――
―――
かみさま『オヌシに魔法をくれてやろう』
紬「えっ」
かみ『金を持つ家に生まれ、かけがえのない仲間も得て、ならば次に望むものは魔法じゃろ?』
紬「えっ」
神様『しかし不老不死になどなられても困る。他人にのみ作用する魔法を、一人に二度きりの魔法を貴様にくれてやろう!』
紬「えっ」
神『二度とはすなわち、一度目で魔法をかけて二度目で魔法を解除するということだ。詳しくはこの説明書を読め』ピラッ
紬「えっ――」
―――
――
紬「……酷い夢を見た」
目覚ましより30分くらい早い時間に目が覚めてしまった。目を開ければ見慣れた高い高い天井。見慣れたとはいえ特別好きというわけでもないけど、とにかく自室であることは間違いない。
きっと家の執事やメイド達はもう起きているのだろうけど、私の睡眠を邪魔しないようにいつも物音一つさせずに働いている。
目覚めは最悪だけど、そんな執事達を驚かすことが出来ると考えれば、30分の早起きも悪くはないかな。
そう思い、身体を起こして伸びをして。
紬「んん~っ………ん?」
クシャリ
……右手に握り締められた、『説明書』とデカデカと書かれた紙に目が行った。
◇
紬「――菫ー、すみれー」
菫「はいはい、何でしょうお嬢様」
『説明書』に一通り目を通すと、結局いつも通りの時間になっていた。
そのまま起きて皆に挨拶し、朝食まで済ませて。お互いに学生モードに切り替わる直前、菫に声をかけた。
紬「誰もいないからいつも通りでいいわよ……っと、危ない危ない」→
菫「? どうしたのお姉ちゃん、急にむこう向いて」
……それはね、あなたに魔法がかからないようにするためよ。
『説明書』に書かれていた『魔法』のかけ方。相手の目を見て、命令すること。それだけ。
こんな簡単なやり方では家の中の私じゃ知らないうちに魔法を使ってしまいかねない。学校ならそんなことないだろうけど。
っていうか魔法なんていうけど、要は相手に行動を強制するような用途ばかりになるんじゃないかな、これ。
そもそも、夢で見た『説明書』が手元にあるからといって魔法の存在を信じたわけじゃない。
信じたわけじゃない、けど、たぶん本物なんだろうなぁ、とも思ってるから慎重になってる。
魔法なんて現実に存在すると思うほうがおかしいんだとしても、夢と現実がシンクロしちゃってる今を、どうやっても証明できないから。
だからきっと、『まだ』信じていない、信じ切れない、それだけのこと。
本当は、どうせこれは、否定できない非日常。
信じがたい現象だけど否定できないから、たぶん全部本当のこと。
だから、菫で試してみようと思う。
試すと言えば聞こえは悪いけど、魔法はなるべく害のないものにするし、それにあの神様(?)の言うことと説明書が正しいなら、一度魔法をかけてしまえば二度目は『解除』しかないから。
言ってしまえば、先に意図的に魔法をかけることで『誤爆』の可能性も減るはず。これは菫達を守ることにも繋がるんだ。
でも、あまりにも害がないような日常的な命令だと魔法の効果かどうかわからない。
ギリギリのラインを見極めないと……
紬「……菫」
菫「なぁに?」
紬「……『今から裸で私の部屋を掃除してきなさい』」
ギリギリのライン…じゃないかな?
いくら私の前とはいえ裸で掃除なんて普通なら抵抗あるはず。そして私の部屋に限った行動内容なら他の人の目にも触れない。
……菫の肌は綺麗だから眺め甲斐がある、って下心もあったことは否定しないけど、長年連れ添った菫は妹のようなものだから一生一緒に居たいとは思えどそこまで邪すぎる感情はない。本当ですよ?
菫「………」
紬「………」ゴクリ
……ちゃんと目を見て言った。物理的に不可能な内容でもないから、魔法が本物ならちゃんとかかるはず。かからなかったら赤っ恥だけど、ギリギリおふざけの範疇にできるはず。
どう…なの? 魔法は本物なの? それとも…?
