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洒落た喫茶店の片隅。
夕暮れに差し掛かった時間帯、私は少し高いアッサムで喉を潤していた。
高いだけに美味しい方のアッサムだとは思うんだけど、
高校、大学とムギの淹れてくれた高級な紅茶で舌が肥えてしまった私にはちょっと物足りない。
勿論、ムギの淹れてくれた紅茶が高級品だからってのもある。
だけど、それ以上にその紅茶には、
何て言うかムギの思い遣りみたいなものが込められていた気がしたし、
皆で一緒に飲む事こそが、紅茶を美味しく飲む最高の飲み方だと思ったりもするんだ。
どうにも照れ臭いから、誰の前でも口にしたりはしないんだけどさ。

今、私は『あいつ』を待っている。
久し振りに会う約束をしている『あいつ』。
『あいつ』と会えなくなって、もう四年近くになる。
四年の間、劇的って程じゃないけど、色んな事があった。
試験、就職活動、卒論、卒業、就職……。
誰もが経験する事なんだろうけど、目眩がするくらい忙しかったし、大変だった。
今だってまだ慣れない仕事に追われて、毎日がてんてこ舞いだ。
大人ってのは大変なもんだったんだな、って今更になって思わされる。

だけど……。
忙しい中にも私の心の中には、
皆と過ごした日々がずっと残ってて、大切に思う事が出来てる。
私らしくない言い方かもしれないけど、皆との思い出が宝物みたいに輝いてるんだ。
だから、忙しくて、大変でも生きていけてる。
『あいつ』の事を思い出すと楽しくなるし、
今日久し振りに会えるのが嬉しくてたまらないんだよな。

『あいつ』は……、どう変わったんだろう。
少しは『女らしく』なったんだろうか?
いや、『女の子らしい』奴ではあったけど、『女』らしさは無い奴だったからなあ。
あれから四年も経った事だし、少しは胸なんかも大きくなったのかな?
なーんて、我ながら親父臭いなって思うけどさ。

そういや、たまにメールで送ってくれる写真の中の『あいつ』はいつからか髪型が変わってたっけ。
まあ、それが普通の事なんだろうって思う。
あいつももう社会人になってる事だし、
私だって前と同じ髪型をしているわけにはいかなくなった。
人は変わっていくんだよな。
中身も、外見も、少しずつ、少しずつ……。
思い出してみると、あいつと最後に過ごした日もそんな話をしてたっけ。
そうだ、あれは確か大体四年前の事で……。




「ねえ、律先輩……」


その日、実家の私の部屋のベッドの端。
背中側から私に抱え込まれるみたいな体勢で梓が小さく訊ねた。


「んー? どしたー?」


私は梓の耳元で囁いて訊ね返す。
それと同時に梓のツインテールに自分の指を通した。
全く指に引っ掛からない真っ直ぐな黒髪。
それが羨ましくなって、愛おしくなって、何度もそれを繰り返す。


「私の髪を触るのってそんなに面白いですか、律先輩?」


若干呆れたような口振りで梓が続ける。
背中側に居る私からじゃ梓の表情は見えないけど、
多分、本当に呆れた表情を浮かべてるんだろうなってちょっと思った。
少し悔しかったけど、私は笑い飛ばすみたいに返してやる。


「おうよ。面白くなかったらやるわけないだろ?
梓ちゃんの髪は赤ちゃんみたいにサラサラでちゅからねー」


「どうして赤ちゃん言葉なんですか……。
確かに赤ちゃんの髪って筆に使われるくらい、
細くてサラサラらしいって聞いた事ありますけど……」


「お、それって自分の髪がサラサラって認めたって事かよ。
自信家で生意気な子でちゅねー!」


「一般論です!
それに、まあ……、律先輩よりはサラサラなのは間違いありませんけどね」


「何だとー!」


言いながら、少しだけ力を込めて頭頂部をぐしゃぐしゃに撫でてやる。
「きゃーっ」って梓が小さな悲鳴を上げたけど、
そうやって乱してやった髪の毛は、あっという間に元の絹みたいな手触りに戻った。
どうもやっぱり梓の髪は人に誇ってもいいくらい真っ直ぐな髪質らしい。


「ぶーぶー」


わざと口に出してブーイングをしてやると、
急に梓が後ろに手を伸ばして私の髪を軽く撫で始めた。
私の髪質を馬鹿にするためかと思ったけど、そうじゃなかった。
ちょっとだけ優しさを含んだ声色で梓は言った。


「何を言ってるんですか、律先輩。
律先輩の髪質だって、一般的にはかなりサラサラな方だと思いますよ?
ほら、こんなに指通りもいいし……」


「そっ、そうか……?」


髪質を褒められた事なんてほとんど無い私だ。
私はちょっと照れ臭い気持ちになって、
背中側から梓に回した腕に軽く力を込めて抱き締めた。
梓もそれに抵抗せずに身を任せてくれた。

