暗い通路をわたしたちは歩いている。
律先輩があんな話をするからちょっとだけ敏感になりながら。

律「あのさ」

梓「はい」

律「実はさ……」

梓「なんですか」

律「うわあああああああああああっ」

梓「うわあああああああああああっ」

律「やっぱ、怖いんじゃーん梓も」

梓「だ、誰だっていきなりあんな大声出されたびっくりしますって」

律「へええー」

梓「むむむ」

律「まあ、幽霊なんていないんだけどな」

梓「知ってますよ」

律「ちがうちがう。ここの噂はぜったいウソだってことだよ」

梓「どういうことですか?」

律「あの幽霊な、わたしが作ったんだよ」

梓「はい?」

律「だからな、最初は澪をおどかすために冗談でさ、ここには死体が埋められてるんだぜーっとか言ったらさ、いつの間にかあらぬ尾ひれがついっちゃって。幽霊だとか人柱とか、13日の金曜日リスペクトしてみたり。幽霊も大変だよな」

梓「それはまた。律先輩はろくなことしませんね」

律「でもちょっと気分いいよな」

梓「なにがですか」

律「自分がくるくるの中心だと」

梓「くるくる?」

律「だからさ、自分の話を中心にして物語がどんどん成長していくっていうかそんな感じだよ」

梓「そうですかね」

律「そうだって、なにしろみんなこの話をこわ……」

「お前ら来るのをまっていたあああああああああああっ」

律「ひゃああああああああああああああっ!」

梓「あーあ」

さわ子「あんたたち、こんなところで何やってるのかしら」

律「なんだ、さわちゃんかよーっ」

梓「ひゃあああでしたっけ……ぷっ」

律「中野ーっ」

梓「いたいいたい」

さわ子「りっちゃん、仕事はどうしたのよ?」

律「ほら、工場案内だからさ、梓の」

さわ子「そう。持ち場に戻りなさい」

律「ぶーぶー。梓かわいそー」

さわ子「じゃあ、いいわ」

律「ほんと?」

さわ子「その分お給料は減らすけどねっ」

律「ご勘弁をー」

梓「見苦しいですね」

律「ていうかここバレてのかよー」

さわ子「そうよ。りっちゃんのすることくらいなんでもお見通しよ」

律「年季がはいってると違うなっ」

さわ子「あ?」

律「じょーくじょーく」

梓「そういえば、ここってなんのためにあるんですか」

さわ子「さあよくわからないけど、ほらでもどんなところでも空白部分は必要なのよ。コンピューターでも脳ミソでも何にも使わない空き部分があってはじめてまともに働くじゃない」

律「それとこれは違うだろ」

さわ子「ここが工場を動かしてたりしてね」

律「ポエジーなさわちゃん、変」

さわ子「あ?」

律「じょーくじょーく」

戻ると唯先輩のメンテナンスは終わっていた。
再び動き出した唯先輩は眠そうだった。

梓「ありがとうございます」

和「今度からはちゃんとメンテナンスに来るのよ?」

梓「わかりました」

和「来づらいとか気にしなくてもいいのよ。唯を連れてきた以上、ちゃんと唯の面倒見るのが梓ちゃんの役目なんだから」

梓「すいません」

唯「大丈夫だよっ、うちの自慢のあずにゃんだからね」

和「唯は少し静かにしてて」

唯「むう。和ちゃんひどい」

和「唯をよろしくね」

工場の外は夕暮れだった。
目もくらむような赤い夕日。
唯先輩があくびをした。

梓「その、ごめんなさい」

唯「いいよー。わたしだってメンテナンス行きたがらなかったんだから」

梓「これからはちゃんと行きましょうね」

唯「そうだねー」

いつもよりずっと長く伸びた影を追いかけて歩いた。
追いつくことはできないだろうけど。
唯先輩は下を向いた。

唯「でも、ちょっと怖かったな」

梓「怖かったんですか?」

唯「電池が切れたとき夢を見てたんだ」

梓「どんな夢?」

唯「思い出せないけどね、もう。でも暗くて狭いところにいたような気がするんだ」

梓「暗くて狭い」

唯「それにね、あずにゃんがいなかった」

梓「わたし?」

唯「わたしね、接着しない日は絶対に夢を見ないんだよ。だから、夢を見るときは必ずあずにゃんと一緒なんだけど、その夢にはあずにゃんがいなかったんだ。それがすごく怖かった」