きっと、私達の沈黙は一瞬だったはず。
それでも、よく聞く陳腐な表現になっちゃうけど、私にはその一瞬のはずの沈黙がとてもとても長い時間に思えた。
そして。
菫「……うん、任せて、お姉ちゃん」ヌギヌギ
紬「ちょっ、ここで脱いじゃダメぇぇぇ! 忘れて! 『忘れて』!!」
『説明書』に書かれていた解除方法。魔法にかかっている相手に、「忘れて」とか「忘れろ」とか、そういう言葉を向けること。
そうすることで、魔法にかかっていた人はその間の出来事を全て忘れ、元に戻る。そう書いてあった。
菫「………」
紬「忘れなさい!」
菫「………ふぇ?」パチクリ
紬「ほっ……」
呆けた菫を見て、ほっと一息。どうやら『解除』は成功したみたい。
実に簡単すぎる解除方法。もちろん解除なんて簡単なほうがいいんだけど、これまた『誤爆』する可能性もありそうだよね。
……ううん、きっとそっちのほうがいいんだ。
魔法に頼って得たものなんて、所詮は一時の幻。誤爆してあっけなく全てが無に帰ってしまうくらいのリスクを常に抱えておくくらいしないと、高望みしちゃいかねない。
望みが何でも叶うような、便利すぎるものは人をダメにする。高望みすることに抵抗を持たなくなったら、人としてよくないことになる。私はそれをよく知ってるから。
……よく知ってるから、私はこの想いを胸の奥に抱えてきたんだから。
だから、私がこの『魔法』で見たいものは、一時の幻。醒めないといけない幸せな夢。
高望みしすぎにも程がある、人間としてこの上ない幸福。
想いを寄せる人と、両想いになりたい。
唯ちゃんと付き合いたい。
現実的に考えて叶うはずもないことだけど、魔法なら叶えられる。
たとえ泡沫の夢だとしても、今の私はそれを求めてる。ううん、夢だとわかっているからこそ、自分の感情に素直に向き合うことが出来るとさえ思えてる。
夢だから、魔法の産物だから、私は唯ちゃんに告白できる。
そんな開き直りが、確かにそのとき私の胸の内にあったんだ。
菫「……くしゅん! あ、あれ、なんで私裸なの!?」ブルブル
◇
――駅の改札口を抜け、階段を下りてすぐ。その目の前の道は、私と唯ちゃんの最初の接点。
念には念を入れて電車を一本早めて、私はこっそり唯ちゃんを待つ。
そして、運命の時。
唯「あっ、ムギちゃんだ」
紬「あら唯ちゃん、おはよう」
唯「おはよ~。キグウだねぇ」
紬「そうだね~」
電車を早めまでしたのに、私は偶然を装った。
そうした理由は一つ。なぜなら、まだ魔法はかかっていないから。夢から醒めても、今のこのやりとりは記憶に残るから。
「唯ちゃんを待ってたの」なんて思わせぶりな言葉を吐くことも出来たけど、そこ『だけ』が唯ちゃんの記憶に残るのはなんか嫌だった。
……そう、ここから先は、醒めてしまえば二度と思い出せない、意味のないただの夢。
紬「……唯ちゃん」
唯「ん? なぁに?」
紬「あのね……」
唯「うん?」
ただの夢だとわかっていても、緊張してしまう。
でも、言わないと始まらないんだ。覚悟を決めるのよ、紬!
紬「……唯ちゃん! わ、『私と付き合いなさい』!!」
言った! 言ってやった!!
唯「………」
大丈夫、魔法はかかる。ちゃんとかかる。
そうわかっていても、この瞬間はとても緊張する。
だから、やっぱりまたしてもこの沈黙の時間がとても長いものに思えた。
唯「……ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします……///」
紬(いよっしゃあああああああああああああ!!!)
頬を染め、頭を下げる唯ちゃんに何かが吹き出そうになる想いをこらえながら心の中でガッツポーズ。
今この瞬間、私の大願は叶ったんだ。
ずっとずっと願い続けてきたと同時に諦め続けてきた理想の現実が、今、目の前にあるんだ。嬉しくないわけがなかった。
唯「えへへ……ム~ギちゃんっ♪」ギュッ
紬「うふふ……このまま腕組んで学校まで行く?」
唯「……が、学校まではまだちょっと恥ずかしい…かも///」
紬(か、かわええッッ!!)
