――わずかな手荷物だけを持ち、眼前の栗色の髪の後ろについて少し懐かしい駅のホームに一歩降り立つ。
懐かしいと言うほど前回の帰省から間は空いていないはずだけど、それでも何かしらの郷愁の感情は禁じ得ない。

……しかし、そんな感傷に浸る間もなかった。

憂「……あっ、お姉ちゃーん!」

唯「憂ー!!」

憂「おねぇちゃあぁぁぁん!!!」ダキッ

唯「ういぃぃぃぃぃぃぃい!!!」ダキッ

まだ駅のホームだというのに互いの姿を認めると同時、猛ダッシュで抱き合いに移行する姉妹。
唯の後ろに立っていたはずの私のことは憂ちゃんの目にも入らないらしい。

律「つーか、周囲の目も気にしなさい、少しは」

憂「あ、律さん。長旅お疲れ様です」

律「あ、うん」

抱き合ったまま私の方にも視線を向けてくる憂ちゃん。ごめん、ちゃんと目に入ってたんだな。
まぁそうか、いくら姉ラブの憂ちゃんでもお姉ちゃんの友達を無視なんてしないよな。

律「っていうか、全然長旅ってほどでもなかったんだけど――」

唯「」ドヤッ

律「……? どうしたんだ唯、変な顔して」

唯「変な顔なんてしてないよー! 今度は憂にスルーされなかったよって、そう言いたかったの!」

律「「今度は」?」

憂「お、お姉ちゃん、あれは……」

唯「聞いてよりっちゃん、あのね――」

……話を聞く限りでは、前回の夏休みでの帰省では憂ちゃんとの感動の再会が和に全部持っていかれたらしい。
「驚かせようとわざわざ黙って帰ってきたのに!」とか言っていたけど、そもそもそれ自体どうかと思う。

唯「ヒドいと思わない!?」

律「あーうんそーですねー」

テキトー極まりない生返事で返しておく。言うほど酷いことだとは思わないし。
私なんて澪からたまにもっと酷い扱いを受けるし。まぁ、だいたいは私の自業自得なんだけどさ。

っていうかこの姉妹、わりとしょっちゅう電話してるんだよな。唯が寝坊して晶に迷惑かける原因のほとんどは憂ちゃんか梓との夜の電話のせいだと思う。
もちろん憂ちゃんや梓は寝坊なんてしそうにないから、生来のキャラってのもあるんだろうけど。
ともかく、そんなしょっちゅう電話していた相手が急に目の前にいたら確かにびっくりくらいはするだろうけど、それよりも疎遠になりつつあった和のほうに目が行くのは自然じゃないだろうか。
そういえば私も和とはあまり連絡取ってないなぁ。今度電話してみようか。

憂「あ、あのねお姉ちゃん、あれはね、私にとってお姉ちゃんはいつも隣にいるような存在で……お姉ちゃんが出て行ってからも、家の中にもいつもお姉ちゃんがいるように見えて」

唯「う、憂ぃ、そんなにお姉ちゃんのことを……」

律「フツーに幻覚じゃん」

憂「ごめんなさいちょっと言い過ぎましたね」

唯「ういー!?」

憂「あ、あはは……ごめんねお姉ちゃん」

唯「もー!!」

……あー、なるほど。
なんかこの姉妹、雰囲気が少し変わったけど……

律「……相変わらず、仲いいな」

唯「えー!? 憂が私をいじめてるのに!?」

律「いじめというか、イジり程度だけど。なんというか、信頼し合ってないと出来ないやり取りだよ、こういうのは」

ウチの弟も最近は生意気な口を利くようになってきたけど。憂ちゃんの可愛らしいイジりとは比べるのも気が引けるけど。
それでも何と言うか、もし言い過ぎてもすぐに謝る準備はある、そんな雰囲気が含まれているから見ている側は安堵できるような、そんなやり取り。
鈍感な唯がそこまで感じ取っているかはわからないけど。

