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憂「んぐ……」

 やがて、少し無理をしてしまったか、喉に詰まりを感じた。

唯「憂、へいき?」

 お姉ちゃんが水を取ってくれる。
 だけど、それさえ飲める気配がしなくて、グラスをテーブルに押し返した。

唯「ちょっと、行こう」

 お姉ちゃんが私の手を取って立ち上がった。
 手首で口を押さえながら、靴をひっかけてトイレに引っ張られていく。

 トイレの個室に押し込まれ、洋式の便座の前にひざまずく。

 高いお店だからかは分からないけれど、
 トイレはきれいに掃除されていて、その行動を取るにも抵抗感はなかった。

唯「出しちゃって、憂」

憂「うっぷ……」

 お姉ちゃんの手が背中をさすると、こらえていた吐き気が一気にこみあげた。
 目を固く瞑り、出てくるものを見ないようにする。

 喉が奥からこじ開けられて、異臭が鼻を衝いた。
 便器に重たい液体がびしゃびしゃとかかる音が耳に不快だ。

憂「ぷはぁ、ぇ……ごほっ」

 口の中に酸い味が感じられた。

唯「ほれ、ほれ」

 お姉ちゃんがなおも背中をさすった。
 まだ吐くものが残っていたらしく、再びこみ上げて来て、私は便座に突っ伏した。

憂「うええええぇぇ……」

 ごめんなさい、高級焼き肉。

憂「はぁー……」

 いっぺんに吐き終えて、軽くなった胃のあたりをさすりながら膝を立てた。

唯「大丈夫?」

憂「うん、ひとまず……」

 汚物を流して水道に向かう。
 口の中全体にきつい味がしている。あまり喋りたくない。

 蛇口をひねり、出てきた水で口をゆすぐ。
 黄色のどろっとした固まりが排水溝に流れていく。
 お姉ちゃんはその間ずっと、私の後ろに立ってくれていた。

憂「ごめんね、お姉ちゃん」

 口をゆすぎ終えて、手を洗いながら言った。

唯「ん?」

憂「高いのに……吐いちゃって」

唯「そんなのいいよ。今はぜいたくしていいんだから、憂も戻ってまた食べ直そうね」

 お姉ちゃんは私の頭をぽんぽんと撫でてくれる。
 鏡には、似た顔の似た髪をした、双子の姉妹にしか見えないような二人が映っていた。

憂「……うん」

 私は濡れた手で、お姉ちゃんの後ろ髪に触れてみた。

唯「くすぐったいよ、うい」

 お姉ちゃんがくすくす笑った。
 冷たい指先で首筋をなぞってみる。

唯「ちょっと……えっちいってば」

 笑顔のまま、お姉ちゃんがその手をはねのける。

 私だって、こんなところでだめだとは思う。
 けれど、止まるきっかけがつかめない。今度は指をお姉ちゃんのくちびるに持っていく。

憂「お姉ちゃん……」

 焼き肉の脂とタレに濡れたくちびるが、触れた指先にやさしくくっつく。
 手のひらでお姉ちゃんの頬を包むように撫で、そっと引き寄せる。

唯「……憂?」

 お姉ちゃんだってわかっているだろうに、わざとらしく首をかしげて抵抗しない。
 そのままお姉ちゃんの顔に接近して、くちびるを重ねた。

唯「……んっ」

 私の髪を撫でていた手が、肩を掴んできた。
 けれど、その手は決して強く拒んできたりはしない。

 せめて個室に行かないと。このままでは危険なのに。

唯「んぐっ……」

 くちびるに唾を当てながら吸い、
 お姉ちゃんの味だけになったところで舌を挟んでもらう。

 トイレという空間にはまるで似合わない、高い水音が立つ。

 扉の外で、人の動く気配がした。
 さすがにお姉ちゃんが肩を強く押してくるけれど、
 私はお姉ちゃんのくちびるにすがりついたまま離れない。

唯「こ、こらっ……んんっ」

 一瞬、お姉ちゃんが私を叱った。
 それでも私は自分を止めることができずに、お姉ちゃんとのキスを続けようとする。

