梓「あ、ムギ先輩」
紬「ふふっ寝てたのね」
梓「はい、お恥ずかしながら」
紬「たいやきひとついただけるかしら?」
梓「お持ち帰りで?ここで食べてきますか?」
わたしはいつもこう聞く。
すると、ムギ先輩は嬉しそうに答えるのだ。
うんたべてくっ。
紬「ふたりのたいやきはいつもおいしいね」
梓「どうもです」
紬「今、唯ちゃんは?」
梓「なんでも、ラジオで宇宙人と交信してるとか」
紬「宇宙人っ?」
梓「どうせどっかの電波を盗んじゃったってだけだと思いますけどね」
紬「じゃあ、宇宙人はいないのね。ざんねん……」
梓「あ、いや。別になんていうかわたしはそう思ってるってだけですよ。それにほら、あの電波が宇宙人のものじゃなくてもどこかに宇宙人はいるかもです」
紬「そうだね。でも宇宙人がいたらこわいね」
梓「こわいんですか」
紬「いたらいいと思うけど、やっぱりこわいの」
梓「変、ですね」
紬「そうかしら」
梓「あ、唯先輩呼んできましょうか」
紬「ううん。たまには梓ちゃんとふたりでお話するのもいいかなあって」
梓「そうですか」
店の内側のちょうど通りが臨める位置に、横並びになってわたしたちは座っていた。
ムギ先輩のおしりの端っこの部分が液状に溶け椅子からはみ出て、地面に向かってだらんと垂れ下がっていた。
じっと眺めていると、ときどき肌が水色に透けて見えた。
ムギ先輩はどろどろだった。
とはいっても完全な液体だっていうわけでもない。
それはどっちかというと、スライムとかゲルみたいなものだった。
紬「あ、気緩めてたからつい」
ムギ先輩のおしりは元のような、人間のそれと同じ形に戻った。
梓「いえ。でも、滴らないのは不思議です。下手をする地面下までくっついちゃうんじゃないかと」
紬「こんなこともできるのよ」
そう言うと、ムギ先輩の下半身は一気に泥状になりそのまま椅子を包むようにして地面に流れ落ちた。
ゆらゆらと小さく波打っている。
梓「わあ」
紬「驚いた?」
梓「はいびっくりしました」
紬「すっごい力を緩めるとこうなっちゃうの。寝るときとか」
梓「へえ。大変なこととかあります?」
紬「ううんあんまり。頑張れば人間とおんなじようにもなれるもの」
梓「そうですか」
まあ、わたしたちにとっては変なことでも当の本人してみればそれが普通なんてことはよくあるものね。
梓「そういえば、それって生まれつきなんですか」
そう聞いたのは今日が初めてだった。
梓「あ、言いたくないならいいんですよ別に」
紬「えっとね……」
ムギ先輩はなにか考えるようなそぶりをした。
紬「わたし、人工的に作られたの」
梓「それは人工生命ってことですか?」
紬「そうなるはずだったって言うべきかしら」
梓「だった?」
紬「うん。わたしは人工生命のなりそこないなの」
わたしはムギ先輩の顔を盗み見た。
まずいことを聞いてしまったのかなという気がしたからだ。
でも、ムギ先輩は昨日見た夢でも話すようなそぶりで口を開いた。
紬「わたしのお父さまの会社が人工生命を開発したの」
梓「え、そうなんですか?」
紬「最初はね商品にするつもりもなくて、自分の子供を作ろうとしたの。お父さまは子供ができない体だったから。あ、でも別にロボットだったわけじゃないのよ。わかるよね?」
梓「だいじょうぶです」
紬「それでね、いろいろ研究してそれでやっと作ろうってことになって作ったんだけどね、失敗しちゃったらしいの。理由は聞いてもよくわかんなかったんだけど。でも、それでわたしが生まれたのね」
その失敗をもとに改良があってそして人工生命が生まれたということなんだろう。
そして、それらは人気商品となり店頭に並べられるようになった。
ムギ先輩がそのお父さんの子供になったのなら、その後はもう作らなくてもいいはずだけど、きっとそのへんには込み入ったいろいろがあるのかもしれない。
大人の事情ってやつが。
紬「それでじゃあ仕方ないから子供にしようかってことになったの」
梓「仕方ないからなんですか?」
