夜が街に侵入しようとしていた。
唯先輩がぽつり呟いた。

唯「ペンギンになれたらいいのになあ」

梓「唯先輩が?」

唯「うん。ペンギンになって毎日海に潜って魚の代わりにたいやきを食べるんだよ」

梓「おかしいですね」

唯「そしたらあずにゃんはにわとりだねー」

梓「なんでそうなるんですか」

唯「決まった時間にわたしを起こしてくれるんだよ。こけーこけーって。それはあずにゃんの仕事だからね忘れちゃだめだよ」

梓「そうですね。忘れませんよ」

唯「よかったよかった。あ、そうだ帰りにたいやきでも買ってこうよ。なんか話してたらお腹空いちゃった」

梓「いいですよ」

唯「あずにゃんたいやき好きだもんねー」

梓「べつに……唯先輩だって好きじゃないですか」

唯「でもわたしはあずにゃんのほうが好きだよ。海に潜ってあずにゃんを食べる毎日っ。がぶりっ」

唯先輩が手でくちばしを作ってわたしのうでに噛み付いた。

梓「うわっ」

唯「がぶがぶーっ」

家に着くまで唯先輩はわたしのうでをそのまま掴んでいた。
手をつないでるみたいで、わたしはずっとそっぽを向いたままだった。


【青春18きっぷ】

『青春18きっぷで青春を取り戻そうっ!』

律「な、取り戻すべきだって」

律先輩がたいやきから口を離して言った。
食べかけのその切り口から濃い紫色がのぞいた。
わたしたちはたいやき屋の入り口付近でティータイム中だった。
なんでわざわざここでティータイムしてるかといえば、唯先輩がこんな提案をしたからだ。
デモだよっデモ。はんたーいはんたーいっの方じゃないからね。わたしたちがここでたいやきを食べればお客さんがやってくるんだよ。あ、だけど、売れないことに反対してるっていえばそうともいえるよね。ダブルデモだねダブルデモっ。
そうですね、とだけわたしは答えた。
誰かやって来ないものかとわたしは通りを眺めていたが案の定誰も現れない。
諦めて机の上に視線を戻した。
たいやき、ティーカップの中の紅茶、そして問題の切符が5枚。

唯「青い春だねりっちゃんっ」

律「そうだぜー。青春っていえばな、坂道を夕日に向かって走るんだ」

紬「へえー。青春っておもしろいのねー」

澪「いや、それは違うだろ」

梓「でも、やっぱうさんくさいっていうか、よくないんじゃないんないですか」

律「なにが?」

梓「ほら、脳ミソをいろいろしたりするーなんて噂もあるくらいですし」

澪「え……そうなのか?」

梓「そうですよ。旅から帰ってきた人が狂ってしまったなんて話、聞いたことありません?」

澪「やっぱ、やめよう」

律「おい梓怖い話で澪を買収するなんてずるいぞっ」

梓「別にそういうつもりじゃ」

律「だいたいなあ梓はいいよ。唯とくっついていけるもんな」

梓「なんですか」

唯「あずにゃん、いっちゃったね」

梓「先輩はうるさいです」

唯「むー」

律「だってあれだろ、ほらなんだっけあの夜の……」

梓「接着ですか」

律「そうそう。あれで青春にいけるもんな」

梓「まあ、夢ですけどね」

律「夢でもいいじゃんっ」

紬「ちょっと待ってっ……夜のとこもうちょーっとくわしく」

梓「いいですってば」

唯「あずにゃんがわたしに抱きついてねー唯せんぱーいってね」

紬「それでそれで?」

梓「うそやめっ」

澪「というかムギホントにいいの? たしかこの切符けっこう高価だったと思うんだけど」

紬「うん。お父様がもらったんだけど、いらないから好きに使ってくれって」

澪「へえー。やっぱすごいなあ、ムギんちは」

律「というわけで行こうっ」

梓「なにがというわけですか」

律「じゃあ、梓、留守番でいいのかー」

梓「それはやですけど」

唯「それにあずにゃん、この5人でいくのは初めてなんだよ」

梓「……そうですね。じゃあ行きましょうか」

律「よっしゃーっ。じゃあ明日6時集合なー。遅れるなよ、唯」

唯「あずにゃんに起こしてもらうからへいきだよっ」

唯先輩とわたしの二人分の切符を渡された。
紫色のいかにも怪しげな見た目。
青春に戻れる切符、それが青春18きっぷだった。
といっても若返ったりするわけじゃないらしい。
仮想世界での青春を体験できるとかなんとか。
そんなふうに広告(主にCM)で紹介されている。
それだって怪しいものだ。
今までそんなのただの噂話やよくあるうますぎる話の類に思っていたのだ。
まあでもこうして実際切符を目の前にするとそういうことがあってもおかしくはないかなという気分になってくる。
結局は接着と似たようなものかもしれない。
だとしたって、それは夢とかいう怪しくてよくわからないものにすぎないんだけど。

