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【思い出】


唯先輩を盗んできた。
近所のデパート、2階、電化製品売り場。
大きな垂れ幕が階段の入り口にかかっていた。
『人工生命で素敵な夢を』
わたしは夢を見たかったんだろうか。
唯先輩で?


デパートを飛び出したのが夕暮のちょっと前。
誰にも見つからなかった。
心臓の高鳴りが後から追いかけてきて、わたしは逃げるように走り続けた。
気がつくと行き止まりにいた。
街が見下ろせる丘の上。
雨が降っていたように思う。
でも雨はずっと昔、火星から消えてしまったのだというから記憶違いだったんだろう。
呼吸が収まるまで2分待った。
そして唯先輩を見た。
まだ顔中が火照っていた。
唯先輩はわたしを抱きしめた。
ずっと昔から知っていたみたいな感触。
唯先輩は笑った、気がした。
そう思いたかっただけなのかもね。
まあでも、そんなわけで唯先輩が好きになった。
吊り橋効果、なんて言うのかもしれないな。
だとしたらちょっとさびしいけど。
それでも、笑わずにはいられなかったんだ。

雨が降った日、唯先輩の胸の中だった。



【唯先輩で素敵な夢を】

梓「どーも。ありがとーございましたー」

肩を寄せ合うカップルをわたしは見送っていた。
商店街の端っこ。
桜が丘もどきなんて呼ばれるこの街の片隅。
『たい焼き100円』の看板。
手書きのイラスト。
あんこの甘ったるい香り、鉄板の熱。
そんな日常が好きだった。
青い空が黒い絵の具で塗りつぶされた。
あんまり塗るのはうまくなくて。
そろそろ店じまいの時間だ。

唯「あーずにんっ。見て見てっ」

梓「なんですか?」

唯「何か気づかない?」

梓「チョコついてますね口に」

唯「え? どこどこっ?」

梓「そこですよ」

口元のチョコを右手の人差し指でぬぐった。

梓「ん……あまい」

唯「あ」

梓「ていうかサボらないでくださいっ」

唯「いやあ。でも、このチョコすっごくおいしいんだよ。あげるっ」

そう言って唯先輩はチョコレートをわたしに手渡した。
ビー玉大の白っぽいチョコレートだった。
わたしはそれを食べた。

梓「……あれ、ミルクじゃないんですね。おいしいですけど」

唯「でしょー」

梓「これ、どうしたんですか?」

唯「隣のチョコ屋さんがくれたんだ」

梓「へえ、なんでまた?」

唯「売れなくなったやつなんだって。なんて言ってたかな……そうそうブルームーン現象だって」

梓「青い月?」

唯「うん」

梓「……ブルームだと思いますよ。ブルーム現象」

唯「ああっそれそれっ」

梓「だから白かったんですね」

唯「え?」

梓「ブルーム現象っていうのは粉吹き現象っていう意味ですよ。暑いとこにチョコをおいておくと白くなっちゃうんです」

唯「チョコレートの汗だねっ」

梓「まあそういえるかもですね」

わたしは肯いた。
少しの間があって唯先輩がはっとする。

唯「って、違うよっ」

梓「へ?」

唯「わたしが見て欲しいのは違う部分だよっ」

梓「あ、もしかしてその頭の……タオルみたいなのですか?」

唯「ぴんぽーんっせいかい。おめでとうございますチョコもう一個どうぞ」

梓「どうも。で、そのタオルが?」

唯「いいでしょー。たこ焼き屋のおじさんみたいだよね」

梓「うちはたい焼き屋じゃないですか」

唯「でも、すっごく商売上手っぽくない?」

梓「そうですかね」

唯「そうだよっ。商店街戦隊たい焼きブルーっ」

梓「あーはいはい」

唯「商店街戦隊は日々商店街の平和を守るために活動しているのだ。あ、たい焼き大好き怪人あずにゃん発見っ。とうっ」

唯先輩が迫ってきたのでわたしはそっと押し返した。

唯「うわあーやられたあー」

梓「ちゃんちゃん。さ、もう遅いですし片付けましょう」

返事なし。

梓「あれ……唯先輩」

唯「ほうすこしひたらねー」

ふと見ると、唯先輩は口いっぱいにたいやきを頬張っていた。
さっきまではチョコを食べていたくせに、目まぐるしくって付き合う方は疲れさせられる。

梓「あーっ。またつまみ食いして……」

唯「これはへーきなやつだよ」

梓「え?」

唯「ブルームーンたい焼きだから」

梓「はい?」

唯「失敗作ってことだよ」

梓「ああ」

作ったたいやきがすべて商品になるわけじゃなかった。
いろんな原因で形が崩れちゃったり、焦げすぎちゃったりする。そういうのがたまにできる。
それらは失敗作ってことで捨てられることになる。

