こっちだよ、のどかちゃん

 ゆいちゃん待ってよー

 はやくはやくー

 そんなに走っちゃあぶないよー



 ほらここ、この石が並んでるところ、ここならちょうどいいでしょ?

 ほんどだ、こんなところがあったんだね

 きのう見つけたんだ

 でもここって遊んでもいいのかな

 えー


 そうだ、あそこにお願いすればいいんじゃないかなー

 そうだね、じゃあふたりでお願いしよ

 うん



 ここであそばせて下さい

 お願いしまーす



   『いいよ』




「ねえ起きて」

不意に肩を揺すられた。

「ほら着いたよ、起きて」


目を開けるとすぐ前に幼馴染の顔があった。
どうやらうとうとしてしまったらしい。

「あれ、唯? ……えっとここは」

自分が何処にいるのか判らなくなっている。
まだ夢見心地で頭がはっきりしない、心がざわめく不安定な気分。

「ほら早く降りなきゃ、運転手さん困ってるよ」

そう言って唯が袖を引っ張った。

――そうかタクシーに乗ってたんだっけ

「あ……ごめんなさい、すぐ降ります」

私は運転手さんの背中に声をかけた。

「でも唯、どうして……」

「寝ぼけてるの?」 

唯が小首を傾げ心配気に尋ねてくる。
いつもはあどけなく感じるその仕草がやけに大人びて見えた。


「大丈夫?」 

唯が私の手を握る。

――ああそうだった

その途端心のざわめきが嘘のように消えた。


「うん平気、少しうとうとしただけ……」

「ならいいんだけど」


唯に手を取られタクシーを降りる。
少し日が長くなったとはいえまだ3月、もうすっかり陽は落ちていた。

優しい風が頬を掠める。
風に乗ってきたのか僅かに甘い香りが鼻を擽った。
それは私の記憶のどこかにも触れたのだろうか、
懐かしいような気持ちが沸き上がってくる。


遠くで鐘を撞く音が聞こえた。

――私は京都に来ているんだ

そう思ったのは今朝から何度目のことだったろう。

「あれ? ここは……?」

私達が立っているのは、狭い道路が斜めに合流している信号も無い小さな交差点。
八坂神社の参道はもっと大通りに面しているはずだった。

「ねえ唯、参道前ってこんな寂しいところだったかしら?」

「この辺から裏通りを歩いて行くと京都らしい雰囲気の街並みがあるって運転手さんに教えてもらったんだよ」

訝る私に唯は答えた。

「へえ、私が眠ってる間にそんな話してたんだ」

私がうたた寝をしている間に情報を仕入れたようだ。
相変わらず唯は直ぐに他人と打解ける。

「ここから歩こうよ、いいでしょ」

京都の古い町並みを歩くのも楽しみの一つだった私に勿論否はなかった。

「でもどの辺りなのかしら」

「任せといて、私がちゃんと知ってるから」

そう言うと唯は夜空を見上げた。
今夜は花曇り、月はその姿を雲に隠していた。


「えっとねえ……あ、こっちだ、付いて来て」

何を目印にしているのか、唯は夜道を迷いのない足取りで四つ角を左の方へ入って行く。

「ちょっと待ってよ、唯」

私は唯の後を追った。

いつの間にかタクシーは走り去っていた。

「こっちこっち」

唯が裏通りに入る角で招き猫みたいに手招きをしている。


「この通りだよ」

「聞いただけなのによく判るわねえ」

「えへへ、実は私京都のことは詳しいんだよ」

――なんだかちょっと自慢気

「へえ初耳ね、勉強でもしてきたの?」

「そんなとこかな」

「そんなとこってなんなのよ」

「えへへ」

唯は何かとても嬉しそうだった。

「えっとねえ、京都では北へ行くのを『あがる』南へ行くのを『さがる』って言うの」

「それは前に私が教えたんじゃなかったけ」

「そうだったかな? じゃあこれは?
 まる、たけ、えびす、に、おし、おいけ~
 あね、さん、ろっかく、たこ、にしき~」 

唯は独特の節を付けて歌った。 

「知ってる?」

「知ってるわよ、それから
 『四 綾 仏 高 松 万 五条』
 『雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚』
 だったかしら? 確か南北の通りのもあったはずよね」 