次の日、わたしたちは電車に乗っていた。
もう廃線になってしまった駅には怪しげなおばあさんがいて、切符を渡すと次の電車に乗るよう告げられた。
次の電車と言ったってすでに電車は着いていたわけでそのまま電車に乗り込むほかなかった。
ドアが閉まる直前おばあさんが、いい旅を、と言った。

梓「わたしたちだけしか乗ってないんですね」

澪「まあでもそっちのほうが気楽でいいかな」

唯「おおっ景色が動くよっ」

律「すごいな」

唯「景色ムービングっ」

梓「はしゃぎすぎですよ」

紬「あれね、電車って話には聞いてたけど乗るとなんだか不思議な感じね」

唯「がったんごっとん揺れてるよー」

律「うあわっ倒れるー…………唯、今まで楽しかった……よ」

唯「りっちゃーんっ」

梓「電車内では他人に迷惑書けないようにって貼り紙ありますよ」

律「わたしたちは他人じゃないっ」

唯「じゃないっ」

律「仲間だっ」

唯「りっちゃんっ」

律「ゆいっ」

唯「りっちゃーんっ」

律「ゆーーいっ……あ、こけた」

唯「りっちゃん……今まで……」

紬「デジャヴ?」

澪「まったくお前らは……。でも、なんで電車なんだろうな。いや切符だから電車っていうのはわかるけど」

梓「わたしももっとハイテクっぽいなにかがあると思ったんですけど」

紬「電車の方が青春っぽいからじゃない?」

梓「そうなんですか」

紬「わからないけど」

唯「きっと、隠してるんだよ」

梓「なにをですか」

唯「技術をだよ。他の人に盗まれないように」

梓「電車の振りして?」

唯「カモフラージュっ」

そうこうしているうちに電車はどこかにたどり着いたみたいだった。
ぷしゅうううがちちぃぃ。
大げさな音をたてて電車が止まった。
一度、大きく揺れた。
扉が開いた。

梓「あ、部室」

気がつけばわたしはそう口に出していた。
言葉の方から勝手に飛び出してきた感じだった。
なんでそんなふうに言ったんだろう。

部屋の中央あたりに大きな机があった。
それを囲むように椅子が5つ。
前から知っていたみたいにそれぞれが迷わずに席についた。

律「さあどうするか……あ」

他の4人も律先輩と同じところに視線を向けていた。
そこには薄っぺらい本が5冊あった。

澪「えーと……楽しい青春の過ごし方?」

紬「なにかしらこれ」

唯「わあ、なんかお話みたいになってるね」

梓「これ台本じゃないですか?」

律「台本?」

澪「ああ、たしかにそんなふうにも見えるな」

唯「きっと、この通りにすればいいんだよ」

律「これは、軽音楽部の物語です、だって」

紬「軽い音楽」

唯「カスタネットとか?」

梓「そんなわけないじゃないですか。ほら、あそこに楽器おいてありますし」

唯「ほんとだ」

律「ま、とりあえずこれの通りにやってみようか」

紬「そうだね」

※  ※  ※ 

梓「先輩達真面目に練習してくださいっ。もっと上を目指すって約束したじゃないですかっ」

律「あーあ、二言目にはそれか。約束たってお前が無理矢理決めさせたみたいものじゃん。それにさうちの部活は楽しいのが一番ってことになってんの。なあ澪?」

澪「え?」

紬「ほらここ、同意同意」

澪「ああ……おほんっ……そうだうちは楽しんでやってくって決まってるんだから梓もそれに従って……」

梓「そんな……澪先輩だけは信頼できると思ってたのにっ」

澪「ご、ごめん」

律「だから梓もちゃんとそうしてくれなくちゃ。きょーちょーせー、わかる?」

唯「でも」

律「でも、なんだよ」

唯「……あずにゃんの言うことも一理あるんじゃないかなあ……なあんて」

律「へえ、そっかあ。唯は梓の味方するんだなあ」

唯「味方とかそういうんじゃなくて……」

律「それにいつも一番ふざけてる唯がなんでそんなこと言う権利あるのかよ」

唯「それは……」

