【唯先輩はきっとわたしを忘れるよ】


雨がやまなかった。
思い出せないくらい昔から、ずっと。
ざああああって雨が跳ねる音が聞こえてて、ブレードランナーみたいですねって、あずにゃんが言った。

唯「なにそれ?」

梓「映画ですよ。雨の降る未来都市が出てくるんです」

唯「じゃあこの街といっしょだね。テレビでやってたよ『雨の降る街桜が丘』って」
梓「映画もこの街ほどじゃないですけどね」

あずにゃんは笑うような変な顔をしました。
わたしはまた窓の外に目を向けました。
家の一階部分を埋め尽くすまで積もった雨。
男子高校生がふたり、屋根の上をぴょんぴょん飛んでいきました。

唯「わたしもああやって学校通おうかな」

梓「やめといたほうがいいですよ」

唯「なんでさ」

梓「転んで、ぼちゃん、ですよ」

唯「む……そんなことないよ」

梓「素直にボートで通ってくださいよ。もし唯先輩に何かあったら嫌ですよ」

唯「えへへ。それは……」

梓「違います」

ちぇっ、舌打ち。
あずにゃんは素直じゃないっ独りごちる。

唯「それはそうとさ、あずにゃんは学校行かないで何してるの?」

梓「映画見たり、寝たり、ギター弾いたりしてますよ」

唯「そっかあ。だからさっきの映画も知ってたのか」

梓「そうです」

唯「あ、そうだ。今日はあずにゃん家で演奏する日だからね。寝てたりしちゃあだめだよー」

梓「大丈夫ですよ。忘れてるわけないじゃないですか」

唯「あのこわーいおばさんまた来るかな?」

梓「あの人なら引越しちゃいましたよ。もう雨は嫌らしいです」

唯「そうなんだあ。みんないなくなっちゃったねー」

梓「そうですね、人口も半分切ったんでしたっけ」

唯「……雨の日も楽しいのにね」

梓「まあ、これだけ続けばいくら楽しくたって飽きちゃいますよ」

唯「あずにゃんも飽きちゃう?」

梓「さあ。それはわかんないですけど、でも、いつの間にか雨が降ってることが当たり前になっちゃいましたね」

唯「そうだね」

梓「なんにでも慣れちゃうんですよ」

わたしたちは黙ってしまうのです。
静かになると雨の音だけになってちょっとやだなあ。
だから慌ててわたしは言いました。

唯「あずにゃんはなんで学校行かないで引きこもってるの?」

梓「引きこもってなんかいませんよ」

唯「えーじゃあ何なの?」

梓「雨宿り、してるんです」

唯「雨宿り?」

梓「そうです」

唯「部屋の中で?」

梓「はい」

唯「雨が止んだらどこに帰るの?」

梓「それはまだ……雨が止んだら考えますよ」

唯「じゃあ……じゃあさ、雨が止んだらわたしのとこに帰ってきてよ」

梓「一度でも唯先輩のところにいたことはないです」

唯「だめ?」

梓「別にいいですけど」

唯「やった」

梓「ただ、この雨が止むとは思えませんよ」

唯「わかんないよー。後で後悔しても遅いからねっ」

梓「というか、先輩、学校遅刻しないんですか?」

唯「……あ」

梓「急いだほうがいいですよ」

唯「もう間に合わないなあ。わたしボート漕ぐの下手なんだよね」

梓「屋根を走るのは?」

唯「おおっその手が」

梓「ダメです。じょーだんですからね」

来た時と同じように2階の窓から外に出ました。
水玉模様のおしゃれな傘をぱっと開く。
出ていく時にあずにゃんは言ったんだ。
小さな声で。
きっとわたしには聞こえないと思ったんでしょう。


唯先輩はきっとわたしを忘れるよ


学校からの帰り道、わたしたちは2つのボート、つまり……ボートってなんて数えるんだろ?
1台、2台?
こういうとき、物の前に数字をつけて呼べばいいのになって思うよ。
1ボート、2ボート、3りっちゃん、4人、あずにゃん足して5人。
ってりっちゃんに言ったら、わたしは三人もいねえよってどやされました。

律「おーい梓、窓開けろー。はやくしないと濡れる濡れる」

梓「鍵あいてますよ」

律「あ、ほんとだ。ちーす」

紬「こんにちはー」

澪「おじゃまします」

唯「あずにゃーんっ。会いたかったよー」
梓「今朝会ったばっかじゃないですか」

唯「まあまあ」

梓「タオルどうぞ」

澪「ありがと」

律「ふへー。それにしてもすごい雨だこと」

紬「いつものことなんだけどね」

唯「ギー太を守るのに精一杯だよ」

梓「雨は楽器には良くないですからね」

澪「まったく。ミュージシャンには絶対向かない環境だよな。ここも」

律「でも、そんな街で活動を続けるわたしたちってすごくね」

梓「そういうのですごくたって仕方ないじゃないですか」

唯「そうだよ、りっちゃん。わたしたちは演奏ですごくなるんだよ」

律「お前が言うかー」

唯「えへへ」

律「それにもう1つ、この部屋はミュージシャンに向かない理由があるよな、澪」

澪「あのおばさん……」

梓「澪先輩なんて、最近のチャカチャカした女子高生はまったくこれだからとか言われてましたもんね」

唯「澪ちゃん、チャカチャカー」

澪「うぅ……やめてくれよ」

紬「チャカチャカって何かしら?」

律「さあなあ」

澪「まあでもこんなところで演奏するわたしたちも悪い」

紬「というかわたしたちが悪いね」

唯「悪だねっ」

梓「嬉しそうに言うことじゃないですよ」

律「でも、あの人家4つ向こうだろ。耳いいよなあ」

唯「周りの家が空っぽだからよく聞こえるんじゃないかな」

律「そんなことってあるか?」

梓「でも、あの人も引っ越しちゃいましたけど」

紬「まさか、わたしたちのせい?」

梓「違うと思いますよ。最後に挨拶に来て、いつも怒ってたけど別にそんなに嫌なわけじゃなかったって言ってました。楽しかったくらいだったって。ホントに嫌だったのはやまない雨だって」