滅多に見ることの出来ないであろう唯ちゃんの照れ顔が、この上なく可愛く思えて。
確かにその時の私は舞い上がっていたんだろうけど。
紬「………」
でも、それが恋人関係だからこそ見れる顔だ、ということに気づいた時、少しだけ胸の奥が痛んだ。
今の私と唯ちゃんは、まごう事なき恋人関係。
でも、この顔を引き出したのは、私の努力じゃない。私の想いが通じたからじゃない。
所詮は魔法。ただの夢。
確かに恋人関係だけど、それを作り上げたのは私一人。
そこに唯ちゃんはいるのに、そこに唯ちゃんの意思はない。
そんな現実から来る虚しさと、そして、そんな自分勝手な夢につき合わせてしまっている唯ちゃんへの、少しの罪悪感。
そんな罪悪感からせめて僅かでも逃れるようにと、私の口は言葉を紡いだ。どうせ後で忘れるんだからといって、何もしないなんて出来なかった。
紬「……ごめんね、唯ちゃん」
唯「えっ? 何が?」
紬「……好きで、好きすぎて、ごめんね?」
唯「……そんなことないよ。私もムギちゃんのこと好きだから、別にいいんだよー」
……夢じゃなければ、その言葉はとても嬉しいものだったんだろうなぁ、と思った。
◇
――私は、急いだ。
醒めなくてはいけない夢。醒めるべき夢。
唯ちゃんのことを思えば思うほど、今の状況をそうとしか認識できなくなっていった。
魔法を使ってまで叶えたかった今の状況、それに浸りたい気持ちももちろんある。
私自身のことだけを考え、神様のくれた非日常を心行くまで楽しみたい。そんな気持ちがないといえば嘘になる。
でもやっぱり、唯ちゃんのことを考えると、それは間違ってるって思う。
気持ちを、行動を、魔法なんかで好き勝手に操るなんてこと、やっぱり許されないんだ。
どうせすべて忘れてしまうとはいえ、ううん、忘れてしまうからこそ唯ちゃんの時間を独り占めすることはいけないんだ。
唯ちゃんさえも忘れてしまうこの時間は、本当の意味で私だけのものになってしまう。
唯ちゃんの気持ちも、時間も、私が奪ってる。それはよく考えたりなんてしなくても、悪いこと。いけないこと。
なのにそれでも、すぐに手放すのは惜しすぎた。夢にまで見た、願い続けたこの現状を、すぐ切り捨てることなんて出来ないくらい私は弱かった。
だから、期日を定めて急いだ。
今日一日で、出来るだけ唯ちゃんとの恋人関係を味わい尽くそうって決めた。
恋人同士でしか見れない唯ちゃんの表情を、少しでも多く見ようって決めた。
授業中。休み時間。お昼ご飯の時間。
いつも以上に輝く、いつもの時間。いつも通りじゃない時間。
笑顔、照れ顔、安堵の顔。
呼び名は一緒でもみんなといる時とは少し違う、二人きりの時だけに見せるそんな顔。
それらは、とてもとても愛おしくて。
そうして味を占めた私は、最後にあるものを望んでしまった。
唯ちゃんを困らせてみたい。
マンガとかでは割とある、好きだからこそ困らせたい、みたいな感情。
いつの間にかそんな感情が芽生えてきていた事に、せめて少しくらいは驚くべきだった。
唯ちゃんを好きなはずなのに、困らせたいという矛盾に、疑問を持つべきだった。
こういうことは大体ろくでもないトラブルの元になるって、思い出すべきだった。
でも、そのときの私は何ら躊躇わなかった。
これで最後だから、とか、どうせ夢だから、とか、逃げ道はいくらでもあった。きっとそれに胡坐をかいていたんだ。
もしかしたら、ちゃんと自分を自制して今日一日で夢から醒める、そんな決意をした『自分へのご褒美』とか、そんな考えだったのかもしれない。
私は偉い子、いい子だから、全てを手に入れる権利がある。そんな思い上がりと言い訳だったのかもしれない。
高望みしちゃいけないって、わかってたはずなのに。
◇
――その日の最後、部活の時間。愚かな私は、馬鹿な考えを行動に移してしまった。
唯「はぁ~……今日もケーキ美味しいねぇ…」
いつもにこやかで可愛い唯ちゃん。どうすればこんな唯ちゃんが困った顔をするのか。
じっくり考えればもっといい方法もあったのかもしれないけど、急いでいて、焦っていて、それでも愚直に自分の感情に従うしかできなかった私は、結局手っ取り早く魔法に頼ることにした。
魔法に頼る道を、選んでしまった。
紬「……ねぇ、皆。ちょっと話があるんだけど……」
律「ん?」
澪「なんだ?」
梓「はい?」
さわ子「」ズズズ
唯「ん~?」
りっちゃん、澪ちゃん、梓ちゃん、ついでにさわ子先生。
もう魔法にかからない唯ちゃんは除外するとして、他の4人の目を同時に見つめられるよう、席を立ってちょっと距離を取る。
ちょっと訝しんだ目で見られてるけど、こうすればみんなに同時に魔法をかけられる。
