唯「デパート行かない?」
梓「いいですけど。夜ご飯でも買うんですか?」
唯「今日はあずにゃんの当番じゃん」
梓「あ、そうでしたね」
唯「傘買ってこうかなあって思ってね」
梓「傘?」
唯「うん。今日、夕方から飴がふる予定だから。にわか飴だけど」
梓「そうですか。でも、珍しいですね2回降る年なんて」
唯「そうだねー」
梓「前に拾ったのだってまだ残ってるのに」
唯「でも、残ってるのに降っちゃだめなんてこともないよ」
梓「まあそうですけど」
デパートの自動ドアが開いた。
わたしたちはその間に滑り込んだ。
傘が売っている雑貨の店は3階にあった。
唯先輩はオレンジ色の傘を選んだ。
唯「ねえ、これも買っていい?」
梓「なんですか」
唯「全自動卵割り機」
梓「ダメですよ」
唯「えー、じゃあこれは?」
梓「ペンチなんて何に使うんですか」
唯「ピンクでかわいいから」
梓「ダメです」
唯「あーじゃあこの船の模型は?」
梓「……ダメです」
唯「けち」
梓「けちでけっこうですよ」
唯「こけこっこー」
梓「……はあ」
2階へ降りるときあの垂れ幕が見えた。
人工生命の購入を促すあの広告。
唯「ここにわたしがいたんだよね」
梓「そうです」
唯「へえ。ちょっと見に行ってみようよ」
梓「別にいいですけど」
そこはたくさんの電化製品がところ狭しと並べられたフロアで、階段から一番遠い角のところに人工生命専用のコーナーが設けられていた。
展示用の人工生命が3台三角形に並べてあるだけで、あとはパンフレットの棚が延々と続いている。
唯「ここにわたしは立ってたんだ?」
展示用の人工生命のひとつを指差して唯先輩が言った。
梓「そうですね。一番右のあそこです」
唯「ふうん」
わたしたちはそのままパンフレットの棚の方まで歩いていく。
唯「あずにゃんはなんで3つあるうちの中からわたしを選んだの?」
梓「それは……別になんとなく……一番最初に目に入ったからです」
唯「そっかあ。でもなんとなくでも会えたからよかったねっ」
梓「まあ」
パンフレットの棚には目もくれず唯先輩はずんずん先に進んでいった。
何か目的があってそこに向かっているようにも思えた。
梓「どこ行くんですか。行き止まりですよ」
唯「行き止まりじゃないよ」
そう言って唯先輩が手をかけたのは『関係者以外立ち入り禁止』の扉だった。
梓「だめですよ」
唯「でも、わたしたちが関係者かもしれないよ?」
梓「ちょっと……」
唯先輩は扉を開いた。
そこには長く薄暗い廊下が続いていた。
ずっと向こうの方から明かりがもれてくるのがわかった。
唯先輩はそこまで歩いていく。
仕方なしにわたしはついていった。
少しすると広くなった場所に出た。
その中央で不思議な機械が動いていた。
明かりはその機械にいくつも取り付けてあるモニター部分から発せられたものだった。
その姿が蜂の巣を連想させた。
梓「これ、なんですか?」
唯「ほら、なにが映ってる?」
梓「えとそんなのわから……あ」
唯「わかった?」
梓「わたしたち」
唯「あたりー」
梓「でも、いつの映像……」
唯「覚えてない?」
わたしはひとつひとつの映像に目を凝らした。
海で合宿をしている。飛行機の中で寝ている唯先輩がわたしにもたれかかってくる。浴衣を来て観客の前で演奏している。初日の出に出かける。お祭りで唯先輩にとうもろこしを食べさせられる。軽音楽部に入部する。ホテルで唯先輩と朝食をとっている。二人で漫才の真似事をする。正月のテレビを憂と軽音楽部のみんなで見ている部室で勉強をしている楽器店ではしゃぎまわる風邪をひいた憂のお見舞いに行く山の中で遠くから聞こえる音楽に耳を澄ます。
そうだ、これは。
梓「思い出」
唯「そう。接着して作ったニセモノの思い出だよ」
梓「なんでそれがこんなところに」
唯「それはなんていえばいいんだろ……」
唯先輩は後ろめたそうな顔をした。
唯「説明のためだよ」
梓「説明?」
唯「ほら、動物園とかによくあるよね。こうこの動物はなになにですみたいな、あれだよ」
梓「意味がわかんないです」
唯「実はね、わたしもよくわかってないんだ。でも、わかってないうちに決まっちゃったことなんだ」
梓「なにが決まったんですか?」
唯「壊しちゃおうか?」
梓「え?」
唯「どんなきれいな思い出でも、あずにゃんがいなくなっちゃったらきっと意味ないよ」
そう言うと唯先輩は目の前の機械を蹴った。
梓「な、なにしてるんですかっ」
唯「ごめんね」
唯先輩は言った。
唯「ごめんね……ごめんね……」
唯先輩は狂ったように機械を蹴り続けていた。
