【くるくる】
唯先輩が寝ていた。
半分だけ出たお腹が膨らんでは縮む。
口元から涎みたいなのが垂れててわたしは苦笑いした。
梓「ゆいせんぱいっ」
わたしは呼びかけた。
ぴくっ。
唯先輩は一瞬震えたけれど、それ以上の反応は示さなかった。
壁掛け時計を確認した。
11時。
ちゃんと唯先輩の起床時間ぴったりだ。
唯先輩を起こすのはわたしの、なんというか日課というか仕事みたいなものだった。
こうやってわたしがわざわざ出向いていかないと唯先輩は絶対に起きてこない。
人口生命がみんなそうなのかとも思ったけれど、和先輩に聞いたところ別にそんなこともないらしいからやはり唯先輩が怠け者だという他ないだろう。
唯先輩は前にわたしにこんなふうに言った。
自分で起きるようわたしが文句した時だった。
唯「わたしはね、あずにゃんが起こしてくれなきゃぜったい起きないよ。あずにゃんがいなくなっちゃったらわたしずっと寝たままになっちゃうねー」
梓「なにがずっと寝たままになっちゃうねーですか」
唯「わたしを起こすのがあずにゃんの仕事だよ」
梓「……はあ」
わたしは照れたのだった。
だから、唯先輩を起こしに来るたび、わたしは唯先輩を甘やかしすぎてるんだろうなあっていつも思う。
唯先輩の耳もとにわたしは顔を寄せた。
ちょっとの間、その耳の形を見つめていた。
梓「ゆいせんぱいっ」
唯「……ふぁ」
梓「ゆいせんぱいっ!」
唯「…ぅうん」
梓「はやく起きないとこのまま耳かじりますよ」
唯「もう一生起きないから……」
梓「うそです」
唯「すいっち」
梓「なんですか?」
唯「わたしの起動スイッチ耳のところにあるから……押して」
梓「はい」
唯先輩の耳たぶを指でつまんだ。
唯「だめだよ。あずにゃんのだえきに反応するんだから」
梓「そうですか」
ひっぱる。
唯「……いたいいたい」
梓「おはようございます」
唯「……最悪の目覚めだよ」
梓「それはどうもです」
唯「朝シャンっ」
唯先輩が抱きついてきた。
梓「むう……30秒たちましたよ」
唯「今日は目覚めが悪いから1分ねっ」
梓「そんなルールはないです」
唯「まあまあ」
梓「だって最初は5秒だったじゃないですか」
唯「あずにゃんが死ぬ頃には24時間になってるよきっと」
梓「嬉しくないです」
唯「そんな話をしているうちにもう2分だよ」
梓「あ、ずるいです」
唯「寝覚めの悪い時は2分っ。はい、これ新ルールだからね」
梓「はあ……。そんなことよりお客さんが来てますよ」
唯「それは待たせちゃだめだよあずにゃん」
梓「違いますそのお客さんじゃなくて……う」
唯「う?」
憂「おねーちゃんっ」
唯「あ、憂だっ、と純ちゃん」
純「どうも」
憂「おねーちゃん久しぶりだねー」
唯「そうだねー憂。会いたかったよー」
二人は抱擁を交わした。
梓「3日前に会ったばっかりじゃないですか」
純「嫉妬してるんだ?」
梓「違うから」
かちかちくるりかちかちくるり。
ぜんまいの回る音がした。
唯「そうだ、たまにはお姉ちゃんが巻いてあげよう」
憂「ありがとー」
唯先輩が憂の背中側に移った。
ぜんまいの巻かれる音がした。
きいぃぃっちぃっきいぃぃっちぃっきいぃぃっちぃっ。
憂のぜんまいが左に回る。
ぜんまいを回されるというのはどんな気分がするものなんだろうなと、わたしは考えていた。
憂はロボットだった。
それもぜんまい式の。
ロボットといっても見た目は人間とまったく同じだった。そういう意味ではロボットも人工生命とほとんど変わらない。
違うのは素材くらいのものだ。
火星では多くのロボットが昼夜あらゆる役目をこなしている。この街でもよくロボットを見かけるし、後であの人は実はロボットだったのだと知って驚くこともまあまあよくあることだった。