みんなに同時に魔法をかけられるということは、みんなの記憶を同時に操れるということ。
これが一番都合のいい方法だ、と冷静に悪知恵が働くほどに、この時の私は『何か』が見えていなかった。
紬「……皆、『私を好きになりなさい』!!」
言うまでもなく、この時の『好き』とは恋愛的な意味のこと。
こうすることで唯ちゃんの嫉妬を煽る。そんな考え。
……4人の目をちゃんと見つめることだけに集中していた私は、この刹那に唯ちゃんがどんな顔をしたのかを知らない。
でも、
律「……ムギ、愛してるぞ!」
澪「ムギ、私の愛の詩を聞いてくれ!」
梓「ムギ先輩、同棲から始めましょう!」
さわ子「ムギちゃん、ウェディングドレス作ってくるわね!!」
唯「………え?」
皆に魔法がかかった後、唯ちゃんの手から、ケーキの乗ったままのフォークが零れ落ちた光景は目に焼きついている。
フォークは机で跳ね、床に落ちたはずなのに、金属音が一切しなかった。
その瞬間、フォークはきっと私の胸に刺さったのだろう。
刺さった瞬間は、痛みを感知できなかったけど。
唯「……ムギ、ちゃん……?」
呆然とした顔で、僅かに動く唇から私の名前が紡がれて。
私を見つめて微動だにしない瞳が、まばたきも忘れて涙を流し始めた時。
ようやく私は、自分がしでかしたことの最低さに気づいた。
紬「ゆ、唯ちゃん、あのね、これは……!」
唯「っ……!」ダッ
紬「ま、待って唯ちゃ――」
ガシッ
紬「!?」
追おうとしたけど、誰かに手とか脚とかいろんな場所を捕まれて追えない。
誰かなんてわかってる。みんなだ。私が『好きにさせた』みんなが、私がどこかに行くなんてこと、許すはずがない。
律「ムギ、どこに行く? どこでもいいぞー、エスコートは任せろ!」
澪「キミの眉毛は綺麗な半月、まるで分度器トキメキドキドキドキマギ♪」
梓「ムギ先輩、泊まりに来ます? それとも私が泊まりに行きましょうか?」
さわ子「いいから脱げよ」
紬「っ……待って皆、待って唯ちゃんっ…!」
唯「知らないっ! ムギちゃんなんて知らないっ!! ムギちゃんなんか――」
ドアに手をかけた唯ちゃんが、振り向き様に言う言葉の、その先。
言われなくてもわかってる。私を傷つけるその言葉は、ちゃんと聞こえてるから。
ちゃんと心に刻むから、だからせめて、言わないで――!
唯「ムギちゃんなんか――
紬「忘れて! 『みんな、全部忘れて』ッ!!!」
………
……
律「……あれ?」
澪「ん?」
梓「…私たち、何してたんですっけ?」
さわ子「お茶、お茶……」ズズズ
唯「………」
……よかった。唯ちゃんも含めた全員、ちゃんと魔法は解除されてるみたい。
よかった、本当に……
律「……ムギ? どうした?」
紬「え?」
澪「……辛そうだぞ」
梓「大丈夫ですか?」
辛そうな顔……してるのかな、今の私。
辛くなんてない、とは言えない。唯ちゃんを悲しませ、苦しめて、辛くないはずがない。
こんなに心配してくれる仲間の心まで好きに操って、胸が痛まないはずはない。
でも、それを表に出していいはずもない。
これは私が自分の意思でやったことなんだから。
気づけなかった私が馬鹿なだけで、今頃になって気づいたから辛いだけで、それらは結局、私の中で完結させるべきこと。
表に出して、気を遣ってもらって慰められちゃいけない。私一人でちゃんと後悔しないといけない。
だから、私はいつも通りの表情を作って、いつものように笑ってないといけない。みんなに心配かけちゃいけない。
心配してもらえるだけの価値なんて、私にはないんだから。
だから、私は、自然に、いつものように――
唯「……私…なんで、泣いてるの……?」
フォークが音を立てて、胸に一際深く食い込んだ気がした。
梓「唯先輩も、どうしたんですか?」
唯「さ、さぁ…? なんでだろうね、あずにゃん…」
律「とりあえず、こっち来いよ。というかなんでそんなとこにいるんだ?」
唯「なんで、だろうね……わかんないよ……」
澪「……唯?」
そんなやりとりを呆然と眺めることしか、私には出来なかった。
痛いよ。
とても、胸が痛いよ。
息をするのも苦しいよ。
「助けて、唯ちゃん」
そう言いたいけど。
それでも、唯ちゃんを傷つけるほどに酷い私は、それでも卑怯者にはなれなかった。
でも、やっぱり弱い子なんだ、私は。だって。
紬「……みんな、ごめんね。体調悪くて、今日は帰っていいかな……」ガタッ
律「えっ? ちょ、ムギ……」
だって。
たった今、呆然と眺める私と目が合いそうになった唯ちゃんは、確かに目を逸らしたから。
それだけで、ここに居られる気がしなくなったから。
紬「……さよなら」
ここに、二度と来られない気がしたから。
最終更新:2012年08月17日 20:06