がつんがつんという鈍い音が狭い部屋中に響き渡る。
ときどき、オレンジ色の火花がばちんっ。とんだ。
その姿は普段の唯先輩からはあまりにかけ離れたもので、わたしは怖くなった。
でも、いま目にしてる唯先輩こそがホントの唯先輩なんじゃないかと頭のどこかで考えてもいた。
なにしろわたしは唯先輩の説明書すら持っていないんだ。
あの日、デパートの3階に展示されていた唯先輩にはどんな説明書きがあっただろう。
もう思い出せなかった。
どれくらいたっただろう。
やっと唯先輩は落ち着いた。
無残な姿に変わり果てたあの機械が目の前に転がっていた。
唯先輩は言った。
唯「逃げようっ」
唯先輩がわたしに向かって手を出した。
少しの間が空いて、わたしはそれをとった。
階段を上がってデパートから飛び出した。
入り口のとこらにフェアの
結果発表を待つ人の群れがあって唯先輩はそこに突っ込んでいった。
どこかでどおおんどおおんと号砲が上がっていた。
少なくとも、わたしたちが賞をもらうことはなかっただろう。
唯「今度は手離しちゃっだめだよ」
唯先輩が振り向いた。
それで、こんなことが前にもあったんだと思い出した。
たしか夏のお祭りかなんかで。
あの時は手を離しちゃったんだっけ。
唯先輩は人ごみの中に消えていってしまったんだ。
でも、そのときは別にたいしたことでもなかったような。
唯先輩はわたしの手をひいて走り続けた。
もう一方の手には傘を持っていた。
そういえば、今日は夕方から飴がふるって言ってたな。
商店街が後ろに流れていった。
坂の上のあの丘まで行って止まった。
呼吸が収まるまでそのままでいた。
夕日で街がきれいなオレンジ色に染まっていた。
唯先輩が肩に手を回してきた。
顔にはまだ赤みがさしていた。
唯「ごめんね……怖がらせちゃったよね」
梓「少し。でも別にいいですよそんなことくらい」
唯「思い出しちゃったんだ。いろんなことを。ううん、ホントはずっと知ってたんだけど……」
梓「どんなことですか?」
唯「知りたい?」
梓「それは……」
唯先輩の顔があまりに真剣だったのですぐには答えられなかった。
長い沈黙の後、わたしは答えた。
梓「……知りたいです」
唯「でも、もしかしたら傷つくかもしれないよ」
梓「傷つく?」
唯「きっとやな話だよ。それでも?」
梓「はい」
唯「ホントに……今のままでいられないかもしれないよ」
梓「だって唯先輩はもう知っちゃってるじゃないですか。そんな嫌な話を」
唯「そっか。わかったよ」
唯先輩がわたしの手をとった。
そのまま自分の方に引き寄せた。
わたしは唯先輩にもたれかかるみたいになって、おでこがぶつかった。
睡魔がやってきた。
溶けていく感じ。
欠伸がでた。
おやすみ。
【思い出5】
きいいいかああんきいいいかああんぷくぷくとうんぷくぷくとうん。
機械の動く音。液体が揺れる音。
懐かしいな、なんてぼうっと考えていた。
どこで聞いたんだっけ?
そこは四角い部屋だった。
光を灯した蛍光灯は今にも消えそうで室内はひどく薄暗く、薬品の鋭い匂いがした。
わけのわからない大小の機械類があちこちに散在していて、そこに貼っ付けられたランプが点滅し続けていた。。
赤、青、黄、緑、赤、青、黄……ちか、ちかちか。
そのうち、わたしはある気配を感じるようになった。誰かが部屋の中央あたりにいるような。
だけどそこには四角い箱が一つぽつんと置いてあるだけだった。ネズミでもいたのかもしれないなとわたしは考えた。
そのまま何かが起こるのを待っていた。相変わらずランプは一定のテンポ点いたり消えたりを繰り返し、時々上のほうで蛍光灯が静かなうめき声をあげるだけで、それ以外のすべては変わらないままだった。
とうとうわたしは何か行動を起こすために、体に力を入れようとした。
だけどうまくいかなかった。
ここにわたしはいないんだと理解する。
わたしはただの視点でしかなかった。
そんなに変な気分はしなかった。例えばそれは夢の中で自分で自分を発見するようなそんな感じ。
まあ、わたしが次に見つけたものといえば脳ミソだったんだけど。
円柱状のアクリルケースいっぱいに緑色の液体、その中の溶けかかった脳ミソ。
その脳ミソの後ろ側にはげんこつくらいの穴がぽっかり空いている。
そこからたくさんのコードが伸びていて、部屋の中心の小さな箱の中に繋がっていた。
ぷくんぷくん。
液体の中で脳みそは控えめに上下していた。ケースのなかで時々思い出したようにあぶくが上がった。
わたしはなんだか笑い出しそうになった。
あーずにゃんっ。
誰かがわたしを呼んだ。
唯先輩だってわたしはすぐにわかった。