ただ、ぜんまい式のロボットというのをわたしは憂の他に見たことがない。
それは憂が旧型からなのかもしれないし、またはどこか別の遠い場所で作られたからなのかもしれなかった。
そしてそれはあながち間違った話でもないのだろう。
憂はゴミ捨て場に捨てられていたのだ。
唯先輩が憂を拾ってきたのは、よく晴れた日の夜のことだった。
その日唯先輩はたい焼きのあんこを買いに近くの店に出かけていって、夜遅くになっても帰って来なかった。
心配になったわたしが迎えに行くと、そこには女の子を引きずって歩く唯先輩の姿があった。
わたしは唯先輩を手伝い、二人でそのロボットの女の子を家の中に招き入れた。
ロボットは完全に止まっていた。
死んでいる(ロボットだから壊れていると言うのかもれない)と、最初わたしは思った。
出し抜けに、唯先輩はぜんまいを左側に回しはじめた。
動くかな。動くといいよね。動くよね。
唯先輩は呟いていた。
わたしは大丈夫ですよって、唯先輩とそのロボットを励まし続けた。
あるところでかちり、という音。
ロボットはゆっくりと起動した。
わたしたちは顔を見合わせて、喜んだ。
ロボットがわたしたちに向かって照れくさそうにはにかんだ。
そのロボットの記憶に残っていたのは、憂という名前と自分が妹として作られたということだけだった。
というわけで、憂は唯先輩の妹になった。
今思えばひとつ不思議な事がある。
その時は気が付かなかったんだけど、あらゆるぜんまいは右巻きだった。
純「相変わらずここのたいやきはいけるじゃん」
梓「あ、タダ食い禁止っ」
純「まあまあそう固いこと言わないで」
梓「ただでさえ売れ行きが悪くて困ってるのに」
憂「そうなの?」
唯「なかなか世知辛い世の中なんだよ」
梓「もっと唯先輩がサボらずに働けばいいんですよ」
唯「むむう……それは無理だよ」
梓「ほら」
憂「あはは」
純「まあ、梓と唯先輩じゃあしかたないんじゃない」
唯梓「なんだとー」
純「だって、ほらメニューもひとつしかないし」
唯「失礼な。うちはたい焼き一筋で勝負してるんだよっ」
純「そうじゃなくてですね。例えばあるじゃないですかほら、あんこだけじゃなくて」
唯「なにが?」
純「クリームとか」
梓唯「あ」
唯「そうかその手があったか」
憂「気づいてなかったの? 梓ちゃんも」
梓「うん」
唯「純ちゃんすごーいっ。天才っ」
唯先輩が純に飛びついて頭をわしゃわしゃ。
梓「どうせ純は食べることしか考えてないからそんなことが思いつくんだ」
憂「あ、嫉妬だ」
梓「だから、違うっ」
唯「じゃあさっそくクリームを仲間入りさせよう」
梓「でも、クリームってどう作ればいいんでしょうね」
唯「デパートで買ってくればいいんじゃない?」
梓「だめでしょう」
憂「あ、わたし作り方知ってるよ」
梓「ほんとに?」
憂「うん。前に見たんだ」
唯「どうやるのでしょうっ憂先生」
憂「あ、でも材料がないかも」
梓「じゃあわたし買い行ってくるよ」
憂「でも、わたしがいかないと何買えばいいのかわかんなくなるよ、たぶん」
梓「あ、そうだね。唯先輩はどうします?」
唯「うーんでもそろそろ交信の時間だからなあ」
憂「交信?」
唯「宇宙人との交信だよっ」
純「へえおもしろいね、なにそれ?」
梓「ラジオのこと。この時間になるとホントは放送がないダイアルから音楽が聞こえるんだって」
憂「そうなんだ」
純「唯先輩っわたしもそれ聞きたいです」
唯「ただし、何を聞いちゃっても自己責任だよー」
純「いえすっ」
梓「純は残ると」
純「宇宙人との交信っ」
わたしたちはゆっくりとしたペースで歩いていた。
デパートはこの街の端っこの方にあるからけっこう遠い。
梓「まさか憂にたいやきのクリームの作り方を教わるとは思わなかったよ」