唯「どうせ売られないのを食べてるんだから逆にいいことだよっ」

梓「まあ、そうですけど……でも唯先輩はわざと失敗作作るじゃないですか、自分で食べるために」

唯「えへへ……ばれてた?」

梓「あたりまえです」

唯「あずにゃんも食べる?」

唯先輩が訊ねた。

唯「形はあれだけど味は同じだよっ」

梓「遠慮しておきます」

唯「なんだなんだー見た目がぐちゃぐちゃのは食えないっていうのかー」

梓「お腹いっぱいなんですよ」

その後、簡単に店じまいをした。
唯先輩がいちいちふざけるせいで時間がかかって終わった頃には夜もすっかり深くなっていた。
空は満天の星空だった。

唯「せっかくだから散歩に行こうよあずにゃん」

梓「なんでまた」

唯「今日はね満月の日なんだって。天気予定でやってた」

唯先輩はそう言った。
決まって12時に31インチ壁掛け式テレビでお昼の天気予定を確認して、一日のお天候設計とそれにくっついた細々とした情報をわたしに自慢気に話す。
それが唯先輩の日課だった。

唯「だから、見に行こうよ」

梓「別にいいですけど」

唯「やったあ」

唯先輩は喜んだ。


わたしたちは商店街を横切って歩いた。
見慣れた景色が現れては消えた。
美人の店員で有名な花屋、つぶれたたばこ屋、お掃除ロボット、駄菓子屋、そこではしゃいでる中学生、何もない公園、八百屋の前で行儀よく座ってる柴犬、ヤンキー(だって唯先輩は主張する)の猫たちの溜まり場。
たい焼きをよく買ってくれるおばさんがわたしたちの横を通って、唯先輩はぶんぶん手を振った。
わたしはこの場所が好きだった。
桜が丘商店街もどき。
桜が丘もどき町の商店街。だから、桜が丘商店街もどき。
だったら、桜が丘もどき商店街だろうとわたしは思うのだけれど、まあなんとなくそういうことになっている。

なんでこの街がそんなふうに呼ばれているのかはよくわかっていない。
第一、ここがどこにあるのかさえもわたしは記憶していなかった。
というよりこの街の人はみんなそうだ。
ここが火星の街で桜が丘もどきと呼ばれていることは知っていても、それがいったい何を意味しているのか、明確な答えを持ち合わせていない。
別に、それでも問題なく生きていくことはできる。
説明書を読まないでもゲームを進められるのと同じように。

ここは穴だという話を聞いたことがある。
正確に言うと穴を埋めるために間に合わせに作られた街。
実際に穴の中にあるわけじゃないから、概念としての穴。
だから、本当はこんな街存在しないのだと主張する人もいる。
ただ、何かを埋め合わせる必要があってあたかもそこに街があるかのように見せかけているだけだと。
何を埋め合わせているのか、残念だけどわたしにはわからない。
また、ある人はこんなふうに言った。
もともと、この惑星はまた別のどこかの惑星の植民地であって、その侵略者側の人々が自らの母星の土地を懐かしんでそのまるまるコピーの街を建設して本来の街にちなんで名前をつけた。その名残で侵略した者も侵略された者もごっちゃになった今もまだそんな名前で呼ばれているとかなんとか。
嘘だろうなあ。
だいたいどこの世界にもすぐ宇宙人とかその手のオカルト的なものに絡めたがる人間はいるものだ。
ただ、もどきなんていうからにはやっぱり、にせものだったり元の場所があったりするだろうし、その点では案外的外れでもないのかな。