梓「その、あの、ごめんなさい。ちゃんとメンテナンスに……」

唯「謝らなくてもいいよー。ただねあずにゃんがいないのはこんなにも悲しいんだって思ったんだ」

梓「……そうですか」

唯「それに夢の中で考えてたんだよ」

梓「なにをですか?」

唯「20%あずにゃんの残りはなんなのかなって」

梓「なんでまたそんなことを」

唯「なにかあずにゃんのこと考えなくちゃって思って、そしたら朝に話してたの思い出してね」

梓「それで答えは見つかったんですか?」

唯「ううん、わかんなかったよ。暗い夢の中だからかな」

唯先輩は一度黙って、そして言った。

唯「ねえ、あずにゃんはホントにずっとあずにゃんでいてくれる?」

わたしは何も言えなかった。
唯先輩の表情があまりに真剣だったから。
どんな夢を見てたんだろう?
唯先輩の手を握った。
何か言う代わりに。

唯「ひゃっ……いきなり手握ったらだめだよー」

唯先輩は照れたのだった。
ほっぺが真っ赤に染まっていた。
そんな表情は見たことなかったんだ。
だから、唯先輩は本当に遠いところまで行ってしまったのだと思った。
帰ってきたあとで、なにもかも元のままってわけにもいかないんだろうな。たぶん。
わたしはさらに手を強く握った。