紬「うんお父さまはよくわたしに言って聞かせたわ。仕方なくお前を選んでやったんだって」
梓「あ、えっと……」
紬「でもね、へいきなの。お母さまが後でこっそり教えてくれたから。わたしが生まれたとき周りの人たち、研究者とか偉い人とかはみんな研究対象にしたいとかそんな意見だったのにね、お父さまだけが反対したらしいの。生まれたこどもは、どんなになったって私のこどもだって」
ムギ先輩は照れくさそうにしていた。
えへへ。
子どもっぽい表情になった。
いいお父さんですねって言ったら、さらに顔を赤らめた。
下を向いて、たいやきをかじった。
それから、ムギ先輩は話題を変えるように言った。
そういえば。
紬「そういえば、梓ちゃん、この街の外に出たことある?」
梓「ないですね」
紬「わたしね、すごく気になるの。この街の外になにがあるのか」
たしかに、この街の外側に何があるかなんて考えてみもしなかったな。
わたしは思った。
他の街が広がっているのか、それとも海でも見えるのか、はたまた砂漠の中にいたなんてこともあるかもしれない。
梓「じゃあ、行ってみますか」
気がつくとわたしは言っていた。
紬「え?」
梓「たしかめてみましょうよ。この目で」
紬「それ……すごくいいわっ」
ムギ先輩の手がわたしの手のひらを握り締めてぶんぶん振った。
なんだかさらさらして包み込まれるような感覚。
そして、暖かった。
次の日、3人で街の外向かって出かけた。
わたしとムギ先輩と唯先輩。
話に参加してなかった唯先輩が一番はしゃいでいる。
唯「遠足だねー遠足っ」
梓「そんなたいしたものじゃ」
唯「なにがあるのかなあ。楽園があったりね」
梓「楽園ってなんですか」
唯「ユートピアだよ」
そのままずっと歩いていくと壁にぶつかった。
わたしたちは左に折れて壁を右に見ながら歩き続けた。
この街は円状の高い壁で囲まれているが、どこかにひとつだけ門があるという。
だから壁にそって回っていけばいずれは外に出ることができるというわけだ。
事実、20分もしないうちに門の前にわたしたちはいた。
見張りのようなものはおらず実に簡素な門がぽつんと構えているだけだった。街の外に出てみようと考える人間はあまりいないのかもしれない。
門は手で押すと簡単に左右に開いた。
そこからは長い地平線が続いていた。
まったく平らで何一つない地平線。
一歩踏み出すと、人間の皮膚のようなぐにゃりとした感触があった。
お昼にする?とムギ先輩が訊いた。
わーいっ、と唯先輩。そうですね、とわたし。
果てしない地平線の前にわたしたちはすっかり戦意を削がれていたのだった。
ムギ先輩が持ってきたサンドイッチと紅茶がお昼だった。
紅茶に口をつけてふぅっと唯先輩が一息ついた。
唯「これぞ遠足、ピクニックだねっ」
梓「唯先輩は食べることばっかり」
唯「あずにゃんもいっぱいたべてるじゃーん」
梓「だって……おいしいから」
紬「ふふっ。遠慮しないで食べてね」
梓「これムギ先輩が作ったんですか?」
紬「うん。朝にちょっとね」
唯「ムギちゃんすごいよっ」
梓「ありがとうございます」
紬「えへへ」
梓「それにしても……」
わたしは広がる地平線を眺めながら言った。
梓「この先、行くんですか?」
唯「いくよっなにがあるか知りたいよっ」
梓「なにもないじゃないですか」
唯「きっとすごい財宝が……」
梓「そういう話でしたっけ」
紬「まあ、ちょっと行ってみるくらい、いいんじゃないかしら?」
唯「うんうん」
梓「少しなら……」
唯「いえいっ」
紬「いえいっ」
ハイタッチ。
紬「そういえば唯ちゃん」
唯「んーなに?」
紬「宇宙人と交信はできたの?」
唯「おっ、その話ですかあ。あずにゃんは全然聞いてくれないんだよね」
梓「別にぜんぜん聞かないわけじゃ……」
唯「それで、昨日はね、よく聞こえたんだよ」
紬「へえー。どんなの?」
唯「歌、なんだけどね。いろいろあって、まあだいたいがじいいいってなってよくわかんないだけど、たとえばこんなのがあったなあ」
