憂「くるくるなんだって」
梓「くるくる?」
憂「平行世界ってわかる?」
梓「うん。パラレルワールドってやつだよね」
憂「火星はそれなんだって地球の」
選ばれなかった未来の続きの話。
だとすると、彼らは地球では得ることのできなかった未来をこの星で描こうとしてたのだろうか。
というより、わたしがまさにそれなのかもしれない。
なんてね。
憂「でも、そのふたつが、こう、横に並んでるんじゃなくて、あ、違う。横には並んでるんだけどつながってるんだって。ちょうど渦巻きの隣の線どうしが平行に見えるみたいに」
梓「でも、結局は1本の線だってこと?」
憂「うん」
梓「ふうん。でも、おもしろい考えだけどやっぱ違うんじゃない?」
憂「そうだねー。わたしもそう思う」
そうしているうちにデパートに着いた。
憂がさまざまものを買い物のカゴに放り込んでは、これはこうこうに使うだとか、このメーカーは安いけどあまり品質がよくないからあっちを買ったほうがいいとか、なんとかを使うのが一般的なんだけどなになにを使ったほうがよりいいのだとか、説明してくれたんだけど、残念なことにあまりわたしには理解できなかった。
後で紙にでもまとめてもらおう。
それにしても憂はいろんなことを知ってるんだね、とわたしは言った。
憂は、そうかなあそんなことないよ拾い物の知識ばっかりだよと照れた。
デパートから出た。
買い物袋をぶらさげたわたしに憂が持とうかと尋ねた。
わたしは遠慮した。
憂「時間かかちゃったねー。おねーちゃんと純ちゃんはしっかりやってるかな」
梓「さあ。だめじゃない?」
憂「あれれ」
梓「はなから期待してないんだって」
憂「でも案外ちゃんとやってるかも」
梓「でも案外なんだ」
憂「あ」
梓「あはは」
憂「でも、二人はきっとやるときにはやるタイプだよ」
梓「やるときがくればいいんだけどね」
外は暗くなりはじめていた。
だから、空に浮かぶ緑の星がさっきよりもずっと濃く見えた。
それがいつも見ている地球と違っていたからだろうか、わたしは急に空っぽの気持ちに襲われた。
梓「ねえ、憂」
憂「なに?」
梓「わたしって嫉妬深いのかなあ」
憂「そんなことないと思うよ。あれはじょうだんだよ」
梓「それはわかるけど。でもなんていうか嫉妬深くなれちゃうていうか」
憂「どういうこと?」
梓「さみしいって言えばいいのかな」
憂「さみしい」
梓「いつでも、頭の中にぽっかり穴が開いてるような感じがするんだ」
憂「穴?」
梓「うん」
憂「きっと、それは思い出が足りないからじゃないかな」
梓「思い出?」
憂「実はねわたしもそんな時があるんだ。梓ちゃん、思い出せないでしょいろんなことが」
梓「うん。自分がなんなのかとか」
憂「その分さみしい気がするんじゃないかな。ほら、思い出ってあるだけですごく暖かいから」
梓「たしかに寒いのと寂しいのは似てる」
憂「たぶんわたしたち以外のみんなも同じだと思うな。人工生命なんかも売れてたり青春体験切符なんてのもあるから。あれだってきっと思い出を手に入れるために買うんだよ。接着して思い出を作るんだよ」
梓「言われてみれば」
憂「梓ちゃんだって接着して見た景色はちゃんと覚えてるでしょ?」
たしかにその通りなのだった。
一番最近見た夢は先輩たちと夏合宿に行った夢で、それはまるでホントにあったかのように思い出せる。
海ではしゃぎあったこと、先輩たちとバーベキューをしたこと、花火をしたこと、唯先輩にギターを教えたこと、肝試しなんかもしたっけ。
どれも、もう確固たるわたし自身の経験になってしまっていた。
梓「憂は? 憂はどうするの、思い出」
憂「拾ってくるんだよ」
梓「拾う?」
憂「うん。もういらなくなった思い出がいっぱい溜まってる場所があるんだよ」
梓「そんなところが?」
憂「だから、ほら、言ったよね。拾い物の知識だって」
行ってみる?