律「和の時にしろ今にしろ、姉妹だけでイチャイチャされちゃ外野は居心地悪いしさ」

唯「……そっか」

律「……いや、そうじゃないな。私にしろ和にしろ、そういう姉妹だってことはわかってるから別にそうでもないな」

唯「えー、どっちなのさ」ブー

私達はちゃんと理解してる。
でも憂ちゃんはそういうコミュニケーションも取れるようになり、それを意識し始めた。
と、いうことは。

律「……軽音部、後輩が出来たんだって? 憂ちゃん」

憂「あ、はい。都合が合えば是非紹介したいくらい、いい子ばかりですよ!」

律「そっか。楽しみにしてる」

……憂ちゃんも、成長してるんだ、まだまだ。
初対面の頃から充分すぎるほど「出来た子」のイメージだったけど、まだまだ上にいけるんだ、この子は。

憂「――律さん、お時間あります? 今回はお姉ちゃんが帰ってくるってちゃんと聞いてたので、ご馳走の用意もちゃんとありますけど」

唯「なんだろうちょっと胸が痛い」

律「んー、ありがたいけどウチも夕食は一緒に食べる約束してるんだよなぁ」

憂「そうですか……」

唯「えー、りっちゃんもう行っちゃうの?」

律「ん、いや、一応両親が帰ってくるまで時間はまだ少しあるんだけどさ」

憂「あ、じゃあせめて家でお茶だけでも飲んで行きませんか?」

唯「そーだよ、それがいいよ!」

律「んー、誘ってくれるのは嬉しいけど、家族の団欒にお邪魔するのはなぁ……」

今回はちゃんと帰るって連絡してあるってことは、唯のご両親もお迎えの準備は万端だろうし。
そこに邪魔するのはさすがに気が引けるよなぁ……

憂「あ、今回はお母さんがお父さんを迎えに行ってるので、もうしばらくは帰ってきませんよ?」

律「そっか……じゃあ、ちょっとだけお邪魔しようかな。一時間くらい」

唯「やった!」

憂「やったね、お姉ちゃん!」

唯「うん!」

……やれやれ、私が行くくらいで何がそんなに嬉しいのやら。
こんな姉妹と仲良くなれたこと自体は、私もどうしようもなく嬉しいことなんだけどさ。

憂「そういえば、澪さんと紬さんは?」

唯「二人ともレポートで忙しいみたいだよ」

律「あの二人はマジメだからなぁ。講義いろいろ取ってるみたいでさ」

唯「私達もすぐ戻らないといけないくらいだし、二人はパスだって」

憂「そっか……残念」

律「二人も憂ちゃん達に会いたがってたよ」

憂「夏休みは会えなかったですからね……」

大学一年目、うまく予定をやりくりできなかった私達は帰省の日もバラバラに。
それに加えて唯が「あずにゃんの文化祭が終わるまでは会わない」って言い張るもんだから、みんなそれに甘えて家族以外とはロクに会わない帰省になってしまった。
もちろん、受験生である梓や憂ちゃんのことを思えばそれでいいはずなんだけど、冬休みはちゃんとしよう、って皆で誓った。たまには息抜きも大事だしな。
秋の小型連休中のこの私と唯での帰省は、実はそれの下見のような一面もある。梓あたりには何も言わなくても唯が連絡を取るだろう。あるいはもう取ってるか。
私は他の人たちを当たって、本番はたぶん冬になる、かな? 澪達を置いて梓に会うのも、なんとなく悪い気がするし。

唯「冬は皆で会えるよ、憂」

憂「お姉ちゃん……」

唯「ね?」

憂「…うん、そうだね!」

律「………」

……聡、梓、みんな、元気にしてるかな。

――そんなこんなで唯の家にお邪魔することになり。

憂「はい律さん、お茶どうぞ」

律「ありがと。ごめんな?」

憂「いえいえ。本当はもっとおもてなししたいくらいですけど」

律「あまり時間もないし」

憂「ですよね」

唯「……ぷはぁ~。やっぱり我が家は落ち着くねぇ。ういー、お菓子あるー?」

憂「うん、ちょっと待っててねー」

トテトテと走り去った憂ちゃんが、市販のお菓子袋を持って戻ってくる。
私にもチラッと視線を向けてきてくれるけど、そこは首を振って伝える。

憂「甘いのもいる? 作ろうか?」

唯「えっ!? 作ってくれるの!?」

憂「うん、食べたいなら作るよ? あ、でも律さんとお喋りする時間が短くなっちゃうか……」

唯の頼みだから聞いてあげたい、という気持ちと、私を呼んだのに放置するような格好になってしまうことへの申し訳なさ。
……憂ちゃんを板ばさみにさせてしまうのは、私としても不本意だ。

律「……一緒に作ろうか?」

憂「えっ?」

律「デザートとかは特別得意とは言えないけど、せっかくだからみんなで、さ。どう?」

唯「いいね! 私も手伝うよ、憂!」

律「みんなで作れば早く終わるし。いろいろ教えてくれれば」

憂「で、でも律さんは……」

家族での夕飯に備えて何も食べない私に、料理の手伝いをさせることに引け目を感じているのだろう。
正直私もお腹空いてきたんだけど、それを言うよりもここは年上として気配りを一つ。
唯もやる気になっていることだし、せっかくだから私も憂ちゃんから学びたいし。

律「……余りそうなら、持って帰っていいかな?」

憂「……そういうことなら、お願いできますか? たくさん作っちゃいますよ?」

唯「やったぁ!」

律「どこまで手伝えるかわからないけど、頑張るよ」


――と、意気込んでみたはいいものの。

律「む、難しいんだな……というか、細かいな……」

憂「見た目はそんなに気にしなくてもいいんですよ。大丈夫です、このまま行けば美味しく作れますから」

律「とはいえ、せっかくのデザート、見た目も綺麗じゃないと……うわっ、はみ出た!?」

憂「あはは、大丈夫ですよ、ちょっとくらいは」

律「むー…情けない」

ギターやベースで拒否反応を起こした私の身体は美味しさをギュッとチマチマと濃縮したスイーツ系には向かないようで。
とはいえ、女子力をそろそろ上げたい気持ちもある。いや、あまり本気で言ってるわけじゃないけど、出来るに越したことはないじゃん?

……とかなんとか脳内で言い訳をしていると、

憂「お姉ちゃん? クリームのほうは……」

唯「わああああっ!?」ガシャーン

憂「お姉ちゃん!?」

律「……おー、こりゃまた派手にずっこけたな」

唯「うえぇ……べとべとぉ……」

憂「お姉ちゃん大丈夫!?」

自分の作業を全部投げ出して唯に駆け寄るあたりは、やっぱり憂ちゃんもお姉ちゃん大好きなあたりは何も変わってないんだな、と思いつつ。

唯「うぅ…ごめんね憂ぃ……」

憂「大丈夫だから、怪我とか無い!?」

唯「うん……」

律「……もう着替えてきたほうがいいんじゃないか、それ」

唯「そうだね……ごめんね憂、ちょっと着替えてくる……」

憂「う、うん……」

律「………」

憂「………」


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最終更新:2012年08月23日 22:19