唯「……あ」

梓「そんなふうに照れる先輩なんて変ですよ」

唯「ちがうよ、バッテリ変えたばっかでまだちょっとおかしいんだよ。だから、照れたんじゃなくて、故障だよ」

梓「治ればいいんですけどね」

唯「ほんとだよ?いつもだったらあずにゃんから手握ってくれたらすごい嬉しくて仕方ないのに」

梓「今日は」

唯「……恥ずかしい」

唯先輩はさらにうつむいた。

梓「……大丈夫です、今日だけですよ」

唯「何?」

梓「わたしが唯先輩の手握ったりするのも唯先輩が照れたりするのも今日だけですよ」

唯「そうかな」

梓「もう、怖い夢なんて見ませんよ」

唯「だったらいいなあ」

唯先輩は少しホッとした顔した。

梓「あ、今思ったんですけど」

唯「何を?」

梓「20%の残りは空っぽなんじゃないですか」

唯「あずにゃんの話?」

梓「そうです」

唯「何もないの?」

梓「でも空っぽがあるから生きていけるんですよ」

それはあの工場の空き部屋みたいに。

梓「少なくとも、何かを隠しておくことはできますよ」

唯「たとえば?」

梓「幽霊とか」

唯「幽霊?」

梓「あとは、盗んできた先輩とかも」

唯「じゃあ、あずにゃんの残りの80%はわたしなんだ」

梓「そういうわけでもないですけどね」

後ろで夕日が沈もうとしていた。
手をつないだ二人分の影が揺れた。


【どろどろ】

梓「唯先輩……ゆーいせんぱーい」

唯先輩を呼んだ。
聞こえない。

梓「ゆーいーせーんーぱいっ」

返事なし。

梓「唯先輩っ!」

沈黙。

梓「……えっちしましょう」

唯「へんたい」

梓「聞こえてるじゃないですか」

唯「うん。聞こえてるよっ」

梓「なにしてるんですか?」

唯「イヤホンでラジオ聞いてたんだ」

梓「ちょっと聞かせてください」

唯「はい」

唯先輩からイヤホンを受け取った。
耳の中で音が爆発した。

梓「うるさっ」

唯「え? 聞こえたの」

梓「あれ……消えた」

さっきまでの大音量はすでに聞こえなくなって、ささやかなメロディーとノイズだけが残った。

「じいぃぃ……見てるといつもハート……ざあああああっ………………」

梓「こんな大きな音で聞いてたら脳みそとけちゃいますよ」

唯「脳みそが?」

梓「はい」

唯「どろどろに?」

梓「どろどろに」

唯「するとどうなるの?」

梓「頭をふるとぴちゃぴちゃ音がします」

唯「ひゃああこわいねー」

梓「そうなんですよ。それよりなんですか、このラジオ」

唯「うん。よくわからないけどね適当にダイアル回してたらなんか入ってきたんだ」

梓「へえ。何でしょうね」

唯「なんだろねー。さっきから大きくなったり小さくなったり音がしてるんだけど。でもなんかいろんな歌みたいのがずっと流れてるんだよね」

梓「歌、ですか……」

唯「わたしはね宇宙からの電波なんじゃないかと思ってるんだ」

梓「はあ。宇宙ときましたか」

唯「うんだからさっきからがんばって宇宙人からのメッセージを傍受しようとしてるんだけどなかなかうまくいかないや」

梓「あれじゃないですか。どっか遠い街の電波を受信したり、個人用チャンネルだったりするんじゃないですか?」

唯「またあずにゃんは夢のないことをおっしゃる」

唯先輩はやれやれというふうに首を横に振った。
そう言いたいのはこっちだとわたしは思った。

唯「だから、お願いっ」

梓「店番変わってくれとか言うんですか?」

唯「せいかいだよっ。さっすがあずにゃん」

梓「いやですよ」

唯「一生のお願いです」

梓「ダメですよ。前にもこんなことあったじゃないですか。たしかあれは……」

わたしはその時の記憶を引っ張りだそうとするが、後少しのところで思い出せない。
その記憶が脳みそのどこかにひっかかってるような感じ。

唯「でも、あずにゃんだってわたしに一日中店番やらせたことあるじゃん」

梓「え。そんなことありましたっけ」

唯「うん。スッポンモドキを捕まえに行くんだとかいって」

ああ、そうだ。
たしかにそんなこともあった気がするな。
わたしは、ある時テレビで亀を見て、それが欲しくてたまらなくなったのだ。
そんなとき近くの水路にスッポンモドキ出るとかいう噂が出たものだから、わたしはすぐにでもそこへ向かおうとした。
スッポンモドキでも亀と同じようなものだと考えてのことだった。
唯先輩は休業日に一緒に行けばいいと提案した。
しかし、わたしはその噂を聞いた次の日に出かけるのを譲らなかった。
というわけでわたしは一日中唯先輩に店番を押し付けることになったのだ。
今にして思えば、どうしてそこまでしてスッポンモドキが欲しくなったのか不思議だ。
まるでスッポンモドキがわたしにとって何か重要な存在で、それが不当に失われているみたいに思えてしまったんだ。
そのときは、だけど。
実際、あの時を思い出すと他人の記憶を覗いているような気分になる。
わたしによく似た別の人間。
結局、スッポンモドキは見つけられなかった。
もしかしたらスッポンモドキは元あるべき場所、例えばわたしによく似た誰かのところに、帰ってしまったのかもしれない。
そんなふうにときどき思う。

唯「そういえば、もうあずにゃんは亀さんどうでもよくなったの?」

梓「ええ、今は」

唯「わたしもどうしても欲しい!って思ったものが後々どうでもよくなることはよくあるよ」

唯先輩と同じとはなんだか悔しい。

梓「まあ、そういうことなら今日くらいはいいですよ。宇宙人と交信でもなんでもしてください」

いたい記憶をつかれてしまい恥ずかしくなって、唯先輩のお願いを許してしまう。
まあでもどうせお客さんなんてほとんどやってこないのだ。
心の中でぼやいた。

こんにちは。
そんな声を聞いた時わたしは半分くらい夢の中にいて、その夢の中で大きなスッポンモドキの背中に乗って空を飛んでいた。
まぶたを開くと、どろどろとした人間の形をしたものがわたしの方を見つめ笑っていた。
だから、まだ夢を見ているんだと思った。
梓ちゃんっ。
今度は名前を呼ばれた。
その声の調子でやっとわかった。


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最終更新:2012年08月18日 22:02