唯「こっちだよ……じぃぃ……こっちっ」
唯先輩の声にノイズが交じる。
わたしはもう一度あの四角い箱に視線を戻した。
唯「そう、こっち……」
梓「はこ?」
唯「はこっ」
あ、笑った。
梓「なんでそんなとこにいるんですか」
唯「あずにゃんだってあそこにいるよ」
梓「あそこ?」
唯「のーみそ」
梓「ああ」
唯「もっと驚くと思ったのに……」
梓「なんとなくそんな気はしましたよ。あれがわたしだって」
唯「うそだー。あとだしっ」
梓「しかたないじゃないですか。わたしだって自分があんな脳ミソだって別に知りたかったわけじゃないですよ」
唯「むう」
唯先輩の表情が浮かんで脳裏に貼り付いた。ぷくっとほっぺを膨らましている。
箱でしかなかったのにね。
そんなこと言っちゃえばわたしはむき出しの脳ミソだったわけだけど。
梓「聞きたいことがいくつもあるんですけど」
唯「うん。わたしに答えられるかな?」
梓「どうでしょうか」
唯「よしっいいよ。かむおんっ」
梓「じゃあ、まずここはどこですか?」
唯「ここは地球だよ」
梓「地球?」
唯「うん。地球のなんていうのかな、基地だよ。調査基地」
梓「何を調査してるんですか?」
唯「地球に住んでた人間のことだよ」
梓「誰が?」
唯「火星人が」
梓「ちょっと待ってくださいよ。じゃあ、わたしたちは火星人だって言うんですか」
唯「わたしは機械だよ。あずにゃんは元、火星人」
梓「もと?」
唯「うん。あずにゃんは火星人だったんだ。でも悪いことをして火星人じゃなくなったんだ」
梓「わたしはどんなことをしたんですかね」
唯「待ってね思い出すよ」
唯先輩は黙ってしまう。
箱のランプの点滅がはやくなった気がした。
思考中、ということだろうか。
唯「思い出したよっ」
梓「なんですか?」
唯「盗みだよ」
梓「盗み?」
唯「うん。あずにゃんは飴玉を盗んだんだよ」
梓「それだけですか?」
唯「それだけ」
唯先輩が言うには、それはこんな話だった
火星人だった頃のわたしは飴玉を盗んだ。
駄菓子屋の入り口近くの飴玉をひとつとって逃げた。
残念ながらと言うべきかどうかはもう火星人じゃなくなったわたしにはもうわからないけど、わたしは捕まった。
火星では人工が増えすぎていて公には言えないけれど人を減らしたいらしいのだ。
だから、どんなちいさな犯罪もそれなりの刑が課せられる。
少なくとも、火星にいられなくなるくらいの罰が。
というわけでわたしは地球、もう滅びた惑星に送られることになった。
ただし駆動機械の指令部分、つまり脳ミソだけ。
だからもうわたしの体はなくなちゃったらしい。
かわいそうに。
わたしは昔のわたしに同情してみたりもする。
唯「なんであずにゃんはあめ玉なんか盗んだのかな?」
そんなのこっちが聞きたい、と言いたかったけど、黙っていた。
代わりに訊いた。
梓「わたしは、つまりわたしだったわたしの脳ミソはここで何をしてたんですか?」
唯「思い出を探してたんだよ」
梓「思い出……」
唯「あずにゃんは、あずにゃんの脳ミソはね、モグラみたいな機械の体の中に入れられてね。その機械は思い出を掘る機械でね。あ、でもほんとに穴を空けるんじゃいないんだよ。なんていうか、えと」
梓「比喩ですか?」
唯「そうっそれそれ。それで、そんなふうにして集めた地球の思い出というか歴史というか記憶とかまあそんなものを、みんなあずにゃんの脳ミソの中にしまっておくんだ」
梓「はあ」
唯「わかんないかな?」
梓「はい」
唯「わたしもだよ。一緒だね。データで見ただけだから」
梓「でも、じゃあ、なんであの脳ミソはあんなところにあるんですか?」
わたしは指差そうとして、それができないのを思い出す。
ガラスケースの中で脳ミソがぴくりと揺れた。
唯「いっぱいになっちゃったから」
梓「思い出でいっぱいってことですか」
唯「うん。だからね、もう役に立たないんだって」
唯先輩はそんなことを軽い口調で言った。
でもわたしも、まるで自分じゃない誰かの話を聞いてるみたいな気分でいる。
梓「どうなっちゃうんでしょう」
唯「動物園に行くはずだったんだ」
梓「動物園?」
唯「地球人の動物園なんだって」
梓「でも、わたしは火星人だったんじゃ」
唯「だからね、あずにゃんを地球人にするはずだったんだよ。ニセモノの思い出を作ってね。体はどうにでもなるから」
でも失敗だったよ、と唯先輩は言った。
わたしはいつも失敗ばっかりだよね。
唯「地球の思い出の中からね一人分の思い出を選んであずにゃんはその人になるはずだったんだよ」
最終更新:2012年08月18日 22:13