唯が口ずさんだのは京都の通りの数え歌だ。
京都市内の通りは南北と東西に直交する街路を基本とする所謂「碁盤の目」
それらの幾つもの通りを覚えるための数え歌。

「ふうん何だ知ってるのかあ。 じゃ、こっちは?」

と言うと唯は立ち止まり、
くるりと私の方に身体を向け歌い出した。

「ぼんさんあたまは、まるたまちー
 つるっとすべって、たけやまちー
 みずのながれは、えびすがわ
 にじょうでこうたきぐすりを
 ただでやるのは、おしこうじ」

歌声が通りに柔らかく響く

「おいけででおうた、あねさんに
 ろくせんもろうて、たここうて
 にしきでおとして、しかられて
 あやまったけど、ぶつぶつと
 たかがしれとる、まどしたろ」

「どう?」

「へえ、面白いわね」

「これは知らなかったでしょ」

「うん知らなかった、そんな歌もあったのね」

「ふふーん」

感心する私に満足したのか唯は得意気に鼻を鳴らすと
再び前を向いて歩き出した。


軽やかな足取りで唯は私の五歩程前を進んでいく。
時折思い出したようにこちらを振り返り、目が合う度に嬉しそうに眼を細めたりする。

唯の後をついて小さな社が祀ってある角を入る。
足元に小さな段差を感じて見下ろすと、通りの舗装は石畳へと変わっていた。


京都の街には一種独特の雰囲気がある。
自動車が切れ目なく行き交う大通りでも、
一つ横の裏通りに入れば古き良き佇まいが残っていて驚かされる事も少なくは無い。
まして夜ともなれば、そこは全く違った表情を見せる。

神秘的でいてどこか懐かしい、そして少し不気味で

―――妖しい

私達が足を踏み入れたのはまさにそんな裏通りだった。

幅は3m程、打ち水がされたのだろうか、石畳の表面がしっとりと湿っている。
その片側には京町家と呼ばれる古い木造の家屋が軒を連ね、
もう一方は膝ほどの高さの石垣の上に建てられた板塀が延々と続いていた。

板塀にそって疎らな間隔で建てられた電柱に街燈が寂しく灯っている。
その向こうは竹林らしく、塀越しに鬱蒼とした竹の群れがこちらを見下ろしていた。
どこかのお屋敷の庭園なのかもしれない。

正面から風が吹き抜け、板塀の向こうで竹林がさやさやと音を鳴らす。


また鐘の音が聞こえた。


薄暗かった。 
街燈に家々の軒燈と玄関の格子戸から僅かに漏れ出る光、
そして雲を通して滲み出してくる朧気な月のあかり
それらを頼りにゆっくり通りを歩く。


家屋は殆ど隙間なく建てられていたが、
何軒かおきに更に狭い路地になっているところがあった。
その奥は全く見えない、
異界にでも続いているのではないかと思わせるような暗く狭い路地。

「あっ、いいもの見っけ!」

急に唯がしゃがみこんだ。
何かを拾っているようだ。

そんな唯を見ながらまた路地のひとつの前を通り過ぎようとした時

「……」

声をかけられた気がした。

――路地から?

思わず立ち止まり、その中を覗きこむ。

何も見えない。

――いや

はっ、とした。

闇の奥で何かが

蠢いた。


――何だろう

目を凝らす。

――確かめたい

理由もなく強烈にそう思った。
引かれるように路地に足を踏み入れようとした。

その時

「だめ」

腕を引かれた。

唯だ。

「そっちはだめだよ」

唯が後ろから私の右腕を掴んでいる。

「こらーっ! あっちいけーっ!」

突然響く唯の声。

「しっしっ!」

唯は何かを追い払う仕草をしていた。


「ちょっと唯」

「え?」

「唯、今のは」

「犬だよ、犬」

まだ私の腕を掴んだまま唯は答えた。

「犬?」

「ダメだよねえ犬って、すぐ悪さしようとして」

「え? でも唯は犬好きだったでしょ?」

「そうだったっけ? でも、吠えるし追っかけてくるしさあ」

「そうだったっけ、って……」


「ほら出ようよ、こんなとこ入っちゃだめ」

唯に促され、初めて自分が立っている場所に気が付いた。

「えっ、どうして……?」


私はいつの間にか暗い路地の中に数歩入り込んでしまっていた。

「ねえ唯、私が路地に入ったのを見てたの?」

元の裏通りに出た私は尋ねた。
しかし唯はそれには答えず、

「ほらほら」

掌を差し出してこちらに見せてくる。
その上に何か丸いものが乗っている。

「ビー玉?」

それは透明な中に一筋の赤い螺旋が入った硝子の球体だった。

「ここで拾ったんだよー」

「何拾ってるのかと思ったら」

「ほらほら綺麗でしょー」

「何でそんな嬉しそうなのよ、ビー玉くらいで」

「だって綺麗なんだもん」

「それより唯、」

「ほっほーい、やったやったー」

「ちょっと人の話し聞きなさいよ」

「あっ」

「えっ?」

「ほらっ」

唯が空を指差した。

「お月様が覗いたよ」


丁度雲の切れ間から月が顔を出していた。


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最終更新:2012年08月12日 23:22