ」
唯「ぶーぶー!」
紬「まあまあ、無理に聞いたら悪いわ」
唯「ムギちゃんは知らないの?」
紬「うん。
その事に関しては家はノータッチなの」
唯「ちぇちぇ」
紬「うふふ♪」
お嬢様が楽しそうに、拗ねる平沢嬢の膨らませている頬をつつく。
唯「あっ、そうだっ。ザーボンさん漫画とか読みますかっ?
さっきムギちゃんとデートした時に買ったんだぁ」
ザーボン「どれどれ?」
『くちびるためいきさくらいろ』……
こ、これは百合約聖書か!?
それから私達は、日が傾いて二人が帰るまで、この『くちため』や他愛ない話などで盛り上がった。
次の日。
赴任先の学校の廊下。
担当する授業がやってきた私は、案内役の教諭と共に教室の前までやって来ていた。
「では、後はよろしくお願いしますね」
ザーボン「承知致しました」
その教諭と別れ、私は教室の中に入る。
ガラガラガラ……
私の入室と共に喧騒がおさまる。
窓際後ろの席で「あっ!」と言う声が聞こえたが、気にせず黒板に名前を書き、私は言った。
ザーボン「始めまして。今日から赴任して来たザーボンだ。
英語の授業を担当させて頂く。
皆、よろしく頼む」
私の挨拶に平沢嬢は目を点にし、お嬢様がニヤリとほほ笑んだ。
ザーボン「──では、以上で授業を終わる」
……よかった、何とかこなせたみたいだな。
知識には自信があっても、このような仕事の経験はない。
正直不安や緊張があったのだが、授業の流れを思い返しても、生徒達の反応を見ても上手くいったようだ。
唯「ザーボンさんっ!」
休み時間に入って教室を出ようとした時、平沢嬢が声を掛けてきた。
ザーボン「……何かな? 平沢」
唯「やっぱり、あのザーボンさんですよねっ!?」
ザーボン「むう、バレてしまったか!
気付かれないと思ったのだがな」
唯「気付くよぅ!」
私が笑って軽口を叩くと、彼女は唇を突き出して頬を膨らませる。
律「なんだなんだ。唯、ザーボン先生と知り合いなのか?」
澪「そう言えば、先生が入って来た時に声を上げてたもんな」
紬「うふふ♪」
後ろから、カチューシャを付けた少女、長い黒髪の少女、そしてお嬢様がやってきた。
紬「初めまして~、ザーボン先生」
ザーボン「うむ。私の授業はどうだったかな?」
紬「とてもわかりやすかったです♪」
唯「もう、ムギちゃんたら何言ってんのさ。
ザーボンさんだよっ?」
紬「あら~、本当っ!」
唯「もうっムギちゃんめ!
ちゅーしちゃるぅ!」ムチュチュ~
紬「んふ♪」
たまらぬ。これが『労働の喜び』と言う奴か。
律「まてまてまて。ムギもザーボン先生の事知ってたのか?」
紬「はぁい☆」
夢見心地のお嬢様。
さもありなん。見るだけでたまらんのだ。当事者はもっとだろうな。
澪「……あっ。次移動教室だろ?
そろそろ準備しないとやばいぞ」
律「おっと、そうだったな」
唯「ああぁん! まだ話終わってないよぅ~!」
律「また後ででも話せば良いだろ?」
澪「では失礼します」
紬「うふふ♪」
口々に言い、四人は去って行った。
最終更新:2012年07月25日 23:16