唯「ねえねえ、あずにゃん」

梓「なんですか?」

唯「お月様だよっ」

梓「わかってますよ」

唯「満月だねえ」

梓「まんまるですね」

唯「あっ……」

梓「どうしたんですか?」

唯「青い月だよあずにゃんっ」

梓「どこですか」

唯「ほらそこそこっ」

たしかに唯先輩の指差した先、月のすぐ隣には青い星が輝いていた。

梓「あれは……地球じゃないですよ」

唯「あ……そっかあ。地球は月のお友達だもんね」

梓「そうですね」

唯「なあんだ。びっくりしちゃった」

梓「まったく」

もう一度、わたしは地球と月を見返した。
唯先輩がお友達だとか言うから地球と月はまるで寄り添い合っているかのように見えた。

唯「いつかわたしも地球人に出会ったりするかな」

梓「どうでしょうね。地球には文明痕が見つかったとかこの間テレビでやってなかったですっけ」

唯「ああ、そういえばそうだね」

大きな工場を右手に見ながら、長い坂道をわたしたちは登る。
半分くらいでふたりとも疲れてぜいぜい言ってた。

唯「疲れたあー」

梓「なんで登ろうとか言い出したんですか」

唯「この上の景色はきれいなんだよ」

梓「それはわかりますけど」

唯「あ、そうだ……反重力マシーン作動っ。ういーんういーん」

梓「……ふざけてないで早く登りましょう」

唯「あれほしいねー」

梓「わたしたちの稼ぎじゃ無理ですってば」

唯「知ってる。言ってみただけだよ」


それでもなんとかわたしたちは丘の上にたどり着いた。

唯「うわあー……やっほーっ」

右側で唯先輩が感嘆の声を上げた。
わたしたちは街の方に向かって並んで腰を下ろした。
遠くから夜風が吹いてきた。
髪が揺れた。

唯「あれわたしたちの店だよあずにゃんっ」

梓「ほんとですね」


眼下にミニチュアみたいな街が広がっていた。
にせものだけどきれいなわたしたちの街が。
夜の暗闇の中で様々な家のあかりが灯って大きな光の渦をつくっている。
それはまるで鏡のようだった。地上に映るもう一つの満天の星空。
その明かりひとつひとつの中でそれぞれの人々が生活しているんだとわたしは思った。
ニセモノの街の中で生きる人はやっぱりニセモノなんだろうか。
わたしに関していえば、そう言えるのかもしれない。
わたしは自分についてほとんど知らなかった。
自分のことは自分がいちばんわからないものだなんて格言があるくらいだからそれはあたりまえのことなんだろうけど、それにしてもだ。
自分のことを考えようとするといつもぼんやりする。
わたしはいつの間にか、たい焼きを作っていてあの家で寝泊まりして中野梓なんて名前でどうやって知り合ったかもわからない何人かの友人と時々出会ったりしている。
あらゆる記憶は不透明で、いつでもどこかさびしい感じがした。
空っぽのペットボトルみたいに。
かろうじて思い出せる記憶といえば唯先輩を盗んできたあの日のことくらいだった。
でも、そういえば、唯先輩が現れてからはいろんなことをきちんと覚えていられるような気がするな。
それとも単にそうとわからないだけでたくさんのことを忘れてるのかも。

遠くにこの街で一番大きな建物であるデパートがそびえ立っていた。営業時間は長かったからまだ煌々と輝きを放っている。
あそこから唯先輩を盗んできたんだ。
わたしは考えた。

唯「あずにゃん、なにぼうっとしてるの?」

梓「ちょっと考えごとをしてたんです」

唯「なになに?」

梓「いえ。なんていうか自分について」

ひゅうっ。
唯先輩は口笛を飛ばした。

唯「そっかあ、わたしと同じだね。わたしもいつもあずにゃんのこと考えてるよ。まあ、考えるまでもなくあずにゃんはかわいいけどねっ」

梓「うわああっ。そういうことを考えていたわけじゃないんですっ」

唯「もうっ照れちゃってー」

梓「違いますからね」

唯「こんにちは。自他共にかわいさを認めるあずにゃんです」

梓「やめてください」

唯「にゃんにゃんですにゃん」

梓「なんですか」

唯「あずにゃんのものまね」

梓「怒りますよ」

唯「怒りますよ……にゃんにゃん」

梓「むう」

唯「ごめんごめん」

梓「……いいですけど」

唯「にゃん」

梓「ばあかばあかばあか」

唯「えへへ」

唯先輩の左手がわたしのほっぺに触れた。
それはそのまま首の後ろを滑ってわたしの左の二の腕を捕まえた。前から右腕も伸びてきて、唯先輩はわたしを押しつぶそうとした。
柔らかい震動が伝わる。
完全につぶされちゃわないように、ほんのちょっとだけわたしは反発した。

唯「あずにゃん、甘い」

唯先輩が呟いた。
たい焼きの匂いがするよ。
わたしはなんだか気恥ずかしくなって街の光がにじむのを眺めていた。

唯「あずにゃんは考えるのが好きなんだね」

梓「別に……ただ……」

唯「あずにゃんがさ、わたしの頭の中にいてわたしの分も考えてくれればいいのになあ」

梓「なんですかそれ」

唯「そしたらさ、わたしはずっとあずにゃんのこと考えてられるよね」

梓「そんなに考えてもらわなくてもいいです」

唯「そう?」

梓「そですよ」

唯「そっかあ……そういえばここであずにゃんとはじめて会ったんだよね」


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最終更新:2012年08月18日 21:56