梓「……も、もういいですっ。こんなとこもう一生来ませんっ」

唯「待ってあずにゃんっ……行っちゃった」

律「いいっていいってほっとけよ」

唯「でも……」

律「なんだよそんなに梓が気になるのか。あーそっかそっかお前どっか梓にひかれてるとこあったもんなあ。ほら、行ってくれば。あずにゃーーんってさ」

唯「……うぅ」

紬「りっちゃん、悪役似合うね」

澪「悪役面だもんな」

律「おい、そこっ。どこか悪役面だっ」

紬「こわーい、ね」

澪「うん」

律「くそう……覚えとけよ」

唯「でも、りっちゃんだってホントはあずにゃんが嫌いじゃないんでしょ?」

律「はあ?あんなやついなくてせいせいするよ」

唯「ホントはあずにゃんがいるのが一番いいくせに。ただ、あずにゃんに馬鹿にされそうで怖いんだ」

律「そんなことねーし」

唯「にせわるものなんだっ」

律「え?」

紬「唯ちゃんぎあくしゃ、よ。ぎあくしゃって読むの」

唯「……ぎあくしゃなんだっ」

律「なんだとー。わたしはあんなやつ……」

紬「みんなっ」

律「あ?」

唯「なに?」

紬「…………お茶にしましょっ」

律「…………そうだな」

唯「やったお茶お茶ー」

澪「ぷっ。お前らそれセリフだぞ」

律「えーまじかよっ」

唯「お茶できると思ったのにー」

紬「あ、でも実は、わたしティーセット持ってきたの。だからホントにお茶にしましょ」

律「さっすがムギっ」

澪「準備いいな」

唯「そういや、あずにゃんあっち行きっぱだね」

律「ほら、行ってくれば。あずにゃーーんってさ」

唯「うん……あーーずにゃんっ」

梓「わっ。やめてくださいよっ」

唯「あずにゃん、ずっとわたしの右側にいて欲しいな」

梓「なんですかいきなり」

唯「次のセリフの練習」

梓「そんなことだろうと思ってましたよ」

律「仲のよろしいことで。まったくこっちは困るよなあ、な」

紬「え? うん、そうね」

澪「そ、そうそう」

律「そこのふたりっ。目をそらすなっ」

紬「食べられちゃうのかしら」

澪「ひっ」

律「食べねえよっ」

というわけでしばしの休憩、ティータイムになった。
音楽準備室という場所とティータイムはあまりにも不自然な組み合わせで、そのおかしさにわたしたちは笑ってしまう。

律「つかさ……わたしってそんな悪人っぽいか?」

紬「違うの。名演技ってことよ」

律「ホントかよ」

唯「よっ大女優」

律「どもども……ってバカにすんなしっ」

紬「でも、今度はりっちゃんの役わたしやってみたいっ」

澪「ムギにはあわないんないんじゃないか?」

紬「そうかしら」

唯「ちょっとやってみてよ」

紬「ぐへへー食べちゃうわー…………みたいな?」

律「それはぜんぜん違う悪役だろっ」

紬「えへへー」

梓「そういえば、どうやってここから出るんですかね」

律「普通に入った場所から戻れるんじゃないのか」

梓「その扉はさっきの茶番の時、わたし開けて向こう側行ったじゃないですか」

紬「たしかにそうね」

唯「台本を全部終わらせないと帰れないんだよきっと」

澪「とはいってもこれ結構あるぞ」

律「よしっ。ずるだ」

紬「ずる?」

律「ラストシーンをやれば全部やったことになるだろ」

梓「そ、そうですかね?」

律「たぶん」

唯「ラストシーンは……あった」

紬「なに?」

唯「もいちど1つにまとまった部員たちの心からの演奏、だって」

梓「楽器……ならあそこにありますけど」

澪「弾ける?」

律「むり」

とにかくわたしたちはそれぞれ楽器を手にし位置をとった。
澪先輩がベース、律先輩がドラム、ムギ先輩がキーボード、わたしと唯先輩がギター。これはさきほどの役通りだった。


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最終更新:2012年08月18日 22:10