律「なんかあれだな。ずるい別れかただ」
唯「これが、ツンデレってやつかな」

澪「違うと思うぞ」


律「じゃあ、まあ、やるか」

澪「セッション」

唯律「ティータイムっ」

紬「ふふっ」

梓「はあ」

とはいってもいつも部室でやってるのじゃなくて、あずにゃん家にあったティーパックとスナック菓子の簡易ティータイムでしたけど。
ぽりぽりパリパリ。
りっちゃんはおいしそうな音をたてるのがうまい。

律「そういやさ、ライブすることになったんだよ」

梓「ライブ?」

律「ほら、学園祭はこんななんやかんやでなくなっちゃったわけだしさ。それで」

梓「へええ、いいじゃないですか。で、いつどこでやるんでしょうか」

律「それは、ま、そのうちな」

梓「はあ」

澪「律は企画するだけ」

律「今度は大丈夫だってさ」

澪「ほんとかー」

律「任せろっ」

というわけでこの件は全部律先輩に任せることになった。

そのあとちょっと練習をして解散になった。

唯「わたし今日はあずにゃんの家に泊まってくよ」

澪「あ、そう?」

律「あつあつだなあ」

紬「ねー」

唯「だから、また明日ねー」

律澪紬「ばいばいー」

みんなは手を振って出て行きました。

梓「聞いてませんよ」

唯「ダメ?」

梓「だめです」

唯「でも、もうそういう予定だったのに」

梓「それは唯先輩の話じゃないですか」

唯「よし、じゃあ雨宿りだっ」

梓「え?」

唯「雨が降ったら帰るよ」

梓「……む」

唯「それならいいよね」

梓「……ずるいです」

唯「えへへ」

梓「でも、1日だけですよ」

唯「やったあ」

もう夜遅くなっていて、お腹がすいてきました。
何か食べようとわたしが言うと、カップラーメンを3つあずにゃんは持ってきてくれました。

唯「あったかいね」

梓「そうですね」

2つのカップラーメンを消費して、残りの1つは半分こしました。
わたしが1口食べて今度はあずにゃんが1口食べる。
それを繰り返すのです。

唯「あずにゃん、あーん」

梓「あ」

唯「口、ちっちゃいねー」

梓「いいじゃないですか別に……」

唯「あずにゃん、にゃーん」

梓「にゃあ」

ぺこんっ。

唯「いて」

梓「もう寝ましょうよ」

唯「えー。お話とかしようよ」

梓「じゃあ、いつ寝ちゃってもいいようにベットにいます」

唯「寝る気だ」

あずにゃんはベットに潜り込んだ。

梓「嫌になっちゃいますよね」

唯「なにが?」

梓「雨が降ってるの」

唯「そうかな」

梓「最初は雨がやまなくて晴れがなくてみんな困ってたのに今はどうでもよくなって」

唯「それは慣れちゃったんだよ」

梓「それか街から出るか」

唯「もしかして、あずにゃん、引っ越すの?」

梓「やめましたよ」

唯「そうなの?」

梓「家族は引っ越すことに決めたんですけど、わたしはここに残ります」

唯「よかったって言っていい?」

梓「いいですよ」

唯「よかった」

梓「きっと、どんな嫌なことがあったって慣れちゃうんですよね」

唯「そうだねー」

梓「嫌ですよね。いつかどうでもよくなるってわかっちゃうのは」

わたしはベットの中に入り込みました。
あずにゃんは何も言わない。

唯「ねえねえ」

梓「なんですか」

唯「二人だと狭いね」

梓「そんなの知ってます」

唯「そっかあ」

梓「……ごめんなさい」

あずにゃんは言いました。
涙混じりの声で、わたしはあずにゃんの涙の味を知りたくなりました。
あずにゃんはわたしと逆向きに転がる。

梓「ごめんなさい。先輩に迷惑ばっかかけて」

唯「迷惑じゃないよ」

梓「先輩たちはいつも優しくて……それで……ごめんなさい」

唯「あずにゃん悪いことした?」

梓「だって、こんなに暗いことばっか」

唯「あずにゃんは笑ってる方が好きなんだね」

梓「誰だってそうじゃないですか」

唯「そうかな。わたしはあずにゃんといるのが好きだよ」

梓「はあ」

唯「もちろん笑ってるあずにゃんもね、泣いてるあずにゃんも、怒ってるあずにゃんも好きだよ。でも、それよりずっとあずにゃんといるのが好きなんだ」

梓「……」

唯「だからね、何してたって変わんないよ」

梓「……」

唯「あれれ……寝てる?」

それをいいことにわたしはあずにゃんの腰のあたりを抱きしめました。
外では雨の音。
真っ暗なところだと音がいつもよりはっきり聞こえて。
寝たふりをしていたあずにゃんが呟きました。
やめてくださいよ。
わたしは寝たふりをした。


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最終更新:2012年08月24日 07:43