憂「梓ちゃんも、売れないのになにも手を打ってないってのも驚きだよ」
梓「ある意味ね」
憂「えへへ」
梓「でも、憂はほんとになんでもできるね。炊事家事でしょ運動神経もいいし頭もいい」
憂「でもさ、せっかくわたしもロボットなんだからもっとすごいことができてもよかったと思うな」
梓「たとえば?」
憂「……空をとぶとか」
梓「空飛びたいの?」
憂「ロケットパンチとかでもいいかな」
梓「憂ってさ」
憂「うん」
梓「いつもそういうこと考えてるの?」
憂「たまにだよ。梓ちゃんもそういうこと考えない?」
梓「考えるかも。空飛びたいとか」
憂「でしょー」
梓「まあそうかもね。憂はすごいからなんでもできるような気がするけど空は飛ばないか」
憂「飛べたらね、いいね」
憂が空を見上げたのでわたしもなんとなくそれに従った。
あ。
憂が声を上げた。
憂「梓ちゃんあそこ見て」
梓「どこ?」
憂「ほら、そこそこ……あの緑の」
梓「ああ、あれのこと?」
憂「うん」
空のなかほどあたりに、うっすら緑がかった円が見えた。
ぼやけていて今にも消えてしまいそうだった。
憂「あれは地球なんだよ」
梓「あれが、あの地球?」
憂「うん。地球はねときどき……そうだなあ、たまによりはよくあるけどしばしばよりは少ないくらいで緑に見えるんだよ。ほら、わたしたちの火星なんかと違って緑があるから」
梓「へえー。そうなんだ」
憂「知らなかった?」
梓「うん。憂は天体とか好きなの?」
憂「別にそうじゃないんだけどね。前にテレビでやってたのを見たんだ」
梓「テレビはなんでも知ってるんだ」
憂「うんうん。それにあれだよ、地球に調査団が着陸したのがあったから特番やってたんだよ」
そんなこともあったね。
わたしは肯いた。
ずいぶん昔のことのようにも思えた。
結局、彼らは帰ってきたんだっけ。
憂「すごいよねー。昔、地球に人間がいたんだって言うんだよ」
梓「それってほんとなのかな?」
憂「そうみたいだよ。テレビでは映像も写ってたよ」
まあ、ときどきテレビは嘘をつくんだよね、とわたしは思った。
観客を楽しませるためにジョークを言ったつもりなんだろう。たぶん。
そのせいで見ているわたしはときどき腹が立つ。
憂「梓ちゃんはテレビ見ないの?」
梓「けんかしちゃって」
うちのテレビが一日にあまりに多くの嘘をつくせいでわたしはとうとう我慢が利かなくなって頭を叩いてやった。
すると、テレビのやつはすねて、それ以来なにも映さなくなった。
なのに唯先輩の前では嬉々としていろんな番組を流すんだ。
そういうところまた気に食わない。
憂「テレビにまで嫉妬?」
梓「そんなんじゃないって」
憂「梓ちゃん、おねーちゃんのことになるとすぐムキになるから」
梓「あれはわたしとテレビ、二人の問題だよ」
憂「そうかなあ」
梓「そうだって」
憂「はやく仲直りできるといいねー」
梓「まあがんばってはみるけど。いちおう」
憂「それで、なんの話してたんだっけ?」
梓「地球の調査団の」
憂「そうだった。えとね、地球人は火星人にそっくりらしいんだって」
梓「でも地球人に会ったわけじゃないんでしょ」
憂「でも、なんかいろいろ科学はすごいんだよ。だから、地球人が火星人になったんだっていう人もいるみたいだよ」
梓「なんかおもしろい考えだ」
憂「だよねー。テレビが言うにはね、地球人が火星に移住したらしいの」
梓「へえ」
憂「でもみんながみんな移住したわけじゃなくて、きっと大変なことがあったんだと思うけど、地球から逃げ出した少しの人が地球のコピーを火星に作ったんだって言ってた」
前にもこんな話を聞いた気がするな。
あれはたしか、そう、この街の成り立ちについての話だったような。
最終更新:2012年08月18日 22:06