 どうしてこんなことをしているんだろう。
 もう何処へでも逃げられるからといって、好き放題してもいいと思っているのだろうか。

 確かに、傍から見て私とお姉ちゃんがただの仲良し姉妹にしか見えないというのは、辛いときもある。

 だけどそれこそが何よりの隠れ蓑で、
 仮に私たちが全てを失っても、決して消えることのない繋がりなのだ。

 なのに、さっき鏡を見た時。
 お姉ちゃんそっくりの姿が、私たちが姉妹であることのてっとりばやい証が、
 とてつもなく厭わしく感じられてしまったのは、どうしてなんだろう。

 姉妹でなければいい。
 この関係をいち早く壊してしまいたい。
 どうしてそんなことを考えてしまうのだろう。

唯「だぇ、ういっ……」

 お姉ちゃんがうめいた瞬間、ホールとトイレを隔てる扉が耳障りな音を立てて大きく揺れた。

憂「ひゃわっ!」

唯「ぷはっ、ん」

 鼓膜を叩かれたような衝撃が走り、私たちは反射的に離れた。
 くちびるに残る熱をあわてて擦って、水道に体を向ける。

 そして、ふた呼吸した後、扉が開いて知らない女性が入ってくる。
 女性は私たちの方を一瞥して、個室へ入って鍵をかけた。


 お姉ちゃんが私の頭にぽんと手を置く。
 少し力を入れて、叩くような調子だった。

唯「……めっでしょ」

憂「ごめん……」

 くちびるを拭った手を水に濡らし、水道を止める。

唯「戻ろっか」

憂「うん。遅くなると悪いよね」

 さっきの失態はなかったことにして、
 私はハンカチで手を拭った後で扉の把手を握った。


 きぃ、と小さく蝶番が軋む。
 外に出る前にそこに律さんが立っているのは分かっていたけれど、
 後ろからお姉ちゃんに押されて立ち止まれなかった。

律「よう、バカども」

 律さんがお姉ちゃんの頭に手刀を叩きこんだ。

唯「あぐ。……りっちゃん」

律「こんなところで何してんだよ、ほんと」

 まったくである。

唯「だって憂が……」

律「お前が年長者だろうがっ」

 またお姉ちゃんが一撃お見舞いされる。
 そろそろ止めたい。

憂「あの、もしかしてさっきのは律さんだったんですか?」

律「ああ。人が来てたから……見せびらかすつもりじゃなかっただろ?」

 相変わらず、少し喋りにくそうに律さんは言った。
 律さんが扉を叩くか何かして、私たちに危険を知らせてくれたのだろう。

憂「はい……」

 申し訳ない気持ちで私は頷く。

唯「でも、そしたら普通に入ってきて教えてくれてもよかったよ?」

 お姉ちゃんが首をかしげる。

律「ばっ……」

憂「お姉ちゃん、それってどうなの……」

 律さんがちょっと顔を赤くした。
 お姉ちゃんの頭の中では律さんは絶対的に女の子なのだろう。
 私だってそうだ。

 だけど、律さんのことは男性として扱うのが礼儀だと思う。
 むしろ私たちにこそ男性として見られたくて、律さんは今日あのようなサプライズも持ち込んだというのに。

律「まぁ、いちおうな……わた、あ、俺は、女子トイレには入れっこないしな」

 律さんは少しどもったあと、誇らしげに言ってみせた。
 女子トイレに入れない、それだけの当たり前のことが、律さんにとっては嬉しいのだろう。

唯「ところで、りっちゃんなんでここにいるの?」

律「あぁ、ちょっとタバコ吸いに行こうと思って」

憂「あれ、律さんって吸うんですか?」

律「まあな」

 律さんは頷いた後、なにか考えるように唸って、私の方を見た。

律「……そう憂ちゃん、少し外に出ようぜ。気分悪いんだろ?」

憂「へ?」


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最終更新:2012年08月23日 00:47