憂が訊いた。
わたしは肯いた。
そこにはすぐ着いた。
わたしたちは橋の上にいた。
すぐ下をカラフルなしゃぼん玉のようなものが流れている。
よく見るとそのひとつひとつで映像がきらめくのがわかる。
その流れは徐々に広さを増しながらずっと奥まで伸びていて、最終的には河口のようになったところへ流れつき、そして広大な海へと続いていた。
しゃぼん玉の海。
どこか遠くから波のような音がした。
その間にも、海は休みなくあらゆる色を乱反射させていた。
憂「おーい、梓ちゃんこっちこっちいいいー」
気がつくと憂がずいぶん遠くから叫んでいた。
その辺はごつごつした岩場で、わたしは慎重にそこまで歩いていった。
梓「まさかこんなところがあったなんてね」
憂「すごいでしょー」
梓「うん。きれいだ」
憂「それでね、ここなんだ」
憂が指さしたのはしゃぼんの海のすぐそばの岩礁で流れがとどまったところ、本当の海なら潮溜まりなんて呼ばれる場所だった。
そこには海に混じれなかったしゃぼん玉たちがより集まっている。
憂「よかったあ。ちょうど干潮で。流れてるところだと思い出を拾えないから」
梓「そうなの?」
憂「思い出は案外繊細みたい。あ、しゃぼん玉みたいのが思い出だよ」
梓「そんな感じはしてた」
憂「純ちゃんなんか、雑に扱ってすぐ割っちゃうんだよ」
梓「純も知ってるんだ」
憂「うん。純ちゃんとはよく行くんだ。それで一緒の思い出を分けあったりするから、なんだかずっと昔から知り合いだったみたいに思えるよ」
梓「そうなんだ」
憂「梓ちゃんにも、もっとはやく教えてあげればよかったね」
梓「そんなことないよ。それにこうやってここに来るのだって十分な思い出だよ」
憂「それもそっか」
梓「うん」
憂「梓ちゃんってさ、今を大事にしてるよね」
梓「そう?」
憂「おねーちゃんも言ってたよ。あずにゃんは接着してもぜったい先の未来とか遠い昔に行かないって」
梓「それはさ、ただ怖いだけだよ。未来も過去もわたしにはわかんないから、わかんないものをいじりたくないんだ。触らぬ神に祟りなしっていうのとは違うかな」
憂「そっかあ。でも、わたしたちが子どもの頃から知り合いだったなんていう思い出もおもしろかったのにな」
梓「たしかにそうかもね」
憂は思い出のとり方を教えてくれた。
といってもそれは簡単で、そっと両手ですくうだけだ。
そのしゃぼん玉の思い出がどこから来ているのかはわからないらしい。誰かが忘れてしまった思い出なのか、それとももう死んでしまった人の思い出なのか。
わたしたちはその思い出を自分の世界にあてはめるようにちょっと変形させる。ちゃんと物事のつじつまが合うように。
だけど、あまり無理に変形を行うとしゃぼん玉自体が割れてしまうのだ。
だからこっそりとやるんだよ、と憂は言った。
思い出の中の誰かが傷ついてしまわないように、こっそりと。
梓「なんだか泥棒みたいだ」
わたしは言った。
憂「もういらなくなったやつだから、再利用だよ」
憂は笑った。
ロボットにしかできないような完璧な笑顔。
わたしはホッとした。
憂「梓ちゃん、拾えた?」
梓「うん。これにしようかなって」
わたしの手のひらの中で、ひとつのしゃぼん玉が映像を映していた。
憂「どんな思い出?」
梓「友だちと映画を見に行くってやつ。たぶん、その友だちは憂だと思うんだけど」
憂「ちょっと見せて」
梓「うん」
憂「うんうん。たしかにこんなこともあったねー」
梓「もうわたしたちの思い出になったの?」
憂「うん。見るだけでいいんだよ」
梓「憂は決まった?」
憂「うーん……まだ」
梓「姉妹のやつにすれば?」
憂「おねーちゃんの?」
梓「うん。わたしと憂はあの日知り合ったってことでもいいけど、お姉ちゃんとは昔の思い出があってもいいはずじゃない?」
憂「ああ、そうだねー。思いつかなかったよ」
梓「そう?」
憂「あ、でも。いきなりわたしが勝手に選んだ思い出を見せても大丈夫かな」
梓「大丈夫じゃない? 唯先輩だったら何もなくて、こんなことがあったねーって言ったってきっとそうだねって言うと思うよ。あ、そうだなんなら憂が作っちゃってもいいかもね」
憂「わたしが?」
梓「うん。楽しいやつを。きっと唯先輩だったら受け入れてくれるよ」
憂「それはレベル高いなあ」
その辺のしゃぼん玉を手にとっては戻して、憂は姉妹の思い出を探しはじめた。
わたしはその間、海を眺めていた。
この思い出はどこから来てどこに行くんだろう。
どこにもいけないこの街で。
もしかしたら、ずっと同じところを回っているだけなのかもしれないな。
くるくる。
手についたしゃぼん玉の表面のぬるぬるの匂いを嗅いでみた。
塩の匂いがした。
それはまるでホンモノの海水のようだった。
憂「梓ちゃん右と左どっちが好き?」
梓「2つじゃダメなの?」
憂「別にだめじゃないけど、あんまり欲張っても仕方ないから」
梓「そっか。じゃあ、右っ」
憂「よしっこっちにしよう」
憂は残りの1つを海に戻した。
梓「ちなみどんなの?」
憂「ちっちゃい頃、おねーちゃんとのクリスマスの思い出だよ。おねーちゃんが雪を降らせようとして……」
憂はそんなふうに思い出の中身を話してくれた。
ホントにそれがあったみたいに話すんだ。
まあでも、わたしだってその話――憂がずっと昔から唯先輩の妹だったということを信じはじめていた。
憂「そろそろ、帰る?」
梓「そうだね」
梓「あ、そうだ。ちょっとトイレ行っていい?」
憂「うん。でも、梓ちゃんはよくトイレ行くね」
梓「そうだっけ」
憂「思い出を作ってみたんだ」
梓「そういうのはいらないんじゃない?」
憂「えへへ」
わたしたちは笑った。
かちかちくるりかちかちくるり。
ぜんまいの回る音がした。
最終更新:2012年08月18日 22:07