いつ頃からだったかは憶えてないけど、
私と梓はいつからかこうして身体を寄せて一緒に過ごす事が増えていた。
梓が私達の大学に入学して来て、最初の夏休みくらいだったっけか?
私の実家に集合して皆で遊ぶ事になった時、
唯も澪も丁度夏風邪をひいて、ムギに突然実家の用事が入って、
結局私と梓の二人で遊ばざるを得なくなった事があった。
その日、いつもの唯の行動を真似て、何となく梓を後ろから抱き締めてみたんだ。

どうしてそんな事をしようと思ったのかは今でも分からない。
梓と二人きりになる事なんて滅多に無かったから、
珍しさに気分がちょっと昂ぶってたのかもしれないし、他の理由かもしれない。
本当の気持ちは分からない。
そして……、梓はその私の行動を嫌がらなかった。
唯に抱き締められ慣れているからなのか、
私の奇行に一々反応するのも面倒だと思っているからなのか、やっぱりそれも分からない。
ただ私は梓を抱き締めて、梓はそれを受け入れてくれた。
多分、それだけのきっかけで、私と梓は二人で身体を触れ合わせて過ごす事が多くなった。
何をするわけでもなく、ただお互いの体温を感じて過ごす事が……。

梓の体温を感じながら、私はいつも考える。
梓の事は好きだと思う。
傍に居て、体温を感じ合っていたい。
でも、好きだけど、恋じゃない。
後輩に対する親しみの感情でも、単なる友情でも、ない。
ただ、梓の傍に居たい。

多分、梓も私と同じ気持ちだと思う。
だからこそ、口数も少なく、
でも、嫌がりもせずに、私と一緒に居てくれるんだろう。
ただ、私の傍に居たくて。

もう一度、私は梓のツインテールに指を通す。
何度触っても飽きの来ない心地良さ。
シャンプーなのかリンスなのか、どちらかのいい香りまで漂ってくる。
小さくて生意気で抱き心地が良くて、何故か愛おしさを感じさせる私の後輩。
深い意味があったわけじゃないけれど、いつの間にか私は思い付いた事を言葉にしていた。


「梓さあ……、髪型変えねーの?」


「髪型……ですか?」


「だってさ、おまえったら会った時からずっとツインテールじゃん?
まさか大学生になってもツインテールを貫き通すとは思ってなかったんだよな。
そりゃ最近はツインテールの大学生も増えて来たみたいだけど、
ひょっとしてこれからもずっとツインテールのままでやってくつもりか?
まあ、おまえがそれでいいんなら、私もそれでいいんだけどさ」


「それを言うなら律先輩もですよ。
律先輩だってこれからもずっとカチューシャで前髪を上げたままにしておくんですか?
そろそろ前髪を下ろした髪型に挑戦してみたらどうでしょう?
ほら、一度皆で色んな髪型を試してみた事があったじゃないですか」


「あー……、あれなー……」


思い出しながら、つい苦笑してしまう。
あの時は確かに皆で色んな髪型を試してみた。
酷い目に遭ったわけだが……。
でも、前髪を下ろした髪型が物凄く嫌だってわけじゃないし、
そろそろ慣れていかなきゃいけないよな、って思わなくもない。
いくら何でも、一生カチューシャを着け続けるわけにもいかないしな……。


「でもなぁ……」


「はい……」


「今更、イメチェンってのも難しんだよなー……」


「ですよねー……」


二人で呟いてから、ほとんど同時に軽く苦笑する。
唯や澪、ムギ達ならともかく、私達と同じ髪型をしている社会人なんてほとんど居ない。
バンドを続けてデビューするとかならまだしも、
将来的な事を考えるなら、そろそろ自分の髪型について考えなきゃいけないだろう。
大体、デビュー出来たとしたって、日常生活で同じ髪型で居られるわけでもないしな。
いつまでも子供の頃のままでは居られないって事か……。
世知辛いもんだよなー……。


「でもですね、律先輩」


不意に梓が明るい口調に変わって、私の方に顔を向けた。
その表情はちょっと笑ってるように見えた。


「いつまでもってわけにはいきませんけど、
でも、私、しばらくはカチューシャを着けた律先輩のままで居てほしいです。
やっぱり見慣れていますし、ドラマーって感じで似合ってますもん。
だから、もう少しだけ、このままで……」


『もう少しだけ、このままで』。
その梓の言葉は別の意味に聞こえなくもなかったけど、私は頷きながら笑ってやった。
私だって梓と『もう少しだけ、このままで』居たいんだからな……。