唯先輩は歌った。
ふでっぺんふっふー……。
唯「じゃんっ」
梓紬「おおー」
ぱちぱちと拍手。
唯「どうかな」
紬「すごいっ。なんかイイ感じの歌だったよね」
梓「まあそれには同意しますけど、それ火星の言葉じゃないですか」
紬「あ」
梓「どうなんですかそのへんは」
唯「そ、そう聞こえるだけなんだよ」
梓「はい?」
唯「だからね、ほんとは違う言葉なんだけどわたしたちは火星の言葉しか知らないからそう聞こえるんだよ」
梓「唯先輩の妄想ってことですね」
唯「なんでわかってくれないのさーっ」
紬「よしよし」
しばらくお喋りをしたあと、じゃあそろそろ行きましょうかまだいいよじゃあもう帰りますよ分かった行く行く、みたいなやり取りがあってわたしたちはやっと歩き始めた。
しかし歩いても歩いても一向に景色が変わらない。景色が変わらないからまったく進んでないように思える。でもだんだんと疲れがますからやっぱりちゃんと進んでるんだろうな。というか進んでるって信じないとやっていけない。
そしてまた歩く。
唯「つかれた!」
梓「はい……」
唯「あ、ムギちゃん下半身溶けてる」
紬「こっちの方が歩きやすいのー。あんまり疲れないし」
梓「歩くというより這うですね」
紬「うん」
唯「ムギちゃんずるーいずるーい。わたしも溶けたいー。どろおお」
梓「ちょっ寄りかからないでくださいよ」
唯「だってえー」
それでもやっぱり終わりはあるもので、わたしたちの場合それは看板だった。
なぜか遠くから見ているときには気がつかず、目と鼻の先というところで唯先輩があっ、と声を上げた。
唯「なんかあるよーほらほらーっ」
紬「看板ね……えっと……」
『工事中』
わたしたちがここまで体力と時間を削って得た発見はそれだけだった。
その先には、泥状になった地面がでこぼこを作っている。
深い溝が幾重にも刻まれており、色の具合もあって、そこは溶けかかった巨大な脳みその一部のように見えた。
どろどろ。
街の外のどろどろ。
あたりを見渡すと、どうやらその泥状の『工事中』部分は看板を境に円状になっているらしい。
その証拠に、よく見ると他にも看板があり、それらが一定間隔で並べられてゆるやかにカーブを描いていた。
その中心はやはりわたしたちのあの街なんだろう。
唯「うーん。工事中かあ」
紬「工事中ね」
唯「工事が終わったら他の街にいけるのかな」
紬「今、つなげてるのかな。ここまではやけに平坦だったし」
梓「でも道にしてはなんていうか柔らかいですよね。今までの道も」
唯「不思議だね」
頭上を飛行機が飛んでいった。
ぶるるう。
あたりがかすかに震動した。
果たしてあの飛行機はどこかにたどり着くことができるんだろうか。
そしてこのどろどろの向こう側に何かあるんだろうか。
外国にいきたいね、なんて唯先輩はのんきなことを言っている。
わあ外国!
ムギ先輩がそれに同調した。
二人がわたしに視線を向けてきたので仕方なく、そうですね料理のおいしいところがいいですよね、と話を合わせた。
だけどわたしにはこのどろどろの向こうに、形を持った場所があるとはどうしても思えないんだ。
いつの間にか飛行機はどこかに消えてしまって、透きとおった水色の空をひこうき雲が2つに分けていた。
たとえ空を飛んでいったとしてもどこにいけるだろう?
帰り道はなんとなく口数も減って静かだった。
無駄足だったというのも足を重たくする原因のひとつだったのかもしれない。
それなのに唯先輩だけはひとり、楽しそうにメロディーを口ずさんでいた。
これもあの宇宙人のラジオで知った曲なんだと、誰も聞いてないのに説明してくれた。
ぺちゃんっぺちゃんっぺちゃんっ。
お疲れモードのムギ先輩の下半身はほとんど溶けていた。
唯先輩は歌い続けていた。
それはどこかで聞いたような懐かしいメロディーだった。
きみをみてるといつもはーと………
最終更新:2012年08月18日 22:03