「そうだな、梓。
将来的には変えなきゃいけないんだろうけどさ、焦って変えなくてもいいよな。
私もさ……、その……、何だ……。
おまえのツインテール……、よく似合ってるって思うからさ」


「あ、律先輩、照れてますね。
……ぷっ!」


「中野ー!」


軽く叫んで梓の腰に絡めていた脚に力を込めて、ベッドの上に二人で倒れ込む。
そのまま首に回していた腕の力も込めて、チョークスリーパーを力強く極めてやった。
それでも、梓は楽しそうな笑顔を崩さずに、笑って言ったんだ。


「あははっ、すみません、律先輩。
でも、カチューシャを続けてくれて嬉しいです。
私、今日律先輩に渡したい物があるんでから……。
ほら、だって、今日は……」




「そういや、確かあの日は丁度……」


そこまで思い出した所で、私は自分のカチューシャに手を伸ばしてみた。
最近、自宅ではともかく、外では着ける事が少なくなったカチューシャ。
あの日、梓から貰った比較的新しいカチューシャだ。
そういや、あれは今日から大体どころか丁度四年前の事だった。
あの日以来、私は梓と会っていない。
梓と最後に過ごした日だったんだ、あの日は。
いつも通りに過ごして、いつも通りに梓の自宅まで送ってから別れたけど、
あれが梓と一緒に居られた最後の日だったんだよな。

何も喧嘩別れをしたってわけじゃない。
あれが最後の日だって分かってて、私達はいつも通りに過ごしたんだ。
私はそう望んだし、梓だって同じ気持ちで居てくれたみたいだった。
あの最後の日から数週間前、梓は大学を辞めると私達に報告していたんだ。
両親と一緒に海外で本格的なジャズの勉強がしたいって。

唯も澪もムギも純ちゃんも憂ちゃんも、
当然私だって寂しかったけれど、誰もそれを止めようとはしなかった。
梓が自分で決めた事なんだし、梓が将来について考えてるんなら、
自分達の勝手な感傷でそれを止めるわけにはいかないって、皆分かってんだと思う。
そうして、梓は海外に飛び立って行ったんだ。
自分の将来や未来を見据えて。

梓の事は好きだし、傍に居たい。
でも、本当に好きなら、梓の望む未来を応援してやりたい。
同時に、私だって梓に負けない夢を見つけてやりたいって思った。
梓には敵わないかもしれないけれど、私にだって音楽に夢を抱いてるんだ。
だから、頑張ろうと思ったし、頑張って来た。
いつかきっと梓に今の自分を誇れるように。
この私の胸の中にある梓への想いにも、自信を持てるように。


「勿論、夢はまだまだ遠いけどな……。
でも、私は……、私達は少しずつ……」


そうやって一人で誰にも聞こえないように呟いた。
私一人に届けばいい言葉だからそれでよかった。
夢は遠い。
想いに自信が持ててもない。
それでも……。


「お待たせしました、律先輩!」


不意に、懐かしい声が響いた。
電話ではよく聞いていたけれど、電話越しとは全然違う。
涙が出そうなくらい懐かしくて愛しくなってくる『あいつ』の生の声だ。
私は込み上げそうになる涙を堪えながら、
『あいつ』の声がした方向にゆっくりと視線を向けた。

……居た。
人の波に紛れる小さな身体でも、絶対に見逃さない。
暑い国に行っていただけあって、全身が日焼けで真っ黒な『あいつ』。
ツインテールの髪型も小柄な体も何もかもそのままの……、
私の好きな梓だ。

私は胸が詰まりそうになりながらも、ゆっくりと手を挙げた。


「よっ、久し振り、梓」


「お久し振りです、律先輩。
お待たせしてすみません。
久し振りの日本でちょっと迷っちゃって……」


「おっ、帰国子女気取りかよー。
生意気よねー、梓ちゅわん」


「何なんですか、その口調……」


言い方は呆れたような口調でも、その表情は笑顔だった。
自意識過剰かもしれないけど、梓も私に会えて嬉しく思ってくれてるのかもしれない。
笑顔のまま駆け寄って来て、梓が私の席の正面に座る。

四年ぶりの再会。
連絡は取っていたけれど、直接会うのは本当に久し振りだった。
久し振り過ぎて、私の中から言おうと思っていた言葉がどんどん消えて行く。
でも、それは決して嫌な気分じゃなかった。
私の求めていた事は言葉じゃなくて、
ただ傍に居る事だったんだって深く自覚出来たから。

だけど、当然ながら無言のままで居るわけにもいかない。
私は意を決して、梓の瞳を見つめながら口から言葉を出した。


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最終更新:2012年08月21日 21:18